第56話 二人一緒なら、どこだって
黒幕たちの悪だくみが明らかになり、王宮にうごめいていた闇は払われた。追放されていた他の大臣たちや文官たちも呼び戻され、至急国の立て直しを図ることになった。
ヴィットーリオも王族としての地位を取り戻し、王宮に戻ることになった。
けれど彼は、王であるレオナルドのそばで、王を支える道を選んだ。民に無用な混乱を与えたくはないからと、彼はそう言っていた。
そうして、狂っていた政治はすぐに改められた。税は元通りに軽くなり、隣国との国境の封鎖も正式に解かれた。
またこのようなことが起こらないように、隣国に使者が送られた。今後は、隣国と親交を深めていく予定だ。
そして私とミモザは、今もまだ王都に留まっていた。
うららかな春の日が差し込む寝台で、思う存分まどろむ。そうしていたら、ミモザが優しく声をかけてきた。
「おはよう、ジュリエッタ。朝ごはんできてるよ」
「……いけない、寝過ごしちゃったわね」
王都のすぐ外、遠くにせせらぎが聞こえる森の中にぽつんと建った小屋。私たちは、そこでのんびりと暮らしていた。辺境の森で暮らしていた時と同じように。
王宮がだいたい落ち着いたのを見届けた私たちは、みんなに別れを告げて辺境の小屋に戻ろうと考えた。
もう私たちがいなくても大丈夫だろうし、そろそろいつもの静かな暮らしが懐かしくなっていたのだ。
しかしそんな私たちを、ヴィットーリオたちは寄ってたかって引き留めてきた。それはもう懸命に。
「お願いですから、もう少しだけこちらに滞在してはいただけませんか」
ロベルトが眉をきゅうっと下げて、ほんのり上目遣いで頼み込んでくる。
「まだ色々と混乱も残っていますし、貴女がたがいてくださると、大変助かるのですよ。それにまだ、今までの恩返しが済んでおりませんから」
ファビオが気まずそうに、というか照れ臭そうに、わずかに視線をそらして言った。目の下のクマは相変わらずだけれど、ちょっと血色はよくなった気がする。
「私たちが引き起こした混乱の後始末を頼むようで心苦しいのですが、この国を守るためにお二人の力は必要なのです」
普段犬猿の仲であるロベルトとファビオが、珍しくも息を合わせて食い下がってきた。二人とも、それだけ必死だったのだろう。
もちろん、必死なのは二人だけではなかった。私に抱き着いて全身で引き留めようとするレオナルド、そんな弟をたしなめつつ顔が暗いヴィットーリオ。
「……ねえミモザ、これを振り切るのはさすがに……」
「うん。心が痛むよね。……もうちょっと、残ろうか」
結局私とミモザは彼らの願いを聞き入れて、もうしばらくこちらに残ることにしたのだった。
そんなことを思い出しながら、大きくあくびをする。朝食の香りに目を細めながら、寝室を出た。テーブルの上には、料理の皿が並んでいる。
「はい、野菜のスープと白パンだよ。大きな街の近くにいると、新鮮な食材が楽に手に入るのがいいよね。パンとかもすぐに買いにいけるし」
「ここに小屋を建てることにしたのは正解だったわね。王宮に近い割に、静かで過ごしやすいし」
私たちは王都のすぐ外に小屋を建て、そこで寝起きしている。朝食をとって身なりを整えたら王宮に出向き、一日ぶらぶらしたらまた小屋に戻る。
何十年も辺境の小屋で過ごしてきた私たちには、王宮の生活は息苦しかったのだ。ミモザはともかく、元は貴族だった私までそんな風に感じるなんておかしなものだ。
新鮮な肉と野菜がたくさん入ったスープと、柔らかなパンを口にする。どちらも、辺境の小屋ではたまにしか食べられないものだ。
あの辺境の森での素朴な生活が懐かしくないと言ったら嘘になるけれど、こういうちょっとしたぜいたくも悪くはない。
「たまには、こういうのもいいよね」
どうやらミモザも私と同じようなことを考えていたらしい。にっこりと笑いながら、せっせと食事を口に運んでいる。
「そうね。毎日ぶらぶらしてるだけっていうのも少し気が引けるけど」
「ヴィットーリオたちと出会ってから毎日忙しくしてたんだし、しばらく休養したっていいと思うよ。彼らは僕たちが近くにいるだけで嬉しいみたいだし」
「魔女と竜が王宮を守っている、って思ってるのかしら。私たち、別に何もしていないのにね」
「とか言って、また騒動になったらしぶしぶ首を突っ込むんだよね?」
「……否定できないわね。我ながらお人好しだとは思うんだけど」
「いいんだよ。あなたのそんなところも、僕は好きだから」
まだ木の匂いのする真新しい小屋で、私たちはいつものように談笑しながら朝食をとり続けた。
朝食を終えた私たちは、いつものように王宮を歩いていた。森で摘んだ可憐な野の花を集めた、小さな花束を手にして。
王宮の廊下をのんびりと進み、奥に向かっていく。その途中、ヴィットーリオとレオナルドに出くわした。少し離れたところに、護衛の兵士の姿も見える。
「おはようございます、ジュリエッタ様、ミモザ様」
口をそろえてそう言いながら、そっくりの兄弟は可愛らしく頭を下げる。
