第90話 力を合わせて
ヴィットーリオとロベルト、それにファビオの三人は、兵士たちに守られながらいったん王宮に戻ることになった。川の氾濫に備えて、そちらでも手を打ってくれるらしい。
彼らは連絡と、それと警備のために使い魔を連れていったから、何かがあってもすぐに手を打てる。
これでやっと安心して自由に動けるようになった私とミモザは、川がせき止められている現場に駆けつけていた。
魔術師たちが火の魔法で森の中に作り上げた、笑えるくらいにまっすぐな真新しい道を通って。風の魔法で自分の背中を押すようにして、いつもよりずっと速く駆け抜けていった。
そうして、そこに広がる光景を見て絶句した。
元々はゆったりとした大きな流れだっただろう川は、ちょろちょろとした小川に姿を変えてしまっていた。
そしてその途中に、流木と土砂がたっぷりと積み上がった高い壁がそびえていた。この壁が、川をせき止めてしまっているのだ。
ここからは上がどうなっているか見えないけれど、作業している魔術師たちの表情からすると、状況はよくないようだった。
「うわあ……あの壁の結構上のほうから、水音がするんだけど……」
「そうなの、ミモザ? だったらかなり水がたまってしまっているのね」
ひとたびあの壁が崩れてしまえば、大量の水と土砂が行く手にあるものを片っ端からなぎ倒して、飲み込んでしまうだろう。そんなことになったら、下流にある村や畑は壊滅してしまう。
「近くの村に、避難するように使いを出してはいるようだが……人はともかく、家や畑はさすがに避難のさせようがないしな」
難しい顔をしたシーシェが、口を固く引き結ぶ。そんな私たちに、メリナが声を張り上げる。
「さあ、無駄口を叩いていないで、私たちもさっさと作業に取りかかりましょう!」
そう叫ぶと、彼女は流木と土砂の壁に向かって手をかざす。どうやら障壁の魔法で壁を支えているらしい。その周囲には、同じように構えて魔法を使っている魔術師が何人もいた。
「そうだな。じゃあ俺も行ってくる。また後で、ジュリエッタ、ミモザ様」
シーシェもそう言うと、迷うことなく壁の上側に向かっていった。彼は転移の魔法以外の応用魔法が使えないから、私たちとは持ち場が別になる。
「それじゃあ、私たちも行きましょうか」
私とミモザも壁の上に向かう。ミモザがさっき言っていたように、壁の上には寒気がするくらい水がたまっていた。そしてその湖畔では、魔術師たちがかがみ込んで魔法を使っている。
その魔術師たちに合流して、私たちも加工の魔法を使い始めた。上流側にできてしまったこの湖から水路を掘り、川の下流側とつないでいく。そうやって、たまった水を少しずつ抜いていくのだ。
ずっと上のほうから、次々と指示が飛んでくる。飛行の魔法を使って、上空から状況を確認している魔術師たちだ。
その指示に従い、私たちは掘って掘って掘りまくった。水路の内壁はしっかりと固め、余った土を盛り上げて堤防代わりにして。
この作業、前にもやったことがある。辺境の小屋の近くに川から水を引いた、あの時だ。
掘って固めて、積み上げて。さらに掘って、ばんばん固めて。なんだか楽しくなってきたかも。ふふ、順調。今が大変な状況だっていうのは分かっているんだけど。
「……あれが、魔女の力か……」
「信じられない、あんな速度で加工の魔法を使えるなんて……」
そんな声が周囲から聞こえてきたけれど、気にしないことにした。
高速で穴が掘れるからって、別に偉くもなんともない。私にとって加工の魔法とは、生活をとっても便利にしてくれる素敵な力でしかなかったし。魔術師たちは、魔法を特別視しすぎだと思う。
「はい、水路一本掘り終わったわ。水を流してちょうだい」
私の声に、周囲の魔術師たちはようやく我に返ったようだった。水路と湖をつなぐ土の塊を、彼らがあわてて取り除く。
と、掘ったばかりの水路に濁った水が流れ込む。流れはすぐに勢いを増して、下流の川に穏やかに合流していく。はい、完成。
「この調子で、ばんばん掘っていこうか」
ミモザもすっかり作業にのめり込んでいて、中々の速度で水路を掘り続けている。魔術師たちはそんなミモザのことを複雑な顔で見ていた。
特に、さっきミモザに思いっきり脅された馬鹿者たちは、みんな魔法を使う手が震えてしまっていた。この分なら、ここを抜け出して悪さをすることもないかな。
風の魔法で雨を弾く余裕すらなく、みなびしょ濡れになりながら懸命に手を動かし続ける。
