第64話 ちょっとそこまで

「ジュリエッタ様、魔術師たちを連れ戻しに行かれるというのは本当でしょうか?」


 ファビオのところに押しかけた次の日も、私とミモザはいつものように王宮に遊びに来ていた。


 しかし私たちを出迎えたヴィットーリオとレオナルドの小さな眉間には、可愛らしいしわがくっきりと浮かんでいる。


「ええ、本当よ。いつまでも魔術師たちが不在だなんて、どうにも格好がつかないでしょう? ちゃんとした国なら、お抱えの魔術師たちくらいいて当然だもの」


 実際のところ、国を治めるにあたって魔術師たちがいようといなかろうと大差はない。彼らがいると便利だけれど、替えが効かないほどではない。


 魔法について研究し、その知識を後世に残していく。それが、彼らの役目であり、使命なのだ。


 そもそも、一人の人間が使える魔法なんてたかが知れている。才能による限界もあるし、人の一生は大掛かりな魔法を習得するには短すぎる。


 既に百年以上生きている私だって、さほど変わった魔法は使えない。


 かつて辺境の小屋に来た近衛兵を追い払った時に使った光の雪の魔法は、護身用に自分で開発したものだ。でもそれを除けば、あとは基礎の魔法と、それにいくつかの応用魔法が使えるだけだ。


 普段からしょっちゅう使っているせいなのか、加工の魔法はやたらと得意になってしまったけれど。


 魔術師たちも、それくらいのことは十分過ぎるくらいに分かっている筈だ。当然、私の存在が国にとって脅威となり得ないことも理解しているに違いない。


 一つだけ、気になることもあるにはある。彼らが、ミモザの正体を知っているとしたら。彼らはミモザと、その伴侶である私をまとめて危険物扱いするかもしれない。


 三十年位前に、私はミモザの背に乗ってヴィートのもとから飛び去った。あの時のことを知っているのは、ロベルトと今は亡きヴィート、あとはヴィートの日記を読んだヴィットーリオたち。


 そしてついこないだ。あの騒動の最中に、ミモザは竜の姿で王宮に飛び込んだ。城下町で噂になるくらいに堂々と。でもその時、魔術師たちはもう追放されていた。


 そんなこんなを考え合わせて、やっぱりミモザの件は関係ないという結論に至った。


 だからきっと魔術師たちは、私を言い訳に使おうとしているのだ。


 戻ってこいと言われて素直に戻るのは、自尊心が許さない。かといって、王の名による命令をいつまでも無視する訳にもいかない。そんな状況を、どうにかするために。


「ファビオが魔術師たちのところに向かうから、護衛ついでに行ってこようって思ったの」


 というのは建前で、本音はまるで違っていた。私は魔術師たちをとっ捕まえて、きっちりとお説教してやるつもりだったのだ。子供みたいにだだをこねてるんじゃないわよ、と。


 ファビオについていく、というか、ファビオを引きずっていく、という感じになっているけれど。一応謝罪もしてもらいたいし、彼には来てもらわなくては。


 などと考えている間にも、子供たちはどんどんしょげていく。そんな二人に、ミモザが優しく声をかけている。


「大丈夫、魔術師たちがいるのはここから馬車で二日足らずのところだし、ジュリエッタもファビオもすぐ戻ってくるよ」


 昨日、ファビオたちから魔術師の追放先を聞いた。そうして驚いた。


 なんと彼らは、驚くほど近くに追放されていたのだ。その気になれば、歩いて帰ってこられるくらいに近い。


 もっとも、それにも理由はあったようだ。魔術師は全体的にひ弱というか、肉体よりも頭脳に特化した者が多い。あと、年寄りも多い。頭が衰えてきたら交代する大臣や文官と違って、死ぬまで現役を貫く者が多いからだとか。


 日々魔法に頼りがちなせいか、どうも魔術師たちは軟弱なんですよねえ、とロベルトが自分のことを見事なまでに棚に上げてそう言っていたのが印象深い。ファビオも微妙な目でロベルトを見ていたし。


