第103話 温かな涙の一日

 ひとまず自己紹介も済んだ私たちは、今度はエルマに案内されながら屋敷の中を歩いていた。


 この屋敷の間取りは熟知しているし、歩き回るだけなら案内は不要だ。けれど当然ながら、物の置き場所は変わってしまっている。お母様の遺品の数々も、今は別の部屋にまとめてしまわれているのだそうだ。


 それに、と心の中で付け加える。ここは私が生まれ育った屋敷だけれど、今は私の家ではなくエルマの家なのだ。客人に過ぎない私が好き勝手に歩き回っては、彼女が困ってしまう。


 精いっぱい礼儀正しく、でもちょっぴり寂しさを抱えながら歩いていたら、前を行くエルマがふとこちらを振り返った。


「まさかジュリエッタ様にお会いできるなんて、思いもしませんでした。ずっと、話には聞いていたのですけれど」


 どことなく弾んだ声で、彼女は語る。


「かつての当主の一人娘は『辺境の魔女』として、ずっと少女の姿のまま辺境で暮らしている。私は以前から、そのことを知っていました」


 思いもかけない言葉に、ミモザと顔を見合わせる。どういうことなのだろう。


「このことは、我が家の当主の間で代々語り継がれているんです。……あなたのお父様の遺言で。そして娘が戻ってきたら、どうか快く受け入れて欲しい。彼は、そうも言い残していたのですよ」


「お父様ったら、そんなことをわざわざ……」


「ふふ、すっごく嬉しそうな顔してるよ、ジュリエッタ。誰かに覚えててもらえるのって、ちょっと素敵な気分だよね」


 ミモザが金色の目を細めて、優しく語りかけてくる。またうっかりにじんできた涙を抑え込んで、大きくうなずく。


 エルマはそんな私たちを微笑みながら眺めていた。ただ、どうも何か気になっているような、うずうずしたような顔をしているような。


 そしてとうとう、こらえきれなくなったような顔で口を挟んできた。


「……ところで、ミモザ様。王都で最近噂になっている『白い竜の神様』というのは、あなたのことです……よね?」


 彼女の顔に、恐怖はなかった。それに、竜の存在を疑っている様子もない。彼女はミモザが竜なのだと理解した上で、彼に興味を持っているように見えた。


「突然どうしたの、そんなことを言い出して」


 驚きのあまりそう尋ねたら、彼女は嬉しそうに笑って答えてくれた。


「ジュリエッタ様の伴侶は、白い竜。これも当主にだけ、こっそりと伝えられていることなんです。普段はとても美しい青年の姿をしているとも」


「うわあ……そんなことまで語り継いでたんだ。おとぎ話だって思われてもおかしくないのに……エルマは信じてるんだね?」


「はい。さすがに、当主となってすぐの頃は半信半疑でしたが……そのうち、辺境に思いをはせるようになりました。そうしていたら、このところ近くで白い竜が目撃されたと聞いて。その場に駆けつけたいのを必死にこらえていました」


 目を輝かせているエルマに、ミモザは苦笑で返した。


「うん、確かにあの神様っていうのは僕のこと。ただし、絶対に内緒だし絶対にそんな呼び方をしないでね。全身むずがゆくなっちゃうから」


「ええ、分かりました。それにしても、こんなに綺麗な青年が、大きな白い竜になる……一度、見てみたいですね」


 子供のように無邪気に笑いながら、エルマはそんなことを言っている。どうもエルマにも、少々変わったところがあるらしい。


 さすがは私の血族といったところか。それとも、見た目が似ると性格も似るのだろうか。


 ミモザが竜だと知った者の反応は、ほぼ真っ二つに分かれる。


 普通の人間は恐れおののくか、あるいは神のようにあがめ始める。


 王宮の兵士や大多数の魔術師はだいたいこういった反応を見せていた。あとは、王都の人々のほとんども、おそらくこちら側に含まれると思う。確認したくはないけれど。


 一方で、一部の人間は全く違う反応を見せるのだ。興味と憧れでいっぱいのきらきらとした目でミモザを見つめ、こう言うのだ。竜の姿を見たい、と。


 そしてどういう訳か、私たちの周囲には後者がやたらと多い。ロベルトにヴィットーリオ、それにレオナルド。あとはシーシェなんかもこちら側だ。


 メリナも、興味ないといった顔をしつつ時々ちらちらとミモザを見ている。魔法生物である使い魔を操る者として、純粋に気になっているのだろう。


 そして今、エルマも後者の一団に加わってしまったらしい。


「そうだね、また機会があったら。……神様が降臨した地をこれ以上増やしたくないから、こっそりと、ね」


「ええ、機会が訪れるのをいくらでもお待ちしております。なんでしたら、辺境まで向かってもいいですよ。どんなところなのだろうと、ずっと気になっていたので」


 そう答えるエルマの声は、期待に満ちあふれていた。ミモザがくるりとこちらを向いて、しみじみと言う。


「やっぱりあなたたちって、そっくりだよ。見た目だけじゃなく、性格も結構近いのかもね」


「……否定できないわね」


 エルマのくすくす笑いは、またちょっとだけ大きくなっていた。




 そうして私たちは、離れの一室にやってきていた。


 私が暮らしていた頃は特に使われていなかった一角の、がらんとした何もない部屋。そこには、大きく頑丈な収納箱がいくつも置かれていた。硬い木でできたそれの表面には、美しい彫刻がびっしりと施されている。


