第92話 後片付けも忘れずに
ずっとばたばたしていた疲れもあって、私たちは次の日の昼頃まで存分に眠り続けた。昨日着ていた服はまだ洗濯中なので、借りた服を適当に着る。
「魔術師の制服を借りた時も思ったんだけど……王宮の人って、ぴったりした服が好きなのかな。そのくせあちこちひらひらしていて、動きにくいし落ち着かないし」
貴族の略装に身を包んだミモザが、落ち着かない様子でぶつぶつ言っている。
首元でしなやかなひだを描いているたっぷりとしたスカーフをつまんでみたり、固くてどっしりとした上着の生地を触ってみたりと、忙しく身動きしながら服を確かめていた。
「言われてみればそうね。私もこんな服は久しぶりに着たから、窮屈でたまらないわ」
当然ながら私が着ているのも、貴族の略装だ。ふわりと優雅に広がるスカートと、あちこちに縫い付けられたレースが目に楽しい。が、着ていると疲れる。というか重い。
「昔はずっと、こんな服装をしていたのにね……こんなに疲れる服だったかしら」
小声でぼやく私に、ミモザが輝くような笑顔を向けてくる。きらきらしい服とあいまって、名家の令息のようにしか見えない。いや、王子様と言っても十分に通る。
「でも、似合ってるよ。普段のあなたも可愛いけれど、そういう服を着ているとすっごく綺麗だ」
「ありがとう。あなたもとても素敵よ。素敵すぎて、なんだか輝いて見えるくらい」
そんなことを言いながら、互いをうっとりと見つめ合う。
「困ったわ、あなたに着せたい服がどんどん増えてしまって。ああ、早くあなたと買い物にいきたいわ」
そうつぶやく私に、ミモザは一瞬だけ苦笑してみせた。
「お手柔らかにね、ジュリエッタ。……あなたは昔から、買い物が好きだものね」
「あら、あなただって好きでしょう」
「うん、まあ僕も嫌いじゃないよ。ただ、あなたほどの情熱は持っていないなって、そう思うんだ」
そうやって和やかに話している私たちに、メイドがそっと声をかけてくる。どうやら、ヴィットーリオたちが呼んでいるらしい。
私はたっぷりしたスカートをひるがえしながら、ミモザはぴったりとしたズボンに覆われた足をしなやかに動かしながら、メイドの後に続いていった。
そうして私たちが案内されたのは、玉座の間だった。
一段高くなったところに置かれた玉座にはレオナルドが座り、その横にヴィットーリオが立っている。少し離れたところに、ロベルトとファビオの姿も見えた。
段の下、入り口に近いところには魔術師たちがずらりと並び、神妙に押し黙っている。
彼らに囲まれるようにして、誘拐犯たちがひざまずいていた。その体には、縄やら鎖やらが厳重に巻き付けられている。それはもう、ぎっちぎちに。
ふらりとやってきた私たちに、ロベルトが難しい顔で声をかけてくる。
「ご足労、痛み入ります。ちょうど、誘拐犯たちの処分が決まったところなのですよ。貴女がたにも、聞いていただこうと思いまして」
その言葉を受けて、レオナルドが幼い顔に精いっぱいの威厳をたたえて口を開いた。
「魔術師たちは、そのまま王宮への帰還を認めるものとする。ただし、王兄を誘拐した者たちについては」
ぎっちりと縛り上げられた魔術師たちが、不自由ながらも頭を垂れる。その横顔には、私やミモザに見せていたような反抗的な色はこれっぽっちも浮かんでいなかった。
「いったん魔力を封じた上で、監視を付け労役を課すものとする」
七歳の幼子とは思えないほど難解な言葉を、すらすらとレオナルドは口にする。けれど私たちは、他のことに気を取られていた。
「えっ、それだけ? 僕は法には詳しくないけれど、普通はもっと重い刑になるものじゃないの?」
玉座の間の厳粛な雰囲気を全く気にかけていない様子で、ミモザがそんなことを言っている。その問いに答えたのは、王の横に控えているヴィットーリオだった。
「いえ、いいのです。私たちは彼らと話をし、彼らの思いを知りました。彼らに必要なのは重い罰ではなく、罪を償うために持てる力を尽くすことだと、そう思ったのです」
