第53話 待ち望んだ目覚め

 王の居室に駆けつけてきた兵士の数は、思っていたよりずっと多かった。


 ファビオを眠らせて部屋を抜け出した私たちは、すぐに兵士たちと出くわしてしまったのだ。急いで別の方向に逃げたものの、その先でまた別の兵士たちに鉢合わせてしまう。


 そうやって逃げ続けているうちに、私たちはテラスにつながる廊下に追い詰められてしまっていた。しかも前にも後ろにも兵士が詰めかけている。


 兵士たちは剣こそ抜いていなかったが、今にもこちらに襲いかかってきそうに見えた。


 いつものあの魔法、人間だけを焦がす光の雪を何回か放ったものの、兵士たちは逃げ出さなかった。


 私たちは王であるレオナルドを連れている。だからこそ兵士たちは攻撃してこない。けれど彼がいるからこそ、兵士たちは退くこともない。それこそ命にかけてでも、王を奪還しようとするだろう。


 確実に逃げるのなら、レオナルドを置いていったほうがいい。それは分かっていた。


 けれどできることなら、レオナルドとヴィットーリオを離れ離れにしたくはなかった。互いを大切に思っている幼い兄弟の思いを尊重してやりたかった。


 それに、レオナルドを王宮から連れ出してしまえば、彼の後ろにいた黒幕はまた新たな王を立てるかもしれない。そうなれば、レオナルドは自由だ。ヴィットーリオと一緒に、どこか遠くで幸せに暮らせるかもしれない。


 そんな甘い考えも、実のところあった。もちろん、本人たちには内緒だけれど。


「でもそれも、この局面を切り抜けてからなのよね……」


 ずらりと並んだ兵士たちは、食い入るような目でこちらを見ている。彼らに見せつけるように深々とため息をつきながら、必死に考えを巡らせる。


 今ここで戦えるのは私だけなのだから、しっかりしないと。考え事をしている場合ではない。


「光の雪の威力を上げれば、それで済みそうなのだけれど……」


 できることなら、兵士たちを傷つけるのは最小限に留めたかった。彼らはこの王宮を守るという務めを果たそうとしているだけだし、ファビオのようにむかつく顔をしている訳でもない。


 けれどどうやら、そんな甘いことを言っていられる状況ではなさそうだった。


「……仕方ないわね。みんな、私のそばを離れないで。……危ないから」


 既に私たちは、テラスの扉の前まで追いこまれていた。扉を背にして、扇形に取り囲んでくる兵士たちとにらみ合っている状態だ。


 扉にはめられたガラス越しに降り注ぐ月光はとても静かで、涼やかだった。その清らかさはこの緊迫した場にあまりにも似合わなくって、どうにもおかしかった。


 覚悟を決めて腕を伸ばし、光の雪の魔法を使おうと意識を集中する。


 しかしその時、兵士たちの顔にわずかな動揺が走った。そして彼らがいきなり左右に分かれ、ファビオがゆったりと姿を現す。え、さっき眠らせたところなのに。


 おそらく彼は、駆けつけた誰かに解毒剤を飲まされたのだろう。彼はまだ少し眠そうにしていたけれど、意識ははっきりとしているようだった。疲れた様子も、目の下に浮かんだクマも相変わらずだ。


