第91話 みんなで帰ろう
胸を満たす達成感と体に満ちる猛烈な疲労感を抱えて、私とミモザ、それに魔術師たちは元の街道まで戻ってきた。みんなびしょ濡れの泥まみれで、けれど満面の笑みを浮かべて。
長とその側近数名が、そこで私たちを待っていた。心なしか複雑そうな表情で。
「……終わったようじゃの」
「はい、つつがなく」
長と魔術師の一人がそんな言葉を交わしていたちょうどその時、東の方から馬に乗った兵士たちが勢いよく駆けつけてきた。どうやら彼らは、今の状況を確認するために王宮からやってきたらしい。
「長殿、川は今どうなっているのでしょうか?」
「もう心配はいらぬ。確認できておった二か所については、もう反乱の危機は去った。我ら魔術師の手により」
長はとっても気取った大仰な口調で、今までのことを語っている。ただ、その表情はどことなく優れない。
けれどそれを聞き終えた兵士たちは、顔をほころばせると大きくうなずいた。それからきびきびと二手に分かれている。
片方は王宮に報告をするために東に向かい、残りは危機が去ったことを下流の村に知らせるために西に向かうのだそうだ。
そうして兵士たちは、一礼するとすぐに去っていく。その顔はとても明るかった。まだしとしとと雨は降っていたけれど、そんなことを感じさせないくらいに。彼らを乗せた馬の足取りさえ、どことなく弾んでいるように思えた。
けれど、長だけはずっと厳しい顔をしたままだ。なんとなくその理由に見当がつくような、つかないような。
少しだけ考えて、そっと彼に近づいた。声をひそめて話しかけてみる。
「無事に危機を切り抜けたのだから、もうちょっと明るい顔をしてはどう?」
すると長はぎゅっと顔をしかめて、こちらをまっすぐに見た。
「……わしがどうしてこんな顔をしておるのか、あなたにはお分かりでしょう」
そうして彼は、勝手に語り出した。私の返事を聞くことなく。
「……確かに、我らは川の氾濫を食い止め、民を、国を守ることができました。しかし結局それは、我ら魔術師だけの力によるものではありませんでした……」
ああなるほど、そこか。本当に、いつまでもこだわるんだから。
肩をすくめたいのをこらえながら、軽い調子でさらりと反論してみる。
「あら、前に言ったでしょう? 今回私たちは、ただ魔法を使っただけよ。要するに、魔術師が臨時で二人加わったようなもの」
「そうそう。僕はちゃあんと、この姿のままだったよ? 竜には戻ってないし、ただ魔法を使ってただけ。それはあなたも知ってるよね。使い魔を通して、ずっと現場の状況について報告を受けていたんだから」
すかさずミモザが加勢に入ってくれた。それに励まされるように、さらに言い立てる。
「私だってそうよ。今回はひたすらに加工の魔法を使う以外、何もしてないわ」
実のところ、加工の魔法に関しては魔術師たちの中でもかなりいい感じだったと自分でもそう思う。だから私のおかげでかなり作業がはかどったのは事実だろうなと、そんな言葉をこっそりと飲み込む。
私たちの言葉を聞いて、長が困惑したように黙り込む。そこを狙って、さらに畳みかけた。ミモザと二人、交互に。
「魔術師たちも、そして私もミモザも。一人一人が使える魔法なんて、たかが知れている。あなたもそれは知っているでしょう? 何といっても、長なのだし」
「だから自然の脅威に立ち向かうためには、みんなの力を合わせる必要があった。そうだよね?」
「そして、私たちがうまくまとまったのはあなたのおかげよ。私やミモザでは魔術師たちをまとめることなんてできないし、的確な指示を出すなんてとても無理」
これは本心だったけれど、おだてようという意図も少しだけあった。長は自尊心がとびきり高い。だったらそこをくすぐってやればいいのではないかと、そう思ったのだ。
「だから、今回の危機は人の力で乗り切ったの。そしてその人たちを束ねたのは、間違いなくあなた」
それに、長たちはどうも私たちの力を過大評価しているような気がする。だから、気づいて欲しかった。
私たちは確かに少々人とは違う力を持つ。けれど長たちだって、それに負けないくらいに大きな力を持っているんだって。
だから、一生懸命に訴えた。今回の功労者は魔術師たち一人一人であり、もちろん長もそこに含まれるのだと。
長は黙って、私たちの言葉に耳を傾けていた。やがて、なんとも言い難い沈黙が流れる。離れたところでシーシェたちがそっとこちらの様子をうかがっているのが見えていた。
そのまましばらく待っていたら、長がとてもゆっくりと息を吐いた。どこか遠くを見るような目つきで、彼はつぶやく。
「……そうですな。確かに、このたび国を守ったのは、まぎれもなく我ら人間。そう……誇ってもいいのでしょう」
やれやれ、やっと分かってくれた。ほっと胸をなでおろす私とミモザに背を向けて、長は高らかに告げる。周囲で耳をそばだてている魔術師たちに向かって。
「みな、戻るぞ。これからもこの国を守るために」
そうして長は年齢を感じさせない足取りで、東の王都に向かって歩き出す。さっきまでよりもちょっぴり胸を張って。
彼の後に続くようにして、魔術師たちが列を作った。何食わぬ顔をして、私とミモザもその列の一番最後に加わる。
そうして私たちは、みんなで一緒に王宮を目指していった。疲れた体を引きずって、朗らかに笑いながら。
泥まみれで城門まで戻ってきた私たちを、ヴィットーリオとロベルト、それにファビオとレオナルドが迎えてくれた。
兄がさらわれた恐怖が忘れられないのか、レオナルドはヴィットーリオの腕にしっかりとしがみついている。
全員でぞろぞろと戻ってきた魔術師たちを、ロベルトとファビオは眉間にしわを寄せて見つめていた。とっても珍しいことに、二人は全く同じ表情をしていた。
「……誘拐犯たちの処分については、後日改めて決定する。まずは体を休めろ。……ご苦労だった」
ファビオが重々しく言った。思えば彼も、今回は散々な目に合っている。私のせいで王宮から連れ出され、魔術師の拠点に連れていかれ、あげくの果てには私の巻き添えで殺されかけたのだから。
そう思うとどうにもおかしくなってしまって、ついぷっと吹き出す。そんな私に、ファビオはけげんな目を向けてきた。
「どうかされましたか、ジュリエッタ様」
「いいえ、何でも。……やっと片付いたんだなあって、そう思ってただけよ」
穏やかな気持ちが胸の中に満ちていた。目を細めて、ゆっくりと深呼吸する。
いつの間にか雨は上がり、太陽が顔をのぞかせていた。王宮の向こうに、ほれぼれするほど大きな虹が姿を現していた。
その日の夜、私はミモザと共に王宮に泊まり込んでいた。
正直かなり疲れていたので、家事やらなにやらをこなすだけの気力も体力も残っていなかった。今日はもう、全力でだらだらごろごろしていたい。
王宮の豪華なお風呂に入って、用意してもらった上等の室内着に着替え、部屋まで運ばれてきたごちそうを優雅に食べる。日
頃は小屋で質素に暮らしていることを思えば、かなりの贅沢だ。
「何もしなくてもご飯が出てくるのって、楽でいいわ……」
あとはもう寝るだけだ。ミモザと二人で特大の寝台の上に転がって、気ままなお喋りに花を咲かせる。
このところあれやこれやで忙しくて、こんな風にゆっくり話す機会が中々持てなかったのだ。
「長年あちこちを旅して、色んなところに泊まったけれど、やっぱりここが一番豪華だよね」
「宿屋と王宮を同列に考えるのはどうかと思うけれど、私もそう思うわ」
「あっ、でも思いっきり高級な宿だったら、似たような感じかもしれない。泊まったことがないから分からないけれど」
「その可能性はあるわね。うんと大きな街の、一番いい宿屋なら。いつか、そういうところにも泊まってみましょうか」
「そうだね、そうしよう。また楽しみが増えちゃったな」
それっきり、二人して黙り込む。でもそれは、とても心地良い静寂だった。しばらくその時間を楽しんでから、ミモザがぽつりとつぶやく。
「……ねえ、そろそろ辺境の小屋に戻らない?」
「そうね、確かにここに長居しちゃったし……でも冬からずっと小屋がほったらかしになっているから、片付けも面倒よね……掃除とか、雑草抜きとか」
「だったら、どこかに遊びにいく? 畑にも何も植えてないし、ちょうどいいんじゃないかな」
目を輝かせて、彼は語る。
「辺境の小屋に戻るのは次の冬か春先くらいまで延ばして、それまでの間にあちこちを見て回ろうよ。……僕たちがここにいると、魔術師の人たちが落ち着かないみたいだし」
「ふふ、いい案だと思うわ。もう少しだけ様子を見て、ヴィットーリオたちが大丈夫そうなのを確認してからね」
私の答えを聞いたミモザは、わあいと歓声を上げながら寝台の上で跳ねた。そのまま私の隣に転がり込んで、私をしっかりと抱きしめる。
「どこに行こうか。今から楽しみだなあ」
「私もよ」
「けどね、僕はどこでもいいんだ。あなたがいてくれれば、どこだって」
「ええ、私も同じよ。二人一緒なら、どこだって楽しいもの」
「困ったね、これじゃいつまでたっても行き先が決まらないや」
「焦らなくてもいいんじゃない? 時間は、たっぷりあるもの」
笑いながらミモザを抱きしめ返す。額と額を合わせて、くすくすと笑う。
「……それにしても、魔術師の人たちが戻ってきて良かったね」
「ええ。一時はどうなるかと思ったけれど、どうにかなったみたい」
「ほんと、思った以上の大ごとになっちゃったよねえ……ふわああ」
ミモザが目を閉じて、のんびりとあくびをする。そうやって抱き合ったまま、私たちはゆっくりと眠りに落ちていった。
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