第67話 風変わりな魔術師
木々のざわめく音、小鳥の声。それらを聞きながらまどろむ時間は、私のお気に入りだ。
「魔女様、魔女様。そろそろ起きろ」
気持ち良く眠る私を、誰かが揺さぶっている。やだ、起きたくない。どうせ急ぎの用なんてないんだし。
「……ううん、もうちょっと寝かせてよ、ミモザ」
「寝ぼけてるのか? さすがは魔女様、肝っ玉がすごいな」
この時ようやく、話しているのがミモザではないことに気がついた。あわてて上半身を起こし、辺りを見渡す。
ここはどこかの森の中のようだ。そして私は、木の根を枕にして寝転がっていたらしい。
傍らには、困った顔のシーシェがひざまずいていた。少し離れたところではファビオが仁王立ちになり、シーシェをにらみつけていた。……何、この状況。
確か、さっきまで砦の地下通路にいて……シーシェが何か魔法を使って……ファビオが割り込んで。
駄目だ、そこからの記憶がない。そして右を見ても左を見ても、砦は影も形もない。眠っている間に、ここまで運ばれたのだろうか。でも太陽の位置を見る限り、そこまで時間は経っていないような。
短期間のうちに、長距離を移動。そういったことができる方法に、一つ心当たりがあった。立ち上がり、シーシェに話しかける。
「……なるほど、さっきあなたが使おうとしていたのは転移の魔法だったのね。初めて見たわ」
「ご明察。ファビオ様が乱入してきたせいで魔力が少々暴走して、魔女様はそれをくらって気絶……というより昼寝してしまうし、転移先の座標も大きくずれてしまうし。三人とも無事なのが奇跡なくらいだ」
シーシェがほとほと困り果てたように肩をすくめている。そんな彼をひとにらみしながら尋ねた。
「そもそも、どうして転移の魔法なんてものを使ったのよ」
「魔女様が逃げてしまいそうな気配を察したからだ。それ以上でも、以下でもない」
「……そういえばさっきも、私を逃がす訳にはいかないとかどうとか言ってたわね。つまりあなたは、どんな手を使ってでも私を長に会わせなくてはならない。そういうこと?」
「そういうことだな。理解が早くて助かる」
本格的に頭痛がしてきた。これはもう、十中八九何か面倒なことが待ち構えているに違いない。
背中を丸めて頭を抱えて、口をとがらせてぼやく。
「……私は魔術師たちに会って、とっとと戻って来いってお説教したかっただけなのに。あと、私を口実に使わないでちょうだいって」
そんな独り言に、シーシェがぱっと顔を輝かせる。
「ああ、そうだったのか。だったらなおのこと長に会って、がつんと言ってやってくれ。遠慮なくやってくれていいぞ」
無邪気に言うシーシェに、今度はファビオが食いついた。冷静に、しかし腹立たし気に。
「現状、魔術師たちは陛下の命に背いている。王宮に戻る気はないのだろう? その魔術師の一人であるお前が、どうしてそんなことを口にするのか」
ファビオのにらみつけるような視線にも少しも動じることなく、シーシェはにやりと笑った。
「まあ、俺たちにも色々と事情があるんだ。長のところについてからなら、話す機会もあるかもしれないな。今はひとまず、そちらに向かおう」
「私たちが拒否したら、お前はどうする?」
ファビオが挑発するようにシーシェをにらみつけ、言い放つ。目の下のクマと相まって、中々の威圧感だ。しかしやっぱり、シーシェは動じていない。肝がすわっているな、彼。
「ここに置いていく。ここがどこなのかあなたたちには分からないと思うが、それでいいのだろうか?」
どうやらシーシェは、遠回しに私たちを脅しているらしい。ここで野垂れ死にたくなければ、黙って自分についてこいと。
辺りの森にもう一度目をやって、小首をかしげて考え込む。
この森は緑豊かだし、今は春の盛りで暖かい。ファビオも野宿には慣れているようだったし、このまま置いていかれたところで特に問題はない。
転移の魔法の座標がずれたといってもたかが知れているだろうし、適当に野宿しながら南に歩いていけば、そのうち街道に出られるだろう。道がなくても、加工の魔法で作れるし。
これでも私は、辺境の深い森で長年生き延びてきた魔女なのだ。そこらの小娘と一緒にしてもらっては困る。そんなことを考えながら、シーシェににっこりと笑いかける。
「そうね……じゃあ、改めて長のところに連れて行ってもらいましょうか」
「ジュリエッタ様?」
ファビオが小さく目を見開いて、こちらを見た。どうやら私の決断に対して異論があるらしい。
ちょっと待っててね、とシーシェに合図して、ファビオと一緒に数歩後ろに下がる。くるりと後ろを向いて、シーシェに聞かれないよう小声で話す。
「彼の要求をそのまま呑んでしまって、良かったのですか」
「どのみち私たちは長に会いにきたんだし、ちょうどいいじゃない」
「シーシェ一人を砦に残していたことから考えても、おそらく魔術師たちは何かを企んでいると思うのですが」
「そう考えるのが普通よね。でもだからこそ、放っておいて余計にこじれる前にどうにかした方がいいと思うの。ここできっちり話をつけておくべきよ」
「それは、そうですが……」
「もうこうなったら、正面から当たって砕けてしまうしかないと思うのよね」
「……砕け……」
あっけらかんと言い放った内容に、ファビオが絶句している。彼は割と常識人だし、仕方ないか。
けれどさすがは王の側近、彼はすぐに立ち直って尋ねてきた。
「それで駄目なら?」
「その時考えるわ。もしかしたら話し合いで穏便にけりがつくかもしれないし、前向きに考えましょうよ」
さらに畳みかけると、ファビオは深々とため息をついた。けれど彼は、私を止めようとはしなかった。どうやら、彼もそろそろ私の扱いに慣れてきたらしい。
「『ジュリエッタがこうと決めたら、てこでも動かないよ』と以前ミモザ様がおっしゃっていたのですが、ようやく実感できました……」
あら、ミモザが彼にそんなことを話していたなんて。知らないところで、妙な交流があったらしい。
「あと、『彼女は思い立ったら最後、全力で突進していくから。もし巻き込まれたら頑張ってね』とも……」
確かに私は思いつきで行動しがちだけれど、ミモザにまでそんな風に思われていたのか。……さすがは私の伴侶、よく分かってる。
「ところで、そろそろ内緒話は終わったか?」
後ろからシーシェの声がする。私とファビオはそっと視線を見かわして、同時に振り向きうなずいた。
「じゃあ、改めて長のところまで案内する。ここからだとおそらく、半日以上かかるな。途中、野宿することになるが大丈夫か?」
最後の言葉は、私に向けられたものだった。自信たっぷりにうなずく私に、シーシェはおかしそうに笑った。
「そうか、それは頼もしい限りだ。でも困ったことがあったらいつでも俺を頼ってくれ、ジュリエッタ」
思わぬ呼び方に、つい眉間にしわが寄る。なれなれしい人だなとは思っていたけれど、図々しいの間違いだったか。
「……今、名前で呼んだ?」
「ファビオ様があなたのことを『ジュリエッタ様』と呼んでいたからな。違ったか?」
「違わないけれど……ここは様づけにするところじゃないかしら。ほら、さっきは『魔女様』って呼んでたでしょう」
「それはそうなんだが、あえて様をつけずに呼んでみた。あなたの可憐な姿には、大仰な呼び方は似合わないと思ったからな」
歯が浮くようなことをさらりといってのけると、シーシェはこちらに向かって片目をつぶってみせる。どうも日常的にこういった物言いをしているのだろう、あきれるほど自然な仕草だった。
それを見たファビオが、やけに凶悪な顔でシーシェを見据えていた。ファビオからすれば、ほぼ初対面の女性をいきなり呼び捨てにするなどまずありえないのだろう。
ああこれは、いわゆる女たらしというものだろう。魔術師と聞くとついお堅い人物を想像しがちだけれど、シーシェはどうやら真逆らしい。ああもう、背筋がぞわぞわする。
「ジュリエッタ、今回のことが片付いたら、一度俺とゆっくり話でもしないか。あなたは長い時を生きていると聞く。あなたと色々なことについて語り合うのは、とても楽しそうだ」
彼は必要以上に親しげに、そう話しかけてくる。すさまじい形相でにらんでいるファビオがいなかったら、どさくさにまぎれて手くらい握ってきそうな勢いだ。
こんな風に口説かれるのは、いったいいつぶりだろうか。引きつった笑みを浮かべながら、記憶をたどってみる。
思えば追放されてこっち、ほとんどいつもミモザが隣にいた。彼を差し置いて私に声をかける度胸のある者もごくたまにはいた。
でもみんな、あっという間にミモザが追い払っていた。おっとりと柔らかな、そのくせ本能的に命の危険を感じるような迫力を乗せた笑みで。
ということは、ざっと百年ぶりかな。そこまで考えて、にこにこと笑っているシーシェをじっと見る。
まったくもって、大胆な男性だ。彼は私が魔女だと知っている、つまり私が百歳超えていることも知っている。ついさっきも、そんな感じのことを言っていたし。
私は見た目が若いだけで、彼の祖母よりも年上だろう。そんな相手を平然と口説くとは、博愛主義なのか、単に節操がないのか。いや、どっちかというと……あんまり物事を気にしないたちのような気がする。
色々と複雑な思いを抱えながら、ひとまず言葉を返すことにした。
「そうね、全部片付いて、魔術師たちが無事に王宮に戻ってからどうするか考えるw」
「いい返事をもらえることを期待している」
口説き文句をさらりとかわされたとは思えないほど楽しそうなシーシェと、どんどん人相が悪くなっていくファビオ。
この二人と一晩野宿するのは、どうにも面倒な……というより、愉快なことになりそうだった。
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