第71話 脅迫、捕縛、そして
「今、なんて言ったの?」
とんでもない言葉に足を止め、振り返る。
長は相変わらず座ったまま、妙に自信たっぷりに笑っていた。その後ろのシーシェは、訳が分からないといった顔でぽかんと長を見つめている。入り口周辺の魔術師たちは、みんな真っ青だ。何だろう、この表情の違いは。
「おや、聞こえませんでしたかな。あなたがここを出ていけば、多くの死人が出ます。それだけのことですよ」
「だから、それじゃ分からないわよ。ちゃんと説明してもらえるかしら?」
じれったさにまたいら立ちつつ、そう頼む。長はにやりと笑い、さらにとんでもないことを口にした。
「今我らが暮らしているこの洞窟には、密かに爆発の魔法陣を刻んであるのです。わしが起動の言葉を口にすれば、たちまちにしてこの洞窟は崩れ去ります」
「えっ、ちょっと本気なの?」
裏返った声でさらに尋ねると、長はやけにゆったりと答えた。
「ええ、本気ですとも。このことを知っているのは、わしとそこにいる数名のみ。後の者は何も知りません」
ああなるほど、シーシェがぽかんとしているのと、魔術師たちが青ざめて震えているのがなぜなのか、ようやく分かった。
「そして洞窟が崩壊すれば、我らはみな崩れてくる岩に巻き込まれて終わるでしょう。シーシェと他数名の、転移の魔法を使える者以外は」
しわの奥に埋もれた長の目が、静かにこちらを見すえる。そこには、ぞっとするような底知れない光が宿っていた。
どうやら長は、自分たちを人質として私を脅迫しているらしい。というか私も、こんなところで洞窟が崩れてきたらどうしようもない。
とっさにどこかの隙間に逃げ込めることができれば、加工の魔法で岩を掘って外に出ることは可能だと思う。
でもファビオを守り切る自信はないし、名前も顔も知らない魔術師たちを見殺しにするのも嫌だった。
「魔女よ、あなたならこの局面を切り抜けられるかもしれない。ですがあなたは、自分の行いのせいで多くの者が死んだという事実に耐えられますかな?」
長の顔に浮かんでいるのは、勝利の笑みだった。私は魔術師たちを見殺しになどできないと、彼は確信しているようだった。
驚きと怒りに、身が震える。押し殺した声で、長に言葉を叩きつける。
「だったら、王宮から出ていくと約束すればいいのかしら? ここにいる人たちを救うためには」
「いいえ、もはやそれでは足りませぬ。あなたが素直に約束を守ってくださるとは、到底思えませんので」
長はとっても愉快そうだ。ああ、できることなら一発平手を入れてやりたい。
「ひとまずは虜囚としてここに留まっていただきましょう。あなたを餌にして、白き竜をおびき出せればいいのですが」
「……長、どうしてそのようなことを! 彼女は決して、有害な存在ではありません!」
とうとうこらえきれなくなったらしいシーシェが、長の方に進み出ながら叫ぶ。彼の浅黒い顔は、すっかり青ざめていた。恐怖にではなく、憤りに。
そんな彼に、長はもったいぶった態度で答えている。
「やはりお前には理解できぬか、シーシェ。我らは何としてでも、ここで魔女を足止めせねばならぬのだ。魔女と竜を確実に追い払うために。なに、魔女が大人しく従ってくれさえすれば、誰も傷つくことはない」
なおも余裕たっぷりに笑う長から目をそらし、隣のファビオを見つめる。彼の顔色も、シーシェに負けず劣らず悪かった。
どうやら、この場はおとなしくしている他ないようだった。でも一つだけ、あがいておきたい。
「……分かったわ。この場はあなたたちに従う。でも、ファビオだけでも見逃してもらえないかしら?」
私がしゃしゃり出てきたから、ファビオはここに来ることになった。いわばファビオは、私の巻き添えを食ったようなものなのだ。
その言葉を聞いた長は嬉しそうに笑い、骨が浮き出た肩をゆっくりとすくめた。
「よいでしょう。ですが、すぐにという訳には参りません。我らにも計画というものがありますのでな」
むかつくほどの余裕を漂わせ、長はファビオに向き直る。
「しばらくは客としてこちらに留まっていただき、折を見て王宮にお連れしましょう。それでどうですかな、ファビオ様?」
「……元より私に決定権などないのだろう」
すさまじく低い声で、恐ろしく不機嫌そうにファビオがうなる。彼がにらみつけていたのは私ではなく長だったけれど、その迫力に思わず私まですくんでしまった。
あわててファビオから目をそらした拍子に、今度はシーシェと目が合った。
彼は明るい緑の瞳に真剣な色を浮かべて、食い入るように私を見ている。出会った時からずっと彼が見せていた、明るく軽妙な雰囲気は消え去ってしまっていた。
その目が、こちらを見た。何かを言いたそうな、そんな目だ。ただその様子から察するに、長やその配下の前では話せないことなのだろう。
どうにかして、彼と話す時間を作れないだろうか。けれど私が何かをするよりも先に、長が魔術師たちに指示を出した。
そうして私はファビオとも引き離され、洞窟の牢に幽閉されることになってしまったのだった。
