第107話 波乱含みのお茶会

 私たちがヴィットーリオのもとを訪ねてから十日ほど経った快晴の日、王宮の中庭はとてもにぎやかになっていた。


 いつもは静かな中庭のあちこちにテーブルが置かれ、一口で食べられる大きさのお菓子や軽食が整然と並べられている。


 その間を、着飾った人々が談笑しながらのんびりと行きかっている。立食形式の気軽なお茶会だ。若い女性が多く参加していて、とっても華やかだ。


 このお茶会を開くにあたって、私たち――私とミモザとヴィットーリオとロベルトの四人は、しっかりと準備をしていた。


 といっても、大したことはしていない。


 まずはこのお茶会を企画して、準備を進めながらこっそりと噂を流したのだ。王宮で開かれる今度のお茶会に、重臣の一人であるファビオが珍しくも顔を出すらしい、と。


 仕上げに、私たちはレオナルドも巻き込んだ。


 彼に頼んで、ファビオにこう言ってもらったのだ。「いつも良く働いてくれているし、たまには休むといい。にいさまが今度お茶会を開かれるから、そこに顔を出すのはどうだろうか」と。


 レオナルドをただ一人の主と仰ぎ、何よりもレオナルドのことを優先させる石頭ファビオなら、この提案をはねつける訳がない。そう、ロベルトが断言したのだ。あの男を引っ張り出すには、レオナルド様の力を借りるのが一番ですよ、と。


 そんな私たちの思惑通り、ファビオはこのお茶会に顔を出していた。派手過ぎない正装は、中々に趣味のいい、よく似合うものだった。


 ミモザと連れ立って歩きながら、周囲の人々の動きと、ファビオの動向を抜かりなく観察する。


 見たところ、ファビオもまあそれなりには楽しんでいるようだった。ただ、ずっと男性とばかり話しているけれど。予想通りというか、なんというか。


 そしてそんな彼を、ちらちらと遠巻きに見ている女性たちの姿。めったに社交の場には出てこないファビオ会いたさに、かなりの数の令嬢たちが出席しているらしいと、ロベルトからはそう聞いている。


「あっちの青いドレスの子、ファビオのことが気になっているみたいね」


「そっちの赤いドレスの人もだよ」


 私たちはこうやって、ファビオに気がありそうな女性を片っ端から探しているのだった。


 折を見て彼女たちに声をかけ、彼の方に向かうように鼓舞するために。ちなみにファビオが逃げ出せないよう、彼の死角からこっそりと近づくように助言する予定だ。


 そのために、中庭でも比較的木やらなんやらの障害物が多いこの一角をお茶会の会場にしたのだ。さらにロベルトにいたっては配下を連れてきて、ファビオの逃走退路をあらかじめ塞いでいるらしい。用意周到だ。あるいは、嫌がらせなのかも。


 こっそりと笑いを噛み殺していたら、ロベルトが優雅な足取りで近づいてきた。


「ごきげんよう、ジュリエッタ様、ミモザ様……今日は一段と麗しゅうございますね」


 いつもよりもずっと改まった、趣味のいい正装をまとった彼は、いつも通りのひょうひょうとした笑顔で声をひそめた。


「ところで、あの男にけしかける予定の女性探しは順調ですか?」


「ええ、いい感じよ。そちらはどう?」


「すぐに数人見つけました。実際にけしかけるのは二、三人に留めるつもりです……それにしても、あの男がああも女性にもてているだなんて、少々小憎らしくもありますね」


「あらロベルト、気づいていないの? あなたのことを見ているお嬢さんもちらほらいるわよ」


「だよね。ロベルト、黙ってたら結構渋くてかっこいいし」


「そうね。調子が良くてひ弱なところを隠しておけば、だけど」


 ミモザと二人して、そんなことをささやき合う。このお茶会はファビオが気になる令嬢をかき集めるためのものだけれど、ふたを開けてみれば以外にも、ロベルトも負けず劣らず熱い視線を集めていたのだ。


