第69話 もめ事の中心地

 本来の追放先である古い砦から離れた、高い岩山の壁に空いた大きな洞窟のようなもの。よく見るとその壁面はやけに滑らかで、人の手が入っていることがはっきりとうかがわれる場所だった。


 シーシェはここを、自分たちの新しいねぐらだと言った。だったらこの洞窟は、加工の魔法で掘ったものなのか、あるいは自然の洞窟に手を加えたものなのか。


 ともかく、この奥がどうなっているのかがとても気になる。


 つま先立ちで洞窟の奥を見ようとしている私とは対照的に、魔術師たちはただひたすらに困惑しているようだった。


「シーシェが戻ってきたってことは……」


「あれが、魔女? 魔力は高いみたいだけど、本当に普通の女性にしか見えない……」


「百歳超えてると聞いたが、まるで十代の少女だな」


 彼らはそんなことをひそひそとつぶやきながら、遠巻きにこちらを見ている。


 面白半分に笑いかけてやったら、全員が同時にびくりと飛び跳ねた。どうやら少しばかり怖気づいているらしい。しかしこの反応、ちょっと楽しいかも。


「初めまして、私が辺境の森に住む『魔女』ことジュリエッタよ」


 今度はことさらに明るく、無害であることを強調するように穏やかに笑いながら自己紹介してみた。


 彼らは無言ながらも、ぺこりと頭を下げてきた。みな大いに戸惑ってはいるようだけれど、今のところ敵意は感じない。


「ジュリエッタ、ファビオ様。こんなところで立ち話もなんだし、まあ入ってくれ」


 そんな私たちを笑いながら見ていたシーシェが、無造作に歩き出した。私とファビオに手招きしながら。行く手を塞ぐ形になっていた魔術師たちは大あわてで左右に分かれ、道を空けた。


 そのまま三人で、岩がむき出しになった通路を進んでいく。この壁、やっぱり加工の魔法を使っている気がする。床も。


 そんなことを考えていたら、前を行くシーシェの背中にぶつかってしまった。


「あら、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたものだから」


「いや、構わない。どうやらここが気になっているようだから、ちょっと立ち止まって見てみたらどうかと思ってな」


 いつの間にか私たちは、大広間のようなところに出ていた。ちょっとした舞踏会くらい開けそうなくらいに広い。


 天井は高く、上のほうには明かり取りの窓がいくつも開いている。そこからそよ風が吹き込んでいて、岩山の中の洞窟とは思えないくらいに心地良かった。魔法の光も灯されていて、とても明るいし。


 さらに奥に向かって、幅の広い廊下が伸びている。廊下の両側には、木の扉がずらりと並んでいた。王宮を散歩している時に見た、近衛兵の宿舎みたいな感じだ。


 それと、廊下の突き当たりにも扉がある。遠くてはっきり見えないけれど、ちょっぴり扉の装飾が派手なような。


 そして今、廊下の扉はあちこち開いていた。その扉の陰から、おそらく魔術師と思われる人たちが顔をのぞかせている。そこに浮かんでいるのは好奇心だったり、戸惑いだったり。