 とまあ、そんなこんなで、彼らを遠方に追放するのがちょっと難しかったらしい。あと、人数もちょっと多すぎたのだ。


「そうよ。私たち二人だけだから、移動も身軽よ」


 励ますようにそう言うと、ヴィットーリオが可愛らしく小首をかしげた。


「二人、ですか? ……ミモザ様も一緒に行かれるものとばかり思ってましたが」


「僕はここに残るよ。もしかしたら魔術師たちが僕の正体を見抜いてしまうかもしれないしね。そうなったら余計に話がややこしくなりそうだから」


 昨晩、ミモザときっちり話し合ってそう決めたのだ。一時的に別行動をとろう、と。


 目的地はとても近い。それにファビオを連れていくから、たぶん危険はないだろう。


 魔術師たちは私のことをよく思っていないかもしれないけれど、さすがに重臣たるファビオの前でそうめったなことはしないはずだ。と思いたい。


 それに、留守の間に王宮のほうで何かが起こらないとも限らない。実のところ、この国はまだまだ不安定だから。


 だから、いざという時ヴィットーリオたちを守れるように、ミモザはここに残るのだ。二人に余計な心配をかけないように、そのことは内緒だ。


 ……もっとも、そうやってミモザを納得させるのにはちょっと骨が折れた。あの子たちのことは大切だけれど、一番大切なのはあなたなんだからね。ミモザは年甲斐もなくそう言ってごねにごねたのだ。


「魔術師たちだって、話せば分かってくれるわ。さっさと片付けてすぐに戻ってくるから、そうしたらまたみんなで遊びましょう」


 ことさらに明るくそう言ってみせたものの、幼い二人の眉間のしわは消えることがなかった。




 そんなやり取りがあってから数日後、私はファビオと共に魔術師たちの追放先へ向かっていた。数日分の食料や水、その他必要な荷物を積んだほろ馬車に乗り、街道をのんびりと西へ進む。


 ファビオはしっかりと手綱を握って御者席に座り、前を向いたままこちらを見ようともしない。声をかけても生返事ばかりだ。


「どうしたの、ファビオ。私と出かけるのがそんなに不満?」


 軽い調子でそう言いながら御者席に上がり込み、彼の隣に座ってみた。彼はびくりと体を震わせたけれど、やはり前を向いたままだった。


 彼は普段からあまり愛想のいい方ではないけれど、今日はいつも以上の仏頂面だ。凶悪だ。


 なんだろう、この態度は。まさかと思うけれど、王宮に侵入したあの夜にひっぱたいたことをまだ根に持っているとか?


 首をかしげつつ、じっとファビオの顔をのぞき込んでみる。反応はない。ならばと声をかけてみる。かすかなうめき声が返ってきた。


 調子に乗って袖を引っ張ったり頬をつついたりしていたら、彼が大きくため息をついた。


「……何をしているのですか、貴女は。まるで子供のように」


「だってあなたの顔がいつも以上に怖いから、どうしたのかしらって」


 ファビオはレオナルドやヴィットーリオには礼儀正しく接しているし、ロベルトとはいがみ合っているようで仲がいい。絶対に本人は認めないだろうけど。


 ミモザのことはずっと怖がっていたけれど、最近ではどうにか逃げずに話せるようになっていた。


 私に対しては、今でもどこかよそよそしい。腰が引けているというか。警戒しなくても、もう不意打ちでマジマの粉をぶつけて眠らせたりしないのに。


「まあ、仕方ないのかしらね。あなたには色々迷惑かけてるし、苦手になるのも当然かしら」


「いえ、別に苦手という訳では」


 大いに戸惑った様子で、ファビオが視線をそらしたままそう答える。驚いたことに、その頬がほんのり染まっていた。何だろう、この反応は。ますます訳が分からない。


「じゃあどうして、目をそらすの?」


 まるで乙女のように初々しいその様子が面白くて、つい顔を近づけてしまう。そうしたら彼はさらに顔を赤くして、ぷいと横を向いてしまった。


 その拍子に手綱がぐいと引っ張られ、馬車が道を外れていく。


「あっ、危ない!」


 とっさに手を伸ばして手綱をひっつかみ、馬車をまた道に戻す。どうにか体勢を立て直して、ほっとため息をついた。


「……ジュリエッタ様」


 なんだかやけに近くでファビオの声がした。平静を保とうとして失敗しているような、そんな声だ。


「その……離れていただけますか」


 一瞬きょとんとして、少し遅れて気がついた。私はファビオの手ごと手綱をつかんだあげく、そのまま彼の膝の上に転がり込んでしまっていたのだ。


「あら、ごめんなさい。偶然の事故よね、これ。私は気にしないことにするからそっちも気にしないで」


 そう言いながら慎重に立ち上がり、するりと馬車の中に戻っていく。元はといえば私が余計なちょっかいをかけたせいで今の騒ぎが起こったのだし、しばらくここでおとなしくしていよう。


「貴女が気にしなくても、私が気にするんです……」


 と、いつになく弱々しいつぶやきが聞こえてきた。驚いてファビオの背中を見つめたけれど、彼がこちらを振り返ることはなかった。

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