けれど。
「あの場では従うって言ったけれど、そのあとで抵抗しないなんてひとことも言っていないものね」
窓のない小部屋で、そんなことを小声でつぶやく。さっきからのいら立ちを吐き出すようにして。
ここは壁も床も天井も分厚い岩壁だし、頑丈な扉は鉄でできていた。ちょっとくらい独り言を口にしたところで、外には聞こえないだろう。
「まずは、状況を把握しないとね。響く音の魔法を使って……」
岩壁に手を当てて、意識を集中する。掌から魔法の音が放たれて、岩壁の中に広がっていく様を想像するのだ。
そうして音の反響を聞き取ることで、見えないところがどうなっているかをある程度知ることができる、そんな応用魔法だ。
森の鉱脈なんかを探すのに役立つかもしれないと思って、だいぶ昔にこの魔法を学んだのだ。今のところ鉄の鉱脈くらいしか見つけられていなかったけれど、ミモザと二人して森を探検するのはとても楽しかった。
「……ミモザ、心配するでしょうね。早く戻らないと……」
ミモザのことを思い出したとたん、ひとりでにため息がもれる。彼と長く離れているのは寂しい。
でもそれ以上に、何が何でも早く戻らなくてはならない切実な理由があった。こんなところにいつまでも閉じ込められている訳にはいかない。
彼はああ見えて、人間の常識にはかなり無頓着なところがある。それに何よりも私のことを最優先に考えていて、その他のことは二の次だ。
だから、今の状況は大変によろしくない。予定の期日を超えても私が戻らないとなれば、彼がどんな行動に出るか想像がつかない。
「……脅されて捕らわれたなんてミモザが知ったら、間違いなく怒り狂うでしょうしね……」
もう一度、深々とため息をつく。竜の姿でこちらに突っ込んできて、諸悪の根源である魔術師たちを叩きのめすミモザの姿が容易に想像できてしまった。
心優しくて器用な彼のことだから殺しはしないと思うけれど、魔術師たちを徹底的に震え上がらせにかかるのは間違いない。二度と逆らう気が起きなくなるくらいに、容赦なく。
「ほかでもない魔術師たちのために、一刻も早く逃げ出さないと」
そんなことをつぶやきながら、なおも岩壁を探り続ける。しかしどうにも魔法が不安定だ。
どうやらここには、魔法封じの魔法陣か何かが仕掛けられているらしい。効果範囲内の魔法を邪魔できる、そんな魔法陣が。見たことはないけれど、存在だけは知っている。ふうん、こんな感じになるのか。
「……そう。だからといって、はいそうですかと引き下がる訳にはいかないのよ」
にやりと笑って、両手をしっかりと岩壁に沿わせる。魔法封じの魔法陣をどうにかするには、魔法陣の威力を上回るくらいの魔力を注ぎ込んだ魔法を使えばいい。
こうなったら力比べだ。さっき長にしてやられた分のうっぷんを、まとめてここで晴らしてやろう。さあ、勝負だ。
うふふふ、という不穏な笑い声が自分の唇からもれるのを他人事のように聞きながら、私はひたすらに魔法を使い続けた。
そうしてその日の深夜、私はあっさりと外に出ることに成功していた。後は誰かに見つかる前にここを離れてしまえばこちらのものだ。
牢に放り込まれてすぐに、私は響く音の魔法を使って地表への最短距離を探り当てた。
それから加工の魔法でちまちまと岩壁を掘って、外につながる通路を作ることに成功したのだ。
魔法封じの魔法陣のせいで最初のうちはちょっと掘りにくかったけれど、こつをつかめば余裕だった。だてに百年近く加工の魔法を使いまくっている訳ではない。
それはそうとして、一つ引っかかることもあった。そうやって作業している間、誰も様子を見にやってこなかったのだ。
物音は立てないよう気をつけていたけれど、それにしてもちょっとずさんではないだろうか。おかげで楽ができたけれど。
たぶん彼らは、私がこの部屋から出ることはできないと、そう踏んでいたのだろう。魔法封じの魔法陣を信頼し切って。
彼らの予想よりも私の魔力が高く、そして私が加工の魔法にとっても習熟していた、それが彼らの敗因だろうな。
薄く微笑みながら、大急ぎで通路をくぐり抜ける。すると、うっそうと茂る深い森に出た。
どうやら、あの岩山からは多少なりとも離れたところに出られたらしい。今出てきた穴を元通りにふさぎながら、ほっと一息つく。これなら、見つからずに街道に出ることも可能かもしれない。
ただ、問題が一つ。ここがどこだか分からないのはまあいいとして、方角すら分からない。木々が邪魔をして星がろくに見えないのだ。
「……まあ、適当に進んでみましょうか。朝になったら、方角も分かるわ」
あとは、ひたすらに下り坂を進んでいけばいいだろう。うっかり上っていったら、またあの岩山にたどり着いてしまうかもしれないし。
そうして何の気なしに、一歩踏み出す。
次の瞬間、私は誰かにしっかりと口を押さえられていた。
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