第4章 平穏はもう少しお預け

第61話 二人は今日ものんびりと

 レオナルドの陰で好き放題していた連中のたくらみは止められた。ヴィットーリオたちも無事に王宮に戻れた。


 しかし私とミモザは、今日も王宮をぶらぶらしている。王宮の近くの森の小屋で寝起きして。


 ヴィットーリオたちは、それは熱心に私たちを引き留めてくれていたのだ。レオナルドにもなつかれてしまったし、ちょっと離れがたい。


 それに正直、まだ不安ではあったのだ。この国はまだまだ不安定だ。私とミモザがにらみを利かせていなかったら、いきなり揺らいでしまいそうな気がするくらいには。


 とはいえ、レオナルドたちには王とその臣として、きちんと独り立ちしてもらわないと困る。だから、積極的に世話を焼いてやるつもりはなかった。


 でもいざという時には、すぐに力を貸してやりたいとも思った。だから、こうしてのんびりとふらふらすることにしたのだ。


 ただ一つ、こうしている間に辺境の小屋のほうに病人がやってきてしまうかもしれない、そのことだけは気がかりだった。


 時が経つと共に、辺境の魔女はすっかりおとぎ話の中の存在になっていた。


 だから、わざわざそこを訪ねようとする者はどんどん減っていた。かつてあの伯爵が建ててくれた近くの診療所、今では病院街とでも呼ぶべきそこになら、たくさん集まるけれど。


 でもごくたまに、わらをもつかむ思いで小屋にやってくる者もいる。そこまで思い詰めるくらいだから、だいたいは重症だ。


 しかしそちらについては、ロベルトがぬかりなく手を打ってくれていた。


 もし病人が小屋に来た時はまずあの診療所に通し、どうしても私の手が必要だと判断した場合のみ伝書鳩を飛ばしてもらう、そういう手筈を整えてくれていたのだ。


「本当に、ロベルトって気が利くわね。これでもうちょっと丈夫ならねえ」


 王宮の廊下を歩きながら、ミモザとのんびりお喋りする。


「そうだね。でも、本当に助かっちゃった。僕の翼でなら、ほんの数日であの小屋まで戻れるし、診療所に預けておけば病人も大丈夫だろうし」


「ええ。これで安心して、こっちに滞在できるわね」


「病人を救うのは僕たちの義務じゃないけど、それでもうっかり見殺しにしちゃったらちょっと心が痛むしね」


 ミモザが小首をかしげて笑う。金色の澄んだ目と白銀の髪が、窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝いた。


「ただ、できれば呼び出されないといいなって思ってる。急いで小屋に戻ろうとすると、たぶんある程度人目についちゃうし。……既にいっぺん、やらかしちゃってるから」


 彼が言っているのは、私たちが王宮に侵入したあの夜のことだった、


 宿屋で目を覚ましたミモザは、一刻も早く私たちと合流しようと焦っていた。だから彼は大急ぎで王都の外に出て、そこで竜に戻ってまっすぐに飛んだ。城下町の真上を、王宮に向かって。


 当然ながら夜空を飛ぶ白い竜は、多くの人に目撃されてしまったのだ。


 かつて辺境の村で、魔物と呼ばれたミモザ。けれど王都の人々は、彼のことを魔物と呼びはしなかった。


「そうね。だだっ広い王宮の広い中庭で遊ぶくらいならともかく、城下町の上を飛ぶのは危険かもね」


 涼しい顔でそう言って、それからゆっくりと付け加える。


「王宮の人たちへの口止めは済んだけど……それでも、城下町ではすっかり人気者になってしまったものね。ねえ、『白き竜の神』様?」


「やめてよ、ジュリエッタまで。そんな呼び方をされると、くすぐったいのを通り越して全身がかゆくなっちゃうよ」


 星降る夜空を、満月の光を受けて白く輝きながらゆったりと飛ぶ大きな竜。王宮に向かいそこで姿を消したその竜のことを、いつしか王都の人々は『白き竜の神』などと呼び始めたのだ。


 あの頃、レオナルドの背後にいた連中によってこの国は傾きつつあった。比較的影響が小さいように見えた王都ですら、人々の生活には日に日に暗い影が忍び寄っていたのだった。


