第100話 もっと魔法のお勉強

 のんびりお昼ご飯を食べて、それから城下町をぶらぶらして。そうしているうちに約束の時間になったので、遅れないように大広間に向かう。


 そこにはもうアダンが待っていて、微笑みながら私たちを出迎えてくれた。


 彼に連れられて、近くの部屋に向かう。そこは普段、会議とか講義とかに使っている部屋らしい。


 長机と長椅子がいくつも並べられた部屋は、なぜか人でごった返していた。魔術師たちに見習いたち、そのなかにはメリナとシーシェもいる。


「……なんでこんなに集まってるのかしら?」


「俺たちは見学だ。せっかくのアダンの講義なんだから、聞き逃す手はないってな」


「手の空いた人たちで来てしまいました。私も楽しみなんです」


 私のつぶやきに、シーシェは明るく、メリナは少し照れ臭そうに答えた。他の魔術師たちも、だいたいみんな同じような反応だ。


「それでは、ジュリエッタ様がお望みの魔法について説明を始めましょう。どうぞお二人も、席についてください」


 いつの間にかアダンは前方の教卓のところに立っていた。そこには、やけにたくさんの本が積み上げられている。


 彼に勧められるまま、教卓のすぐ前の席にミモザと並んで座る。そこには、本が一冊置かれていた。どうやら、今回習う魔法についての説明書らしい。


「それでは、そちらの本を参照しながら話を聞いてくださいね」


 彼は低くゆったりとした優しい声で、しかしよどみなく言葉を紡いでいく。


「物質を強化する魔法ですが、正式には『融合の魔法』と呼ばれています。ある物に、他の物の性質を付け加える、これがこの魔法の本質です。強化に使われることが多いので、教科の魔法とも呼ばれていますが」


 アダンの語りは、まるで心地良い子守歌のようだった。耳を傾けているだけで、ついうとうとしそうになる。


「具体的な手順も、今の説明とあまり変わりません。まずは元になる物と、必要な性質を持つ物とを用意します。後者の物から性質のみを引っ張り出して、前者に付与する。それだけのことですから」


 こっそり手の甲をつねって眠気を追い払いながら、一生懸命に話の内容を書き留めていく。


 アダンは博識だし、説明も丁寧で、とても分かりやすい。この眠気を誘う優しい口調さえなければ、最高の教師なのだけれど。


 それからもアダンは、さらに説明を続けていく。魔法の理論と概要、開発された背景などについて。


 うう、眠い。でも寝たら失礼になってしまう。ふと隣のミモザを見ると、彼もまた半目になっていた。時々かくんと頭が揺れている。明らかに、居眠りしている。


 眠気覚ましとばかりに周囲を見渡してみたら、他の魔術師たちも半分くらいは沈没していた。シーシェにいたっては机に突っ伏している。本当に座学が苦手なんだな、彼。


 しかしアダンは気にしていないのか、やはり穏やかに説明を続けていた。どうも彼は、こういう反応には慣れっこになっているように見える。


「……と、長々と語ってしまいましたが、実際の魔法はそこまで難解なものではありませんよ」


 そう言って、アダンは持っていた本をそっと閉じた。


「より抽象的かつ繊細な作業を要求されますが、あくまでも加工の魔法の延長線上ですから。ではそろそろ、実際に手を動かしてみましょう」


 その声をきっかけに、みんなが目を覚ましたようだった。そんなみんなに優しい視線を向けてから、彼は革紐と刃こぼれした剣を取り出した。あらかじめ用意していたらしい。


「ジュリエッタ様は『鋼のように丈夫な革紐』を作りたいとおっしゃっていたので、こちらを用意いたしました」


 ごくありふれた革紐と、おそらく兵士のものらしい質素な剣。剣は派手に刃こぼれしてしまっていて、もう使い物にはならなさそうだった。これはもう一度鉄塊にしてから再加工するしかなさそうだし、魔法の実験台にしてしまっても問題ないだろう。


 アダンはその二つを私の目の前に置くと、さらに同じものをもう一組手にした。


「それでは、私がお手本を見せますから、続いて同じように作業してみてください」


 もう、寝ている人はいなかった。みんな身を乗り出して、アダンと私をまじまじと見つめている。


 その視線に思わず緊張してしまった私とは対照的に、アダンはやっぱり穏やかに微笑んでいた。


「まずは、加工の魔法で必要なだけ手に取りましょう。丸ごとですと、扱いづらいですから」


 アダンはパンでもむしっているかのようにやすやすと、剣の先のほうを手でちぎってしまう。そのまま粘土のようにこね回して、小さな鋼の塊を作り上げた。


 私も同じように、剣を切り分けて形を変える。いつもやっていることと変わりないし、ここまでは簡単だ。


 と思っていたら、アダンがいきなりこんなことを言い出した。


「この鋼から、『強靭さ』という性質を引っ張り出して、革紐に押し込んでください。こんな感じですね」


 さっきも説明されたけれど、いまいちよく分からない。急に難易度が上がりすぎだ。性質を引っ張り出すって、結局どういう感じなのか。


 困惑しながら、アダンのお手本を真似てみる。鋼を細長く伸ばして、革紐に沿わせて……。


 魔法が成功すれば、鋼は見えなくなってしまう。その性質が抜き出されたことで、実体を失うから。といっても消え失せる訳ではなく、革紐の中に溶け込んだ状態になるというのが正しいらしい。


