第63話 あきれた裏事情

 ヴィットーリオたちを小屋に招いた次の日、私は一人で王宮を歩いていた。魔術師たちについて、少しばかり話を聞いておきたかったのだ。


 ミモザは中庭で、ヴィットーリオとレオナルド相手に畑仕事を教えている。


 こんなところにこんなものを作るなんて、とファビオが思いっきり渋い顔をしていたけれど、子供たちは一歩も引かなかった。


 幼いとはいえ、二人は王とその兄だ。二人が本気でごねたら、どうしようもない。というか、私とミモザも二人の後ろで応援していたし。


 そうして王宮の中庭の日当たりのいい一角に、小さな畑が作られることになった。耕すのも水やりも雑草取りも、ヴィットーリオとレオナルドの仕事だ。


 そしてちょうど昨日、葉野菜が可愛らしい芽をのぞかせたばかりだ。二人はそれを、まるで宝石か何かを見ているようなうっとりとした目で見つめていた。今日もきっと、同じ顔をしているのだろう。


 思い出し笑いをしながら、広い王宮の廊下を勝手知ったる顔でつかつかと歩く。じきに、目的の場所にたどり着いた。扉をぞんざいに叩いてから、少し待って部屋に入る。


「ファビオ、いるかしら?」


 私が単身乗り込んだのは、ファビオの執務室だった。しかしそこには、先客がいた。ロベルトだ。この二人、どう見ても犬猿の仲なのだけれど。


 不思議に思いながら、辺りを確認する。


 ロベルトはすぐ近くの長椅子に腰を下ろし、低い大机に積み上げられた書類と格闘している。そして部屋の主であるファビオは、それよりもさらに大量の書類に囲まれてしまっていた。


 なるほど、仕事か。この二人、顔を合わせると悪口の応酬になるけれど、二人とも仕事に対してはとても真面目で、責任感がある。


「ああ、ジュリエッタ様でしたか。見ての通り、今は忙しいのです」


 そう答えるファビオの顔には、相変わらずくっきりとくまが刻まれている。これさえなければ中々の美男子なのに、もったいない。


「あなたが忙しくないことなんて、あったかしら? たまにはゆっくり休まないと、そのうち倒れるわよ」


 前世の憎いあの男によく似た彼の顔を見ていると、やはりちょっぴりいらつくのも事実だった。でもそれはそうとして、彼の体調は心配だ。


「私は過労に効く薬を作れるけど、それはただの一時しのぎでしかないのよ。結局休養が一番なんだから」


 実はこうやって話している間も、頭の中に薬の処方が浮かんでしまっていた。あれとあれを混ぜて、それからあれも……。全部、滋養強壮、疲労回復に効く薬草ばかり。


 これはいわゆる、職業病というやつだと思う。おかげで話に集中しづらいったらない。いっそ、さっさと薬を調合して無理やり飲ませてしまおうか。その方がお互いすっきりしそうだ。


 そんなことを考えこんでいたら、ロベルトの軽やかな声がするりと割り込んできた。


「ところでジュリエッタ様は、こんなところに何の御用でしょうか。まさか、この堅物の心配をするためだけに来られたのではないでしょう?」


 彼の顔にも、はっきりと疲れが浮かんでいた。この書類の量からすると、朝からずっと根を詰めているのだろう。もしかしたら、昨夜からかも。


 それでも軽口を叩かずにいられないのが、なんとも彼らしい。


 などと考えていたら、ロベルトは書類を置いて、思いっきり目を見開いた。


「……はっ、もしやジュリエッタ様はこういった男がお好みだったのですか! ああ、それとは気づかず……」


「殴られたいの、ロベルト? というか、ミモザに殴られるわよ?」


「冗談は顔だけにしろ、ロベルト。ジュリエッタ様に失礼だろう」


 軽口が暴走していくロベルトに、私とファビオの反撃が同時に投げつけられる。しかしロベルトは動じることなく、苦笑しながら肩をすくめるだけだった。


 そんな彼をひとにらみしてから、改めてファビオに向き直る。


「ちょっとあなたに聞きたいことがあって、ここに来たのよ。……ずっと気になってることがあって」


「はい、何でしょうか」


「魔術師たちのことなの。彼らを追放するという命令は、当然ながらもう撤回されたのよね? されてないはずがないと思うのだけれど」


 単刀直入にそう尋ねると、二人は気まずそうに顔を見合わせた。あ、やっぱり何か事情があるな。


「それなのに、一向に彼らが戻ってくる気配がないって聞いたのよ。そんなに遠くに放り出してしまったの? それとも、まだきちんと連絡をしていないとか?」


「いえ、そうではないのですが……」


 さらに畳みかけると、ファビオが目線をそらしながら口を開いた。


「魔術師たちを追放したのは、今は牢にいるかつての同僚たちでした。貴女がたにより真相が明らかになった後、もちろん魔術師たちにも戻ってくるように通達を出したのですが……」


