第97話 お勉強の時間
「魔術師たち、みんな忙しそうね」
「でも、嬉しそうだね」
「そうね、これならもう暇を持て余すこともないでしょうし、良かったわ」
私とミモザは、顔を見合わせてくすりと笑い合っていた。
王宮に戻ってきた魔術師たちは、新たな仕事に取りかかり始めたのだ。レオナルドの命によって。
もっともっと魔術師を増やして、みんなで国をがっちりと守る。レオナルドたちはみんなで相談してそう決めたのだ。
おかげで魔術師たちは少々、いやかなり忙しくなってしまったけれど、みな生き生きとしていた。
そして今、彼らはここで見習いたちの勉強会を開こうとしている。これもまた、新しく加わった仕事の一つだった。
かつて魔術師は、数年に一度、それも数人くらいしか採用されていなかった。
そんなにたくさんいなくてもいいだろうという王宮側の思惑……主に財政面の思惑と、自分たちを特別な存在のままにしておきたい長たちの思惑ががっちりと噛み合った結果だった。
けれどこれからは魔術師の採用試験が毎年行われることになったし、合格基準もちょっとだけ緩めた。
そうやってかき集めた魔術師見習いをがんがん育てて、一人前に育て上げる。この勉強会は、そのための試みなのだ。
基準を緩めたとはいえ見習いたちはみんな賢くて向学心あふれる人たちばかりだから、座学については自習中心だ。
なのでこの勉強会では、先輩魔術師たちが魔法を披露し、見習いたちにそれを通して学んでもらうという形をとっている。
周囲に気兼ねなく魔法を使えるように、この勉強会は王都の外で行う。というかここは、かつて魔術師たちが大乱闘を繰り広げたあの草原だ。
「それでは、勉強会を始めます。……始めたいんですが……」
今日の司会であるメリナが、ちょっぴりかしこまって口を開いた。しかし彼女の視線は、目の前の見習いたちを素通りしている。
「……あの、ジュリエッタ様とミモザ様がどうしてここにいるんですか?」
ずらりと並んだ見習いたちの一番後ろに堂々と交ざっている私とミモザを見て、メリナは小声でつぶやいた。その眉間に、うっすらとしわが寄っている。
彼女だけではない。今日の講師役を務めるために集まっていた魔術師たちも、みな困惑した目で私たちのほうを見ていた。
あと、見習いたちも。彼らは私たちの顔を知らないし、私たちは私服だし。外部の人間が紛れているようにしか見えないんだろう。実際、外部の人間だし。
そんな微妙な空気をわざと無視して、ことさらに明るく能天気に言葉を返す。
「どうしてって、私たちも魔法を学びにきたのよ」
「僕たち、魔法はほぼ独学だからね。一度きちんと学んでみるのもいいかなって思ったんだ」
「ちゃんと許可はもらってるわよ。レオナルドもヴィットーリオも、すぐに賛成してくれたわ」
「おとなしくしてるから、他の見習いさんと同じように扱ってくれていいよ」
ミモザと二人して、流れるようにそんなことを説明する。メリナは目を白黒させていたけれど、やがて小さく咳払いをして顔を引き締めた。
「……分かりました。それでは気を取り直して、勉強会を始めます」
「彼女、大分僕たちの扱いに慣れてきたよね」
ミモザのそんなつぶやきに、涼しい顔でうなずき返す。まだちょっと流れについていけていない他の人たちからの視線を、悠々と受け流しながら。
ぽかぽかと良く晴れた気持ちのいい草原に、魔法について説明するメリナの声だけが響く。実践中心の勉強会ではあるけれど、先にきちんと知識が身についているかは確認していく必要があるのだ。
それは分かっているけれど、ちょっと退屈だったりもする。
「……従って、応用魔法はこのような系統に大別することができ……」
「ミモザ、この説明っていつまで続くのかしら」
「……また、どの系統を得意とするかは個人の資質に依存するもので……」
「僕にも分からない。早く実際の魔法が見たいなあ」
「……得意な系統に関しては、習得速度が大幅に向上したり、また通常よりも大きな効果が得られたり……」
「そうよね。この前は遠目からだったし、間近で見たいわね」
「そこ、お喋りしない!」
長い長い解説に飽きてこそこそと話す私たちを、メリナがびしりと叱る。
彼女の鋭い声に、周囲の見習いたちがあわてて背筋を伸ばした。彼らは彼らで、話が長すぎて居眠りしかけていたのだった。
そのことに気づいたらしく、メリナは小さくため息をついた。それから額に手を当てて、疲れたように言う。
「……仕方ないですね。説明はこの辺でいったん止めて、実際に見てもらいましょう」
「やっぱり、見て覚えるのが一番早いからな。うん、そうしよう。……ふわあ、やっと動ける」