 それは分かっているのだけれど、どうにもこうにもうまくいかない。気がつけば、鋼と革がまだらに混ざり合った、奇妙な太縄ができあがってしまっていた。


「……なんだか気持ち悪いものができちゃったわ。性質だけを取り出すって、難しいわ……」


 太縄を手にため息をついていると、アダンがその一部を指し示した。


「いえ、この部分は成功していますよ。初めてでここまで成功させるとは、さすがですね」


「そうなの?」


「はい。慣れないうちは少し多めに魔力を込めて集中しながら、指先で強く押しつけるようにすると良いですよ。要するに力ずくですね」


 しょんぼりしていたら、アダンがやはり穏やかに、ちょっぴり豪快な助言をくれた。


 力ずくなら得意だ。もっとも魔法の力加減を間違えると、魔法が暴発する可能性はある。けれどもしそんなことになっても、ここなら魔術師たちが山ほどいるから大丈夫。誰かが何とかしてくれる。ミモザもいるし。


「強く押しつける……やってみるわ」


 そんなことをつぶやいて、魔力を思いっ切り指先にこめてみた。勢い余ってもれ出した魔力が周囲に吹き出し、部屋の中につむじ風が巻き起こる。周囲で見物していた魔術師たちが、あわてて風を打ち消してくれている。


「あっ!」


 魔術師たちにお礼を言おうとしたものの、すぐにそれどころではなくなってしまった。自分の手元に、目が釘付けになる。


 私の手の中にある奇妙な太縄の、全力で魔力をこめた部分。クルミ大の大きさのその部分だけ、鋼が消えていた。他の部分は鋼と革のまだらなのに、そこだけは柔らかな革紐のみが見えている。


「あの、もしかしてこれって……」


 どきどきしながら、そっとアダンを見る。彼はゆっくりと太縄に顔を寄せてから、ひときわ大きく微笑む。


「ええ、少々不安定ですが成功ですね。練習を積めば魔力の無駄もなくなりますし、もっと速やかに、もっと広範囲を均質に融合させることもできるようになりますよ」


「ありがとうございます、お父様!」


 うっかりそう答えてしまってから、あわてて口を手で押さえる。アダンの穏やかで頼れる雰囲気に、つい無意識のうちにお父様を重ねてしまっていたらしい。だからって、この言い間違いはどうなのだろうか。私、百歳超えてるのに。


 さっきまでざわざわとしていた部屋が、一気に静まり返った。どうやらみんな、今のを聞いてしまったらしい。そこそこ大きな声だったし、仕方ないのだけれど……。


 穴があったら入りたい。いっそここの床に穴を掘ってやろうかしら。そんなことを思い始めた時、メリナがそろそろと声をかけてきた。


「……アダンのことをうっかり父親呼びしてしまったのは、あなたが初めてではないですから。彼、『みんなのお父さん』ってあだ名があるんです」


「メリナも何度か口を滑らせていたな。アダンはお前の父親とはだいぶ雰囲気が違うのに、面白いもんだ」


 軽やかに笑いながらシーシェが口を挟む。そういえばこの二人は、同じ村で育った幼馴染だった。


「うるさい馬鹿シーシェ、余計なことをばらさないでよ!」


 顔を真っ赤にしたメリナが、つかつかとシーシェに詰め寄る。いつも通りの微笑ましい光景に、周囲の魔術師たちも笑い始めた。どうやら、私のさっきの失態はごまかせたらしい。


 こっそりと安堵のため息をつきながら、また手の中のものに目を落とした。奇妙な太縄を見ていると、一歩前進できたような気がした。




 それから私は、毎日せっせと魔法の練習を続けた。二、三日アダンに付き合ってもらっている間に、おおまかな雰囲気だけはつかむことができた。それからは一人黙々と練習して、時々アダンに確認してもらう、そんな日々が続いた。


 ミモザはいったん辺境の小屋に戻っている。私が融合の魔法の練習を始めてすぐに、彼は少し恥じらいながらこう言ったのだ。


「その、もうちょっとだけわがままを言ってもいいかな。あの飾り紐の強化には、辺境の森で採れた鉄鉱石を使って欲しいんだ」


「構わないけれど、どうしてかしら? それに、わざわざ取りにいかないといけないけれど……」


 かつてヴィットーリオたちと辺境の小屋を後にした時、大切な家財道具はほとんど持ち出してきた。


 けれどさすがに、鉄鉱石は物置に置いてきたのだ。そうしょっちゅう使うものでもないし、必要になったらよそでも手に入るし、だいたい無駄に重たい。


「うん、ただの僕の感傷なんだけどね。あの辺境の小屋で、あなたが僕のために作ってくれた飾り紐だから、あの辺境の森で採れたもので修理して欲しい。それだけなんだ」


 その気持ちは、何となく分からなくもない。今こそこうやって王都で暮らしているけれど、私たちの帰る場所はやはりあの辺境の小屋なのだ。


「それに、竜の姿で透明化の魔法を使う練習をしようかなって思ったんだ。人里離れたあの経路なら、失敗しても問題ないし」


「だったらあなたが帰ってくるまでに、融合の魔法をきっちり習得してしまわないとね」


 張り切ってそう答えると、ミモザは嬉しそうに笑った。あの飾り紐が切れてしまってから、久しぶりに見る晴れやかな笑顔だった。

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