第68話 珍妙な三人旅
深い森の中を、シーシェを先頭に並んで歩く。ほとんど道もないような森の中を、彼は自信たっぷりに歩いていた。
「ねえ、あなたはここがどこだか分かっているの? 予想外の場所に転移してしまったみたいだけど」
「問題ない。俺たちはあの砦に追放されてから、その周囲の地形を調べ上げた。ここがどこなのかも、だいたい分かっている」
「まあ、それもそうね。転移魔法の使い手であれば、地形を把握しておくのは必須でしょうから」
「そういうものなのですか?」
私のあいづちに、ファビオが首をかしげた。どうやら彼は、魔法にはさほど詳しくないらしい。
「転移魔法は繊細な魔法だから、移動先をしっかりと頭に描いておく必要があるのよ。良く知らないところに飛ぼうとすると、失敗してとんでもないところに飛ばされてしまう危険があるの」
私が転移魔法を習得できなかった理由の一つが、実はこれだった。
しっかりと意識を集中して、転移したい場所を鮮明に思い浮かべる。その細かくて繊細な作業が、どうにも性に合わなかったのだ。
ちなみにもう一つの理由は、ミモザに運んでもらう方が断然速くて楽だから、だ。
「だから俺に限らず転移魔法の使い手は、あちこち歩き回っていることが多いんだ。転移するかもしれない場所は、自分の目で見ておいたほうが安全だからな。そのせいでみんな、やけに健脚だ」
「……魔法には色々と制約があることは知っていましたが、なんとも奥が深いものなのですね」
私たちの説明に、ファビオは感心したようにうなずいている。
「そういえば、ファビオも魔法は使えないの? ロベルトはからきしだったけれど」
「あいつと一緒にしないでください。一応、貴族のたしなみとして学んではいます。あくまでも、基礎を少々といったところですが」
「ふうん……応用魔法、便利なの多いわよ? 一つくらい練習してもいいんじゃない? 私でよければ教えるわよ」
そんなことを話していると、先頭を行くシーシェが豪快に笑った。
「昔はどうなのか知らないが、今の普通の貴族はさほど魔法に重きを置かない。独学で応用魔法を習得してしまうあなたの方が珍しいんだ、ジュリエッタ」
シーシェは名前で呼ぶのがすっかり気に入ってしまったらしい。少々くすぐったくはあるけれど、特に害はないといえばない。
なので、ひとまず好きにさせておくことにした。ミモザにばれたら面倒なことになるかもしれないななどと思いつつ。まあ、そうなったらシーシェが悪いということで。
そんな私の思惑には気づかずに、シーシェが朗らかに言う。
「やはり、あなたには才能があると俺は思う。あなたも魔術師として俺たちの仲間になってくれたら、嬉しいんだが」
「あいにくと、私は王宮暮らしなんて性に合わないの。遊びに行くくらいで十分よ」
「ならば、そこから通ってくればいい。魔術師の詰め所も、王宮の中にあるからな」
悪びれもしないシーシェの提案に、ファビオが首をかしげつつも低い声で尋ねる。
「……シーシェ。お前たち魔術師は『魔女がいるから王宮に戻れない』と主張していたのでは?」
「ああ、そういえばそうだった、すっかり忘れていた。言われてみれば、長はそんなことを主張しているんだった。いかんいかん」
「……余計なことを話すなと、そう言われているんじゃなかったの? 長とあなたの考えが全然違うんだって、さっきからそう教えてくれているも同然のことばっかり言ってるわよ」
「そうかもしれないが、想像にお任せする。俺は余計なことを話せない……ということになっているが、個人的にはどうでもいい」
またしてもしれっとそんなことを言っているシーシェに、ただあきれることしかできない。シーシェはそ知らぬ顔で、さらにどんどん歩いていった。
これから、おそらく罠か何かが待っている。そんな気がするのだけれど、どうにも緊張感を保てずにいた。シ-シェのせいで。
しばらく歩き続けていたら、やがて夕暮れが近づいてきた。下草をかき分けて進んでいたシーシェが、いきなり足を止める。
「よし、この辺りで野宿にするか。ここを抜けると、しばらく水場がないからな」
そこは柔らかな草が生えた、とても小さな空き地だった。とはいえ、きれいな水をたたえたせせらぎもあるし、休むにはちょうどよさそうだった。