 ただ、みんな健康そうだ。事情を知らなければ、ここが魔術師のもう一つの仕事場か何かなのかなと思ってしまうくらいに。


「洞窟がねぐらなんて、聞いた時は驚いたけれど……思ったよりずっと居心地が良さそうね。魔術師はみんな一緒にここに住んでいるの?」


 ふとそんなことをつぶやくと、シーシェは嬉しそうに笑った。それから流れるような動きで、私の耳元に顔を近づけてきた。


 ファビオが不機嫌な声で、離れろと言っているのが聞こえる。しかしシーシェはお構いなしに、ひそひそとささやいてきた。


「ああ。住めば都、ってやつで、俺は気に入ってるんだが……王宮が恋しくなっているやつも、少なからずいるな。こっそり集まって、帰りたいって愚痴ってるんだ」


「シーシェ、そんなことを喋ってしまっていいの? どうも今までのあなたの口ぶりだと、長は王宮に戻りたがっていないように思えるのだけれど……」


「良くはないな。弱音を吐くなとか言って叱ってくる連中もいるから。……俺がこんなことを喋ったというのも、長には秘密で頼む」


「はいはい、分かってるわよ」


 この一日ほどの間に、彼のこんな物言いにもすっかり慣れてしまった。軽く言ったら、シーシェは嬉しそうにうなずいた。


 もっともファビオのほうはまだ慣れていないらしく、額に青筋を浮かべている。弱音も何も、さっさと戻ってくるべきだろうとか、そんなことを言って。


 ロベルトがさんざん言っているように、やっぱりファビオは堅物だ。まあ、いずれ慣れるだろうし今のところは放っておこう。


「さあ、そろそろ行こうか。そこの廊下の突き当たり、その扉の向こうに長がいる」


 そう言って、またシーシェが歩き出す。彼に続いて私とファビオも、奥の扉へと向かっていった。魔術師たちの視線を、両側から浴びながら。




 奥の間に通された私とファビオは、部屋に入るなり揃って目をむいた。思わず声を上げそうになるのを、ぎりぎりのところでこらえて。


 岩壁がむき出しのままだった廊下や大広間とはまるで違い、奥の間はこれでもかというくらいに飾り立てられていたのだ。


 豪華な扉だなと思っていたけれど、やっぱり明らかにこの部屋だけが色々と特別だった。


 中央の床には絨毯が敷かれ、部屋の壁には大きな織物が何枚もかけられている。どちらも、長い歴史を感じさせる立派なものだ。


 織物のかかっていない岩肌には、細かな彫刻が施されている。加工の魔法を使えば、彫ること自体は簡単だ。でも、ここまでみっしりと彫り込むのはどう考えても面倒くさい。何人がかりでやったんだろうか。


