第89話 国を守る者たち

 辺りで炸裂するどんな魔法よりも大きな轟音に、魔術師たちは一斉に動きを止めた。宙を舞っていた魔術師の一人が思い切り高く舞い上がり、西のほうに目をやって叫ぶ。


「西の川の支流で、洪水が起こった!」


 雨が続くと、流れてきた倒木や土砂が壁のようになり、川をせき止めてしまうことがある。そうなると、行き場をなくした川の水はそのすぐ上にどんどんたまっていく。


 その状態がしばらく続くと、たまった水の重みが倒木と土砂の壁を壊して、ものすごい勢いで一気に流れ落ちていく。通り道のものを片っ端からなぎ倒すくらいに強い、恐ろしい流れだ。


 倒木や土砂に加えて、途中の木々や岩なんかを巻き込んで流れるから、普通の人間が巻き込まれたらひとたまりもない。あれは水の流れなんて生易しいものではない。


 きっと、西の川の支流でもそんなことが起こったのだろう。下流の村などのほうに流れ込まなければいいのだけれど。


「……間に合わなかったか」


 ヴィットーリオが口惜しそうに顔をゆがめ、小声でつぶやいている。決して彼は悪くない、悪いのはあの魔術師たちだ。


 その時、空の上からまた叫び声が聞こえた。


「もう二か所、せき止められているところがある! 早く手を打たないと、まずいぞ!」


 どよめきが辺りに満ちる。いつの間にか喧嘩は終わっていた。


 そんな魔術師たちに目をやって、ミモザが目を細める。


「たぶん、今から兵士を送っても間に合わなさそうだね。水のはけ口を作って、木や土砂を動かして……かなりの人数が必要になりそうだし、時間もかかる」


「というより、送り込まれた兵士の身も危険なんじゃないかしら」


「そうだね。だったら、僕が行こうか」


「待ってくれ」


 すっと西のほうを向いたミモザを、シーシェが呼び止める。


「ミモザ様、あなたならこの状況をすぐに解決することができるだろう。だが、できれば……俺たちに、俺たち人間に任せてはもらえないか」


 そうして彼は、魔術師の群れに呼びかけた。大きく息を吸って、腹の底から声を出して。


「みんな、聞いてくれ! 今こそ、俺たちが一致団結する時だと思うんだ!」


 魔術師たちのざわめきが、少し小さくなった。すかさずメリナが使い魔を複数飛ばし、あちらとこちらが話しやすいよう手助けする。


 シーシェがちらりと彼女を見て、嬉しそうに微笑んだ。それから、また声を張り上げる。


「ミモザ様に頼めば、西の川をどうにかすることはできるだろう。でもそうしたら、『白き竜の神』の逸話が、また一つ増えるんだ」


 それは困る、という声が使い魔を通して聞こえてくる。まるでさざなみのように、ざわざわと。


「そうだろう。だから、俺たちが何とかするんだ。この国を守る魔術師である俺たちが、ここで頑張らずに、いったいいつ頑張るんだ」


 魔術師たちはぴたりと黙り込み、それからまた何事かつぶやき始めた。さっきまでの戸惑いに満ちた声ではなく、前向きな気合に満ちた声が上がり始める。


 そんな彼らを半目になって眺めていたロベルトが、こっそりささやきかけてくる。


「どうやら、彼らはやる気になっているようですね。この緊急事態においては、普通の兵士よりも魔術師たちのほうが遥かに役に立つでしょう。……少しばかり……いえ、かなり腹立たしいですが」


 彼が言う通り、魔術師たちはさっさと集まって、みんなであれこれと打ち合わせ始めていた。さっきまで大喧嘩していたのが嘘のようだ。


「……拍子抜けするくらいあっさりとまとまっちゃいましたね」


 メリナが呆れた顔で魔術師たちを見ている。さっきシーシェに微笑みかけられたせいか、ほんの少し顔が緩んでいる。とっても嬉しそうだ。分かりやすいなあ、本当に。


「きっと、さっきみんなして大暴れしたのが効いてるんだろう。日々のうっぷんを晴らしたことで、わだかまりも軽くなったんだろうな」


 シーシェはあっけらかんとした顔でそんなことを言っている。メリナがものすごい呆れ顔で彼を見た。あなたってやっぱり単純よね、という言葉が彼女の口からもれまくっている。


