閑話1 のどかな日々のこぼれ話

第57話 新たな生活をはじめよう

 ヴィットーリオたちに引き留められてしまった私たちは、王宮の近くで暮らす準備を大急ぎで整えることにした。


 しばらく彼らの近くに留まること、それ自体は構わなかった。けれど、ずっと王宮で暮らすのはごめんだった。


 私たちが望めば、それこそ王族と同じくらいの贅沢な暮らしもできただろう。けれど私たちには、自然の中の静かな暮らしの方が性に合っていた。


 だからロベルトに、人気のない静かな森が近くにないかと聞いてみたのだ。こっちにいる間の住処にしようと思うのと、そう言って。


 そうして彼らに教えてもらった明るい森の中を、今ミモザと二人でのんびりと歩いている。


「ここ、いい場所だね。王宮のすぐ近くにこんなに静かな森があるなんて、思いもしなかった」


「城下町の人たちはそもそも街の外にはあまり出ないし、この辺りには農村もない。だから、豊かな森が手つかずのまま残されているのかもね」


「王宮のそばだから、狩りも禁止されてる。平和でいいね」


「そうね、平和ね」


 そんなことを話しながら、ぶらぶらと森の奥に進んでいく。と、ミモザが足を止めて辺りを見渡した。


「ねえ、この辺りがいいんじゃないかな? 近くに小川もあるし、日当たりもいいよ。森の入り口からもそう遠くないのに、視線はちゃんとさえぎられてる」


 ミモザはそう言って、小川の近くの草地に足を踏み入れている。そこはちょっと盛り上がっていて、小さな丘のようになっていた。


「そうね。この地形なら、大雨になっても大丈夫そうだし。じゃあ、そこにしましょうか」


 笑顔でうなずき合い、同時に作業にかかる。これからここに、小屋を建てるのだ。


 まずはミモザが風の魔法で周囲の木を切り倒し、同じく風の魔法で運ぶ。


 竜の姿に戻ったほうが効率がいいけれど、こんな人里の近くで姿を変えるのは危険だ。最悪、城下町の人たちが大混乱に陥ってしまう。


 そして私が、用意してもらった木を加工の魔法で変形させて、床や壁を次々と作っていく。なんだかんだで百年以上使っているうちに、すっかり手際が良くなってしまった。


 あっと言う間に、床と壁が完成する。入り口と勝手口の扉と、さらに窓も。あとは屋根を取り付ければ完成だ。


「一から小屋を作るのはさすがに初めてだけれど、案外簡単ね。で、ここからは屋根なんだけれど……」


「屋根の加工は僕に任せて。僕だって、それなりに加工の魔法を使えるようになったし。高いところでの作業だから、僕のほうが向いてる」


「じゃあ私が、木を持ち上げればいいのね」


「うん、お願い」


 言うが早いか、ミモザは壁のでっぱりに足をかけてするすると壁の上に登っていってしまった。まるでリスのような、何とも軽やかな動きだ。


 辺境の小屋を初めて増築した時、ミモザはまだ加工の魔法を使うことができなかった。彼には家事を頼んで、私一人で試行錯誤しながら作業を進めていったものだ。


 あの頃は、こうやって二人で小屋を建てる日が来るなんて思いもしなかった。ふふ、本当にたくましくなったなあ。


 明るく笑いながらこちらに手を振っているミモザにうなずき返し、積んである木材を風の魔法で浮かせ始めた。




 私たちの新しい住処となる小屋ができあがるまで、ほんの数時間しかかからなかった。ぴかぴかの小屋を見上げながら、二人一緒に笑い合う。


「中々の出来よね。頑張った甲斐があったわ」


「住み心地も良さそうだね。となると、あとは荷物を運び込むだけなんだけど……」


 辺境の小屋を離れる時に、家財のほとんどは私特製の馬車もどきに積んで持ち出してきた。それらはひとまずそのまま、王宮で預かってもらっている。


「馬車をここまで持ってくるのは、ちょっと難しそうね」


 二人同時に、森の外に続く道に目をやる。人ひとりなら普通に通れるかなといった程度の、正直言って結構細い道だ。馬車を通すには、あまりにも細すぎる。


「だったら、道を広げる? でもそれだと、通りすがりの人とかがうっかり入り込んできそうだよね。立ち入り禁止の札を出すのも、逆に目立っちゃいそうだし」


 住み慣れた辺境の森は、白い竜が棲む魔女の森として恐れられていた。だから私たちも、他人にわずらわされることなくのんびりと暮らせたのだ。


