第99話 前衛的なお針子

 突然聞こえてきたけたたましい声に、私とミモザは同時に目を丸くしてびくりと肩を震わせた。それくらい、すっとんきょうな声だったのだ。


「今のって」


 今のは何、とみなまで言うより先に、誰かが私たちのそばに駆け込んでくる。音もなく、一陣の風と共に。


 そうして次の瞬間、三十を少し超えたくらいの女性が私たちの前に立っていた。まるで子供の用に目をきらきらと輝かせながら、食い入るようにこちらを見ている。


 彼女は背が高く、驚くほどほっそりとしている。そしてまとっているのは、びっくりするくらい色とりどりの、不思議な形の服だ。


 形としては、男性物の乗馬服に似ていなくもない。でも細かなところに様々な細工が凝らされていて、動きやすさと美しさを兼ね備えている服だった。


 ……かなり前衛的だし、色が多すぎてちょっと目がちかちかするけれど。でもそんな服を、彼女は見事に着こなしていた。


 そして変わっているのは、服だけではなかった。彼女は中々の美人ではあったけれど、その顔には色鮮やかで派手な化粧が施されている。そのせいか、妙な迫力を感じてしまう。


 こちらも似合ってはいるのだけれど……でもちょっと、圧倒されてしまう。


 とどめに、彼女は恐ろしくかかとの高い靴を履いていた。立っていることすら難しそうなその靴で、彼女はほとんど足音もさせずに走ってきたのだ。


「それ、その飾り紐! もしかしなくても、タトウ編みよね! 実物を見るのは初めてだわ! ねえねえ、もっとよく見せてちょうだい!」


 どうやら彼女は、私が掲げている飾り紐が気になっているらしい。


 いきなり叫んだと思ったら、そのまま私の手にぐっと顔を寄せてしまったのだ。紐をぶんどられるかと思うくらいの勢いだった。


 ああ、びっくりした。というか、彼女は誰なのだろうか。呼吸を整えながら、そっと彼女の様子をうかがう。


「なるほど、ここはこうなっているのね……こっちの紐がこう通って、それからこちらと交差して……興味深いわ……」


 そんなことをつぶやきながら、彼女はどこからともなく紙と鉛筆を取り出した。


「今、紙と鉛筆をどこから取り出したのかしら……分からなかったわ」


「僕にも見えなかった。魔法の気配もしなかったし、まるで手品だね」


 私とミモザのささやき声は、彼女の耳には届いていなかったらしい。彼女はこちらには目もくれず、ものすごい勢いで紙になにやら書きつけていた。どうやら、飾り紐を観察して、その形状を記しているらしい。