 ちょっと年がいっているとはいえ、彼もまた地位のある独身男性なのだ。見た目も人柄も悪くないし。包容力が感じられる分、ファビオよりこちらのほうがいいと言う女性もいるだろう。


 ちなみに、もちろんながらミモザも注目されてはいた。ただその隣には私がぴったりとはりついているので、私たちの正体を知らない令嬢たちも、彼に近づくことはあきらめてくれたようだった。


 そんなことを考えていると、ロベルトが苦笑してそっと首を横に振る。


「いえ、私はそういうのは間に合っていますので。それより、そろそろ準備にかかりましょう」


 ロベルトはそのまま、そそくさときびすを返して歩き去ってしまった。何が間に合っているのだろうか。独り身なのに。ひとまず、この話題から逃げたがっていることだけは分かった。


「ふうん、ロベルト、何か隠してるのかな? ……まあ、いいか。ところでジュリエッタ」


 ミモザがくるりとこちらを見て、心底嬉しそうに微笑む。金色の目を細めて、歌い出しそうなくらいに上機嫌な声で言葉を続ける。


「うん、やっぱりすっごく綺麗……ここに集まっている全ての女性よりも、ずっとずっと綺麗だよ。ファビオのことがなかったら、ずっとあなたに見とれていたかったのに」


「そこまで言われると、さすがに照れるわね」


 照れくさくなって身じろぎすると、長いスカートがしなやかに揺れた。透ける軽やかな布を何枚も重ねた、やや変わった意匠のものだ。


 お茶会の場で悪目立ちしないように、私たちもきちんと着飾ることにした。ただ、私もミモザも正装は持っていない。さすがに、ちょっとしたおしゃれ着で王宮のお茶会に出たら浮きまくる。


 そして、今作ってもらっている正装が完成するにはもうしばらくかかる。なので、バルバラの試作品の中から大きさの合うものを借りたのだ。それも、比較的おとなしめのデザインのものを。


 そんなこんなで今私がまとっているのは、男性の正装と似たジャケットに、前に大きくスリットの入った柔らかなスカートという不思議なものだった。しかもその下には、細身のズボン。


 遠目には少し変わったドレスにしか見えないけれど、動きやすさは格段に上だ。それに合わせて、髪も活動的な雰囲気に結い上げている。一つにまとめて、後頭部の上のほうでくくって垂らしているのだ。生花を飾り付けて、華やかにして。


「なんだか男装の麗人って感じもするね。新鮮で素敵だな」


「素敵っていうなら、あなたもじゃない」


「そう? ここまでぴったりした服は初めてだけど、あなたに褒めてもらえるならこういうのもありかな」


 ミモザもまた、少々変わった服を着ていた。丈の短い上着とズボンは、どちらも体にぴったりと沿っている。上着の下にのぞいているシャツも、やはり細身のものだった。


 この服で一番目を引くのは、上着の袖だ。肘の辺りから緩やかに広がっていて、袖口には手が隠れてしまいそうなくらいたくさんのレースが縫い付けられている。とても優雅で、八重のバラのようですらある。


 ただ、衣装全体としてはほとんど飾り気がない。他の装飾は、上着やズボンのところどころに金糸で施されている刺繍だけだ。


 しかしその飾り気のなさが、彼の生来の美貌を最高に引き立てていた。美しすぎて神々しすぎて、もはや人とは思えない……って、竜だけれど。


 普段の言動がすごすぎて忘れそうになるけれど、服飾に関するバルバラの才能はすごい。この服を着ていると、つくづくそう思う。着心地が良くて、変わっているのに素敵で。


 一歩後ろに下がって、お互いの見慣れない姿を上から下までじっくりと見つめ合う。私たちの顔には、自然とうっとりとした笑みが浮かんでいた。


「ほんと、良く似合っているわ……できることなら、ずっとあなたを見ていたいくらい」


「僕もだ。でも、やるべきことを片付けてからにしようよ。手分けすればすぐ終わるから」


「そうね。じゃあ、また後で」


 同時にうなずき合ってから、それぞれ別の方向に歩き出す。


 私の視線の先には、さっき見かけた青いドレスの令嬢が立っていた。妖精のようにきゃしゃで儚げな、おっとりとした雰囲気の女性だ。


 彼女はなおもちらちらと、ファビオのほうに遠くから視線を向けている。恋する乙女そのものの表情だ。……自分でおぜん立てしておいて何だけれど、あんなののどこがいいのかしらね。


