第66話 魔術師たちの砦
「……馬車の音を聞いたら、出迎えにきそうなものだけれど」
砦の前で、じっと待ってみる。けれどやはり、人の気配どころか物音一つしなかった。おかしい。
「みんなで出かけてるのかしら? 散歩とか、薬草摘みとか、そんな感じで」
「もしそうだとしても、留守番の者くらいいてもよさそうなものですが」
そんなことを話しながら、二人で首をかしげる。それでも、何も変わらない。
「……ここで話していても、らちが明かないわね。とりあえず中に入ってみましょう」
そう言って砦の方に歩き出そうとしたところ、ファビオがいきなり私の手をつかんできた。
「いえ、ここは私が先に。女性を先に立たせる訳にはいきませんから」
きょとんとしながら、彼の顔をまっすぐに見る。ちょっぴり照れ臭そうにしながらも、彼は真剣そのものだった。
私はこれまで、王宮に眠り薬をばらまいたり、ファビオに平手を食らわせたりと、それはもう色々と派手にやらかしている。
まさか今さら、か弱い女性扱いされるとは思わなかった。笑いをこらえながら、ゆっくりと言い返す。
「何か危険があるかもしれないから、私が先に行くわ。どう考えても、私の方が強いもの」
ファビオも、これには反論できなかったらしい。悔しそうな顔をして、私の手を離した。
「……でも、私のことを気遣ってくれたのは嬉しかったわ。ありがとう」
小声で礼を言い、また砦の入口に向き直る。ファビオがどんな表情をしていたのかは、私には見えなかった。
そうして踏み込んだ砦の中には、驚くくらい何もなかった。ここには数十人が暮らしているはずだから、普通なら色々な家財道具や、食料などが置かれていたりするものだろう。
けれどもぱっと見、本の一冊も、服の一着も置かれていなかった。玄関とそこに続く広間も、その隣の小部屋も。テーブルにタンス、それに本棚といった大きな家具はあったけれど、中は全て空のようだった。
「これは、ちょっとそこまでお出かけって感じじゃないわね。どちらかというと……夜逃げかしら?」
「おっしゃる通り、魔術師たちは荷物をまとめてここを退出し、どこか別の場所に移ってしまったと考えるのが自然でしょう。どうしてそんなことをしたのか、どこに行ってしまったのかは謎ですが」
二人で顔を見合わせて、同時に首をかしげる。謎だらけだ。
「ひとまず、この砦を一通り調べてしまいましょうか。それでも見つからないようなら、一度王宮に戻ればいいわ」
そんなことを言いながら、何の気なしに奥に続く扉を開ける。
「えっ、きゃあっ!?」
そうして、驚きの声を上げるはめになった。
誰もいないとばかり思っていた扉のすぐ向こう側に、誰かが立っていたのだ。しかも、物音どころか気配もさせずに。
がらんとした部屋の中に、私の甲高い叫び声が気持ちよく響き渡っていく。
ああもう、心臓に悪いったら。胸を押さえながら深呼吸し、目の前の人影を観察する。
そこにいたのは、中々の美青年だった。ここにいるからには彼も魔術師だと思うのだけれど……それにしてはやけにたくましい。
癖のある黒い髪に、若葉のような明るい緑の瞳、浅黒い肌をかっちりとした服が覆っている。たぶん二十歳そこそこの彼は、白い歯をのぞかせて不敵な笑みを見せた。
「ファビオ様と、魔女様だな。俺はシーシェ、魔術師だ」
しっとりと低く、それでいて軽やかな声が心地良く耳をくすぐる。見た目だけでなく、声も良い。
きっと彼は王宮の使用人たちに、これでもかというくらいもてていただろう。もしかしたら、妙齢の令嬢たちにも。
そんなことをうっかり考えてしまい、あわてて意識を目の前の現実に引き戻す。
どうも最近、他人の恋愛事情が気になってしまって仕方がない。久々に、たくさんの人たちと関わっているからかも。
それはそうとして、なぜ彼が私の顔を知っているのか。私は彼の顔を知らないし、今日私がここに来ることも魔術師たちには言っていない。