お互い思うところは色々あるけれど、私たちの目的は同じだった。川の氾濫を阻止し、民を、この国を守る。
「全員、水辺から離れてください!」
不意に、上空からそんな声が聞こえてきた。考えるより先に体が動き、ミモザと一緒にその場を離れる。
いつの間にか、湖の水位もすっかり下がっていた。全員が退避したその時、土砂の壁がいきなり爆散して、水が勢い良く流れ出てきた。
その水は元の流れに合流して、そのまま川を満たし……よし、あふれていない。成功だ。
ほっと安堵のため息をついたとたん、上からまた声がかかる。
「さあ、次の現場に向かいますよ!」
そう言えば、川がせき止められている場所はもう一か所あるのだった。正直疲れてきていたけれど、そちらを放っておく訳にもいかない。
私たちは重い体を引きずるようにしながら集まり、何も考えずにひたすら歩いた。森の中にできた、まっすぐな道を。
幸い、次の現場はそう遠くはなかった。けれどこちらにも、うんざりするくらい水がたまってしまっている。見たところ、残されている時間はあまり長くない。
みんな疲れているのか動きが鈍くなってきているし、口数も少ない。残った体力と魔力の全てを注ぎ込んで、黙々と魔法を使い続ける。
「よし、みんな退いてくれ!」
上空からそんな声が聞こえた時には、もうくたくただった。足を引きずるようにして水辺を離れようとした拍子に、木の根につまずく。
「お疲れ様、ジュリエッタ」
転びかけた私を、ミモザがそっと抱き留めた。彼もずっと働き通しだったのに、さほど疲れた顔はしていない。
「どうにかなったみたいだね。頑張った甲斐があったよ」
穏やかに流れていく水を眺めながら、ミモザが心底ほっとした声でつぶやいた。
「ええ、本当に良かった。……でもさすがに、疲れたわ」
ミモザの腕につかまったまま、彼の胸に頭をもたせかける。しっかりと私を支えてくれる感触に、つい笑みがこぼれた。
「だったら、しばらく僕が抱いて運んであげようか?」
「そうね、だったら少し、甘えてしまおうかしら。でも、あなたも疲れてるんじゃないの?」
「大丈夫だよ。僕のほうがあなたよりずっと体力があるんだし、あなたは軽いから。いくらでも甘えてよ」
「あなたみたいな頼れる伴侶がいるなんて、私は幸せ者ね」
その言葉に、ミモザがとても嬉しそうに微笑む。子供の頃から変わらない、天使のような透明な笑みだ。
そっと手を伸ばして、彼の髪に触れる。あちこちにこびりついている泥をせっせと拭っているうちに、なんだか楽しくなってしまった。
「ちょっとくすぐったいよ、ジュリエッタ」
くすくすと笑いながら身をよじるミモザを追いかけるようにして、頭をよしよしとなでる。
「いいじゃない、あなたはとっても頑張ったんだもの。ヴィットーリオを見つけて、誘拐犯たちにおしおきして、川の氾濫を食い止めた。偉いわ、ミモザ」
「だったらあなたも頑張ったよ。ほら、いいこいいこ」
今度はミモザが、同じように私の頭をなでてきた。とても優しく。
「ふふ、ありがとう。あなたに子供扱いされるのも新鮮ね」
そんなことを言い合いながら、二人顔を見合わせて笑う。その時、周囲がどことなくざわついていることに気がついた。
「……魔女も竜も、案外普通なのかもな」
「あれじゃあどう見ても、ごく当たり前の恋人か夫婦だぞ」
「人前で堂々といちゃついてるあたり、確かにそんな感じだな」
「あんなに綺麗な男性が恐ろしい竜って言われても、ねえ……」
「先ほど不届き者を叱りつけていた時の暴れっぷりは凄まじいものでしたが、どうも本来は温和な方みたいですしね」
魔術師たちは遠巻きにこちらを見ながら、こそこそとそんなことを話している。
共に難局を乗り越えたことで私たちへの警戒や反感も薄れた……ような気はするけれど、今度は少しばかり呆れられているような気もする。まあいいか、別に困らないし。
ミモザの胸にもたれかかったまま、そっと顔を上げる。すぐ近くに、ミモザの笑顔があった。無言でお互いの目を見つめて、小さくうなずき合う。
魔術師たちは私とミモザのことをずっと危険視していて、それが今回の騒動につながってしまった。でもこの長雨のおかげで、どうやらそのわだかまりも解け始めているように思える。
「……これでやっと、ゆっくりできそうだね」
私のそんな考えを見透かしたように、ミモザがひときわ柔らかく微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます