第5章 ただいま

第98話 思い出の品

 王都の近くの森の小屋で寝起きして、昼間は毎日王宮に通ってのんびり過ごす。ヴィットーリオやレオナルドと遊んだり、魔術師見習いたちに混ざって魔法を勉強したり。


 先日までずっとばたばたしていたということもあって、私たちは久しぶりの穏やかな日々を満喫していた。


 ところがある日の夜、ミモザがこちらまで悲しくなるようなしょんぼりした顔で、何かを差し出してきた。


「……とうとう切れちゃった」


 珍しく涙目になっている彼の手の中にあるのは、彼がいつも首に巻いている革の飾り紐だった。


 彼と出会って一年目、初めての誕生日に私が贈った手作りの品。彼は傷んでくるたびに手入れをしながら、大切に大切に身に着け続けてきた。


 見事にちぎれてしまっている飾り紐を見ながら、小首をかしげる。


 複数の細い革紐を編み込んであるこの飾り紐は、見た目の割には丈夫だ。今までにも一部が切れたことはあったけれど、こんな風に全ての紐が一度に切れたのは初めてだ。


「作ってから百年以上たつし、自然に劣化したのかしら……切れた理由に、何か心当たりはあるの?」


 そう尋ねると、ミモザは泣きそうな声で答えた。


「この前……あの誘拐犯の魔法からあなたをかばった時に、傷がついてたみたい。さっき軽く引っ張ったら、いきなり切れたんだ」


「誘拐犯の魔法……あのつる草ね。あの時は本当にありがとう」


 そう礼を言ったら、ミモザは力なくうなだれたままどういたしまして、といった。


 あれは、もう一か月くらい前のことになるだろうか。ヴィットーリオがさらわれて、追いかけていったら誘拐犯の反撃にあった。


 近くの地面から生えた、鋭いとげの生えた魔法のつる草。それが一斉に襲いかかってきたのだ。


 死を覚悟した私を、ミモザはとっさに竜の姿になることで守ってくれた。あのごたごたの中で、つる草のとげが飾り紐をかすめていたのだろう。


「……これは一度、全部ほどいて修理するしかないわね。切れたところから、網目がほどけてしまっているし。しばらく、預かってもいいかしら」


 ミモザは涙目のまま、こくんとうなずいた。彼はもう立派な大人なのに、こういうところは無邪気な子供の頃と変わらない。純粋で、気取ったところがなくて、自然体で。


「だったら丁寧にほどいて、それから切れたところを一本ずつ加工の魔法でつなぎ直して……ついでに、また染め直しましょうか。すっかり色があせちゃったから」


 飾り紐を優しくなでながら、そんなことをゆっくりと語る。


 こうしていると、これを作った時のことを思い出す。まだ私がごく普通の乙女で、幼いミモザと一緒に懸命に生きていたあの頃、毎日家事やら何やらに追われていた、静かで充実したあの日々を。