 どうせなら、あのまま朝までゆっくり寝ていてくれれば良かったのに。私たちにとっても、彼にとっても。


 そんなことを考えている間にも、ファビオはゆっくりとこちらに歩いてくる。魔法を使おうと掲げた手を前に突き出し、こちらに来るなと主張する。


 ファビオは私の手がぎりぎり届かない距離まで近づいてくると、ゆっくりと口を開いた。


「レオナルド様、お戻りください」


「嫌だ。わたしは戻らない。わたしはにいさまと共にいると決めたのだ」


 私の背後から、きっぱりとした声が聞こえてきた。レオナルドだ。ぐるりと兵士に囲まれているというのに、幼いその声にはおびえもためらいもなかった。


「ヴィットーリオ様と共におられるのであれば、レオナルド様も追われる身となります。そのことを、覚悟されておられるのでしょうか」


 そう指摘されて、レオナルドが一瞬言葉に詰まった。しかしすぐに、彼はまた声を張り上げる。


「かまわぬ! ……ファビオ、わたしからも聞きたいことがある。そもそもなぜ、にいさまが追われるようなことになったのだ」


 幼いながらも威厳に満ちた言葉に、今度はファビオが顔をこわばらせた。ひどく苦しそうに、小声でつぶやく。


「答えたく、ありません」


「これは命令だ。説明せよ、ファビオ」


 今のレオナルドの声音は、驚くほどヴィットーリオのそれに似ていた。言うならば、王者の貫禄を備えた声。


 とうとうファビオは観念したのか、小さく息を吐くと静かに話し始めた。


「……私は、この身に代えてもこの国を守りたいと、そう思っています。そしてそのためなら、何でもすると決めました」


「何でもする? にいさまを追放したのも、この国を守るためだというのか」


「……はい。そして隣国との取引を禁じたのも、重税を課したのも、全てはこの国を守るためなのです」


 彼は目を伏せたまま、それでもきっぱりと言う。しかし次の瞬間、突然顔を曇らせて肩を落としてしまった。


「……もっとも、ヴィットーリオ様の命を狙うつもりは、私にはありませんでした。言い訳にしか聞こえないでしょうが」


 私には、という言葉がやけに強調されていた。つまりあの近衛兵を動かしたのは他の誰かの仕業なのだと、ファビオはそう言っているように聞こえた。精いっぱい好意的に解釈すれば、だけれど。


「ずっと前から、隣国が不穏な動きを見せています。隣国は周囲の国を次々と攻め落とし、領土を拡大し続けています。このままでは我が国も、隣国に飲まれてしまうでしょう」


「……なるほど。だから貴方たちは隣国との国境を封鎖した。そして民から巻き上げた金で、隣国との戦に備えた。そういうことでしたか。ああ、やっと納得がいきましたよ」


 するりとロベルトが口を挟んでくる。表情豊かなその声に、たっぷりと軽蔑の響きを乗せて。そして彼は、さらに言葉を続けていった。


「ヴィットーリオ様を追放し、ずっと幼いレオナルド様を王に据えたのもそのためですね。こんなやり方はヴィットーリオ様は決してよしとされませんし、レオナルド様であれば陰で操るのも容易ですから。まったく、下種の極みですね」


「知ったような口をきくな、ロベルト!」


 ファビオがこらえきれなくなったように叫ぶ。けれどその声は、ひどく悲痛なものだった。


「私だって、ヴィットーリオ様を追放などしたくはなかったのだ! しかしそうしなければ、この国が滅びてしまう! もう一刻の猶予もないのだ!」


 震える声で叫ぶ彼は、嘘を言っているようには思えなかった。しかし同時に、腑に落ちないものを感じていた。


 ファビオはまるで、今すぐにでも隣国が攻めてくるかのような物言いをしている。


 けれど私たちが実際に会った隣国の兵たちは、とてもゆったりと構えていた。装備も適当で、態度は農夫のようにのどかで。


 隣国が勢力を拡大しているのだとは言っていたけれど、今すぐに大きな戦が起こるような気配はみじんも感じられなかった。


 あの近くに軍なんかがいたら、間違いなくミモザが気ついたはずだ。それに隣国と親しくしていた東の街の人たちも、隣国のことを警戒してはいなかった。


 どうにも、嫌な感じだ。どこかで情報がおかしくなっているような気がする。


 ここは隣国の国境とは遠く離れているから、伝達の途中で何かあったのだろうか。あるいは、どこかで意図的に情報がゆがめられている、とか。


 考え事をしている私の背後から、今度は別の声がした。ずっと黙って話に耳を傾けていたヴィットーリオが、ゆっくりと口を開いたのだ。


「ファビオ、お前の言い分は理解した。それでも……他にやりようは、なかったのだろうか」


「ヴィットーリオ様、もう手段を選んでいるだけの時間はないのです。一刻も早く兵を集め、軍を国境に差し向けなければなりません。さもなくば、力のない私たちはすぐに滅びてしまうでしょう」


 隠していたことを打ち明けてしまったからなのか、ファビオはやけにさっぱりとした顔をしていた。そして、自分がなすべきことについての迷いも、ついでに吹き飛んでしまったようだった。まったく、迷惑な。


 いっそ彼に、実際に隣国を見たと言ってやろうか。ああ、でもきっと彼は私の言葉も受けつけないだろうな。ヴィットーリオが説得して駄目だったのだから。


 いきなり現れて平手打ちをくらわせ、王をさらった魔女の話なんて聞きそうにない。彼、どうも真面目すぎるくらいに真面目みたいだし。


 となると、まずは彼に冷静になってもらわないと。解毒剤を飲んでいるだろうから、しばらくはマジマの粉も効かないだろうし……。


 どうしたものかと小さくため息をついたその時、急に辺りが暗くなった。




 兵士たちがあんぐりと口を開けて、私たちの背後を見ている。ついさっきまでは危うい雰囲気を漂わせていたファビオも、目を大きく見開いて固まっていた。まるで子供のような表情で。


 彼らの視線の先を追うようにして振り返ると、テラスの上に大きな何かがそびえたっているのが見えた。その何かが月の光をさえぎり、私たちがいる廊下に影を落としていたのだ。


 とっても大きな金色の目が、まっすぐにこちらを見つめていた。月光に白く輝くつややかな鱗、力強く張り出た大きな翼。それは紛れもなく、ミモザだった。

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