第62話 小さなお客様

 私はヴィットーリオの手を引いて、ミモザはレオナルドの手を引く。そうして私たちは、王宮の外の森を歩いていた。


 二人とも、平民の服に着替えている。外遊びをする時のために、私たちが城下町で選んできたのだ。もちろん、できるだけ上質なものを。


 そうして小屋の前までやってくると、レオナルドが歓声を上げた。


 明るい森の中に立つ小屋は、大きな切り株のような形をしていた。普通の小屋と違ってどこにも継ぎ目はなく、とてもなめらかだ。


「うわあ……やっぱり、不思議な形だ……」


 レオナルドは小屋を見て、目を丸くしている。ヴィットーリオも目を細めて、じっと小屋に見入っていた。


 彼らがここに来るのは初めてではないのだけれど、何度見ても驚きが薄れることはないらしい。


 ヴィットーリオがこちらを見上げ、うっとりとした声で話しかけてくる。


「いつ見ても、素敵な建物ですね。今までにこんな建物を見たことがありません。ジュリエッタ様の小屋も、一部このような感じでしたが……」


「あの小屋は、昔からあった小屋を魔法で増築したの。この小屋は、一から魔法で建てたのよ。そのせいで、どうしても普通のものとは違ってしまうのよね」


「どうやって魔法で建てるのですか?」


 私たちの話を聞きつけたレオナルドが、ミモザと手をつないだまま首をかしげている。可愛い。


「そうねえ……実際にやってみせたほうが早いかしら」


 言いながら、一人で手頃な木に近づいていく。指を一本立ててすっと横に払うと、細い枝がぼとりと地面に落ちた。


「まずは、基礎である風の魔法ね。それから、応用魔法である加工の魔法で形を変えるの」


 枝を拾い上げて、加工の魔法を使ってこね回す。私の手の中で粘土のようにたやすく形を変える枝を見て、レオナルドがさらに目を輝かせる。


「もっと大きな木をたくさん切って、根気よく形を変えていけば小屋ができるのよ」


 そうして説明を終えてから、ふと手を止める。ちょうど両手で包み込めるくらいの、木でできたまんまるの玉。特に目的もなくこねていたら、こんな形になってしまった。


「……こねたはいいけど、これどうしようかしら」


 さすがに使い道はなさそうだし、その辺に放っておくしかないかしらと思っていたら、ミモザがこちらに歩み寄ってきた


「もしかして、捨てようとか思ってる? だったら僕にちょうだい」


「どうするの?」


「ちょっと、思いついたことがあって」


 ミモザの手に木の塊を乗せてやると、彼はまたそれをこねはじめた。まんまるな木の玉を二つに分けて、その片方を変形させていく。


 ヴィットーリオとレオナルドが興味津々で見守る中、ミモザは小さな像を完成させた。子供の手のひらに乗るほどの大きさの、ちょこんと座った竜の置物だ。


「うん、結構いいできばえかも。これ、いる?」


「はい!!」


 置物を差し出されたレオナルドが、両手でそれを慎重に受け取る。頬はすっかり上気しているし、嬉しくてたまらないのかその肩はぷるぷると震えていた。


「レオナルド、良かったな。ちゃんとお礼を言うのだぞ」


 ヴィットーリオは兄らしいところを見せようとしているのか、真面目な顔でそんなことを言っている。けれど、うらやましいという気持ちがちっとも隠せていない。


 ミモザはくすりと笑って、残り半分の木を使って同じものをもう一つこしらえてやった。


 それをもらったヴィットーリオは目を輝かせて、とても大切そうに置物を抱きしめている。兄弟はおそろいの置物を手にして、この上なく幸せそうに笑い合っていた。


 そんな二人を見ていると、自然とこちらも笑顔になってしまう。いつもは王とその兄としての堅苦しいふるまいを強制されているし、ここでくらい子供らしく過ごして欲しい。


 姉のような母親のような気分で二人を眺めていると、ふとあることに気がついた。二人が手にしている置物には、小さな金色の目がはまっていたのだ。白木の体に金色の目、ミモザと同じだ。