メリナの背後に立っていたシーシェがうんと伸びをしながら、大きく口を開けてあくびをしている。猫のような、ヒョウのような。
話の間、彼は一応ずっと目を開けてはいた。けれどたぶん、あれは立ったまま寝ていたのだと思う。
そして彼は、そんな気取らない、というか少々はしたない仕草であっても妙に様になっていた。気のせいか、そこはかとなく男性の色気を漂わせている。あ、女性の見習いが見とれてる。
美形というならもちろんミモザのほうが上だけれど、彼は自分の魅力をちゃんと自覚していて、不用意に他人をたらしこむようなことはしない。シーシェもこれくらいわきまえてくれれば、メリナもやきもきせずに済んだだろうに。
そんなことを考えていたら、シーシェが快活に笑った。
「よし、さっそく見せてやろう、これが転移の魔法だ」
そう言い放つなり、シーシェの姿が消えた。唐突に。うっとりとした視線を送っていた女性見習いたちと、ちょっぴりなめたような視線を送っていた男性見習いたちが揃って目を丸くする。
「ほら、ここだ」
次の瞬間、とんでもないところから声がした。なんと彼は、離れたところにぽつんと生えている木のてっぺんにいたのだ。
見習いたちはみな物も言えないほど驚き、全員ぽかんと口を開けていた。普通の手段では、この短時間であそこまでたどり着くのは不可能だから。
「わあ、見習いさんたちすごく驚いてるね。面白いなあ」
「たぶん、あれが普通の反応なんでしょうね。私なんか、いきなりあれでさらわれそうになったんだけどね」
「あの砦でのことだよね」
「ええ。ファビオが乱入してきた時は、さすがに生きた心地もしなかったわ」
「お二人とも、お静かに」
ミモザとそんなことをささやき合っていたら、またメリナが冷たい視線をよこしてきた。
いけない、また怒られちゃった。ミモザがかすかな声でそう言って、微笑みながら口を閉ざす。
普段他人に怒られることなどあまりない私たちからすると、こうやってお喋りしては注意されるというのも中々に新鮮な体験だったりする。
「シーシェ、一度こっちに戻ってきてちょうだい」
メリナがそう叫ぶと、シーシェが片手を上げた。次の瞬間、またメリナのすぐ隣に立っている。
この一連の行動で、見習いたちの心をがっちりとつかめたらしい。見習いたちはみんなして、尊敬に満ちたきらっきらの目でシーシェを見ていたから。
それに気づいたメリナが、ちょっぴり嬉しそうにくすりと笑う。それから彼女は、同行していた他の魔術師たちにてきぱきと指示を飛ばし始めた。
いよいよこれから、本格的な魔法の勉強が始まるのだ。
隣のミモザは、楽しみでたまらないといった様子で目を輝かせている。きっと私も、同じような顔をしているのだろう。
他の見習いたちに混ざりながら、講師役の魔術師たちを笑顔で見つめ続けた。これから起こることを、一つも見落とすまいと気合を入れて。
その日の夜、王都のすぐ近くに広がる森の中。私とミモザは並んで小屋の外に座り、星空を眺めていた。話題はもちろん、昼に行われた魔法の勉強会のこと。
「ひとまず、覚えたかった魔法は何とかなりそうで良かったよ。素質がなかったらどうしようって、ずっと心配だったんだ」
ミモザはほっと息を吐き、小屋の外壁にもたれかかっている。
「あなたは魔法を覚えるのが早いわよね。メリナたちも驚いていたわ」
「たまたまだよ。あなたのほうはどうだった?」
「ひとまず、ゆっくり落ちるくらいはできるようになったわね」
私たちはそれぞれ別の魔術師に張り付いて、別の魔法を習っていたのだった。私が学んでいたのは、飛行の魔法だ。
これまで百年近く、ミモザに乗って空の旅をしてきた。しかしその間に、ごくたまにではあるけれどうっかり落ちてしまうことがあったのだ。
そのたびにミモザが拾い上げてくれたので、今のところ無事だ。でも少しだけでも自力で飛ぶことができれば、もっと安全に旅ができる。ちょっと浮いていられるだけでもかなり違ってくる。
ちなみに、飛行の魔法の練習中に空中をゆっくり落ちている私を見たシーシェは「それなら風の魔法でいいんじゃないか」と恐ろしくも懐かしいことを言っていた。
けれど絶対に、あの方法だけは覚えたくない。というか覚えられない。彼はあっさりとこんなことを言ってのけているし、楽々と風の魔法を使っていた。
でもあれは、出力や方向を常に微調整し続ける繊細な魔法だ。少々大雑把な私にはいまいち合わない。……というかシーシェも、私と同じ大雑把なたちの人間のような気がするのだけれど。
「この分だと、自由に飛べるようになるのはまだまだ先だと思うわ。練習する時間だけならたっぷりあるけれど、ちょっとじれったくて」
「それでもすごいと思うよ。あれ、割と難しい魔法なんだよね?」
