第101話 生まれ育ったあの家へ

 それからも練習を続け、融合の魔法もどうにかこうにか形になってきた。とはいえ、切れた革紐を全部つなげるには、ちょっと時間がかかりそうだけど。


 辺境の小屋まで鉄鉱石を取りにいっていたミモザは、中々戻ってこなかった。どうしたのかなと思っていたら、予定よりかなり遅れて戻ってきた。どことなく、疲れた顔で。


「ただいま、ジュリエッタ。遅くなっちゃった」


「お帰りなさい、ミモザ。何かあったの? 心配したわ」


「うん、実はちょっと、透明化の魔法に苦戦してて」


 王都のそばの小屋、すっかりもう第二の我が家のようになったそこで、ミモザはお茶を飲みながらため息をついている。


「竜の姿だと、体が大きい分魔力も使うんだよね。それに、かなり本気で集中してないと透明化が解けちゃうし」


「……想像しただけで、大変そうね。全身がきちんと消えているように、意識を集中して魔力を使うって……」


「うん。でも頑張って、使いこなせるようにならないと。これ以上白い竜の信仰を広めたくないし」


 そう言いながら、ミモザはぶるりと身震いする。うっかり竜の姿を人目にさらしてしまったせいで、白い竜の神様の信仰がじわじわと広がりつつある。そのことが、どうにも落ち着かないらしい。


 子供のようにぷっと頬を膨らませていたミモザが、ふと何かに気づいたようにこちらを見た。


「そういえば、あなたのほうはもう融合の魔法を使えるようになったんだよね。だったらもう、修理に取りかかるの?」


 そうして彼は、小屋の外に作り足した物置のほうをちらりと見ている。今はそこに、彼が辺境から持ち帰った鉄鉱石がしまわれているのだ。


「それなんだけれど……先に、実家の屋敷に戻ってみようかなって思っているの。お母様が残した編み図を、探しにいきたくて」


「その編み図って、バルバラに見せてあげようかって言ってたものだよね。でもそれなら、僕の飾り紐を修理してからでもいいと思うんだけどな」


 ミモザはちょっぴり不満そうだ。一刻も早くこの飾り紐を直して欲しいと、彼はずっとそう訴えている。それなのに、里帰りを優先されたようですねているのだろう。


「ふふ、これもみんな、飾り紐のためなのよ」


 だから優しく微笑んで、そう答えた。きょとんとした顔で、ミモザが言葉の続きを待っている。


「この飾り紐、記憶だけを頼りに編んだから……どこかで編み間違えている可能性もあるのよね。だから編み直す前に、一度編み図を確認しておきたくて」


「間違いも、それはそれで味だと思うよ」


「せっかくだから、きっちり直したいのよ。今編み方を覚え直しておけば、次に修理する時にも役立つし」


「まあ、それもそうかな」


 まだ少々納得のいっていないような顔で、ミモザがうなずいた。と思ったら、可愛らしく小首をかしげている。


「じゃあ、さっそく屋敷に行く? あっ、でもいきなり訪ねていっても入れてもらえないかな」


 ずっとごねていたミモザだったけれど、もう気分を切り替えたらしい。さっそく、そんなことを言っている。


「最後にあそこに行ったのって、何十年前だっけ? 今の当主の人って、僕たちのことを知らないよね」


「ええ。だから、ヴィットーリオに頼もうと思って」


「彼から今の当主の人に、紹介状か何かを書いてもらおうってことだね」


「そうなの。屋敷の人たちに一から状況を説明するとなると、時間がかかってしまうし」


 私とミモザのことを、一から説明するのは難しい。というか、まず信じてもらえないだろう。かつての当主の一人娘が、若いまま生き続けているなんて。


 だから王族であるヴィットーリオに一筆書いてもらって、屋敷への立ち入りと、両親の遺品の持ち出しだけを認めてもらうつもりだった。今回用があるのは、お母様の残した編み図だけなのだし。