「そこのお嬢さん、ちょっといい?」


 にこやかに声をかけ、そのまま距離を詰める。内緒話でもするかのように声をひそめた。


「……あなた、ファビオのことが気になっているんじゃない?」


 その言葉に、彼女は小さく身を震わせた。その頬が、ゆっくりと赤くなっていく。彼女に気づかれないように注意しながらにやりと笑うと、さらに小さな声でささやきかけた。


「だったら、ちょっと彼とお話してきてはどう? ほら、ちょうど彼の周りに女性が集まり始めたから、あそこに混ざってしまえばいいわ」


 一足先にロベルトが動き出していたらしく、何人もの令嬢がファビオを包囲し始めていた。


 木陰、あずまやの陰、人ごみの中。そんなところから、次々と令嬢が彼に歩み寄っていく。獲物を狙う猫みたいで、ちょっと面白い。


「いえ、そんな……ファビオ様の迷惑になってしまったら……」


「大丈夫よ。もしとがめられたら『ジュリエッタに言われて来た』と言えばいいわ。そうすれば、あなたが叱られるようなことはないから」


 軽い調子でそう言って、ついでにそっと背中を押してやる。青いドレスの彼女は、戸惑いながらもファビオのほうに歩いていった。


 その背中を満足げに眺めていると、ミモザがのんびりと歩み寄ってきた。


「こっちはうまくいったよ。そっちはどうだった?」


「ええ、こちらもうまく誘導できたわ」


 二人並んで、ファビオのほうを見やる。いつの間にやら彼は四人の女性に囲まれて、大変落ち着かない顔をしていた。さらにもう二人が、そちらに近づきつつあった。


 そしてファビオから少し離れたところで、ヴィットーリオがじっとたたずんでいた。万が一にもファビオが逃げ出さないように、目を光らせているのだ。


「ファビオ、人気だね。あっさり女の子たちが集まっちゃった」


「……そうね」


 戸惑うファビオに、女性たちは熱心に話しかけている。その姿を見ていたら、古い古い記憶がよみがえってきた。もうすっかり忘れていたとばかり思っていたのに。


 前世の私を捨てた、あの男。ファビオに瓜二つだったあの男も、あんな風にしょっちゅう女性に囲まれていた。腹が立つくらいにもてていて、いつも私はやきもきしていたものだ。


 私という恋人をほったらかして、誰にでも甘い顔をする彼。そんな不安は的中して、彼はその後私を捨てた。


 苦い記憶に、思わず唇を噛みしめた。ファビオたちから目を離したいのに、目を離せない。


「ジュリエッタ」


 突然、ミモザが腕を引いてきた。こわばっていた体の力がふっと抜ける。


 そちらを見上げると、とても優しく微笑んだミモザと目が合った。とろりとした蜂蜜のような金色の目を見つめているうちに、ささくれ立っていた心が静まっていくのを感じた。


「僕たちの仕事はひとまず終わり。ほら、せっかくなんだからお茶会を楽しもうよ」


 私の様子がおかしいことに気づいていただろうに、彼はそのことについては何も言わなかった。私の肩を抱いて、くるりとファビオたちに背を向ける。


「……ええ、私、あっちのお菓子が気になっていたの」


「だったら、なくなっちゃう前に食べにいこう。ね?」


 いつも通りの足取りで、私たちは歩き出した。仲良く腕を組んで、ぴったりと寄り添って。さっきの暗い気分は、もうどこかにいってしまっていた。

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