「こちらが、あなたのお母様のものです。いつかあなたが取りにくるかもしれないから、そのまま残しておくようにと」


 部屋の奥で、エルマがひときわ美しい箱を指し示していた。ごくりと生唾を飲み込み、緊張しながらぎくしゃくと箱に近づく。


 震えそうになる手を励まして、そろそろと箱を開いた。そのとたん、とても懐かしい香りに包まれる。かつてお母様が使っていた、香水の匂い。


 子供の頃、私を優しく抱き留めてくれたお母様。タトウ編みを教えてくれた時のお母様。私が追放されることになって涙していたお母様。戻ってきた私を、力いっぱい抱きしめてくれたお母様。


 一気によみがえってきた思い出の数々に、また目元が熱くなる。


「……ミモザ、手伝って」


 涙で揺らいだままの声で、ミモザを呼ぶ。一人で探し物をしていたら、絶対に泣き出してしまうから。


「うん。それじゃあ、失礼して……ちょっとだけ、見せてね」


 ミモザはのんびりと私の隣にやってきて、箱の中を興味深そうにのぞき込んでいた。一生懸命に涙をこらえている私のほうを見ることなく。その気遣いが、とてもありがたかった。


「編み図って、紙に書きつけられたものなんだよね? だったら紙の束か、本を探せばいいのかな」


 言うが早いか、彼は箱の中を探り始めた。とても大きな箱ということもあって、彼は身を乗り出して上半身を突っ込むようにしている。


 しばらくがさごそという音が続いて、やがてまたミモザがひょっこりと顔を上げた。その手には、古びた紙の束が握られている。


「これで合ってるかな。それっぽいのをかき集めてみたんだけど」


 目尻に浮いていた涙をこっそりと拭き取りながら、差し出された紙の束を受け取る。そこに記されている様々な記号には、確かに見覚えがあった。


「……ええ、確かにこれだわ。子供の頃、お母様がこれを書き記していたのを覚えているもの」


 あの頃、私はただの侯爵令嬢で。親子三人、この屋敷で幸せに暮らしていて。お母様は私にタトウ編みを教えながら、新たに思いついた模様をあれこれと書き留めていたものだ。


 またしても泣きそうになるのをぐっとこらえる私に、ミモザがにっこりと笑う。


「これとあなたの記憶をもとに、タトウ編みが復活することになるのかな。そうしたらあなたのお母さん、きっと喜ぶね」


 その無邪気な声に、こらえきれなくなった涙が一気にあふれた。必死に涙を止めようと、袖口をぎゅっと目元に当てる。


「……そういう涙って、我慢しない方がいいと思うよ。ほら、僕がついてるから」


 ミモザが顔を寄せて、耳元でささやく。仕方なく彼の肩に額をこつんと当てて、そのままじっとしていた。無言で、ぼろぼろと涙を流しながら。




 目当てのものを見つけた私たちは、両親の墓参りをして、エルマと少しお喋りをした。


 そうして、私たちは驚くべきことを知った。なんと私がかつて暮らしていた部屋は、当時のままに保たれているのだとか。いつでも私が戻ってこられるように、という両親の計らいが、そのまま代々引き継がれていたのだ。


 この屋敷は割と広いほうなので、そんなことをしてもまったく問題なかったらしい。


 せっかくだから見ていかれますか、という彼女の提案を、即座に断った。ここで自分の部屋なんて見てしまったら、恥ずかしくなるくらい大泣きしてしまう自信がある。


 そんな私に、エルマは「いつでもまた遊びに来てください」と快く言ってくれた。「この後、いくら当主が代わっていっても、この屋敷はずっとあなたの家なのですから」とも。


 まったく、ミモザといいエルマといい亡き両親といい、意図して私を泣かせようとしているんじゃないかという気がしてきた。


 そうしてエルマと別れ、帰路につく。馬車の座席に座って、古い紙の束をそっと抱きしめた。そこからも、懐かしいお母様の香りがしていた。


 またいつか、エルマのもとを訪ねよう。そうして、お父様とお母様の残したものをもっとじっくり見てみよう。もう思い出すこともないと心の奥に封じてきた記憶に、触れてみるのも悪くない。今度は、自分の部屋ものぞいてみようかな。


 次にここを訪れる時は、満面の笑みで「ただいま」と言おうと、そう思った。


 それに、エルマともっと話してみたかった。同じ顔をした遠い親戚に、少しばかり親近感がわいてしまっていたのだ。


 きっと彼女は、私の今までのとんでもない人生の話を、面白がりながら聞いてくれるだろう。もしかしたら、友達のようなものになれるかも知れない。


 とりとめもない考え事に浸っている私に、隣からそっと声がかけられた。


「良かったね、ジュリエッタ」


「……あなたのおかげよ。あなたがいなかったら、私はここまでたどり着けなかったと思うの。だから、お礼を言わせて。お母様とお父様の分まで」


「どういたしまして。僕としても、あなたの役に立てて嬉しいよ」


 そう答えながら、ミモザが私の肩を抱く。本当に今日は、彼に頼ってぱっかりだ。


「飾り紐、頑張って直すから。前よりもずっと頑丈に、ずっと綺麗にするからね」


 きっとそれが、私にできる一番のお礼だ。


「うん、楽しみにしてるね」


 底抜けに無邪気に、ミモザが笑う。初めて会った時から変わらない、大切な笑顔。


 私は紙の束をしっかりと抱きしめたまま、ミモザにもたれかかった。じんわりと伝わってくる温かさに、またちょっぴり涙がにじんできた。

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