「そうらしいわね。でもそれをいうなら、あなたが練習してた透明化の魔法も似たようなものでしょう? ところでどう、そっちはうまくいきそう?」
その問いにミモザは答えることなく、ただ静かに微笑んでいた。と、その笑顔が見る見るうちに透き通り、見えなくなる。
「あら、見事に消えてるわ。ここは……腕かしら?」
そろそろと手を伸ばすと、何もない空中にミモザらしき感触がある。見えないのに触ることができるというのは、どうにも不思議な感覚だった。
「くすぐったいよ、ジュリエッタ」
つい面白くなって空中をなでまわす私の手を、何かが優しくつかんだ。その私の指先も、ゆっくりと透き通っていく。透明化の魔法は、触れている物や人間にも効果を及ぼす。
私の腕が肘あたりまで消えたところで、ミモザが息を吐いた。
「……ふう、ちょっと疲れたね」
ミモザが息を吐く気配がした直後、彼の姿がぱっとその場に現れた。私の手も、すっかり元通りだ。
「一応姿の消し方は分かったんだけど……とっても集中しないといけないし、ものすごく疲れるんだよね」
「分かるわ。私もゆっくり落ちているだけなのに、かなり疲れたから」
「だよね。それに消えてる間は、ほとんど動けないし。慣れれば、息をするように自然に消えていられますよって太鼓判は押してもらったんだけど、僕のほうも先は長そうだなあ」
「焦らなくてもいいわよ。私たちには、時間だけはたっぷりあるんだもの」
「そうだね。でも僕としては、そろそろまたあなたと旅に出たいんだよ。そのために、早く透明化の魔法を身につけたい」
こちらを見つめるミモザの目は、真剣そのものだった。
「辺境の小屋に戻ってもいいし、どこか別の場所に遊びに行ってもいい。でも、これ以上空を飛ぶ僕の姿を見られるのは、ちょっとね」
このところの大暴れのせいで、ミモザ、いや白い竜はすっかりこの辺りでは有名になってしまっていた。もしかしたら、もっとあちこちに噂が広まってしまっているかもしれない。
「そうね。目立たずに動けるようになれば、行けるところも格段に増えるし、もっと効率の良い経路を取ることもできる。ちょっと、いえかなり楽しみね」
ちょっぴり暗くなっているミモザを励ますように、そんなことを次々と挙げてみる。ミモザはふふと笑って、こちらを見た。柔らかな笑みを浮かべて。
「東の街にもまた行きたいね。バルガス、元気にしてるかなあ」
「そういえば、その向こうの隣の国も気になるわ。前の時は、結局行けなかったし」
「国内でも、ここより南の方はあまり見てないよね。せっかくだし、何か月もかけて遠出するのもいいかも。魔法を練習しながら、のんびり陸路で旅をするんだ」
「あら、素敵ね」
ここでの暮らしは楽しい。辺境では基本的にミモザと二人きりだったけれど、ここにはたくさんの人がいる。
ヴィットーリオやレオナルドの成長を見守り、ロベルトと一緒になってファビオをからかい、シーシェやメリナと友達のようにお喋りして。
こんな風に過ごすのは、まだ侯爵令嬢だった若い頃以来だ。人と関わる生活は、とても温かくて懐かしい。
けれどそれ以上に、今の私はミモザの伴侶で、自由気ままに過ごす辺境の魔女なのだ。
ミモザ以外の存在に縛られることなく、心のおもむくままにあちこちを飛び回り、色々なものを見て回りたい。そんな思いも、しっかりと心の中に根付いていたのだった。
「……私が令嬢だった頃は、旅なんてろくにしたことがなかったの。屋敷と王都を往復する以外、ほとんどどこにも行かなかった」
隣に座るミモザの肩にもたれながら、目を閉じてつぶやく。
「それが今では、こうやってあっちこっちを飛び回っているんだから。人生って、分からないものね」
「……ねえ、あなたは後悔していない?」
ひどく静かな声で、ミモザが尋ねてくる。
寂しげなその声に、かつて私を突き放そうとした時の彼の姿を思い出した。私に人としての人生を歩ませるために、彼が自分から身を引こうとしたあの出来事を。
まだ少年だった彼は、今ではもうすっかり落ち着いた青年になっていた。でも彼の心は、どうやらあの時のままの迷いを抱えているらしい。
腕をからめて、彼にしっかりと寄り添う。無数の星がきらめく夜空を見上げ、ゆっくりと答えた。
「あの時、あなたを探しにいって良かった。あなたの手を取って、本当に良かった。その気持ちは、今でも変わらないわ。これからもずっと」
ミモザは何も答えない。少しして、彼がこちらにもたれかかってきた。
ありがとう、というかすかな声を聞きながら、もう一度目を閉じる。この世で一番愛おしい彼の香りが、かすかに鼻をくすぐった。
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