第65話 ファビオの事情

 西へ向かう街道をひたすらに進んでいくと、脇道が見えた。北西に向かう細い道だ。


 ファビオはためらうことなく、そちらの脇道に馬車を進める。そのまま街道のすぐ北に広がる山と森のほうに向かっていった。


 ずっと石畳だった道が、いきなりただの土の道になる。道はどんどん細くなり、しまいにはくねくねと曲がった山道になっていた。


 そうして北へ、森の奥へと馬車は分け入っていく。


 魔術師たちは、この山奥にある古い砦なのだそうだ。そこには井戸や畑があるし、週に一回近くの村から物資も運ばれることになっている。


 どうやら彼らを追放した連中は、邪魔な魔術師を王宮からつまみ出せればそれでよかったらしい。下手に圧力をかけて、殴り込みでもされたら大変だし。


 そんなことを思い出しながら、馬車の外を見渡す。王宮からもそう遠くない明るい森だ。ここに彼らは、仲間みんなで追放された。しかも、物資までもらえて。


 ついつい頬を膨らませながら、記憶をたどる。


 私が追放された時とは大違いだ。あの時の私は一応侯爵令嬢だったというのに、追放先の小屋は埃まみれだったし、水場についても教えてもらえなかった。畑もなかった。


 誰も頼れる人なんていなかった。当然ながら、物資が欲しければ自分でどうにかするしかなかった。


 前世の知識がなかったら、魔法が使えなかったら、きっと私はそのうちのたれ死んでいたに違いない。


 当時の腹立たしさと、一生懸命に忘れようとしていた心細さ。そんなものがよみがえってきてしまって、胸が苦しくなる。


 ああもう、いったい何年前の話よ。自分を叱り飛ばし、気を静めようと深呼吸する。


 しかしその拍子に、今度は土埃を吸い込んでしまった。喉にべたりと張りついて、むずむずする。


 小さくせき込んでいたら、ファビオがすっと水筒を差し出してきた。礼を言って受け取り、喉を湿す。


「ありがとう、ファビオ。ちょっと埃を吸っちゃって」


「いえ、お気になさらず」


 やっぱりファビオは、なんだか口数が少ない。不思議に思いながら、彼をこっそりと観察した。


 もう三十を越しているけれど、せいぜい二十代半ばくらいにしか見えない。そしてその顔は、やっぱり前世で私を捨てた男に瓜二つだった。


 もっともあの男はこんな風に目の下にクマを作ってはいなかったし、あんな風に頬を染めることもなかった。あいつはいつも涼しい顔をしていて、さわやかな笑みを浮かべていて。


 今にして思えば、むかっ腹が立つほど落ち着き払った男だった。自分の容貌を鼻にかけていて、自分が女性にもてる自覚もあって、自信に満ちていて。


 前世の私、若くて純粋だったあの私は、彼のそんなところを格好いいと思っていたものだ。そんなだから、よその女に取られてしまうなんてことになってしまったのだ。


 いら立ちをため息と一緒に押し流してから、もう一度ファビオに目をやる。彼の顔をじっと見ていたら、ふと気になったことがあった。


「……ねえ、ファビオに奥様はいないの?」


 その問いに、いっそ面白いくらいファビオが動揺した。けれど今度は、手綱さばきを誤るようなことはなかった。


 彼は必死に前を向いたまま、硬い声で答えてくる。


「……後でお答えします。こんな細い山道で、うっかり馬車を暴走させてしまったら大変ですから」


 そう答える彼の頬は、またほんのりと染まっていた。見覚えのある顔の、全く見覚えのない表情。それがなんだかおかしくて、こっそりと笑いを噛み殺しながら答えた。分かったわ、と短く。




 山道を北に向かって走っているうちに、少しずつ日が傾いてきた。西の空が赤くなり始めた頃、ようやくファビオが馬車を止める。


 そこは川のそばの高台にある小さな草地だった。周囲に大きくどっしりとした木が何本も生えていて、まるで草地を守っているようだった。石を積み上げたかまどのようなものや、焚火をした跡も残っていた。