 しばらく鉛筆を走らせて、彼女は満足げに息を吐いた。紙と鉛筆をまたどこかにしまい込んで、両手を打ち合わせてうっとりとしている。


「……ふう、こんなものね。ありがとう、勉強になったわ。ええ、本当にもう最高!」


「ところで、そろそろあなたの名前を聞かせてもらってもいいかな。僕はミモザ、ここの客人みたいなものだよ。こっちはジュリエッタ、僕の奥さん」


 その言葉に、彼女は目を真ん丸にした。次の瞬間、まああ、と声を上げている。何というか、騒々しい人だ。


「あらあらいけない、自己紹介が遅れちゃったわ。私はバルバラ、たぶんお針子よ」


「たぶん? どういうことなのかな」


「自分の肩書に、どうしてたぶんがつくのかしら……」


 彼女の人となりもだけれど、言っていることもいまいちよく分からない。大いに戸惑っている私たちとは裏腹に、彼女は堂々と胸を張っている。


「正式な肩書は忘れちゃったのよ。肩書が何であれ、私がやることは一緒なんだから、それでいいの!」


「それってつまり……あなたは服を作る人だ、ってこと?」


「ええ、そうよ。でも、それだけではないわ!」


 ミモザの問いに答えるなり、バルバラはくるりと回った。色とりどりの服のすそが、とても陽気にひるがえる。


「私は古い技術を学び、それを取り込んで新しいものを生み出していく! 日々が学習と挑戦なの! そして今日もまた一つ、失われた技術を知ることができた……」


 バルバラは力強くそう言い放つと、頬に手を当てて陶酔した目で宙を見つめている。どうやら自分の世界に入ってしまったようだ。本当にせわしない。


 そんな彼女をぽかんと見つめているうちに、ふとあることに気づいた。


 今、彼女は『失われた技術』と言っていた。そしてさっき彼女は、私が編んだ飾り紐を食い入るように見つめ、その構造を書き留めていた。ということは。


「ちょっと待って、この編み方って、失われた技術なの?」


 するとバルバラはくるりとこちらに向き直って、すらすらと答えた。


「ええそうよ。百五十年くらい前に流行ったものね。もう実物はおろか、資料としての編み図ですら、ほとんど残っていないの。もちろん編み方なんて誰も知らない。それがまさか、こんなところで実物にお目にかかれるなんて……」


 百五十年前。その頃、私もまだ生まれていない。手の中の飾り紐を見つめながら、記憶をたどっていく。


 これの編み方は、亡きお母様に教わった。私がまだごく普通の少女、ただの侯爵令嬢だった頃に。


 私に編み方を教えながら優しく微笑んでいたお母様の顔を思い出したら、また鼻の奥がつんとした。


 アダンに会ってお父様を思い出し、バルバラと話してお母様を思い出し。今日はどうも、昔の記憶と縁がある日らしい。


 甘く切ない感傷をそっと横に押しやって、さらに思い出してみる。


 お母様は「この編み方は、私のお祖母様に教わったのよ」と言っていた。つまり私のひいお祖母様だ。それなら、だいたい百五十年くらい前というバルバラの話とも噛み合う。


 そうやって一人納得している私の耳に、バルバラの言葉が次々と飛び込んでくる。


「タトウ編みは貴族の間だけで流行ってたのよ。そのせいか、とっても繊細な細い絹糸で編まれたものばっかりで」


 そういえば、お母様もとびきり細い絹糸で編んでいた。ゆったりと糸が交差するさまが、まるで蜘蛛の巣のようだと思ったものだ。


「おかげで、虫に食われたり自然とちぎれたり、とにかくまともな現物がめったに出てこないの。たまに見つけても、編み目が小さすぎてろくに解読できなくて……はあ」


 深くため息をついたバルバラが、また私の手元を見た。正確には、そこに握られている飾り紐を。


「それがまさか、革紐で編まれているものに出くわすなんて。でもそのおかげで、構造がはっきりくっきり良く見えるわ、素敵! しかも保存状態もとっても良くて、もう最高!」


 バルバラは説明しながら身もだえしている。飾り紐一つでここまで感動できるなんて。


 そのあまりの喜びっぷりに、つい余計なことを口走る。


「……その、私がこれを編んだの。昔、お母様に教わって。だからまだ、手が編み方を覚えているけれど……」


 ミモザが小声で「あーあ」と言ったのが聞こえた。やっぱり言わなければ良かっただろうかと後悔したけれど、もう遅かった。


「ぜひ! お願い! 編んでみせて! 編み方教えて! 手の構え方とか、糸のさばき方とか、そういうのは現物だけでは分からないから!」


 バルバラはしっかりと私の両手をつかむと、さらににじり寄ってきて勢い良く叫んだ。彼女はとてもほっそりとしているのに、びっくりするくらい力が強い。


「え、ええと……また今度でもいいかしら。いずれこれを修理して、もう一度編み直すつもりなの。それを見てもらうのが早いかなって、そう思うのだけれど」


「いいわ、待つ! 何日でも、何か月でも! あっ、私は大体ここにいるから」


 彼女はまたどこからともなく取り出した紙に何やら書きつけて、それを私の手に力ずくで握らせてきた。


 戸惑いつつ広げて見てみると、それは王宮の地図だった。今さらさらと描いたとは思えないほど、精密で美しい。


「それじゃ、待ってるから! またね!」


 そして私が返事をするよりも先に、バルバラはそう言い放って大股で駆け出していった。かかとが異様に高い靴を履いているというのに、ものすごく速い。しかも、なぜか靴音がしない。