 不安を押し殺して暮らす人々の上を、神々しい竜は悠然と飛んでいった。きっと、ため息をつきたくなるくらいに美しい光景だっただろう。


 そして竜が王宮に向かったあの日を境に、おかしくなっていた政治が正され、王国を覆っていた暗雲は晴れていったのだ。


 人々は自然と、そのこととあの竜とを結びつけて考えるようになった。


 その推測は半分くらい当たってはいるのだけれど、崇め奉られてしまった本人としてはたまったものではないらしい。ミモザは居心地悪そうに、肩をすくめている。


 つい先日、二人で城下町に遊びにいった時のことを思い出して、小声でささやく。


「ご利益あらたかな神様だって、すっかり人気になっちゃったわね。城下町ではあなたの姿をかたどったものが次々に売られるようになったし」


「……姿絵とか護符を売り出すのはまだ分かるんだけど、『白き竜のクッキー』って、いったい何なんだろうね……神様扱いしておいて食べちゃうとか、ちょっと怖くない?」


「完全に観光名物にされてるわね」


「すっごく複雑な気分」


 そんなことをのんびりと話しているうちに、ヴィットーリオの私室にたどり着いた。今日はヴィットーリオとレオナルドと一緒に遊ぶ約束をしているのだ。


「こんにちは、二人とも」


「約束通り、遊びに来たよ」


「あ、ジュリエッタさま、ミモザさま!」


「お待ちしていました。どうぞ、こちらへ」


 私たちが顔を出したとたん、待ちきれないといった顔の二人が私たちに駆け寄ってくる。彼らに手を引かれて、勧められた椅子に腰かける。すぐに、他愛ないお喋りが始まった。


 ヴィットーリオとレオナルドは私たちの向かいに座り、よく似た顔を揃って輝かせている。執務やら勉強やらの合間にこうやって私たちと遊ぶのは、彼らにとって最高の息抜きになっているようだった。


 まだ幼い王と、それを支える兄。王位についているのはレオナルドなのだけれど、彼らは二人一緒に玉座に座っているも同然だった。


 いずれレオナルドが独りでも王としてやっていけるようになる時まで、ヴィットーリオは一生懸命に弟を支えていくつもりらしい。


「そう言えば、レオナルドが一人でやっていけるくらいに成長したら、ヴィットーリオはどうするの? やっぱり、正式に王の側近になるとか?」


 ふと思いついた、そんな問いを口にする。ヴィットーリオは一瞬目を丸くした後、少し恥ずかしそうに答えてきた。


「……旅に出たいです。王国のあちこちを旅して、色々なものを見て回って。あの辺境の小屋にも、また行きたいです。その経験は、きっとこの国を守る役に立つから」


 年相応の顔をしてはにかみながらそんなことを言うヴィットーリオが、とても愛おしくてたまらない。


 立ち上がって腕をうんと伸ばし、テーブルの向こう側に座っている彼の頭をなでてやる。


 彼は少し戸惑いつつも、嬉しそうな顔をしてされるがままになっていた。金色の髪が少しくしゃくしゃになってしまったけれど、それも全く気にしていないようだった。


「にいさま、ぼくも行きたいです」


 一方のレオナルドは、すっかり泣きそうな顔になっている。幼いとはいえ王である彼は、そうそう王宮を離れることなどできない。彼はそのことを、嫌というほど理解しているようだった。


 すると今度はミモザが腕を伸ばし、レオナルドの頭を優しくなでている。


「だったら、いつか王宮を抜け出しちゃおうか。ロベルトとファビオに仕事を押しつけて。僕の翼なら、あっという間にあちこちに行けるよ」


「はい! ミモザさま、よろしくお願いします!」


 レオナルドがすぐに満面の笑みを浮かべ、背筋を伸ばしてはきはきと答える。その姿に、私たちもつられるようにして笑った。和やかな笑い声が、暖かな春の部屋に響いていった。