「ねえミモザ、あの置物の目って、もしかして……」


「あっ、気がついた?」


 ミモザは置物とよく似た金色の目をいたずらっぽく光らせて、小声でそう答えてくる。そんな彼に、笑いを噛み殺しながら言い返した。


「今までに何十回も同じようなものを見ているんだから、当然でしょう? でも、改めて見るととても綺麗ね」


 置物の目にはめこまれている、米粒よりも小さな金色の石のようなもの。大きさは全然違うけれど、それは竜の秘薬にそっくりだった。


「でも、今年の分はこの間もらったばかりよね? 確かあれは、一年に一個しか生み出せないんじゃなかった?」


「そうだよ。でも、薬効のないものなら作れなくもないよ。ほら」


 彼はそう言って、ぱっと手を開く。そこには、小さな豆ほどの透き通った金色の石が転がっていた。


「ただ、たくさん作ると竜の秘薬を生み出すのに支障が出るかもしれないから、秘密にしててね。他にも欲しいって言われたら困っちゃうから」


 そう言って彼は、生み出したばかりの石を握り込んだ。そうして開いた手のひらには、もう石はない。


「目の代わりにしたら綺麗かもしれないなって思ったんだけど、ぴったりだったね。あんなに喜んでもらえると、僕も嬉しいな」


 あっけらかんと言いながら、ミモザは幸せそうに微笑んでいる。


 そうして、みんなで一緒に小屋の中に入っていく。その間中、二人は感動に打ち震えたままだった。




 まだ木の香りがかすかに漂う真新しい小屋は、私たちが長年暮らしていた辺境の小屋よりも一回り大きい。


 小屋を建てる場所は十分すぎるくらいにあるし、材料になる木もたくさん生えている。一から作るのだから、大きさも自由にできる。そう思っていたからか、ついつい欲張って大きくしてしまったのだ。


 大きな窓には水晶で作ったガラスがはめられていて、そこから日差しがさんさんと降り注いでいる。火の気もないのに、中は明るく暖かかった。


 太い梁に沿うように麻の紐が張られ、そこから薬草の束がいくつもぶら下がっている。壁に作りつけられた棚には、辺境の小屋から持ってきたあれこれが並んでいた。


 ここに住み始めてからそう日にちが経ってはいないのに、もうすっかり落ち着く我が家のようになってしまっていた。


 ひとまず二人を椅子に座らせて、ミモザと一緒にお茶の支度をする。辺境の小屋でもよく飲んでいた、お手製の薬草茶だ。


 といっても、辺境から持ってきたものはもう飲み切ってしまった。だからこっちで改めて入手したものだ。


 ただ季節のせいで、周囲の森では目当ての薬草を見つけられなかった。なので、城下町で買って自分で調合するはめになったけれど。


 かぐわしい湯気を立てているお茶を前に、ヴィットーリオは懐かしそうに目を細めている。一方のレオナルドは、目を丸くしてお茶の香りをかいでいた。どうも、慣れない香りらしい。


「不思議なにおいがします。いつものお茶とは違った……花みたいな、薬みたいな……」


「そういえば、あなたがこれを飲むのは初めてだったかしらね、レオナルド?」


 先日彼がここに来た時は、確か普通の紅茶を出してやったような覚えがある。荷物運びを手伝ってもらったお礼というのもあったし、こういうのを飲みつけなさそうなファビオもいたし。



