第50話 薬師にして魔女

 王都に入り、懐かしさに自然と目を細める。


 ここは変わっていない。私がまだ子供だった頃から、ずっと。


 最後にここに来たのは、確か……ヴィートに呼ばれた、あの時だったかな。となると、もう三十年くらい前か。


 でも、街は同じだ。東の街のようにさびれることもなく、かといってさらに栄えることもなく。


 時を止めて生きている私から見ても、今のこの街はどことなく奇妙なものに思えていた。


 そんなことを考えながら、宿屋を探していく。


 いざという時逃げ出しやすいように門の近くで、荷物を安全確実に預かってもらえるような、できるだけ高級な宿がいい。どうせ、お金には不自由してないし。


 そうこうしているうちに手頃な宿を見つけたので、部屋を借りて馬と馬車を預ける。それから、宿の人たちの手を借りてミモザを客室に寝かせた。


「こちらの方は、どこか具合がよろしくないのでしょうか。よろしければ、お医者様をお呼びいたしますが……」


 宿の人が心配そうな顔で、礼儀正しくそう申し出てくる。その心遣いに感謝しながらも、小さく笑って首を横に振った。


「大丈夫よ。彼は魔法の使い過ぎで眠っているだけなの。それに私は薬師だから、看病はできるわ」


「かしこまりました。それでは、何かありましたらお申しつけください」


 私の言葉を聞いて、宿の人はうやうやしく礼をした。そうしてそのまま、客室から出ていく。


 これで準備は整った。後は、街の外で待っている二人に合流するだけだ。


 それは分かっていたけれど、私は部屋から出ることができなかった。これからの大仕事を前に、ほんの少しだけ、ミモザと二人の時間が欲しかった。


 ゆっくりと寝台に歩み寄り、眠るミモザの耳元でささやく。


「……ミモザ、あなたはここで待ってて。ちゃんと迎えに、来るから」


 いけない、また涙ぐんでしまった。袖で目元をぐいと拭い、静かに眠るミモザの額にそっと唇を落とした。気のせいか、彼がほんの少し身じろぎしたように思えた。


 悲しさを追い払うように、いつも通りの声音でミモザに話しかける。


「王都の外にある隠し通路から王宮に忍び込んで、王と話をつける。改めて口にすると、何とも無謀な話よね」


 ミモザの頬に触れながら、思いつくままぽつぽつと語りかける。当然ながら、彼は何も答えなかった。


「きっと、ヴィットーリオたちは王の説得に失敗すると思うの。正確には、王の背後にいる者たちに邪魔される、かしらね」


 王宮は、王とその臣下たちの領域だ。ヴィットーリオの幼い弟である王は、私たちに味方してくれるかもしれない。でもきっとそれ以外の人間は、私たちの敵だ。そう思っておいたほうがいい。


「だから私は、彼らが無事に王宮を出られるよう全力を尽くすわ。そうしたら、またここに戻ってくるから。みんなで一緒に逃げましょう」


 そこまで口にしたところで、ふっと不安が襲ってきた。


 私一人で、できるだろうか。あの二人を守りながらここまで戻ってきて、ミモザや馬たちと一緒に王都を脱出する。それはとても困難なことのように思えた。


「……あなたがいてくれたら、何も怖くなかったのに」


 深くため息をついて、ミモザの手を握りしめる。普段と変わらず温かい彼の手は、やはり動くことはなかった。


「それじゃ、そろそろ行くわ。……また、後でね」


 部屋の入り口のところまで歩いてから、名残惜しさにちらりと後ろを見る。眠り続けるミモザは、気のせいか少し微笑んでいるように思えた。




 それから大急ぎで、ただし目立たないように気をつけながら用を済ませ、王都を出る。少し大回りして、王都のすぐそばにある森へ向かった。ここに、ヴィットーリオとロベルトが隠れているのだ。


「遅くなってごめんなさい、私よ」


 そんなことを言いながら森をがさがさと歩く。ミモザがいてくれれば、二人の気配を聞き取ってくれたのだろうけど、あいにく私の耳はそんなによくない。


「ジュリエッタ様、こちらです」


 どうやら私の声を聞きつけてくれたらしく、近くの木陰からロベルトが姿を現した。よかった、合流できた。


 彼についていくと、森のさらに奥にある小さな崖の下で、ヴィットーリオが身を小さくして息をひそめているのが見えた。私の姿を見て、ほっとしたような顔をしている。


 三人並んで崖の下に腰を下ろしながら、ひそひそ声で話す。


「ミモザと荷物は門の近くの宿屋に預けてきたわ。あとは、夜まで時間をつぶせばいいのだけれど……ここで大丈夫なの?」


「はい。ここまで奥に来れば、巡回の兵士たちもやってきません。大きな声を出せばさすがに見つかるかもしれませんが」


「分かったわ。だったら今のうちにしっかりと休んでおきましょう。夜になったら大仕事が待っているから」


 言いながら、大きな布にくるんだ包みを二人に差し出す。宿を出てすぐ、見かけた店で買ってきたものだ。


「……ほらこれ、さっき買ってきたの。旅用の携帯食じゃ、味気ないでしょう?」


 そうしてめいめい、手にした包みを開く。中から出てきたのは、大きくて温かいパン。その上側には、切込みがぐるりと丸く入っている。


「おや、私はこの料理に目がないのですよ。ありがたいですね」


「ロベルト、これはどういった料理なのだ? ありふれたパンのように見えるが、もっと別のいい匂いがする」


 パンを見て嬉しそうに目を細めるロベルトに、ヴィットーリオが好奇心を隠せない顔で問いかけている。彼が年相応の幼さを見せていることに、少しほっとした。


「これは固く焼いたパンの中心をくり抜いて、そこに肉や野菜を炒めたものなどを詰め込んだものです。王都の平民たちに人気があるんです。持ち運びしやすくて、味も色々変えられますから」


