第94話 二人きりの時間
無事に魔術師たちも戻ってきて、どうにかこうにか王宮は元の平穏を取り戻しつつあった。
とはいえ魔術師たちは、やけに忙しくしているようだった。
追放……というか自主的に引きこもっていた間にたまっていた仕事だけでなく、何やら新しく仕事が増えたらしい。巻き込まれたくないので詳細は聞かないでいるけれど。
忙しいのは魔術師たちだけではなかった。レオナルドたちも、この前の水害の後始末に追われている。
川の氾濫は私たちがある程度食い止めたけれど、それでも最初にあふれてしまった水が下流の村に被害を及ぼしていたのだ。それに、また同じようなことにならないように川岸を補強しなければならないし。
そのせいでレオナルドはヴィットーリオとずっと執務室にこもっているし、ファビオだけでなくロベルトの顔色も悪い。
手伝ったほうがいいのかなとも思うけれど、ミモザに止められた。私たちはあくまでも部外者なのだから、頼まれもしないのに手を課すべきではないと思うんだ、子供の成長を見守るのと同じだよ。そう言って。
なので、ひとまず様子を見ることにした。
のはいいけれど、前みたいにヴィットーリオやレオナルドを遊びに誘う訳にもいかないし、ロベルトとお喋りしたりファビオをからかうのも申し訳ないし。
シーシェやメリナは歓迎してくれそうだけれど、長がいい顔をしないだろうし。
そんなこんなで、私とミモザは二人揃って暇を持て余していた。王宮の中庭に作られたヴィットーリオとレオナルドの畑を見守るくらいしか、することがない。
そうして今日も、私たちは畑のそばでお喋りしていた。
「あの子たちも忙しいのに、きちんと水をやっているのね。とてもいい感じに育ってる。偉いわ」
「この畑は私たちが面倒見るんです、って意気込んでたからね。二人とも、責任感がすごいなあ」
私たちの視線の先には、小さな葉を懸命に伸ばしている野菜の若苗。とってもみずみずしくて、とっても元気だ。
どうにもばたばたしている王宮で、私たちの周りだけはゆったりとした時間が流れていた。
「……それはそうとして、やっぱり落ち着かないのよね」
「あなたもそう思う? みんな忙しくしてるのに、僕たちだけくつろいでるのはちょっとだけ申し訳ないような、そんな気分になるよね」
「ちょっとだけね」
「だったらもう小屋に戻ろうか? 同じごろごろしているのでも、かなりましだと思うよ」
「……小屋に戻っても、暇なことに変わりはないのよね。こっちの森は辺境に比べると平凡だし、畑も作ってないし。必要なものは城下町ですぐに手に入るし」
「僕も同感。こっちの森って、あんまり探検しがいがないんだよね。でも、王都を離れるのはまだ早いかなとも思うんだ。かなりごたごたしてるしね、今は」
「そうなのよね。……あ、そうだわ」
ぽんと手を叩いて立ち上がり、こちらを見上げているミモザに笑いかける。
「せっかくだから、ちょっとそこまでお出かけしましょう」
それから少し後、私たちは二人揃って城下町に顔を出していた。仲良く腕を組んで歩く私たちを、すれ違う人たちが温かい目で見ている。
「こうして二人で出かけるのも、久しぶりね」
「最近ばたばたしてたしね。全部片付いてよかったよ」
「……なんというか、その点についてはごめんなさい」
そもそも私が魔術師たちを連れ戻すなどと言い出さなければ、ここまでの大騒ぎにはならなかったかもしれない。
そんな反省を込めて謝る私の耳元で、ミモザが優しくささやく。
「結果として丸く収まったんだから、別にいいんじゃないかな。珍しい体験ができたし、面白い人たちとも知り合えたし」
そう言って笑っていたミモザが、ふと黙り込む。何とも言えない複雑な表情で。
「どうしたの?」
「……なんだか、前よりも増えてない? その……白い竜のおみやげ物」
言われて周囲を見渡すと、確かに増えていた。
前はちらほら見かけるなといった程度だったのに、今はそれこそ、ほとんどの店で何かしら関連した商品が置かれているというありさまだ。どうしてこうなったのか。