 たぶんこの道を通る者たちは、みんなここで野宿していくのだろう。長年に渡ってちょっとずつ整備されていったような、そんな雰囲気がここにはある。


 野宿なら、私の出番だ。そう思って動こうとしたら、なんとファビオが先に動いていた。彼は意外にも慣れた手つきで、さっさと野宿の準備を始めている。


「あら、うまいじゃない。ロベルトなんか全然使い物にならなかったのに」


 彼を手伝いながらそうつぶやくと、彼はふっと微笑んだ。こんな状況には似つかわしくない、妙に達観したような笑みだった。


「私は……ロベルトとは違いますから。彼のように、幼くして王宮に上がるような人生は歩んでいません」


「そうだったの? その若さで王宮の中枢にいるのだし、てっきり上位の貴族の出だと思っていたのだけれど」


 私の言葉に、彼は静かに首を横に振った。


「いえ、違います。私は男爵家の出身で、いわゆる叩き上げなんです。今の地位につくまでには色々ありました。昔は、野宿するような任務にもついていましたし」


 予想外の告白に、思わず目を丸くする。男爵家っていえば、貴族では一番下の位だ。そんな身分から、国の頂点近くまで上り詰めていたなんて。


 しかも彼の年齢からすると、せいぜい十数年しかかかっていない。彼が有能なのは知っているけれど、とんでもない出世の速さだ。


「私の家は、元々豪商でした。大昔に爵位を金で買ったのです。そんなこともあって、成り上がり、平民風情としょっちゅう陰口を叩かれていました。そんな声をはねのけるには、ただひたすらに努力して、自分の力を示すほかなかったんです」


 豪商。その言葉に、ふと考えこむ。確か前世の私を捨てたあの男は、どこぞの豪商の家に婿入りしていったような。あまりにも昔のことで、少々記憶があいまいだけれど。


 ヴィートとヴィットーリオのように、あの男とファビオもまた遠い血縁だったりするのだろうか。だとしたら、とんでもない偶然だ。


 そんなことを思いながら、黙って彼の話に耳を傾ける。わざわざ彼に尋ねる必要もない、もう全部、とっくの昔に終わったことなのだから。


「だから私には、妻をめとっている余裕すらなかったんです。……これが先ほどの問いの、答えです」


「律儀にありがとう。でも、今からでも遅くないんじゃないの?」


 ファビオは目の下のクマこそ凄まじいけれど、見た目は悪くない、というか美形のうちに入る。それにとても真面目で勤勉だ。


 彼のもとに嫁いでもいいと言う、むしろこっそりと彼に懸想している令嬢の一人や二人いるに違いない。彼が忙しすぎるせいで、そんな女性たちが近づく隙すらないだけで。


 しかし彼は、また頬を染めて横を向いてしまった。奇妙なほどに初々しい。


「いえ、その……子供の頃から学問と仕事だけの人生を送ってきたので、女性相手にどうふるまっていいのかが分からないんです」


 まるで乙女のように恥じらっている彼を見て、確信した。


 ファビオは、間違いなくもてる。この目の下のクマをどうにかして、令嬢たちのお茶会にでも放り込めばいい。


 女慣れしていないのがまた可愛いの、とか何とか言いながら、令嬢たちは彼を大歓迎するだろう。


 魔術師たちの件が片付いたら、ぜひともこの思いつきを実行してみたい。ヴィットーリオたちも巻き込んで。きっと楽しい大騒ぎになるはずだ。


 そう言えば、前世で暮らしていた村にも、こうやって若い男女をくっつけることに意欲を燃やしていた人たちがいたものだ。


 どういう訳か、そういった活動にいそしんでいたのは決まったように中年女性で、子育てが一段落ついた人たちばかりだった。


 どうしてそんなおせっかいをするのかなあと、当時の私は思っていたものだ。けれど気づけば、私があの女性たちの立場に立ってしまっている。それがどうにも、おかしくてたまらない。