そしてロベルトが、やけに悪い顔で付け加えた。
「それに、彼らは魔術師であることを何より誇らしく思っています。そんな彼らにとっては、魔力を封じられるというのは何よりの罰になるでしょう」
いい気味ですよ、と小声でつぶやいているのがかすかに聞こえた気がした。ロベルトは一見穏やかそうだけれど、かなり根に持つ口だからなあ。
「ただし、彼らが貴女がたのことを始末しようとしたのも事実です。お二人が厳罰を望むのであれば、考慮いたしますが」
ほんの少し疲れた様子で、ファビオがさらに続ける。私とミモザは顔を見合わせ、それから同時にうなずいた。
「いえ、いいわ。ヴィットーリオが納得しているのなら何も問題はないと思うの」
「でも次に不穏なことをしたら、今度は僕の尻尾を遠慮なくぶち当てるからね」
無邪気に笑いながら、ミモザが釘を刺す。縛られた七人が、恐怖からかがたがたと震えだした。かわいそうなくらいに。ただ、そもそもが彼らの自業自得なので仕方ない。
そうしていたら、魔術師たちの中から朗らかな声が聞こえてきた。
「ミモザ様の尻尾か。あの大きな尻尾がびたんびたんと打ち付けられる様は、はたから見ていても恐ろしい光景だったからな。当事者じゃなくて良かったと心の底から思ったぞ」
「シーシェ、陛下の御前よ」
のほほんと感想をつぶやくシーシェと、小声でそれをたしなめるメリナ。そのいつも通りのやり取りに、私とミモザが同時にくすりと笑う。
その笑いにつられたように、あちこちから小さな笑い声が上がる。その笑いは徐々に大きくなっていき、やがてヴィットーリオとレオナルドまでもが笑い出した。
無言で苦笑するロベルトと、戸惑い顔のファビオを巻き込んで、その笑い声は玉座の間いっぱいに広がっていった。
そうして無事に魔術師たちが戻ってきた少し後。ファビオの執務室に私たちは集まっていた。部屋の主であるファビオに、私とミモザ、それに長と数名の魔術師。
「……私がここを留守にしていたのは、一月にも満たない期間だったはずなのだが」
書類の山で埋め尽くされた大きな執務机を前に、ファビオが深々とため息をつく。
執務机に置き切れなかった書類が、部屋の片隅に置かれた長椅子と、その前にある低いテーブルにまで積み上げられていた。そろそろ雪崩が起きてもおかしくはない。
室内のそんな惨状を見た長が、ぎゅっと眉を寄せる。
「多忙なファビオ様の時間を我らのために浪費させたこと、誠に申し訳なく思っております」
そうして長と魔術師たちが、同時に深々と頭を下げる。
その拍子に書類が一枚滑り落ち、私の足元まできて止まった。それを拾い上げ、ファビオに向き直る。
「だから、こうして私たちが手伝いに来たんじゃない。お詫びも兼ねて」
普段睡眠を削りながら働いているファビオが、不可抗力とはいえしばらく執務を離れていた。ある程度は、ロベルトや他の大臣たちが肩代わりしてくれていたらしい。
それでも、ファビオ自身が処理しなくてはならない仕事は毎日山のようにやってくる。そんなこんなで、処理待ちの仕事はどんどん積み上がっていった。
その結果が、このとんでもない量の書類の山だった。私たちは今、ファビオの仕事を手伝うために集まっているのだ。
今回の騒動に彼を巻き込んだ発端である私と、そもそも魔術師たちを引きこもらせて今回の事態を招いた長。私たち二名は、間違いなくこの事態について責任がある。なので全力で手伝うつもりだ。
ミモザと魔術師たちは、自分から志願して手伝いにきてくれた。とてもありがたい。と言うか、魔術師たちも少なからず責任を感じているらしく、交代でここに来てくれるのだそうだ。
「……では、始めましょうか」
ファビオが深々とため息をつきながら、作業開始を宣言する。その拍子に、また書類が数枚滑り落ちていった。
うっかり書類の山を崩してしまわないように気をつけながら、私たちは少しずつ作業を進めていった。
