第58話 復興に向かう街

「おおい、新しい荷が来たぞ」


 王都から遥か遠く、辺境の東に位置する大きな街。隣国との国境にかかる橋の近くには、屈強な男たちが幾人もたむろしていた。


 彼らはみな、隣国からやってくる荷馬車を待っていたのだ。こざっぱりとした身なりに、健康そうな顔色。少し前まで弱り切っていたとは思えないくらいに、活気に満ちた姿だった。


 やがてがたごとという音と共に、荷馬車が近づいてきた。あふれんばかりに荷を積んでいて、御者の顔にも笑みが浮かんでいる。


 そうして荷馬車が橋を渡り切り、男たちの前で止まる。男たちは御者とやり取りして荷を受け取り、いそいそと立ち去っていった。これからこの荷は、東の街のあちこちで売られるのだ。


 そんな男たちの中に、バルガスと仲間の姿もあった。彼らもまた手際良く、荷を手押し車に積んでいる。彼らが受け取ったのは大きなかごいっぱいの根菜と、麻袋に詰めた穀物だった。


 この東の街の近くにも畑はあるのだが、この街の人間全員の腹を満たすには足りない。だから彼らはこうやって、隣国から様々な食料を輸入しているのだった。


 手押し車に乗り切らなかった荷をかつぎながら、バルガスの仲間たちは朗らかに話している。


「正式に国境の封鎖が解けて、良かったよなあ」


「やっぱり、安心して国境を越えられるってのはいいよな。……まあ、魔女様のおかげで荷のやり取り自体はずっと前に再開してたんだけどな」


「本当に、魔女様には頭が上がらねえや」


「おうさ。それにしてもあの時の魔女様、かっこよかったよなあ。俺たちの先頭に立って、兵士たちに突撃していって」


「あんなに可愛らしいのに、俺たちの誰よりも勇ましいってさすがだよなあ」


「こらお前ら、無駄口叩いてねえでとっとと運べ」


 そう叱るバルガスの顔も、見事に笑み崩れていた。彼の脳裏に、初めて会った時のジュリエッタたちの姿がよみがえる。


 あの日、彼はただ一人飢えてさまよっていた。もし彼が街を行く二人に声をかけなかったら、いったい彼はどうなっていただろうか。


 きっと彼は、そのまま街の片隅でひっそりと生を終えていただろう。


 そして彼らが国境の橋を襲おうと決めた時に、彼女たちがこの街に来ていなかったらどうなっていただろうか。


 きっと彼らは、この街の領主によってあっという間に捕らえられてしまっていただろう。


 国境を襲った罪人を野放しにしておけば、王都の連中に目をつけられてしまう。そんな事態だけは絶対に避けたいと、領主はそう思ったに違いないのだから。


 しかしバルガスはまた命拾いした。国境の襲撃事件を知った王都のお偉方は当然のように領主を問い詰めてきたが、領主はそれに対してこう答えたのだ。


「国境を開放したのは、あの魔女様です。ここで私が国境を封鎖すれば、彼女の怒りを買ってしまうでしょう」


 領主はそう主張し続けて、王都からの追及をのらりくらりとかわし続けたのだ。正式に国境の開放が決まった、その時までずっと。


 結果としてジュリエッタに罪をなすりつける形になってしまったが、彼女はきっと気にしていないだろう。バルガスはそう確信していた。


「あいつら、元気にしてるかな。今度会ったら、前に恵んでもらった分の金、返さないとな」


 バルガスは無骨で粗野な雰囲気の男だったが、とても律儀だった。


 それもそうだろう、王都の連中のせいでこの街が危機に陥る前の彼は、男たちを率いて手堅く商売をしていたのだ。ちょうど、今と同じように。


 信用をないがしろにしたり、義理を忘れたら商売は成り立たねえよ。それが彼の口癖なのだ。だからあの二人にも、できる限り借りを返したい。彼はそう思っていた。


「……まあ、きっと受け取らねえんだろうな。だったらその時は、孤児院にでも寄付するかな」


 にっこりと笑って金貨を突き返す二人の姿が、バルガスの脳裏にはありありと浮かび上がっていた。




 バルガスたちはたくさんの荷物と共に、東の区画の一角にやってきた。彼らは今ここで、食料品を扱う店をやっているのだ。


 商売の経験があるバルガスに、力仕事が得意な男たち。今のところ、彼らの商売はとても順調だった。


「おや、新しい荷がきたんだねえ」


 腰の曲がった老婆が、ちょこちょこと頼りない足取りで店先にやってきた。彼女は積み上げられた根菜を見て、嬉しそうに笑っている。


 隣国の名産品であるこの根菜は、安くて栄養もあり、煮ても焼いても美味なのだ。そんなこともあって、入荷したそばから飛ぶように売れてしまう。バルガスたちはこまめに仕入れていたが、それでもしょっちゅう品切れになっていたのだ。