「そうか……これが、平民の味、か……」


 ヴィットーリオはパンをじっと見つめていたけれど、やがて大きく口を開けてかぶりついた。ほのかに微笑みを浮かべながら。


 最初に私の小屋にやってきた頃の彼は、こんな風に手づかみでものを食べることをためらっていた。それが今では、すっかり普通の子供のように無邪気に食事を楽しんでいる。


 彼が追放されたのも、決して悪いことばかりではなかったのかもしれないな。ふと、そう思った。




 食事を終えて、そのままうとうとして。そうしていたら日が暮れて、次第に暗くなっていく。でも、ここを発つにはまだ早い。


 常緑の茂みのそばの地面を、加工の魔法を使って掘り下げた。そこに小さな焚火をおこし、暖を取る。


 この辺りは、小屋のある辺境よりはずっと温かい。それでも冬の暗い森でじっとしているのは中々に辛かった。身を寄せ合って、


 夜も更けて月が天頂に差し掛かった頃、ロベルトがおもむろに立ち上がった。冷たい月光に照らされた彼の顔は、いつになくこわばっていた。


「……それでは、参りましょうか。隠し通路までは私が案内いたします」


 そうして三人、夜の闇の中を歩き続ける。人の気配はどこにもなくて、気味が悪いほど静まり返っている。


 先頭はロベルト、その後ろがヴィットーリオで、最後が私だ。すぐ前を行くヴィットーリオは、胸を張ってまっすぐ前を見て歩いていた。


 よく見るとその肩はこわばっているし、下ろしたこぶしはぐっと強く握りしめられている。


 怖いのだろう。怖気づいているのだろう。けれど彼はそれでも、前を向いて進もうとしている。そんな彼は、もうすっかり一人前の男性のように見えていた。


 子供って、びっくりするくらいすぐに大きくなるのね。もしここにミモザがいたなら、そうやってひそひそ話をしながら笑い合えたのに。


 もう何度目になるのか分からないため息を押し隠し、暗い森を、野をひたすらに歩き続けた。




 ロベルトに先導され、王都をぐるりと回り込むように歩き続ける。城下町を守っていた防壁は、そのまま王宮を囲む城壁へとつながっていた。


 その城壁から少し離れたところを進み、やがて王宮の裏側が見えるところまでやってきた。


「少々お待ちください。今、道を作りますので……」


 周囲を警戒しながら、ロベルトが素早く城壁に駆け寄る。そのままかがみ込み、何やらごそごそしている。


 と、塀の一部が音もなくするりと動いた。壁に切れ目が入って、ぱかりと外れて、そのまま吸い込まれるように消えていったのだ。そうして後には、どうにか人一人が通れるくらいの穴ができていた。


「見事ね……」


「さあ、急ぎましょう。誰かに見つかる前に早く」


 ぽかんとする私の手を取って、ヴィットーリオが穴に向かって進んでいく。いけない、ぼんやりしている場合じゃなかった。


 そうして三人で順に、穴に飛び込んでいく。そこに広がっていたのは、暗くて湿っぽい通路だった。方向から見て、王宮に向かってまっすぐに伸びているらしい。


 ロベルトは穴のそばで、周囲の壁をせわしなく触っている。するとどこからか壁が現れ、今しがた通ってきた穴があっという間にふさがった。中々に凝った仕掛けだ。


 覆いをかけて暗くしたランタンを掲げ、また三人並んで歩き始める。


 狭い通路に、私たちの靴音だけが響いている。どことなく湿っぽい音が幾重にも反響しているのを聞いていると、頭がぼうっとしてきた。


 いつまでも続くかと思われたそんな時間の後、突然ロベルトが立ち止まる。


「……ここが、陛下の居室にもっとも近い出入口です」


 彼の目の前には、ただの石壁。どうやらここにも、さっきの出入り口のような隠し扉があるのだろう。


「ロベルト、ここの隠し扉を薄く、指一本分だけ開けることはできる?」


「ええ。少々お待ち下さい」


 力強くうなずいて、またロベルトがあちこちを触る。音もなく開いた隠し扉の隙間から、向こう側の様子をうかがった。


 とても静かで、人の気配はない。隠し通路から王宮の中に向かって風が流れているのを感じる。


「大丈夫そうね。だったら今度は、私の頭が通るくらい開けられるかしら?」


 ひそひそ声のその言葉に、ロベルトがすかさず何かを操作する。すぐに、隙間が大きくなる。


 そこからそっと顔を出し、周囲をうかがった。その風景に、何となく見覚えがある。王宮の廊下の、それもかなり奥まった一角のようだった。今のところ、人の気配はしない。


「じゃあ、ちょっと仕掛けてみるわ。二人とも、私のそばからちょっとだけ離れていて」


 二人にそう呼びかけて、にやりと笑う。王宮の廊下を見つめながら。


「さあ、魔女の本気を見せてあげるわ」


 背負っていた袋を下ろし、口を開ける。中にみっちりと入っていたマジマの粉が、ふわりと舞い上がった。甘い香りが強くなる。


 すかさず風の魔法を使い、マジマの粉を王宮のほうへと送り込む。王宮の構造を思い出しながら、どんどん風を吹かせていく。隠し通路には入り込まないように、でも王宮には広がっていくように。


 これがうまくいけば、ヴィットーリオの望みに一歩近づける。どうか、成功しますように。そう祈りながら、ただひたすらに魔法を使い続けた。

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