 そんな思いを胸に秘め、私たちはヴィットーリオに会うために小屋を飛び出していった。




 ヴィットーリオは、ロベルトと一緒に仕事中だった。ひょっこりと顔を出した私たちを、二人は快く迎え入れてくれた。


 実家に戻って探し物がしたいのだと説明したら、ヴィットーリオは仕事の手を止めてまで手紙を書き始めてくれた。嫌な顔一つせずに。本当にいい子だ。


 彼が手紙を書いているのをみんなで見守っていたら、ロベルトがふと尋ねてきた。


「しかしどうして急に、故郷の屋敷に戻ろうと思われたので?」


「実は、ミモザの飾り紐が切れてしまったの。それで、修理しようとしたらバルバラに出くわして」


 いつも通りひょうひょうとしていた彼が、バルバラの名を聞いたとたんさっと青ざめる。


「お、思いもしない名を聞いてしまいました……できれば聞きたくありませんでした……」


「ロベルト、顔色悪いよ? 大丈夫?」


 尋ねるミモザのほうを見ることなく、ロベルトは小刻みに震えている。


「いえ……彼女には、とても太刀打ちできませんから……色々と、ええ色々と……」


 それもそうだろう。彼女のあの勢いに勝てそうな人間を、私は知らない。というか、長く生きているおかげでちょっとやそっとのことでは驚かない私とミモザですら、彼女にはあっさり圧倒されてしまったし。


 しかしロベルトがここまでおびえるなんて、いったい何があったのか。あのバルバラだし、何があっても驚かないけれど。


「彼女は、王宮における被服の設計と製造を一手に引き受ける『服飾司』と呼ばれる役職の、それも長なのです。が、服に関する情熱が人並み外れていまして……ええもう、それはもう外れすぎていて……」


 ロベルトはため息をつきながら、頭を小刻みに横に振っている。笑いをこらえながら、そっと答える。


「そうね、彼女は色々な意味ですごい人よね。長く生きてきたけれど、あそこまで誰かに圧倒されたのって初めてかもしれないわ」


「あんな人がいるなんて、ほんと世界は広いね」


「お二人とも、ずいぶんと余裕ですね。ということは、まだ彼女のあれを、食らっておられないのですね。ああ、うらやましい……」


「『あれ』って、いったい何のこと?」


 首をかしげる私たちに答えてくれたのは、ヴィットーリオだった。書き終えた手紙を封筒にしまい、てきぱきと封をしながら。


「バルバラは定期的に通りすがりの者を捕まえては、服飾司の者たちを駆り出して思うままに飾り立ててしまうのです。彼女たちの職務としては間違っていないのですが、有無を言わさずに拉致されるため、恐れている者は多いようです」