あと、他の魔術師たちはどこにいったのかも聞き出さないと。けれど私やファビオが口を開くより先に、シーシェがまたさわやかに笑う。
「俺たちの長から、あなたがたに話がある。すまないが二人とも、俺についてきてくれ」
「ねえ、それよりも魔術師たちはどこへ行ったの? あなた以外、人の気配すらないのだけれど」
「それについても、後々長が説明する。俺はただの出迎えだ。本当に長は人使いが荒くて、おまけに偉そうで……っと、口が滑った。何も聞かなかったことにしてくれるとありがたい」
苦笑しながら、シーシェがそうささやいてきた。どうやら、何も言わずに私たちを連れて来いと命令されているらしい。しかし、口が滑りすぎだ。
思わず笑ってしまった私とは対照的に、ファビオが凶悪な顔になる。
「王宮に戻れという命令にお前たちが逆らっていることについての弁明も、聞かせてもらえるのだろうな?」
「おそらくは。ただ、あまり気持ちのいい答えではないと思うが……いけない、またしても口が滑った。さあ、こちらへ」
のんびりとそう答えて、シーシェはくるりと背を向けて歩き出す。砦のさらに奥へ向かって。私とファビオはためらいながらも、ひとまずその背中を追いかけることにした。
シーシェはまるで散歩でもしているかのような足取りで、それでもどんどん奥に進んでいく。砦の一番奥にあった隠し階段を下り、魔法の明かりを灯して地下の通路をひたすらに歩き続ける。
その間、彼は一度もこちらを振り返らなかった。がっしりとした背中を見つめながら、せっせと歩く。
地下通路に、ただ靴音だけが反響する。ちらりと隣のファビオに目をやると、彼は眉間にくっきりとしわを寄せて、何やら考え込んでいるようだった。
「……どう思います?」
そうして彼は極限まで声をひそめて、そっと耳打ちしてきた。前を行くシーシェに気づかれないように。
「怪しいわ。何かありそう」
誰もいない砦で、たった一人待っていた彼。しかも私たちは、ここを訪ねることを魔術師たちに知らせていない。どうにも、腑に落ちない。
魔術師たちが何か良からぬことを企んでいる可能性もある。このままついていくのは危険かもしれない。一度逃げ出して、王宮に戻ったほうがいいのではないか。
そうファビオに提案しようとした時、シーシェが不意に立ち止まった。
彼は無邪気に微笑んだまま、私の方に手を差し伸べてきた。どう反応していいか分からないまま突っ立っていた私の視界が、何かに塞がれる。
一瞬遅れて、状況を理解した。どういう訳か私は、シーシェにしっかりと抱きしめられてしまっていたのだ。ミモザよりもずっとがっしりした筋肉の感触に、思わず目を白黒させる。
「ななな、何をするのよちょっと!?」
「逃げる気だろうなと思ったが、違うか?」
違わない。でもだからって、これはない。振りほどこうとしたけれど、シーシェの力が強すぎてどうしようもない。それでも一生懸命にもがいてみる。
「ファビオ様はともかく、あなたに逃げられてしまったら俺が長に怒られてしまう。……長の愚痴を一晩中聞かされたくはないんだ。あれは本当に長いから」
その言葉と同時に、視界がぐにゃりとゆがんだ。何かの魔法が発動している、そんな気配がする。それも、割と大きな魔法が。たぶん、私の知らない種類の。
ぴたりと動きを止めて、身構える。こうなってしまったら、もう抵抗できない。発動途中の魔法を妨害すると、暴発する危険があるのだ。
視界はさらにゆがんでいって、もう何が何やら分からないぐにゃぐにゃの模様になっていた。その中に、ひょっこりとファビオの顔が現れる。
「ジュリエッタ様、危ない!」
魔法のただ中に素人が乱入する方がよっぽど危ないのよ、という言葉を発する暇すらなく、私たちは三人まとめて魔力の渦に飲み込まれていった。
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