 後には、私とミモザだけが残された。ミモザはまだちょっと今の出来事についていけていないような、そんな顔をしている。たぶん私も、同じような顔をしていると思う。


「……すごい人だったね、色々と」


「この王宮って、もしかして変人を引き寄せているのかしら? 魔術師たちは相当癖が強い人たちばかりだし……ロベルトやファビオも、普通というにはちょっとね」


 彼女が去っていったほうを見つめたままそんなことをつぶやくと、ミモザがそっと肩に手を置いてきた。


「ジュリエッタ、自分のことを棚上げするのは良くないと思うよ。たぶん僕たちも、はたから見れば相当変わってると思うから……」


「……そうね。でもバルバラにはかなわないと思うわ」


「……うん。同感」


 私たちはそのまま、しばらく並んで同じ方向を見つめ続けていた。




 まるで嵐のようだったバルバラとの会話を終えた後、私たちは昼食のために城下町に出ていた。アダンとの約束の時間までは余裕があるし、今日は外で食べたい気分だったのだ。


 いつもの隠し通路からいったん王都の外に出て、それから改めて城下町に入っていく。ちょっと面倒ではあるけれど、これが一番気軽な移動経路なのだ。


 私とミモザは、少々上質ではあるけれどごく普通の民と同じような格好をしている。たぶん、裕福な商人の若夫婦か、お忍びの下位貴族か、そんな感じに見えていると思う。


 そんなの私たちが堂々と王宮の正門を使っていたら、さすがに目立つ。門番たちに話を通すのは簡単だけれど、それでも誰かが「あれは誰だろう」って思うだろうし。


 なので最初は、使用人たちと同じ通用口を使おうとした。そうしたら、使用人たちが困り果てていた。ヴィットーリオたちの近くで働く人たちは、私とミモザの顔も知っている。


 そんな人たちからすれば、王兄の客人が通用口を使っていたら落ち着かないことこの上ないだろう。


 という訳で、通用口もなし。かといっていちいち正装したり変装するのも面倒くさい。


 だから私たちは、王宮から城下町に向かう時も、遠慮なく隠し通路を使うことにしたのだ。


 しょっちゅう使われすぎて、隠し通路がちっとも隠れていないとファビオが嘆いていたけれど、それは聞かなかったことにした。


「僕が透明化の魔法をちゃんと習得したら、ファビオの苦労も一つ減らせるよね」


 城下町の食堂でサラダを頬張りながら、ミモザがそんなことを言っている。サラダといっても、鶏肉やチーズがたっぷりと使われた、食べ応えのあるものだ。


「そうね。二人一緒に透明になって、こっそり正門を抜ければいいんだし。小屋から王宮に入る時も、あの隠し通路を使わずに済むわ」


 そう答えながら、肉団子がごろごろ入ったスープを口にする。新鮮な肉を丁寧にミンチにして、スパイスとハーブを加えたものだ。さすが王都だけあって、小麦粉でかさ増ししていない、ちょっと贅沢なものが気軽に食べられる。


「……あなたが透明になって飛べるようになったら、買い物も楽になるわよね……そうしたら、こんな食事をしょっちゅう作ることだって……」


 うっとりとため息をつきながら、そんなことをつぶやく。


 辺境の小屋では、買い物はちょっと大変だった。歩いていける距離に宿場町があるものの、品ぞろえはそう多くはない。田舎だし。というか、辺境だし。


 小屋のそばの畑とミモザが狩ってくる獣だけでも、食べていくには十分だ。


 ただ、肉の下処理やら何やらに時間を取られるので、こんな風に凝った料理を作るのは大変だ。狩った肉のほとんどは塩漬けにするので、いつでも新鮮な肉が食べられる訳でもないし。