「はい。でも、ありがたくいただきます」


 生真面目にそう答えて、レオナルドがお茶を口に運ぶ。ついいつもの癖でこのお茶を出してしまったけれど、このお茶は子供には少し癖があるかもしれない。


 案の定、お茶を飲んだレオナルドの柔らかい顔がこわばる。その隣では、ヴィットーリオがおろおろしていた。二人には申し訳ないけれど、そんな姿もまた可愛い。


「やっぱり苦かったね。ほら、蜂蜜をどうぞ」


 くすくすと笑いながら、ミモザが蜂蜜をレオナルドのカップに足してやる。レオナルドは恐る恐るもう一度お茶を口にすると、今度はとても無邪気に微笑んだ。


 そうしてみんなでお茶を飲み、買い置きのおやつをつまみながらお喋りをする。その間も、二人はミモザからもらった置物をしっかりと抱えていた。


「よほど気に入ったのね、それ」


 二人の様子が微笑ましくて、何の気なしにそんなことを口にする。ヴィットーリオが少し照れ臭そうにしながら答えた。


「はい。ミモザ様に作っていただいたというのもありますが、貴女がたの魔法を見られたのも嬉しかったのです。……加工の魔法を見たのが、懐かしくて」


 やけに大人びた微笑を見せるヴィットーリオに、レオナルドが身を乗り出して尋ねる。


「にいさまは、お二人が難しい魔法を使うところを見たことがあるのですか?」


「ああ、辺境にいた頃はたくさん見た。お二人とも、とても見事に魔法を使いこなしておられたよ。特に、加工の魔法は見事だった」


「そうなのですか。ぼくは、加工の魔法を初めて見ました。こんなにすごいことができるのですね」


 竜の置物を手にうっとりと語り合う二人。それはやはり微笑ましい光景だった。


 けれどそれはそれとして、今のレオナルドの言葉が気になった。


「あら、王宮には魔術師がいるでしょう? 彼らはみんな、様々な応用魔法を使いこなすって聞いているわ」


 魔術師というのは、優れた魔法の腕を買われて王宮に召し抱えられた者たちのことを指す。私たちが王都にやってきてから一度も見かけてはいないけれど、確かこの国には常に数十名くらいの魔術師が召し抱えられているはずだ。


 けれど魔術師という言葉を聞いて、なぜかヴィットーリオが顔を曇らせる。


「……魔術師たちは、全員追放されました。父上が亡くなられた、その少し後に。そして未だに、誰一人として戻っていないのです」


 そう告げて、ヴィットーリオが目を伏せる。さっきまでの穏やかな空気が、すっかり吹き飛んでしまった。


 ああもう、そんなことになってしまっていたなんて知らなかった。悔やんだけれど、もう遅い。


 こないだの騒動で、レオナルドの背後にいた黒幕たちに逆らった者たちは、片っ端から追放されていた。大臣とか文官とか、近衛兵長とか。その中に、魔術師たちも含まれていたらしい。


 しかし、よく彼らはおとなしく追放されたものだ。その気になれば、逆に王宮を乗っ取ることだってできたかもしれないのに。


 魔術師たちは様々な魔法を使いこなすということもあって、下手な軍隊よりも強い。攻撃、防御、偵察に伝令、なんでもござれだ。


 武力一辺倒の兵士やら騎士やらと比べると、敵に回した時の厄介さは段違いだ。かつて近衛兵をあっさりと蹴散らした私だけれど、魔術師たちとやりあうのはできれば避けたい。


 そんなことを考えながら、順に記憶をたどる。確か二人の父親が亡くなったのは、二年位前だったか。


 だったらレオナルドが応用魔法をろくに見たことがないというのも、十分にあり得る話のように思える。


 と、唐突にミモザが明るく言った。


「きっと、みんなじきに戻ってくるよ。だって、悪い人たちはもうみんな牢屋の中だからね」


 そうしてミモザは、暗い顔をしている二人ににっこりと笑いかける。天使のようなその微笑みにつられるようにして、二人がぱっと顔を輝かせた。


 二人の相手をミモザに任せ、一人でもう少し考え事に没頭する。どうにも、腑に落ちないことがあったのだ。


 あの大騒ぎを経て、ヴィットーリオは王宮に戻ることができた。悪い連中は捕らえられて、めちゃくちゃになった政治は正されることになった。


 そしてそのことは、大急ぎで王国中の街や村に伝えられた。早馬や伝書鳩をあちこちに飛ばして。民が反乱を起こしてしまう前に、王宮が変わったことを一刻も早く知らせなくてはならなかったから。


 当然ながら、追放されたという魔術師たちにもその知らせは届いているはずだ。それなのに、彼らはまだ誰一人として戻ってきていないらしい。いったい、どういうことなのだろうか。


 そんなささいなことが、どうにも引っかかって仕方がなかった。

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