 そこまで聞いた時、何となく嫌な予感がした。真面目だけれど融通の利かないファビオが、追放された魔術師たちに戻ってこいと伝えた。そこで何か、あったのでは。


「一応聞くけど、なんて伝えたの?」


 するとファビオはまっすぐに背筋を伸ばして、一息に言い切った。


「魔術師たちを追放する旨の命令を撤回する、速やかに戻れ、とだけ」


 端的に答えるファビオに、私とロベルトは揃ってうなだれた。ああ、やっぱりな。


「……もうちょっと、言い方を考えても良かったんじゃないかしら。魔術師たちが気を悪くしてないといいんだけど」


「私もジュリエッタ様に同意ですね。ええ、まったく」


「ねえロベルト、どうしてそんな通達をファビオにやらせたのよ。あなたがやれば良かったでしょう」


「いえ、それが……私は税制の見直しに追われておりまして……他の誰かがやってくれたとは聞いていましたが、まさか彼だとは」


 お手上げだとばかりに両手を肩のところまで上げて、ロベルトがわざとらしく頭を振る。私とわいわい話していた彼が、くるりとファビオに向き直った。


「貴方が融通の利かない人間だというのは知っていましたが、まさかここまでとは……」


「悪い方向に融通の利きすぎるお前に言われたくはない」


「こんなことになるのなら、ちゃんと貴方のことを見張っておくべきでしたね。いっそ、自分の仕事を誰かに押しつけてでも」


「お前に見張られるなど、冗談ではない」


「私だって男なんか見張りたくないですよ。まして、年がら年中クマの浮いた男を見つめているだなんて、ごめんこうむります。想像しただけで、寒気がしてきました」


「……そこまで強固に拒否されると、それはそれで腹が立つな」


 四十過ぎているロベルトと、見た目は若いが実は三十を超えているファビオ。そんな二人は、まるで少年のように軽口を叩き合っていた。


 喧嘩するほど仲がいいという言葉が頭に浮かんでしまったけれど、うっかりそれを口にしたら双方むきになりそうなので、黙っておくことにする。


 けれどこのままでは、いつまで経っても私の用事が片付きそうにない。あと、二人の仕事も。


 頃合いを見て、仕事も忘れて言い合う二人の間に割って入った。


「はいはい、そろそろ本題に戻りましょう。……それで結局、魔術師たちが戻ってこない理由に心当たりはある?」


 その言葉に、即座に答えたのはロベルトだった。


「あくまでも推測ですが……彼らは、おそらくへそを曲げてしまったのだと思いますよ。勝手に追放しておいて、間違いだったからすぐに戻ってこい、とどこかの誰かが偉そうに言ったせいで」


 彼はちらりとファビオの方を見て、それから大げさにため息をついた。


「そもそも魔術師たちには、自尊心が少々高い……というか、高すぎる者がそこそこおりますからね。それに、どうも忠誠心に欠けるというか」


「仕方ないわよ。魔法を習得するのにも才能と環境、それに努力が必要になるんだし。王宮に召し抱えられるだけの実力を手にできた者なら、なおさらだわ」


 そんなことを口々に言ってから、私とロベルトはにやりと笑って同時にファビオを見た。私たちの視線に何かを感じ取ったのか、ファビオがわずかにたじろいでいる。


「……でもそういうことなら、案外たやすく解決できるかもしれないわね」


「ええ、ちょうど私も同じようなことを考えていたところだったのですよ」


「彼を魔術師たちのところに向かわせて、頭を下げさせる。これでどう?」


「偉そうなことを言ってすみませんでした、どうか戻ってきてくださいと言って土下座でもすれば一発でしょうね。この石頭、これでも国の中枢を担う一人ですから」


 不穏な笑みを浮かべながら楽しく話し合っていると、こほんと咳払いが聞こえた。ファビオが大いに焦った様子で口を挟んでくる。


「私が謝罪すれば済むというのなら、いくらでも謝罪いたしましょう。しかし、彼らが戻ってこないのにはもう一つ理由があるのです」


 そう言いながら、ファビオは目をそらす。明らかに私を避けている。


「……実は、魔術師たちは通達に対して返答をよこしてきました。そこには『今の王宮には、魔女がうろついていると聞いています。私たち魔法の徒がそちらに戻れば、彼女に何をされるか分かりません』と記されていました」


「あら」


 なんとも腹立たしい言葉に、ついにっこりと笑ってしまった。ファビオが恐れをなしたように身をすくませる。


 もしここにミモザが同席していたなら、彼は苦笑しながら「あーあ」とかなんとかつぶやいて、私を止めようとしただろう。しかし今、彼は中庭で子供たちと畑の世話をしている。


 つまり、誰も私を止められない。


 最高の、というか最高に物騒な笑みが浮かんでいるのを自覚しながら、いつもより優しい声で尋ねる。


「ねえロベルト、魔術師たちは私の正体を知っているのかしら? 私がごく普通の、か弱い元令嬢でしかないってことは」


「おそらくは。亡きヴィート様の命により、『辺境の魔女』がかつていわれなき罪により追放された侯爵令嬢であるということは、正式に記録に残されています。魔術師たちは国の歴史についても深く学びますから、知っていてもおかしくはないでしょう」


 背筋をぴんと伸ばして、ロベルトがはきはきと答える。彼はすっかり私の気迫に押されてしまっているようだった。


 こっそりと彼が「普通という言葉の意味が分からなくなりました……」などとつぶやいていたけれど、それは聞かなかったことにする。


「そう。それじゃあ『辺境の魔女』が特に悪さをしていないということも、彼らは当然知っているわよね?」


「……はい。辺境の魔女、つまり貴女については、私たちもずっと注目していました。その動向については細かに記録されていました。ほかならぬ、魔術師たちの手によって」


 注目されていたというのは初耳だけれど、今重要なのはそこではない。大きくうなずき、立ち上がる。


「分かったわ。だったら行くわよ、ファビオ」


「い、行くとは、どこにでしょう?」


「もちろん、魔術師たちのところによ。自尊心が邪魔して素直に帰ってこられないのはまあ大目に見るとしても、その言い訳に私を使おうだなんて図々しいにもほどがあるわ」


 堂々とそう言い放って、ゆったりとうなずく。


「それをきっちりと、彼らに教えてあげないとね」


 笑顔の宣戦布告に、今やファビオだけでなく、ロベルトまでもがおびえた顔をしてしまっていた。

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