「ジュリエッタって、意外に食いしん坊だよね。でも、そんなところも可愛いな」


「だって、どうせならおいしいものが食べたいじゃない」


「その気持ちは分かるけどね。でも僕は、あなたと一緒の食事なら何でもおいしいんだ」


 そんなことを話しながら、和やかに食事を進めていく。ふと、ミモザが目を細めた。


「それにしても、あの飾り紐ってすごいものだったんだね。僕までちょっと誇らしいよ」


「子供の頃お母様に習った編み方が、失われた技術扱いされるなんて思わなかったわ。長生きしていると、こんなこともあるのね」


 しみじみとつぶやいたその時、ふとあることを思い出した。


「……そういえば、確かお母様がタトウ編みの編み図をたくさん集めていたような」


「編み図? それってどういうもの?」


 首をかしげるミモザに、一から説明する。


 タトウ編みに限らず、たいがいの編み物には色々な基本のパターンがある。それを組み合わせて、複雑な模様を作り出していくのだ。


 組み合わせによっては、思いもかけないほど美しい模様を生み出すこともある。そういった組み合わせを記したものが編み図だ。


 実のところ、私はタトウ編みの基本のパターンしか覚えていない。お母様が編んでいたような複雑な模様を記憶だけで再現するのは、ちょっと無理だ。


「じゃあ、その編み図を見つけられたら、もっと色々なことをバルバラに教えてあげられるのかな?」


「ええ。基本の編み方は覚えているから、編み図があればだいたいのものは再現できると思うわ。私が生まれ育ったあの屋敷のどこかに、まだ編み図が残っているかも」


 最後にあの屋敷に足を運んだのは、お母様が亡くなった少し後。両親の墓に花を供えにいった時だった。


 私たちがいなくなってからも、お前は自由にこの屋敷に遊びにきていいからね。両親はそう言ってくれていたけれど、二人のいない屋敷はとても寂しくて、悲しかった。


 だからそれからは、一度たりとも近づかなかった。あの屋敷にも、あの屋敷がある町にも。


 貴族は、一族の遺品を大切に残しておくのがならわしだ。だからあそこには、両親のものも残されているだろう。でも、あそこに行くのだと考えたら、少し苦しくなった。


「ねえ、ジュリエッタ。いずれ時間を作って、一度あの屋敷に行ってみない? 僕、またあなたのご両親にあいさつしたいな」


 私の内心を見透かしたように、そしてそっと背を押すように、ミモザが柔らかく微笑みかけてくる。


「あれから数十年経ったけれど、今でも僕たちは元気に仲良くしていますって、報告したいんだ」


「……そうね。いつまでも放ったらかしにしていたら、お父様もお母様も寂しがるでしょうね。そのついでに、バルバラへのおみやげを探すのもいいかもしれないし」


「じゃあ、決まりだね」


「でも、強化の魔法を覚えてからね。アダンに協力を頼んでいる以上、勝手に出かけてしまうのも失礼だから。……どれくらいかかるか、ちょっと心配ではあるけれど」


「絶対にうまくいくよ。僕はあなたを信じてる。だから大丈夫」


 全く論理的ではない彼の言葉は、私にとっては何よりも信じられるものだった。だからにっこりと笑って、もう一度うなずく。


「そうと決まれば、頑張らなくちゃね。そのためにも、しっかり腹ごしらえしなくちゃ」


「後でお菓子も頼もうよ。僕、あっちの人たちが食べているパンケーキがずっと気になってて」


「私もよ。生クリームがのっているのと、ベリーソースがのってるのとがあるわよね」


「ねえ、別々のを頼んで、分けっこしない?」


「あら、素敵。じゃあ、そうしましょう」


 そうやってはしゃいでいると、胸の奥の苦しさがちょっぴり和らいだような気がした。

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