「さあメリナ、俺たちも行こう……ミモザ様、俺たちに任せてくれてありがとう」


 そう言うと、シーシェはこちらに会釈する。そのまま二人は、魔術師たちの話し合いに加わっていった。


「ところで、誘拐犯たちも解放されて話し合いに加わってるんだけど……いいの、あれ?」


 さっきから気になっていたことをそろそろと口にして、ちらりとヴィットーリオを見る。ヴィットーリオは重々しくうなずいて、すぐに答えた。


「はい。彼らは罪を犯しましたが……今はそれよりも、民に迫らんとする災害を食い止めなくてはなりませんから」


「大丈夫だよ。あの人たち、心底震え上がってたから。それにもしヴィットーリオにまた何かあったとしても、また僕が匂いを追いかけていくよ」


「はい。お二人がいてくれれば、私はもう怖くありません」


 そう言って、彼はちょっぴりはにかんだ笑顔を見せてくれた。




 じきに、魔術師たちがてんでに動き始めた。


 空に舞い上がった数人が上から状況を報告し、それを受けて長が指示を出す。そしてその指示は、メリナたちの使い魔であちこちに伝えられていた。


 また別の数名は倒れている兵士のところに向かうと、何やら魔法を使って次々と目覚めさせている。兵士たちはすぐに、こちらに駆け寄ってきた。


 残りの魔術師たちは一列になって、川がせき止められている現場があるらしい方向に向かってまっすぐに突き進み始めた。


 あのままだと道すらない森にぶち当たるけれど、どうするつもりなのだろう。


 そんなことを考えながら、ミモザたちと一緒に魔術師たちを見守る。そして、疑問はすぐに解決することになった。


 先頭の数人が一斉に手のひらを前に向けたと思ったら、そのまま森に突っ込んでいったのだ。


 次の瞬間、彼らの行く手の森にぽっかりと道ができていた。ちょうど彼らが通れる幅だけ、木々が消滅したのだ。よく見ると、辺りには灰が舞っている。


「……火の魔法の応用みたいね。燃やすのを通り越して、一瞬で灰にしているみたい」


 じっと見守る私たちの前で、魔術師たちはどんどん森に分け入っていった。もう、先頭のほうは見えない。


 それを見ていたら、ふと思いついたことがあった。隣に立つミモザをそっと見上げる。


「ねえ、ミモザ」


「うん、ジュリエッタ」


 互いの意思を確認するには、そんな短いやり取りだけで十分だった。


 近くにいたメリナの使い魔に頼んで、ヴィットーリオの周囲の警備を厳重にしてもらう。


 それからミモザと手を取り合って歩き出した。報告を聞きながら、あれこれと指示を飛ばし続けている長のもとへ。


 長は近づいてくる私たちに、それは見事な仏頂面を向けてきた。うん、やっぱり嫌われている。


「どうしたのですかな、魔女に白き竜よ。我らは西の川がこれ以上氾濫する前に手を打たねばならんのです。あなた方と話しておきたいことは多々ありますが、後にしていただけますか」


 長の言葉にはちくちくとしたとげがひそんでいたけれど、あえて空気は読まずににっこりと笑って答える。


「ねえ、私たちにも手伝わせてもらえないかしら。シーシェから聞いているかもしれないけれど、私は加工の魔法が得意なのよ。ミモザもそこそこ魔法を使えるわ」


「僕は確かに竜だけど、この姿をしていれば誰もそんなことには気づかないよ。ね、だからお願い。この一大事に見ているだけなんて嫌だから」


 規格外に美しい顔に可愛らしい笑みを浮かべて、ミモザが長に食い下がる。祖父に甘えている孫のようにしか見えない。


「うむ、ぐぬぬぬぬ……」


 長は大いに葛藤しているようだった。顔をぎゅっと寄せているせいで、しわしわの顔がさらにしわだらけだ。


 川が氾濫すれば、下流の村が飲み込まれてしまうかもしれない。だからその前に、大急ぎで作業を済ませなくてはならない。


 水を逃がす水路を掘ったり、氾濫に備えて堤防を作ったり。やることはとても多い。加工の魔法は欠かせないし、人手は一人でも多いほうがいい。


 そして私は、黙っていればただの小娘だ。さらにミモザもとても美しいごく普通の青年にしか見えない。


 私たちが魔術師たちに混ざっていたところで、さほど怪しまれることはないだろう。ましてや、彼を白い竜の神様だと思う者なんていないに決まっている。


 長にも、そこのところは理解できているはず。でも、彼はすぐにうなずきはしなかった。


 分かってはいても、私たちの力を借りるのはしゃくに障る。今までさんざん敵視して、牢に押し込めたりもした。そんな相手と、そう簡単に和解してたまるか。長の顔には、そう書いてあるようだった。


 眉間にしわを寄せてうなっている長めがけて、駄目押しとばかりに言葉を投げつける。このままでは、らちが明かない。


「この国を守るためよ。迷っている場合じゃないでしょう」


 この国のため、という言葉は、的確に長の心に刺さったようだった。彼の表情が明らかに揺らぐ。


 それでも長は、しばらくの間困ったように口を固く引き結んでいた。しぶといなあと次の言葉を探していたら、ようやっと長が首を縦に振った。


「……分かりました。ただし、あなた方もわしの指揮下に入っていただきますが、よろしいかな」


「ええ、いいわ」


「うん、もちろんだよ。みんなで力を合わせないとね」


 私たちが即答したことに驚いたのか、長はしわに囲まれた目を大きく見張っている。


「今の私たちは、あなたの配下よ。せいぜいこきつかってちょうだい。さあ、指示を出して」


「そうそう。僕も彼女も、魔術師と似たようなものだし。ほら、時間がないんでしょう」


 二人がかりで急かしてやると、長は戸惑いながらも威厳たっぷりにうなずいた。


 こうして、魔術師たちと私とミモザによる、初めての共同作業が始まったのだった。

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