「この飾り紐、あなたをびっくりさせようと思って、こっそりと少しずつ編んでいったのよね。ふふ、懐かしいわ。まさか百年も大切にしてもらえるなんて思わなかったけれど」


 懐かしさについ微笑んだものの、ミモザは相変わらず暗い顔をしていた。


「……たった百年だよ。できることならもっと、ずっと大切にしていたかったのに……あなたからの、最初の誕生日プレゼント……」


「だったら、もっと頑丈になるように、何か工夫を考えてみましょうか」


「うん、お願い。それこそ何百年でもちぎれないくらいに」


 私の言葉に、ようやくミモザがこちらを見る。まだ涙に潤んだその目には、期待の光がともっていた。これは私も、気合を入れないと。


「そうね……加工の魔法で革を足して、もう少し分厚くする、とか……でも結局、これが革だってことに変わりはないし……」


「……だったら、魔法で強くできないかな?」


 まだちょっと落ち込んだ顔のまま、ミモザがぼそりとつぶやく。その言葉に、あっと声を上げた。


「そういえば、前に聞いたような……。加工の魔法と似た魔法で、物の性質を変える魔法、だったかしら」


 どうやら私には加工の魔法の才能があり、加工の魔法と似たような魔法であれば、すぐに習得できるようになるだろうと、そう魔術師たちは言っていた。


 そうして彼らがいくつか提案してくれたものの中に、その魔法はあった。物の性質を変える魔法。その魔法を使えば、物を強化することもできる。


 でもその時はそれどころではなかったので、全部保留にしていた。少しでも早く飛行の魔法を覚えたかったし、特にそういった魔法が必要になることもなさそうだったし。


 けれど、事情は変わった。今はその魔法が必要になりそうだ。


 切れた飾り紐をそっと机に置いて、ミモザをぎゅっと抱きしめる。


「明日、魔術師のみんなに相談してみましょう。そしてこれを、うんと頑丈に作り替えましょう。だからもう、泣かないの」


「……うん」


 ミモザはうつむいて、私の肩に額をつけている。そちらの肩がじわりと温かくなるのを感じながら、ゆっくりと彼の背中をなでていた。




「物質の性質を変える魔法、ですね。確かにこの前説明しましたよ。やっぱりちゃんと聞いてなかったんですね」


 メリナはそう言って、深々とため息をついた。その隣では、シーシェがいつものようにさわやかに笑っている。


 ここは王宮の奥まった一角にある、魔術師たちの研究所だ。大広間が一つと、その周囲にずらりと並ぶ小部屋が、丸ごと彼らの仕事場として提供されることになったのだ。


 以前は、魔術師たちの居場所はもっと狭かった。のんびりとお茶をして本を読むくらいならできるけれど、それ以上込み入ったことをこなすのはちょっと難しい、そんな感じだった。


 けれど今では、彼らの仕事は大幅に増えている。以前の居場所では、いくらなんでも手狭だ。そんな訳で、彼らは今新しい居場所でのびのびと忙しく過ごしている。


 そして私とミモザは、朝一番にこの大広間に乗り込んだ。運よくすぐにメリナを見つけたので、こんなことがあってと事情を説明したのだ。


 で、私の話を聞いたメリナがぷうと膨れている。小柄な彼女がそうしていると、何だか可愛い小動物みたいだ。


 彼女に知られたらさらに怒られそうな言葉をのみ込んでいたら、彼女のすぐ隣に立っていたシーシェが、朗らかに笑った。


「そうかりかりするな、メリナ。魔法の系統なんて、よほど興味がなければ覚えていられるものか。実際俺も、覚えるまでかなり手こずったぞ」


 なぜか自信満々に言い切るシーシェに、メリナがもう一度ため息をついた。


「……私たちが見習いだった頃、あなたが魔法理論を覚えなさ過ぎたせいで、指導についた先輩の白髪が増えたの、忘れたの?」


「そうだったのか? そもそも気づいていなかったな」


 思いっきりあきれた顔をしたメリナに、シーシェはやはり明るく笑いかける。それからくるりと、こちらに向き直った。


「それで、物の性質の変化、というか強化か。強化したいものをしばらく預けてくれれば、こちらで何とかするぞ?」


 その申し出自体はありがたい。いつもの私たちなら、一もにもなくその提案に乗っかっただろう。ただ、今回はちょっと事情が違う。


「気持ちは嬉しいんだけど、できれば私の手でやりたいのよ。思い入れのあるものだから、他の人には預けたくなくて」


「なるほどな。しかし物質を強化する魔法は、応用魔法である加工の魔法のさらに応用だからな。見たことはあるか?」


「ないわ。魔法の存在だけ教えてもらっただけで」


「だろうな。見習いたちの勉強会では、まだ披露されていないはずだから。となると、誰かに個人的に教わるのが一番早いんだが……」


 あごに手をやって考え込んでいたシーシェの目が、ふと何かをとらえた。ほっとしたような笑みが、その精悍な顔に浮かぶ。


「おっ、うってつけの人物が来たぞ。おーい、アダン!」


「おや、私に何か御用ですか、シーシェ君?」


 通りすがりの魔術師が、そう答えながらこちらに近づいてくる。アダンと呼ばれたその人物は、こちらまでほっとするような雰囲気の、とても穏やかな中年男性だった。



「ジュリエッタが、物質の強化に関する魔法を覚えたがってるんだ。よかったら、教えてやってくれないか?」


「そうですね。あいにく今は手が離せませんが……午後なら空いていますよ」


 アダンはそう答えると、ゆったりとこちらに向き直った。そのまま深々とお辞儀をしている。


「初めまして、ジュリエッタ様。私はアダン、魔術師の一人です。先日川の氾濫を阻止した時の魔法の腕前、とくと拝見させていただきました。とてもお見事でした」


「あ、いえ、ありがとうございます……」


 私はアダンよりもずっと年上だ。しかしなぜか、彼と接しているとこちらも礼儀正しくしなくてはならないような気がしてしまう。


 気がつけば自然と背筋を伸ばして、同じようにお辞儀していた。


 いや、ちょっと違うかな。彼に対しては、なぜか敬意を払いたくなってしまうのだ。


 そうだ、分かった。彼にはどことなく、亡きお父様を思い出させるところがあるんだ。そう思ったとたん、ちょっとだけ鼻の奥がつんとした。


 いつもと違う私の様子を感じ取ったのか、ミモザが優しく微笑んでいる。メリナもそっと苦笑して、独り言のようにつぶやいた。


「どういう訳かアダンを相手にしていると、みんなおとなしくなってしまうんですよ。シーシェは数少ない例外です」


「きっとシーシェ君は、その天真爛漫さが持ち味なのでしょう。私も彼の裏表のないふるまいは好ましく思っていますよ」


 アダンはおっとりと笑いながら、そんなことを言っている。彼は見た目や雰囲気だけでなく、本当に懐の深い大人なようだった。


 長なんかはシーシェのこのふるまいを、無礼者だと言って青筋立てているのに。


 そんなことを考えていたら、アダンがまたにっこりと笑いかけてきた。


「ジュリエッタ様、それではいかがいたしましょうか。他の日がよければ、予定を確認しますが」


「いえ、今日の午後で大丈夫よ。ここに来ればいいかしら」


「はい。ここで待ち合わせて、空いた小部屋で説明いたしましょう」


 そう言って、アダンはにこやかにうなずいた。やっぱり、とても心が落ち着く仕草だった。


「ありがとうございます。それでは、また後で」


 やはり自然と、いつもより折り目正しく返答して、ミモザと共にその場を後にした。いつの間にか辺りには仕事に勤しむ魔術師たちの声が満ちていて、とってもにぎやかになっていた。




「これで無事に、物を強化する魔法を教われそうね。うまくいくといいのだけれど。……いいえ、なんとしても習得してみせるわ」


 アダンたちと別れた後、私とミモザは王宮の中庭に移動していた。ここはあまり人が来ないので、お喋りにはちょうどいいのだ。


 懐にしまっていた飾り紐を取り出して手の上に乗せ、じっくりと眺める。絶対にこれを強化してみせる。それも、私の手で。そんな決意を新たにしながら。


 そうしていたら、ミモザのしょんぼりした声がした。


「僕も手伝えればいいんだけど、加工の魔法のさらに応用だと、僕にはちょっと難しいかな。……ごめんね」


 私とミモザは魔術師たちから魔法を学ぶにあたって、それぞれの素質についても大まかに調べてもらった。


 私はやたらと加工の魔法に適性があり、ミモザは突出した適正こそないものの、全体的に習得速度が速め、なのだそうだ。


 比較的易しい部類に入る応用魔法である透明化の魔法はともかく、応用魔法である加工の魔法の、そのまた応用である強化の魔法は、確かに彼には難しいだろう。


 数十年くらい頑張れば習得できるかもしれないけれど、彼はそんなに待てないだろうし。


「魔法には向き不向きがあるから仕方ないわよ。大丈夫、私は加工の魔法には適性があるんだから。きっと強化の魔法だって、すぐに覚えられるわ」


「うん、そうなんだけど……僕がその紐そのものにこだわっているせいで、あなたに迷惑かけちゃうなって」


 昨日よりは落ち着いたものの、ミモザの顔はやはりちょっとくらい。


「また新しいのを作ってよって、僕がそう言えばいいだけなんだって、分かってる。でもやっぱり、その紐がいいんだ……」


 片手に飾り紐を持ったまま、空いた手をミモザのほうに伸ばす。そのまま、彼の白い髪をくしゃりとかきまわした。子供の頭をなでる時のように。


「迷惑な訳ないでしょう。あなたの笑顔のためなら、これくらいどうってことないもの」


 眉を下げているミモザと目を合わせ、にっこりと笑いかける。


「それに新しい魔法を覚えたら、またできることが増えるわ。どう活用していこうかって、今からわくわくしているのよ」


 それから飾り紐を両手で持って、日に透かすように頭上に掲げた。結び目の複雑な模様が、影絵のように浮かび上がる。


「それに、あなたがこれにこだわっているのって、これが私からの初めての贈り物だからなんでしょう? そこまで気に入ってもらえるなんて、とても光栄よ」


 紐を掲げたまま、もう一度ミモザに向かって微笑む。彼も弱々しいながらも、ちゃんと笑顔を返してくれた。


 そうやって笑い合う私たちに、突然甲高い声が投げかけられた。


「あらあらあらあら、まあまあ! 素敵!」

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