「ええ、まさに拉致ですよ……あれ以来、私は彼女に見つからないよう、息をひそめております……」


「幸い、私とレオナルドはまだ無事ですが……たぶん、時間の問題だとは思っています。覚悟は決めておくのだぞと、レオナルドにも言い聞かせています」


 二人が真剣に語った言葉に、ついぽかんとしてしまう。連れ去って、着飾ってって。


「それって……一種の通り魔みたいなものかしら……?」


「着飾らせる通り魔って、斬新だね。しかも王様たちも遠慮なく狙ってきそうって、すごいね」


 私たちの感想に、ヴィットーリオが苦笑する。


「ですが、彼女の美的感覚、そして素早く正確に服を縫い上げる能力は大したものです」


「……ものの数時間で、彼女たちは色鮮やかなフリルたっぷりのとんでもない礼服を仕立ててくれたのですよ。あれのせいでファビオには笑われるし、災難でしたよ、ええもう」


 げっそりした顔でロベルトは言い、ヴィットーリオはこっそりと肩を震わせている。笑っているようだ。


「……後で彼女に会うのが、何だか怖くなってきたわ」


 彼女の目の前であの飾り紐を編み直し、失われた技術であるタトウ編みを実演してみせる。そんな約束をしてしまったことを、ちょっとだけ後悔した。


 どうやらバルバラは、あのとんでもない第一印象以上にとんでもない人物のようだったし。


「ふふ、あきらめて覚悟を決めようよ。取って食われる訳じゃないし、もし襲われたとしても、案外良い体験になるかもしれないよ」


「そうかもしれないわね。ひとまず、さっさと用事を片付けてしまいましょうか。ヴィットーリオ、ありがとう」


 手紙を受け取って、その場を後にする。いよいよ、生まれ育ったあの屋敷に足を運ぶ。そう考えたら、ちょっぴり足取りが重くなってしまった。


 ミモザはそんな私をそっと見守りながら、ずっと隣を歩いてくれていた。




 それから私たちは準備を整え、王都を発った。質素な馬車を一台借りて、のんびりと。


 ミモザはまだ透明化の魔法を使いこなせていないし、目的地はすぐ近くだし、急ぎの旅でもない。そんなこんなで馬車の旅ということになったのだ。


 御者席に二人で並んで座り、いつものようにお喋りをしながら馬を走らせる。


「……最近、暑くなってきたわね。風が気持ちいい」


「そうだね。こっちは辺境より寒くない分、夏は暑くなるのかも」


 手綱を取りながら、ミモザが目を細める。気持ちよく晴れ渡って、さんさんと日差しが降り注いでいた。


「思えば、旅をするのはいつも冬から春先までだったし、初夏にこんなところを旅するのは初めてだね」


「あなたと出会う前は、ずっとこちらで暮らしていたのだけれど……ずっと石造りの屋敷の中にいたから、外の暑さはあまり意識しなかったわね」


 あの屋敷での日々をふと思い出してしまった表紙に、笑顔が引っ込んでしまった。そんな私の手に、ミモザがそっと触れてくる。


「……その、僕一人で行ってこようか? 編み図がどんなものか教えてくれれば、探してくることもできると思うし」


 さらりとそう言ったミモザの声が、悲しそうにくぐもる。


「ジュリエッタ、最近時々浮かない顔をしているの、気づいてる? それって、あの屋敷に関係あるんだよね? 何か、僕にできることはない?」


 編み図を取りにいくために、あの屋敷に戻る。そう決めたのは私だけれど、ほんの少し、心に引っかかっていることがあった。


 ミモザは、そこに気づいていたのだろう。もとより、気づかれずに済むとは思っていなかったけれど。


 私の手に重ねられたミモザの手を見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「……そうね。だったら少し、話を聞いてもらえるかしら」


「うん。いくらでも聞くよ」


「私ね、あの屋敷に戻るのが……怖いのよ」


 馬のひづめの規則的な音と、地面からふわりと立ち上る熱気。それらを感じながら、思いを口にしていく。


「あそこにはもう、お父様もお母様もいない。それは分かっているの。でも、改めてその事実を目の当たりにするのが、怖くて……寂しいの」


 だからずっと、私はあの屋敷を、あの屋敷がある街を避けていた。


「お母様の遺品を探しにいきたい。その気持ちに、嘘はないの。それなのに、やっぱり屋敷に行きたくないって思ってしまう」


 ミモザは何も答えなかった。けれどしなやかに手を伸ばして、しっかりと私の肩を抱き寄せてくる。


「だったらなおのこと、屋敷に行こうよ。大丈夫、僕がついてるから。一緒にちょっとだけ悲しくなって、そして一緒に乗り越えよう。ずっとうじうじしているより、その方がずっと僕たちらしいよ」


 彼の言う通りだ。私たちはいつも、そうやって体当たりで色々なことを乗り越えてきた。二人一緒に。


 ええ、と小さく答えて、彼の肩に頭をもたせかける。じっとりと暑い日だというのに、彼の温もりはこんな時でも心地良かった。

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