第51話 兄弟の絆

 風の魔法でマジマの粉を王宮の中にたっぷりと送り込んでから、しばらく経った。耳を澄ませても何の物音もしない。


 カバンから小瓶を取り出して一気にあおり、そろそろと王宮の廊下のほうに身を乗り出す。


 壁から半分突き出したような形で周囲をうかがうと、曲がり角のあたりにメイドや兵士が倒れているのが見えた。よし、成功だ。


 すぐに隠し通路に戻り、少し後ろで様子を見ている二人に小瓶を一つずつ手渡す。


「はい、これ。王宮に入る前に飲んでね」


「……あの、これは一体……それにジュリエッタ様は今、何をなさったのでしょうか?」


 素直に小瓶を受けとりつつも、ロベルトがためらいがちに聞いてくる。


 二人ともずっと、私が背負ったマジマの粉の袋を気にしていた。でも私は、これが何なのか説明していなかった。ぬか喜びをさせたくないから、そんな理由で。


 でも、もう話してもいいだろう。どうやら、私のもくろみはうまくいったようだし。


「これね、マジマの粉って言って、とても良く効く眠り薬なの。今それを、風に乗せて王宮に思いっきりまき散らした」


 背中の袋を指さして、それから王宮の廊下のほうを指す。


「で、その小瓶が解毒剤なの。まだ王宮の中はマジマの粉で満ちているから、それを飲んでおかないとあっという間に眠りに落ちてしまうわ」


 その言葉に、二人が大急ぎで小瓶の中身を干す。


「さあ、行きましょう。この近くの人たちはみんな眠っているから、王のところまで楽にたどり着けるわよ」


 そう言いながら、細い隙間を通って王宮の廊下に足を踏み入れる。


 これでヴィットーリオは、王に会える。兄と弟が再会し、しっかりと話し合うことができれば、この国も変わるかもしれない。


 病んだ国を救うための薬として、私は無意識にマジマの粉を選んだ。その理由が、分かったような気がした。




 そうしてマジマの粉が舞う中を、三人並んで静かに歩く。仕事中のメイドやら巡回中だったらしい兵士やらが眠っているのを蹴飛ばさないように気をつけつつ。


 マジマの粉は、とても強力な眠り薬だ。ほんの少し吸い込んだだけで、朝までぐっすりと眠りこける。しかもいい夢のおまけつきだ。


 おまけに、効き目が強い割には副作用もない。そんなこんなで、マジマの粉は不眠症の治療薬としてよく使われる。でも、これだけの量を一度に使ったのは初めてだ。


「よかった……これなら、兵士たちと戦わずに済みますね」


 ヴィットーリオがほっとした顔で、胸をなでおろしていた。


 王宮に忍び込み王と話すとなれば、どうあっても王の周囲を守る兵士たちを排除しなくてはならない。


 それ自体は、そこまで難しいことではない。前に近衛兵を蹴散らしたあの光る雪の魔法を使えば、どれだけ兵士がいてもあっという間に大混乱だ。


 でも、ヴィットーリオにとっては今でも、兵士たちは大切な臣下のようだった。だから、そんな兵士たちと争うのは、やはり嫌だったらしい。


 そんな彼に微笑みかけて、また前を向く。この先に、王の居室があるのだ。


「そうね。でも、急ぎましょう。いずれ異変を察知して、誰かがやってこないとも限らないから」


 隠し通路から風の魔法を使っただけでは、王宮全体にマジマの粉を行き渡らせることは難しい。


 だからいずれ誰かが駆けつけてくるだろうし、王宮には解毒剤も置いてあるはずだ。もたもたしている時間はない。


 私たちはうなずき合うと、早足で進み始めた。目的地までは、あと少しだった。