手分けして、野宿の準備を始める。ファビオが細い木の枝を集め、そこにシーシェが魔法で火をつける。
ファビオはシーシェのことを露骨に警戒しているようだったが、シーシェはそれを全く気にしていないようだった。彼はとても朗らかに、そしてファビオに対しても友好的にふるまい続けていた。
初めて顔を合わせた時からずっと、シーシェはやけに気安い。最初は女たらしなのだろうと思ったけれど、どうもちょっと違うような気がしてきた。
彼は友好的で態度が大きくてなれなれしい。けれどその割に、どうにも憎めないところがあるのだ。それはファビオも同じらしく、時々警戒が緩んでしまっている。あれはきっと、ついうっかりほだされてしまったのだと思う。
シーシェは女たらしというよりも、人たらしなのだろう。そんなことを思いながら、その辺の木を切って加工の魔法でこねまわし、人数分の食器をこしらえた。
まさかこんなことになるとは思ってもみなかったので、荷物のほとんどは全部砦の外の馬車の中に置いてきてしまったのだ。まあ、野宿なら慣れているからどうにでもなるけれど。
火もついたし、水もある。さて、次は食料か。
歩きながら野草や木の実を集めてはいたし、私のカバンにはおやつがわりの干し肉、香草と塩、あといくばくかの薬草なんかも入っていた。
でもこれだけでは足りない。飢えはしないけれど、お腹一杯にはならない。
やっぱり、こういう時は魚だ。ずっと歩きっぱなしでお腹が空いた。なんとしても、ちゃんとしたものが食べたい。
忍び足でせせらぎに近づいて、じっと眺める。目を凝らして、一生懸命に魚を探した。
さほど待つこともなく、水の中で魚らしきものがひらりと動くのが見えた。考えるより先に手が動き、魔法で水を操って魚をすくい上げる。
「やった、大物!」
思わず歓声を上げると、ファビオとシーシェが作業の手を止め、驚いた顔でこちらを振り返った。
私が宙に浮かべている水の塊の中には、大きな魚が一匹。それを見て、二人が口々に感想を言う。
「水の魔法に、そんな使い方があったのですか……思いつきもしませんでした」
「おお、見事だな。さすがは『辺境の魔女』、魔法の使い方も一味違う」
「まあね、私は辺境暮らしが長いから。森での暮らしと魔法を使った経験だけで言ったら、そこらの人間には負けないわ」
賞賛のまなざしを送ってくる二人に得意げに答えながら、手際よく魚を調理する。カバンに入れていたナイフでささっとさばき、香草と塩をまぶす。
それから手頃な岩を加工の魔法でぱぱっと変形させ、板状にする。金網があれば一番なのだけれど、さすがにここにあるもので作るのは無理だ。
石板と太い木の枝を組み合わせて焼き台を作って、魚を焼く。ついでに作った石鍋に水と干し肉と野草を放り込んで、ことことと煮た。
そうやって作業をしている私を、二人は目を丸くして見つめていた。
「はい、できたわよ」
石でじっくりと焼いた魚、ありあわせのスープ、デザートは森の中で摘んだ甘い実。森の恵みとありあわせの食材だけの、素朴だけれど盛りだくさんの夕食だ。
そうして二人は、料理を口にしてほうとため息をついていた。
「……ジュリエッタ、あなたがいてくれて良かった。こんな状況で、こんなにおいしいものが食べられるなんて思いもしなかった」
「ええ、同感です」
たっぷり歩いて疲れているせいなのか、久々の質素な食事はびっくりするほどおいしかった。
食事を済ませたら、あとはもう寝るだけだ。昨夜と同じように即席で寝台を三つ作ったところで、突然ファビオが凶悪な顔をし始めたのだ。
「私たちが眠っている間に、彼が何かしないとは限りません。私と貴女で交互に眠り、彼を見張ったほうがよいのでは」
「何か……って、別に大丈夫じゃないかしら。彼は私たちを長のところまで連れていく役目を担っているのだし、危害を加えてくるようなことはないと思うのだけれど」
「ええ、まあそうなんですが……私は、もう少し別のことも心配しているのです」
やけに歯切れの悪いファビオの言葉に、ぴんときた。
「ああ、そういうことね。もしそういう事態になったら、遠慮なく魔法でぶっ飛ばすから大丈夫よ。か弱い女性の寝こみを襲うような不埒な輩には、容赦しないことにしているの」
そうやってファビオと話し込んでいたら、シーシェが心外だという顔で口を挟んできた。