 でもここではそうもいかない。すぐ近くには王都があるし、王都の人たちや旅人なんかがこの森に来ないとも限らない。


「私たちがここに住んでいることはできるだけ隠したいし、道を広げるのはなしね」


「夜にこっそり、僕が馬車をここまで持ってくる? この距離なら空を飛ばなくても、馬車を持って右から左に運べばいいし」


「うっかり誰かに見られたら、それこそ大ごとよ。王都は人が多いから、ちょっと難しいと思うわ」


「とすると、結局荷物を一つずつ運んでいくしかないみたいだね……」


 そうして二人で、顔を見合わせる。どちらからともなくにやりと笑い、弾む足取りで森から出ていった。




 それから少し後、私たちはせっせと荷物を運んでいた。森のすぐ外に馬車もどきを停めて、そこと小屋の間をひたすらに往復する。


「ジュリエッタ様には返しきれない恩がありますが……でも私は、肉体労働は、苦手で」


 小ぶりの箱を抱えながら、ロベルトがよろよろと歩いている。そんな彼を、大きな麻袋をかついだヴィットーリオがたしなめた。


「弱音を吐くな、ロベルト。レオナルド、重くはないか?」


「だいじょうぶです、にいさま。ぼくもがんばります」


「レオナルド様まで、このような……おいロベルト、お前ももっときりきり働け」


「うるさいですよ、ファビオ。私、もう、限界です」


 荷物運びの手伝いとして、私たちはロベルトとファビオを巻き込んだ。実のところ、最初はロベルトだけに頼むつもりだった。


 けれどたまたまそこにいたファビオが「罪滅ぼしとして私もお手伝いいたします」と申し出てきたのだ。彼はまだミモザのことがちょっと怖いらしく、どことなく目が泳いでいたけれど。


 人手は多いほうがいいし、ファビオになら小屋の位置を知られてもまあ大丈夫だろう。それに、恐怖を押して申し出てきたその根性は買ってやりたい。


 そうして二人を連れて廊下を歩いていたところ、またしてもたまたま散歩の途中だったヴィットーリオとレオナルドにばったりと出くわしてしまったのだった。


 これから私たちがしようとしていることを知った二人は、自分たちも手伝うといって聞かなかった。


 結局こちらが折れて、彼らもこうしてついてくることになったのだ。まあ……散歩の一種だと思えば。それに、私とミモザがいれば護衛としては十分だし。


 大人たちは大きな荷物を、子供たちは細々としたものを手にして、森の中をひたすら往復する。ヴィットーリオは体格に合わず、ロベルトよりも大きな荷物をせっせと運んでいた。


 そうして六人で懸命に運び続けたこともあって、思ったよりもずっと早く荷物運びは終わった。


 一人だけくたくたに疲れ果ててふらふらになっているロベルトが、死にそうな顔でつぶやく。


「……ああ……やっと、終わりましたか……それでは、失礼します」


「その前に、少し休んでいったら? 手伝ってくれたお礼に、お茶くらい振る舞うわよ」


 とんとん拍子に作業が終わったということもあって、まだ日が高い。ヴィットーリオたちもまだ帰りたくないという顔をしていた。


「いいのですか、ジュリエッタ様?」


「もちろんよ、ヴィットーリオ。そうだわ、支度を手伝ってくれる?」


 そうお願いすると、ヴィットーリオがぱっと顔を輝かせた。王族とは思えないくらい働き者の子だ。


 ミモザが荷物から取り出してきた毛皮を、ヴィットーリオが手際よく地面に敷いていく。そうしてレオナルドを座らせた。レオナルドは目をぱちぱちさせていたが、やがて楽しそうに笑う。


 それを見たロベルトが、よろよろと毛皮の上に崩れ落ちた。よほど疲れていたらしい。


「ファビオ、あなたは座らないの?」


 相変わらずくまが浮いた血色の悪い顔でじっと毛皮を見つめたまま、ファビオは立ち尽くしていた。私に声をかけられて、驚いたように目を見開いている。


「あ、いえ、こういうのは久しぶりですので、戸惑ってしまいました」


 ……久しぶり? それって、どういうことだろう。


 彼はまだ若いのに、王の側近などという重要な役目についている。だから彼は、きっと高位の貴族なのだろうと思っていた。こんな何もない森の中で、地面に敷いた毛皮に座ったことなんてないのだろうと。


 色々と気になることはあったけれど、ひとまずお茶の支度を始めることにした。ミモザと手分けして荷物から茶葉と茶器を出し、小川の水をくむ。


 魔法を使ってぱぱっと焚火を起こし、お湯を沸かす。その作業を、レオナルドは目を輝かせながら食い入るように見つめていた。


 さらにそんな彼を、ヴィットーリオとファビオは微笑みながら見守っている。……ファビオの笑顔って、ちょっと怖いかも。本当に、じっくり静養してクマと顔色をなんとかすればなあ。そう思わずにはいられない。


 ロベルトはよほど疲れていたのか、座ったまま器用に居眠りしていた。こちらの体力のなさはいつものことなので、そっとしておく。


 それからしばらくの間、私たちはのどかな時間を過ごした。みんなでお茶を飲み、のんびりと世間話に花を咲かせる。


 日差しはぽかぽかと温かく、風に乗って花の香りが漂ってくる。あの大騒動がやっと終わったのだとようやく実感できる、そんなひと時だった。






 その日の夜、できたばかりの小屋で私とミモザは眠りにつこうとしていた。


 家財道具は運び込んだものの、まだ机も寝台もない。でも、明日改めてゆっくり作ればいいと、私たちはそんな風にのんびりと構えていた。


 野宿には慣れているし、ここにはしっかりとした屋根も壁もある。寝台がなくても、これなら十分すぎるくらいだ。


 床に毛布を敷いて、二人分の寝床を作っていく。その時、ミモザがふと私の手を止めさせた。


「ねえ、せっかくだから今日は一緒に寝ようよ」


 そう言うと、彼は毛皮の敷き方を変えて、大きな一つの寝床を作り上げた。靴を脱いでその上に座ると、こちらに手招きしてくる。


「そうね、たまにはそういうのもいいかもね」


「えっ、そうなの? 本当は、僕はいつも一緒がいいんだけどな」


 わざとすねたように言うミモザの手を取って、彼の隣に座る。すぐ近くで彼の金色の目を見上げ、くすりと笑った。


「いつも一緒だと、新鮮味がなくなっちゃうわ。私たちの時間はまだまだたっぷりあるんだし、こういうちょっとした刺激は大切にしなくちゃ」


「ふふっ、そうかもね。だったら今夜は、あなたの温もりをしっかりと堪能しておかないと」


 ミモザは笑いながら毛布を広げ、そのまま私たちをすっぽりと毛布でくるむ。


「あったかいなあ、幸せだなあ。長いことみんなで旅をしていたから、こうやって二人きりなのは久しぶりだね」


 二人一緒に横たわって、ミモザの腕の中で、ミモザの声を聞く。


 小さな竜だった頃の可愛らしい鳴き声とも、初めて人の姿になった頃の幼く高い声とも違う、まろやかで低い、優しい声。


 ほっそりとした小さな腕も、しっかりと筋肉がついたしなやかな青年の腕になっていた。


「そうね。思えば前の春からずっと、にぎやかだったから……初めてあなたと出会った時は、こんなことになるなんて思いもしなかったわ」


 彼の腕に頭を預け、ぽつりぽつりと思うままを口にする。


「最初の頃のあなたは、とっても小さくて、可愛くて……まさか人間の姿になるだなんて、思いもしなかった」


 ミモザが小さく笑っているのか、吐息が耳をくすぐってくる。その感触に微笑みながら、さらにつぶやく。


「愛した人に二回も捨てられてすっかり人間不信だった私が、あなたと暮らして、あなたに支えられながら苦しみを乗り越えて……」


 ふわりと覆いかぶさってくる眠気に、声がどんどん小さくなる。


「……私、幸せよ。愛してるわ、ミモザ」


 最後の方はほとんどささやき声のようになっていた。ゆっくりと眠りに落ちていく途中、彼の声が聞こえたような気がした。


「僕もだよ。おやすみ、大好きなジュリエッタ」

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