 ヴィットーリオの歩みが、どんどん早くなる。王の居室の扉が見えてきた頃には、もう小走りになっていた。


 彼は扉の前に倒れている衛兵をまたぐのすらもどかしいといった様子で、重たく大きな扉を全身で押し開けている。


 そこは、ひときわ豪華な部屋だった。片隅の椅子で、メイドが座ったまま眠っている。でも、王らしき人物はいない。


 そしてその部屋の奥に、さらに奥に続く扉があった。ヴィットーリオはわき目も振らずに扉に駆け寄り、止める間もなく奥に飛び込んでいく。


 一足遅れて、私とロベルトも奥の間に足を踏み入れる。そこにいたのは、大きな寝台で眠っている子供と、その子供に寄り添ったヴィットーリオだった。


「その子が、王?」


「はい。私の弟です」


「だったら、彼にも起きてもらわないとね。はい、解毒剤」


 少し多めに持ってきた解毒剤の小瓶をヴィットーリオに渡す。彼は慎重に、少しずつ解毒剤を子供に飲ませ始める。子供の喉が、小さく動いた。


 そうして、閉ざされていたまぶたがゆっくりと開いた。ぼんやりとした青い目が、ヴィットーリオをとらえる。


「……にいさま?」


 とてもあどけない、可愛らしい声が子供の唇からこぼれる。ヴィットーリオは感極まったのか、子供をぎゅっと抱きしめてしまった。


「ああ、そうだレオナルド。ようやく、会えた」


「にいさま、どうしたのですか。泣いているのですか」


 子供――ヴィットーリオの弟にして現王、まだ七歳でしかないレオナルド――は、まだ寝ぼけているのかとろんとした目をしたまま、自分を抱きしめているヴィットーリオに手を伸ばしていた。


 ヴィットーリオと同じ金の髪と青い目をした彼は、その面差しもまた兄によく似ていた。あのヴィートにそっくりな顔が二つ。どうにも複雑な気分ではあった。この子たちに罪はないのだけれど。


「ご無事でよかった、にいさま。視察の時に行方が分からなくなられたと聞いて、ぼくはとても心配していたのです」


 年の割には大人びたレオナルドの言葉に、私は隣にいたロベルトと顔を見合わせる。ヴィットーリオも体をこわばらせていた。


 もしかして、彼らが追放されたということは、王であるレオナルドには知らされていなかったのだろうか。


 ヴィットーリオが一生懸命動揺を隠しつつ、静かな声で問いかけている。


「レオナルド……私が行方不明だとお前に告げたのは、誰なんだ?」


「ファビオです。今は彼が、ぼくの補佐をしてくれています」


 レオナルドの答えに、ロベルトが肩を怒らせた。ちょうど、毛を逆立てている猫のような雰囲気だ。


 再会を喜ぶ二人に気づかれないように、隣のロベルトに小声で尋ねる。


「ねえロベルト、そのファビオっていうのは誰?」


「彼は大臣の一人で、この王宮にいる人間の中でも、飛びっ切りの石頭ですよ。とにもかくにも融通が利かない男で、私とは犬猿の仲でした」


 心底嫌そうにそう答えたロベルトが、ふっと真顔になる。


「……それでも、王を隠れみのにして悪さをするような人物ではないと思っていたのですがね。どうやら私の見立て違いだったようです」


 この王国がおかしくなっているのは、幼い王の背後に隠れた連中が好き放題やっているせいだと、民たちはそう口々に訴えていた。


 だったら、そのファビオとかいう男を説得するなり捕らえるなりすれば、今のこの状況はどうにかなるのだろうか。


 ……たぶん、そうではない。黒幕は一人ではないような、そんな気がする。第一王子を追放して、第二王子を玉座にすえる。そんな真似をしてのけるには、一人では難しいと思う。