「……そうね。ちょっと見ない間に、ずいぶん増えてるわ。数も種類も」
私たちの会話を聞きつけたのか、すぐ近くの店の店員が声をかけてくる。愛想のいい笑顔のふっくらとした中年女性だ。
「そこの素敵なお二人さん、王都は久しぶりなのかい?」
「ええ、そんなところよ。ずいぶんと人気なのね、この白い竜」
適当に調子を合わせたら、女性は声をひそめて言った。ここだけの秘密を語っているかのような雰囲気だ。
「白い竜の神様は、あたしたちを守ってくださっているんですよ。……でもこの間、神様が王都から飛び立っていかれたみたいでねえ。なんでも、東の宿場町の近くに舞い降りたとか」
その言葉に、二人一緒にぎくりとする。それはこの前、ミモザが私を迎えに来た時のことだろう。あの時の彼は相当焦っていたとはいえ、王都の人たちにまで見られていたのか。
やっぱり見られてたのね。そんな思いを込めてミモザをちらりと見上げると、彼は気まずそうにそっと視線を外した。
そして女性は、私たちのそんなやりとりに気づいていないらしく、ちょっぴり困ったような顔で話し続けていた。
「あたしたちみんな、少し不安なんですよ。神様のご加護がなくなってしまったんじゃないかって」
元々ご加護なんてないんだけれど、そんな言葉を必死にのみ込む。ミモザもこっそりと、目を白黒させていた。
「だからあたしたちは、また神様がこちらに戻ってきたくなるように、盛大に盛り上げていくことにしたんですよ」
女性はそこで、にっこりと笑った。そうして店先の商品を指し示すように腕を振っている。
「まずはこうやって、神様のお姿をもっともっと広めることにしたんです。そうやってみんなでお金を貯めて、そのうち礼拝堂を建てようかって考えてるんですよ」
確かに、理にはかなっていると思う。相手が本物の神様なら、きっと喜ぶだろう。
「そう、素敵な思い付きね。だったら少し協力しましょうか。これ、いただくわ」
「まいどあり!」
笑いをこらえながら、竜の形の焼印が押されたふかふかの蒸しパンを二つ買った。
そうして、笑顔の女性に見送られながらその場を離れる。どことなく引きつった笑顔のミモザを引きずるようにして。
「ほんと人気ねえ、白い竜の神様って」
「もう、からかわないでよ。……あっ、これおいしいね」
人気の少ない小さな広場で、二人並んで蒸しパンをかじる。真っ白な生地のそれは、ほんのりバニラのような香りがしていておいしかった。
「それにしても、あんなささいなことで人間は不安になっちゃうんだ。こんなに生きているのに、知らなかった」
ミモザは最後の一口を飲み込むと、小さくため息をついてうつむいた。
「やっぱり、人を伴侶として、人の中で生きるのって難しいんだね。先代の竜は狼を伴侶として、ずっとあの辺境の森で暮らしてた。だから、魔物として人間たちに恐れられるだけで済んだんだ」
いつになく沈んだその様子に、胸がざわつく。
「……その、あなたは私を選んだこと……後悔してるの?」
そんな問いに、彼はすぐさま首を横に振った。とっても力強く。
「それだけは絶対にない。僕にはあなた以外いないよ。一度だって後悔したことはないし、これからもない」
ミモザは一気にそう言っていたけれど、またすぐにふっと肩を落とした。
「でも、ずっと人の中にいるとちょっと窮屈かもしれない。みんな、いい人たちばかりなんだけどね」
「そうね。……考えてみたら、あの辺境の小屋以外のところにここまで長く滞在したのは初めてのような……?」
「ヴィットーリオを連れて王都に来たのが冬の半ばで、今が春の終わりだから……三、四か月ってところかな」
「あら、もうそんなになるのね。思ったよりも長いような、あっという間に過ぎ去ったような……」
「そうだね。僕たちからすると短い時間なのに、すっごく長かった気もする。色々なことがあったからかも」
しんみりと笑うミモザの腕に自分の腕をからめて、がっちりと捕まえる。あれこれ考えているうちに、すっかり辛気臭くなってしまった。暗くしているのなんて、私たちらしくない。