ただの客人に、王とその兄が頭を下げる。それは王族にはふさわしくない振る舞いではあったけれど、この王宮にはそれをとがめる者はいない。私もミモザも、もうすっかり有名人なのだ。
「おはよう、二人とも。こんなところでどうしたの?」
「朝の散歩です。この後はすぐ執務が待っているので、貴重な気晴らしの時間なんです」
「ぼくも一人前の王になるために、にいさまと一緒に勉強しているのです」
「レオナルド、『ぼく』ではなく『私』だろう」
元気よく答えるレオナルドを、ヴィットーリオがぴしりとたしなめている。けれど二人とも、それは幸せそうな笑顔をしていた。私とミモザもつられて微笑む。
そんな私たちに、ヴィットーリオが向き直った。
「お二人は、今日はどうされるのですか? お暇でしたら、また私たちのところに顔を出していただけると嬉しいです」
「これから、ちょっとあいさつに行こうと思ってるのよ」
言いながら、手にした花束を掲げてみせる。ヴィットーリオはそれで理解したらしく、生真面目な顔でうなずいた。
首をかしげているレオナルドに「あとで説明するから」と耳打ちしているのが聞こえた。
「あいさつが済んだら、後で遊びにいくわ」
「空き時間にでも、一緒に魔法の練習をしようか」
私たちがそう声を答えると、二人はぱあっと顔を輝かせた。父王を亡くして政治にかかわることになってしまったとはいえ、彼らはまだまだ子供なのだなあと、そう実感させる表情だった。
魔法の練習は、二人が気に入っている気晴らしの一つだ。わずか一年足らずで基礎の魔法を身に着けたヴィットーリオを見て、自分もやってみたいとレオナルドがやる気になっているのだ。
「それでは、お待ちしています」
「ジュリエッタさま、ミモザさま、遊びにきてくださいね!」
元気よく手を振る二人に見送られながら、私とミモザはさらに奥へと向かっていった。
王宮の一番はずれ、普段はほとんど人通りのないところ。そこに、私たちの目的地はあった。
飾り気のない小さな庭、そこに大きな石の彫刻のようなものが置かれている。繊細な模様が全体に彫り込まれたその彫刻には、ちょうど人ひとりが通れるような穴が開いていた。
ためらうことなく、その穴に踏み込む。すべらかな石の床は、すぐに下り階段になっていた。
無言で階段をどんどん下っていくと、やがて大きな空間に出た。壁も床も天井も、全て石でできたそこは、王家の者が眠る墓地だった。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、私たちの足音が高い天井で幾重にも反響する。
棺を一つずつ確認しながら、ゆっくりと進む。やがて、目当ての棺を見つけた。
とても豪華な、ほんの少し古びたその棺の上に、持ってきた花束を置く。何もかもが死の臭いをまとったこの場所で、質素な花束は場違いなほど生き生きとしていた。
「久しぶりね、ヴィート。あいさつに来てあげたわよ」
もちろん、何も答えは返ってこない。私の声だけが、妙に明るく辺りに響いている。
「あなたの子孫、まだ小さいのに見どころがあるじゃない。真面目で頑張り屋で、そのくせ謙虚で……とにかく偉そうだったあなたとは大違いだわ」
それでも、話し続ける。まるで彼が目の前にいるかのように。
「あの子たちがあなたみたいに馬鹿な女に引っかからないように、立派な王になれるように、もうしばらく見守ってあげるわ。感謝しなさいよ?」
触れた棺の表面はとてもなめらかで、そして冷たかった。
もうしばらく、私はこの王宮に足を運び続けるだろう。
生まれ育った屋敷でもなく、長く暮らした辺境の小屋でもない、おまけに婚約破棄されたという忌まわしい思い出まであるこの地に。
でも、自分がどこにいるかは大した問題ではなかった。だって、私のそばにはミモザがいるから。
不幸のどん底で出会い、それからずっと一緒にいてくれた私の大切な伴侶は、これからも変わらずそばにいてくれる。彼がいてくれるなら、暮らす場所なんてどこでもいい。
無言でミモザを見つめると、彼も何も言わずに微笑みかけてくれた。彼の手を取り、そっと握る。優しい温かさが、ゆっくり伝わってきた。
「そろそろ行こうか、ジュリエッタ。ヴィットーリオたちが待ってるよ」
「そうね。今日は何をして遊んであげましょうか。魔法の実践も兼ねて、畑でも作ろうかしら。王宮の中庭の一角に、ちょうどいい感じの空き場所があったし」
「いいね、それ。たぶんファビオの胃がまた痛くなるとは思うけど」
「だったら、特製の胃薬を差し入れてあげなくちゃ。たまには魔女らしく、ね」
「なら僕は、竜の姿であの子たちと遊んであげようかな。レオナルドも、あの姿を気に入ってくれたみたいだし」
「それこそファビオの胃に穴が開くわよ」
そんなことを楽しく話しながら、私たちは地上へ向かっていった。優しい春の光に満ちた、暖かな場所へ。
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