「誤解だ、ジュリエッタ。確かに俺は麗しい女性は大好きだが、だからといってそんな礼儀を欠いた真似はしないぞ」
彼は整った顔を大きくゆがめて、見事なまでのふくれっ面をしている。いっそ子供のようで、可愛らしくすらあった。
その表情に、ついくすりと笑い声がもれてしまう。ファビオも、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「はいはい、分かったわよシーシェ。その言葉、信用するわ。それじゃいい加減、みんな寝ましょう。ずっと歩き詰めで疲れちゃったわ」
そうして木の寝台に、それぞれごろりと寝転がる。毛布はないので少し肌寒くはあるけれど、この陽気ならどうにか風邪は引かずに済むだろう。
大きく息を吐いて目を閉じると、すぐに意識が遠のいていった。
……けれどやはり、私も少しばかりこの状況に緊張していたらしい。たぶん真夜中頃、何かの気配にふと目が覚めた。妙な音が、すぐ横から聞こえてくる。
そちらに目をやると、寝台の上でごろごろと転がっているファビオの姿が見えた。
眉間にくっきりとしわを刻んだまま、目を閉じて寝返りを打ち続けている。どうやら彼は、今の今まで寝つけていなかったらしい。
ゆっくりと身を起こし、彼の向こう側で眠っているシーシェを起こさないようにそっと声をかけた。
「……眠れないの?」
「起こしてしまいましたか、申し訳ありません。お恥ずかしながらその通りです」
シーシェへの警戒と、何も敷かれていない硬い木の寝台。そのせいで、ファビオは寝つけずにいるようだった。もともと徹夜慣れしているせいで、さらに輪をかけて眠れていないのかもしれない。
仕方ない、ここは私が一肌脱いでやろう。枕元のカバンをあさって目的のものを見つけ、それを手にしてもう一度ファビオに向き直る。
「そのまま、横になっていてね」
私の表情に何かを察したのか、ファビオが言いつけを無視して起き上がろうとした。
しかしそれよりも速く、手の中に握りこんでいたものを彼めがけて思いっきりぶちまける。白いさらさらの粉が彼の顔面にかかり、寝台にこぼれ落ちていく。
粉をたっぷりと浴びたファビオの目が、すぐにとろんとする。次の瞬間、彼はもう安らかな寝息を立てていた。
「まさかまた、彼にマジマの粉をぶつけることになるなんてね」
笑いながら残った粉を片付けている私を、いつの間にか起きていたらしいシーシェがおかしそうに笑いながら眺めていた。
次の日、昨日の残りで手早く食事を済ませ、また歩き出す。やがてシーシェは急な山をどんどん上り始めた。
進んでいくうちに、少しずつ木の丈が低くなっていく。やがて辺りは、草がまばらに生えた岩場になっていた。
「……さすがに疲れたわね。この年で、わざわざこんな岩山に登るなんて、思いもしなかったわ」
息を整えながらぼやくと、肩で息をしたファビオがあいづちを打つ。
「私もです。若くて、しかもまだ地位もなかった頃ならともかく」
「あなた、まだ三十代でしょう? 年をどうこう言うのは早いわ」
「それを言うなら、貴女はどう見ても十代ですが」
「二人とも、そろそろ目的地だぞ。ほらあと少しだ、頑張れ」
ちょっとげんなりしている私たちに笑いかけると、シーシェは息一つ乱すことなく軽やかに坂を駆け上がり、上から手を振ってきた。
彼はがっしりした見た目通りに、体力もあるらしい。一人だけ涼しい顔をしているのが若干腹立たしい。
私たちがどうにかそこまでたどり着くと、シーシェは笑いながら目の前の大岩をぐるりと回り込む。その陰になっている岩壁には、数人が一度に通れるくらいの大きな穴が開いていた。洞窟だろうか。
「おおい、帰ったぞ。ちゃんと魔女様も連れてきた」
シーシェがそう呼びかけると、穴の中から数人の人影がわらわらと姿を現した。みな、シーシェと同じかっちりとした服を着ている。
おそらく彼らが、あの砦にいるはずだった魔術師たちなのだろう。
「ようこそ、ジュリエッタ、ファビオ様。ここが俺たちの新しいねぐらだ」
戸惑いながら遠巻きにこちらを見ている魔術師たちを尻目に、シーシェがさわやかに笑った。
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