「いいことを思いついたわ。さっそく行きましょう」
「えっ、行くってどこに?」
「ふふ、着いてからのお楽しみよ」
そう答えて、またミモザを引きずるように歩き出した。
「そうね、こっちの服もいいわね。でもやっぱりあっちも捨てがたい……ミモザ、ついでにこれも着てみて」
そうして私たちは、一軒の店に足を運んでいた。色も意匠も様々な服を山のように並べているこの店は、裕福な町民たちに人気の店だった。
貴族たちの服は基本的に特注で仕立てるものだし、平民たちは自分で服を作るか、古着を着ていることが多い。
だから、こんな風にできあいの服を取り扱っている店は珍しい。昔は王都より栄えていた東の街でも、数件あるかどうか。
それから私はちょくちょくここに通い、すっかり常連になってしまっていた。ミモザは服に興味はないということもあって、ここに来るのは初めてだった。
いつも以上に張り切って店内を回り、目についた服を片っ端からミモザに試着させる。
「ああもう最高。とっても素敵よ。あなたってそういうのも似合うのね」
今彼が着ているのは、膝下まである黒い細身のコートだ。中に着ているのは、体にぴったり沿った立て襟のシャツと、これまた細身のズボン。
私がうっとりと口にした褒め言葉に、ミモザもまんざらでもない顔をする。しかしすぐに困惑したように、眉を寄せてつぶやいた。
「ねえ。どうして僕は、こんな格好をしてるのかな……?」
「着ている物を変えると、気分も変わるのよ。今の私たちには、気分転換が必要だわ」
きっぱりと言い切って、それからおねだりをするように上目遣いをしてみせる。
「それに、こないだの魔術師の制服や貴族の略装、とっても良く似合ってたんだもの。せっかくだから色々着て欲しいの。駄目?」
「ああ、やっぱり覚えてたんだ……もう、そんな顔をされたら断れないよ。でもだったら、あなたにもこれ、着て欲しいなあ」
言いながらミモザは、一着の服を差し出してくる。
それは春の花のような優しい桃色のワンピースだった。普段着にできそうなくらい落ち着いた雰囲気ではあるけれど……色も意匠も、少々甘ったるい。可愛らしすぎる。
「これ……もっと若い女の子向けじゃないかしら。私の年ではちょっとね」
「何言ってるの、あなたは十七歳だよ。……見た目だけはね」
「分かったわ。ちょっと恥ずかしいけれどお互い様よね。着てみるわ」
自分一人で買い物にきたのであれば、絶対にこの服は選ばない。間違いなく。
しかしミモザを着せ替え人形にしてしまっているのだし、私も付き合うべきだと思う。腹をくくって、ミモザが選んだ服に袖を通してみた。
「わあ、可愛い……」
着替えた私を見たミモザの第一声は、そんなうっとりとした言葉だった。彼の背後に控えていた店員も、にこにこしながら彼に同意している。
「そ、そう? やっぱり可愛すぎないかしら……?」
「そんなことないよ。いつもの服装も好きだけど、こういうのもとっても似合ってる」
ミモザはめをきらきらと輝かせている。よほどこの服が気に入ったらしい。やっぱりちょっと恥ずかしくはあるけれど、そこまで喜んでもらえるのなら。
「決めたわ。今私たちが着ている服を、全部いただくわ。こっちの装飾品も込みで」
店員にそう言い放ち、新しく買った服を着て店を出る。満面の笑みを浮かべた店員が、店先まで見送ってくれた。
さわやかな日差しの中を、真新しくて素敵な服を着て歩く。いつもより少し気取った足取りのミモザが、ふっと目を細めた。
「新しい服っていうのも、いいものだね。あなたの言う通り、なんだか気分が浮き立ってくるよ」
「そうね。せっかくだから、今日は一日存分にあちこち回りましょうか」
「賛成!」
仲良く腕を組んではしゃぎながら歩く私たちに、すれ違う人たちが笑顔を向けてくる。誰も、私たちが魔女と白い竜だなんて気づいていない。
私たちはごく普通の恋人たちのふりをしながら、足取りも軽く歩き続けた。
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