「こりゃあいいところに来たよ。バルガス、そいつを売っとくれ。三つ……いや、五つだ」


 そう言いながら、老婆は膨らんだ財布を取り出す。こんなにも弱々しい老婆がこれだけの金を安心して持ち歩けるくらいには、この辺りの治安も回復していたのだ。


 金を受け取りながら、バルガスが眉間にしわを寄せる。


「売るのはいいが、ちゃんと持って帰れるのか? けっこう重いぞ、これ」


「まあ、休み休み行けばなんとかなるだろうて。国境が封鎖された時には、もう二度と食べられないだろうと嘆いたものさ。あの時のことを思えばこれくらい、何とかなるよ」


 老婆の顔には大きな笑みが浮かんでいる。よほどこの根菜が好きなのだろう。バルガスもつられて嬉しくなってしまった。


「仕方ねえな、俺があんたの家まで運んでやるよ」


「おや、そうしてくれると助かるよ。だったらついでに、こっちのも買っていこうかねえ」


「おいばあさん、調子にのって荷物を増やしすぎるなよ」


 そんなやり取りに、店先にいた店員や客が揃って笑い声を上げた。よく晴れた空に似合う、からっとした笑いだった。




 それから少し後、バルガスは荷車を引いて老婆の家に向かっていた。老婆は荷物と共に、荷車の上にちょこんと収まっている。


 すれ違う人たちが朗らかに笑いかけてくる。彼らににやりと笑みを返しながら、バルガスはのんびりと歩き続けた。


 少し前まではひどい有様だった街並みも、徐々に元の姿を取り戻しつつあった。放置されていたごみは片付けられ、傷んでいた道や建物にも修理の手が入り始めた。


 初めて会った時、ジュリエッタたちはぼろぼろの街並みを見て眉をひそめていたものだ。そんなことを思い出して、バルガスが小さく笑う。目ざとくそれに気づいた老婆が首をかしげた。


「どうしたんだい、バルガス。突然笑ったりして」


「ああ、ちょっと魔女様のことを思い出してたんだよ」


 魔女の名を出したとたん、老婆が大きく笑った。かっかっ、という豪快な笑い声が歯のない口から漏れる。


「魔女様には本当に世話になっちまったねえ。あの方のおかげで、あたしもまた出歩けるようになったんだから。魔女様の薬は、驚くくらい良く効いたよ」


 この老婆は腰を悪くして、ずっと寝たきりだったのだ。それがジュリエッタが処方した薬を何回か飲んだとたん、急に快方に向かい始めた。そしてあっという間に、ゆっくりではあるが自分の足で歩けるまでになったのだ。


「魔女様にはほんと、どれだけ感謝してもし足りねえな。……どうにかして、恩を返したいもんだが」


「あたしもさ。ただ、どうしたものかねえ……お金はたくさん持ってたみたいだし、ちやほやされるのも好かない方のようだったから」


 老婆の言う通りだった。あの二人は子供にお小遣いをあげているような調子で金貨を差し出してきたし、身に着けているのも質素だがかなり上質のものだった。どう見ても、金には不自由していない。


 そして、ジュリエッタは自分の正体を知られることをかなり嫌がっているようだった。ごくありふれた旅の夫婦のふりをしていたい、彼女がそう考えていることは明らかだった。


 彼女の正体をロベルトが勝手にばらしてしまったと知った時の、彼女のあの凶悪な顔。それを思い出すだけで、今でもバルガスはぞっとしてしまうのだ。なぜか同時に、笑いも込み上げてはいたけれど。


「何か、いい方法はねえものかなあ」


「そうだねえ。今のところは、こうやって陰ながら感謝するしかないだろうねえ。感謝を形にできればいいんだけど」


 その言葉を聞いた時、バルガスの頭の中にある考えがひらめいた。それは少々子供じみているようにも思われたが、それでも実行に移してみる価値はあると、彼にはそう思えたのだ。


 手押し車の上の老婆と世間話をしながら、バルガスはこっそりと笑う。ジュリエッタと一緒に国境の橋に向かったあの日のように、心が浮き立つのを感じながら。




 次の日の朝早く、バルガスは東の区画にある広場に立っていた。かつてジュリエッタが病人たちを診た、あの場所だった。


 バルガスの手には大きな木の板。どうやら、古いテーブルか何かを解体したらしい、粗末だが頑丈な板だ。その表面には、何か文字が書かれている。


 普段と違う彼の様子に、通りすがりの人々が足を止める。バルガスは広場に集まった人たちをぐるりと見渡すと、広場の一番目立つところにその板を立てかけた。


「どうしたバルガス、朝から何してるんだ? ……『自由気ままな魔女と、その伴侶への感謝をここに記す』だって?」


 木の板に書かれた文言を読んで、人々が目を丸くする。そんな彼らに、バルガスは大きく笑って声をかけた。


「俺たちはあの魔女に救われた。みんな彼女には感謝してる。そうだろう?」


 彼の呼びかけに、広場のあちこちから声が上がる。そうだそうだ、お前の言う通りだ。そんな声だった。


「だからここに、その感謝のしるしを残すことにした。今はまだ俺たちも貧しいから、まずは木の板だ」


 バルガスがそう言いながら木の板を指し示すと、その場の全員の目がそちらを向いた。


「俺たちみんなで金をためて、いずれはちゃんとした石碑を建てようぜ。あの日のことと俺たちの思いを、ずっと先まで残すために」


 みな思いは同じだったらしい。バルガスの提案に、大きな広場が一気に沸き立った。


 その喜びっぷりに自分の考えが間違っていなかったことを確信しながら、バルガスは静かに笑った。


「……ありがとうな、ジュリエッタ、ミモザ」


 遠くの空を見上げながら、バルガスは口の中でつぶやいた。朝の太陽が、辺りをきらきらと軽やかに照らしていた。

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