 こっそりと苦笑しながら、野宿の準備を続けているファビオの横顔を見つめていた。




 久しぶりの野宿は、素晴らしく快適なものだった。新鮮そのものの食材をたっぷり使ったおいしい食事を平らげて、一緒に後片付けをする。


 そうしたら、ファビオが荷物から何かを取り出してきた。


「こちらをお使いください。もうかなり暖かくなってはいますが、夜は冷えますので」


 彼が手渡してきたのは目の詰まった厚手の敷布と、上質の毛布だった。どちらも、屋外というより王宮の客間に置いておいたほうがちょうどよさそうな品だった。


「……この敷布を地面に直接敷くのは、ちょっと落ち着かないわ」


 と言うか、これを土で汚してしまうのはどうにももったいない。


 だったら、寝台があればいい。そう思い立って、敷布と毛布をいったん馬車の中に置く。


 それから魔法で、ちゃっちゃと寝台を作り始めた。材料になる木は辺りにこれでもかというくらいに生えているし、寝台を二つ作るくらいならそんなにかからない。少なくとも、馬車を作るよりは遥かに簡単だ。


 加工の魔法を駆使して寝台を作っている私を、ファビオは興味を隠せない様子で見つめていた。


「お見事な魔法です。これなら、あの小屋を貴女がた二人だけで建ててしまわれたというのも納得です」


「ふふ、加工の魔法は長年使いまくってるから、慣れてるのよ。辺境で長く暮らしていると、あれこれと必要なものが多くて。できるだけ人とは関わりたくなかったから、全部自分たちで作ってたの」


「そうでしたか。……ここまで見事にこの魔法を使いこなす者は、魔術師たちの中にもいなかったように思います」


「あら、だったら私も魔術師になれるかしら?」


 冗談めかしてそう言うと、困ったことにファビオは真顔でうなずいてきた。


「貴女なら、魔術師の長となることも可能でしょう」


「……そんなことを真顔で言われるとは思わなかったわ。だったらやっぱり、魔術師にはなれないわね。長だなんて、考えただけで肩が凝りそうだから」


「そうですか、それは残念です」


 そんなことを話しているうちに寝台が完成したので、もう今日はこのまま寝ることにする。馬車のそばに寝台を置いて、それぞれ横たわる。


 真新しい木の寝台に、しっかりとした敷布、あったかい毛布。あまりの心地よさに、すぐに眠気が忍び寄ってくる。


 明日はいよいよ、魔術師たちに会える。そう考えると、少しばかりわくわくするものを感じずにはいられなかった。






 そうして次の日、私たちはやはり手際よく朝食と片付けを済ませ、また馬車に乗り込む。寝台はその場に残していった。帰りも使えるし。


 山道はさらに険しくなり、どんどん森が深くなっていく。馬車が大きく揺れ続けているせいでお尻が痛い。


 馬を操るファビオの邪魔をしないようにじっとしているしかなかったので、どうにも暇だった。こんなことなら、ロベルトも巻き込んでおけばよかったかな。そうすれば、少なくとも他愛ないお喋りができた。


 休憩を挟みながら、ひたすらに耐える。昼を少し過ぎた頃に、ようやく目的地にたどり着いた。


 大きな石を積み上げて建てられた砦が、岩山に挟まれるようにしてそびえている。古いけれどとてもしっかりしているし、見たところかなり大きい。


 これなら、数十人はいるという魔術師たちだって問題なく暮らしていけるだろう。ただ、それはそうとして。


「……本当に、ここに魔術師がいるの?」


「そのはずなのですが……」


 気味が悪いほど静まり返っている砦を前に、私とファビオは呆然と立ち尽くしていた。

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