 そうしてひとしきりお喋りしたところで、ミモザがふと何かに思い至ったような顔をした。


「ところで二人とも、もう今日の分の仕事は終わってるんだよね? お喋りもいいけれど、何かして遊ぶのはどうかな?」


 その言葉に、即座にレオナルドが声を上げた。


「ぼく、外に出たいです。またミモザさまの頭に乗りたいなあ」


「レオナルド、しばらくそれは控えろと、ファビオに言われているだろう」


 ヴィットーリオがすぐにたしなめる。けれど彼もまた、できることならそうしたいと言わんばかりの顔をしていた。


 先日、私たちは人払いをして中庭で遊んだ。竜の姿に戻ったミモザの手に乗ったり、頭に乗ったりして、ヴィットーリオたちはそれはもう楽しい時間を過ごしたのだ。


 しかしいくら人払いをしたところで、あれだけの巨体の存在を隠し通すことなどできない。


 地響きと共に聞こえてくる子供の楽しげな声と、中庭で転げまわる大きな白い影。そんな噂が、メイドや兵士たちの間でひっそりと話されているようだった。もう数十年もすれば、このことは王宮の怪談になっているかもしれない。


 結局私たちは四人揃ってファビオにお説教を食らう羽目になり、王宮内では竜の姿に戻らないようにと、きつく言い渡されてしまったのだ。最初の頃はミモザにおびえていたファビオも、もうすっかりミモザに慣れてしまったらしい。


「外遊び、ねえ……だったら今日は、私たちの家に泊まっていかない? 明日の朝一番に王宮に戻れば、問題はないと思うのよ」


「それ、いいね。僕たち二人とずっと一緒にいるのなら、王宮の外に出ても大丈夫だろうし」


 そう提案すると、二人は同時にぱっと顔を輝かせた。


「はい、行きたいです!」


「と言っても寝台が足りないから、二人で一つの寝台を使ってもらうことになるけれど、いいかしら」


 私とミモザが今住んでいるのは、王宮のすぐ外の森の中に新しく作った小屋だ。そもそも客を泊めることなんて想定していなかったので、寝台は二つしかない。


 だから私とミモザが同じ寝台を使い、空いたもう一つの寝台にヴィットーリオとレオナルドを泊めようと思ったのだ。


 しかし、そこでヴィットーリオが口を挟んできた。


「あの、できるのであれば……毛皮の寝床を使いたいです。私たちが貴女がたの小屋に初めて泊まった時に用意していただいた、あの寝床が懐かしくて」


 また恥じらったような顔で、彼はそっとうつむく。彼にとってあの小屋での暮らしは、忘れられない大切な思い出になっているのだろう。


「それはいいけれど、つまり床で寝る……ってことよね。あなたはともかく、レオナルドは大丈夫かしら」


「床で寝るのですか! 絵本で読んだことがあります! すごいです!」


 予想に反して、レオナルドは大喜びだった。幼い顔を期待でいっぱいにして、こちらを見つめている。


「……大丈夫そうだね」


 ミモザが心底おかしそうに微笑みながら、そっと耳打ちしてきた。


「それじゃあ、ロベルトに伝言してとっとと抜け出しましょうか」


 今でも、レオナルドの補佐を務めているのはファビオだった。だから本来なら、ファビオにも言っておくべきなのだろう。


 でもこんな計画がファビオにばれてしまったら、まず間違いなく阻止される。王を王宮から連れ出して、床で寝かせる。うん、どう考えても無理。


 だから外泊することを伝えておくのなら、その相手はロベルトしかいない。彼なら、うまいことファビオに話しておいてくれるだろう。


 もしファビオがレオナルドを連れ戻しにきたらと思わなくもないけれど……いっそ彼も外泊に巻き込むか、あるいはまたマジマの粉をぶつけるか。まあそちらについては、そうなった時に考えよう。


 大急ぎでメイドを呼んで、ロベルトに伝言を頼む。それから手早く準備を整えて、みんなですぐに王宮を抜け出した。かつてロベルトに案内されて通り抜けた、あの隠し通路を使って。


 実は私たちが王宮に出入りしているのも、ここなのだ。正門から入る気にはならないし、勝手口から入ろうとしたら使用人たちがかわいそうなくらい恐縮してしまったし。


 すっかりなじんでしまった暗い道を、わいわい騒ぎながら歩く。


 最初にここを通った時の私は、らしくもない悲壮感に満ちていた。けれど今は、とても幸せで満たされていた。こんな穏やかな日々がずっと続けばいいと、そう思わずにはいられないほどに。

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