私たちが書類にざっと目を通し、重要なものや期限が短いものを優先してファビオに渡す。ファビオは受け取った書類にサインをして小姓に渡し、しかるべき場所に運ぶなりしまうなりしてもらう。そんな流れだ。
「手伝いを志願しておいてなんだけど、僕とジュリエッタは一応部外者なんだけどね。こういう書類って、見てもいいのかな。あっ、これ急ぎの書類だ。はい、どうぞ」
国防に関する機密書類をファビオに差し出しながら、ミモザがのんびりとつぶやく。
「今さらというものです。……今回も色々ありましたが、こうやって丸く収まったのは、お二人の力によるところもありますから」
書類を受け取りながら、ファビオがそう答えた。
長はまたしても複雑な顔になっている。さすがに、今までのわだかまりがすっと消えてなくなることはないようだった。
「魔女に、竜……確かにこうして接している分には、普通の人間とさほど変わりはしませんが……」
「いきなり打ち解けてくれだなんて無茶は言わないわ。まあ、ゆっくり見定めてちょうだい」
川の氾濫を食い止める、そんな作業を通して少しだけ彼らとの距離も縮まった。いずれ、もっと分かり合える日も来るだろう。時間だけならたっぷりあるし、気長に待つつもりだ。
「またこじれるようなら、僕たちがここを出ていけばいいだけだしね」
隣に座る私だけに聞こえるようなかすかな声で、ミモザがいたずらっぽくつぶやく。
彼の言う通りだ。そもそも私たちは、王宮にそこまで長居するつもりはなかったのだ。ただヴィットーリオたちが心配で、何となくずるずると居座っていただけで。
「……でももうちょっと、ここにいるのもいいかも。旅に出たいって言ったそばから、決心が揺らいでばかりだ」
ミモザはそう言うと、扉の方に顔を向けた。とても優しい笑みを浮かべて。
やがて、私にも彼の表情の理由が分かった。
勢い良く扉が開いたと思ったら、シーシェとメリナが顔をのぞかせたのだ。二人の後ろにはヴィットーリオにレオナルド、それにロベルトもいる。顔なじみが、ずらりと勢ぞろいした形だ。
「俺たちも手伝いにきたぞ、ファビオ様!」
「シーシェ、だから声が大きいのよ」
シーシェとメリナは、いつも通りの掛け合いを見せている。これはこれで、仲が良いのだろう。
「私たちもお手伝いします。レオナルド、頑張るのだぞ」
「はい、にいさま!」
ヴィットーリオとレオナルドは、小さな手をぎゅっとつないでいた。そっくりな顔を並べて、にこにこと笑っている。
「一目見るだけで思わず気絶したくなるくらいに仕事がたまっていますからね。仕方ないので、少しだけ手伝いにきてあげましたよ。ええ、少しだけ」
「お前の手を借りるのはしゃくにさわるが……今は、猫の手も借りたいくらいだからな」
ロベルトとファビオは不敵な笑みを浮かべて言い合っている。これもまた、いつもの掛け合いだった。もっともこちらは、仲が良いのか悪いのか分からない。
「あっ」
大股で部屋に入ってきたシーシェの手が、近くにあった書類の山にぶち当たる。開けっ放しになっていた窓から吹き込んできた風にあおられて、崩れた書類がふわりと舞い上がった。
みんな作業を中断して、室内をひらひらと舞う書類に手を伸ばす。あっという間に、部屋の中は大騒ぎになってしまった。
私とミモザは、彼らとは違う時を生きている。こんな風にみんなではしゃげるのも、ほんの一瞬のことでしかない。
だからこそ、今この時を大切にしよう。目の前を横切った一枚の書類をつかまえながら、そんなことを思った。
「あら、これ締め切り超過してるわ」
「何! ……ああ、しまった」
私のつぶやきに、ファビオが血相を変えて立ち上がる。その拍子に、また別の書類の山が崩れた。
春風が吹き、書類が舞う部屋の中で、私たちはみんなで笑い合った。それはとても幸せな、一瞬だった。
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