 それでも、ファビオが何かのとっかかりになるかもしれない。


「後で、その男も探す必要がありそうね」


「まったくもって同感です。どうしてこんなことになったのか、奴の口からなんとしても吐かせなくてはなりませんね」


 ロベルトの目には、珍しくも好戦的な光がきらめいていた。それにつられるようにしてにやりと笑う。


 私たちがそんな密談をしている間も、ヴィットーリオとレオナルドは嬉しそうに抱き合ったままだった。


「レオナルド、私は行方不明になったのではなく、追放されたのだ。そして先日、私を始末するために近衛兵が差し向けられた」


 ヴィットーリオが告げた事実に、レオナルドが目を真ん丸にした。


「……そんな、追放なんて……。ぼくはにいさまを、ずっと探していたのに。どこかで生きているのではないかと思って、ずっと」


 レオナルドがべそをかきながらヴィットーリオにしっかりとしがみつく。仲のいいその姿を見ていると、今の状況も忘れて和んでしまう。


 そっと隣をうかがうと、ロベルトもとても優しい目をしていた。


「おそらく、お前の陰で動いている者たちは、私の存在が邪魔になったのだろう」


「ぼくの陰で動く者……それは誰なのでしょうか。にいさま、一体何が起こっているのでしょうか」


「レオナルド、私はそれをお前に伝えにきたのだ。お前が知らないところで、様々なことが動いている」


 ヴィットーリオが弟の両肩をしっかりとつかみ、正面から彼の顔を見つめる。彼もまだ十歳の子供でしかないというのに、今の彼はひどく大人びて見えた。


「隣国との国境そばの街では、重税が課せられた上隣国との取引が禁じられ、民は絶望のどん底にいた。それも、お前の陰にいる者たちの仕業だ」


「……そんな……知りませんでした」


 一方のレオナルドは、不安げに唇を震わせている。年相応の、幼い子供の表情だ。


「ファビオたちは、『民はみな幸せに暮らしています、どうか心配なさらぬように』といつもぼくに言っていたのです。そんなことに、なっているなんて……」


 レオナルドが懸命に涙をこらえながら、ぐすぐすと鼻を鳴らしている。ヴィットーリオはそんな弟をなだめるかのように、静かに語りかけていた。


「そうか、お前はずっとあざむかれていたのだな。けれど私は、悪しき政治のせいで苦しむ民の姿をこの目で見てきた」


 二人の間で繰り広げられる重々しい会話は、とても七歳と十歳の子供のものとは思えなかった。


 ふと、怒りが込み上げてくる。こんな子供たちにこんな会話をさせることになった、その元凶に対しての怒りが。


「……やはり、ファビオとかいう男に聞くのが一番早そうね」


 私のそんな独り言に、抱き合っていた二人が同時にこちらを向いた。ヴィートの面影を色濃く残す二つの顔に同時に見つめられて、さすがの私も少したじろぐ。


「あの、にいさま。その……この方は、どなたですか」


「魔女様だ。ヴィートお祖父様がかつてこの王宮に呼ばれた、ジュリエッタ様だよ」


 ヴィットーリオがそう答えると、レオナルドはぱあっと顔を輝かせた。そうして兄の腕からするりと抜け出すと、とたとたと私の目の前までやってきた。


「はじめまして、魔女様。ぼくはこの国の王、レオナルドです」


 そこまで礼儀正しく言った後、彼は不意にもじもじし始めた。


「……あの、白い竜様もおられるのですか?」


 その表情を見るに、どうやらレオナルドもミモザに憧れていたらしい。ヴィートの日記でも読んだのか、あるいはロベルトから聞いていたのか。


「今はちょっと別の場所にいるのよ。また機会があったら会わせてあげるわ」


 そう答えると、レオナルドはかわいそうなくらいしょんぼりとしてしまった。その様子に、彼をここからさらってあの宿屋まで連れていってしまおうかなどという考えが頭をかすめる。


 いや、今はそれよりも先にやることがある。とにもかくにも、ファビオとかいう男を大急ぎで探し出して、何がどうなっているのか聞きださないと。


「それよりも、ファビオに会いたいの。レオナルド、彼はどこにいるのかしら」


 そう言ったとたん、背後の扉が大きな音を立てて開いた。


 反射的に振り返ると、そこには黒髪の男性が立っていた。彼は険しい顔で、何か言っている。しかしその声は、私の耳を右から左へ素通りしていった。


 私はただぽかんと口を開けたまま、彼の顔をまじまじと見つめることしかできなかったのだ。

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