 そして部屋の中央には、古くどっしりとした木の椅子が置かれていた。恐ろしく年を取った、干からびた感じの老人が腰を下ろしている。


 彼もまた他の魔術師たちと同じような服を着ていたけれど、さらに豪華な布を肩にかけ、様々な石をちりばめた首飾りも着けていた。


 この派手な老人が、きっと魔術師たちの長なのだろう。シーシェの話しぶりからすると、面倒くさそうな人物みたいだけれど。


 そうやって室内を観察していると、シーシェがすっと進み出た。さっきまでよりずっとかしこまった仕草だ。


「長、ファビオ様と魔女をお連れしました」


「ご苦労、シーシェ。下がっていいぞ」


 ところがその時、ファビオがいきなり割り込んだ。


「……長。お前には聞かねばならないことが山のようにある」


 あら、不穏な声音。ここに来てから彼がいつも以上に無口だなとは思っていたけれど、どうやら色々腹の中にため込んでいたらしい。


「お前たち魔術師はなにゆえに陛下の命に背き、王宮への帰還を拒むのか。そしてなぜ勝手に砦を離れ、こんなところにいるのか。答えろ」


 その声には、まぎれもない怒りがにじんでいる。なるほど、彼を怒らせるとこういう感じになるのか。


 まあ、彼の気持ちも分からなくはない。魔術師たちが素直に帰ってきていれば、彼がこんなところまで来なくても済んだのだ。


 そしてこうして王宮を留守にしている間も、彼の仕事はどんどん溜まっているに違いない。一刻も早くこの問題を片付けて、王宮に戻りたい。それが彼の本心だろう。


 もっとも、ファビオをここまで引っ張り出してきた張本人は私なのだけれど。そんな言葉をこっそりとのみ込んで、のんびりと長とファビオのやり取りを見守る。


「それについては、先日の返答の通りにございます。魔女の巣くう王宮から少しでも離れるべく、我らはこちらに移りました。我らの持つ魔法の技術と知識を、守るために」


 偉そうな態度とは裏腹に、うやうやしく長が答える。しわがれた声は、やはり枯れた老人のそれだった。この長、どうにも態度と貫禄が釣り合っていない。


 と、しわに埋もれそうな彼の目が、ちらりとこちらを見た。うさんくさいものを見るようなその目つきにかちんときた拍子に、つい口が出てしまう。


「私がいるから王宮に戻れないって、冗談でしょう? 私は見ての通り、多少魔法が使えて薬の調合が得意なだけの、ごく普通の女性よ。……少々長生きしてはいるけれど」


 胸を張って堂々と答える私を、ファビオがあきれたような目で見ていた。長の死角になる壁際で、シーシェが必死に笑いを噛み殺している。


 二人とも、その反応は私に失礼ではなかろうか。交互ににらんでやったけれど、その態度は変わらない。


 そして長は長で、予想外の返事をぶつけてきた。


「ほう、そうですかな?」


 彼は妙な余裕を漂わせて、にやりと笑ったのだ。……なんとなく嫌な予感がする。隠していたいたずらがばれた時のような、そんな感じの。


「我らの中には、遠見の魔法が使える者もおります。我らはあの砦にいながら、王宮で起こったことを見て、聞いておりました。あなたが来てからのことについても、もちろん」


 見てたの、あれ。嘘、勘弁してよ、と言いかけてすんでのところで踏みとどまる。


 しかしその感情はしっかりと顔に出てしまっていたらしく、シーシェは無言で笑いながら腹を抱えていた。ああもう、他人事だと思って。


 そして長も、どことなく楽しそうに言葉を続けていた。


「あなたの伴侶は白き竜。かつてあなたは彼の威光をもって王宮の兵たちを黙らせ、国をむしばむ害虫たちを力ずくで引きずり出した」


 ぐうの音も出ない。確かに私はミモザと共に、そんな感じのことをやらかした。それはもう、たっぷりと身に覚えがある。


 でもあれは、その場の成り行きというものだ。別にそんなことを企んでいたとか、そういうことではない。


 あの晩、たまたま私たちが王宮に忍び込み、なんとなくレオナルドを連れて逃げた先で、ちょうど大あわてのミモザが駆けつけてきた。


 そんな偶然がこれでもかというくらいに積み重なった結果、ああなっただけだ。悪気はない。ちょっと調子に乗ったのは認めるけれど。


 これらのことについてどう言い訳、もとい説明したものかと首をかしげている私を置いて、長はさらに話し続ける。


「陛下も、そしてヴィットーリオ様も、あなたと白き竜のことをそれは慕っておられる。あなた方が望めば、この国を好きなように変えることすら容易でしょうな」


 そんなことはしないわよと言いかけて、ふと気づく。それをそのまま言ったところで、長は納得してくれそうになさそうだということに。


 どうしよう、この人。私が危険人物だって決めつけている。


 助けを求めるようにちらりと隣のファビオを横目で見ると、彼は苦し気な顔で考え込んでしまっていた。


 たぶん彼は、長の言葉に過去のことを思い出してしまったのだろう。国を好き勝手にしていた連中にあざむかれ、国を傾けることに手を貸してしまったことを。


 どうやら彼の助太刀は、今のところ期待できそうになかった。ううん、どうにかして自分の力でこの長を説得しないといけないのか。大変そうだ。


「あなたはどんな病人も治す魔女として、民に慕われております。そしてあの白き竜は、この国の滅びを救った神としてあがめられておりますな」


 長の声音に、どんどん苦いものが混ざっていく。年月が彼の眉間に刻み込んだしわが、ぐぐっと深くなった。


「この国を陰ながら守るのは、我ら魔術師。それなのに民も貴族たちも、みな我らのことをないがしろにして、魔女だ竜だをもてはやすばかり……」


 そうつぶやく長の顔は、まるでふてくされる子供のようだった。なんだかんだと理屈をつけていたけれど、どうやらこれが彼の本音らしい。


 長の背後では、シーシェがお手上げだとばかりに肩をすくめてみせている。なるほど、こんな事情を知っていたら、彼のあの微妙な態度にもうなずける。


 それはそうとして、ここからどうしよう。ファビオは一人悩んでしまっているし、シーシェは立場上私の味方はしづらいだろう。


 長を説得して、魔術師たちを連れ戻す。たったそれだけだったはずの私たちの任務は、ちょっとばかり、いやかなり面倒なことになっているようだった。

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