第49話 病んだ国

 そうして宿場町を発って、王都に向かう。街道は相変わらず、たくさんの旅人たちでにぎわっていた。


 しかしそれだけではなく、兵士の姿もちらほらと目につき始めた。あわててヴィットーリオを馬車の中に隠し、私とロベルトが並んで御者席に座る。


「……これなら、旅の夫婦っていう設定で通りそうね」


 小声でそうつぶやきながら、隣のロベルトをちらりと見る。


 彼は少しでも人相を変えるために髪を後ろになでつけ、ちょっとだけひげを伸ばしていた。いつもより落ち着いた雰囲気になっていて、中々似合う。


「ふむ、若い妻をめとった中年男、といったところでしょうか」


「……実際は、私のほうが百年くらい年上だけれどね」


 私の言葉にロベルトは愉快そうに目を細め、それからそっと首を振った。


「しかし、私ごときがジュリエッタ様の夫役とは……後でミモザ様に怒られてしまいそうですね」


「彼って結構やきもちやきだから、覚悟しておいてね。ふくれっ面で文句くらいは言われると思うわ」


「はい。いつかミモザ様に叱られるのを楽しみに待っておりますよ」


 私たちは顔を寄せ合いながら、ひそひそと語り合っていた。たぶん、仲のいい夫婦がお喋りしているように見えているとは思う。


 肩越しに伝わるロベルトの体温を感じていると、不意に笑いが込み上げてきた。今が非常事態だということは分かっているのに、どうにもおかしくてたまらなくなってしまったのだ。


「ふふ……こんなところであなたとこんな会話をすることになるなんて、思いもしなかったわ。ああ、おかしい」


 ゆるむ顔を引き締めていたその時、ふと気がついた。ミモザが倒れてしまってから、私はちゃんと笑えていなかったのかもしれないということに。ずっと、作った笑顔を浮かべていた。


 今までずっと年長ぶってヴィットーリオたちを励ましてきたというのに、自分の方がよっぽど余裕をなくしていた。ああ、情けないったら。


 思わず肩を落とす私を見て、ロベルトが少し悲しそうに微笑んだ。


「……貴女の自然な笑顔を、久しぶりに見た気がします。申し訳ありません」


 いけない、また気を遣わせてしまった。まだ何か言おうとしている彼の言葉を塗りつぶすように、少し強気に言い放つ。


「はい、そこまでよ。あなたたちが気に病むことはないって、何度言わせるの。……それはまあ、私だって落ち込むこともあるけれど。もう大丈夫だから」


「そうですか。……ならばせめて、この口で貴女のお役に立つとしましょう。少しでも気が晴れるように、取っておきの笑い話を披露いたしますよ」


 ロベルトはにやりと笑うと、身振り手振りを交えながらちょっとした小話を語り始めた。しかも、手綱を握ったまま。


 しかもその話ときたら、取っておきというだけあってとびきり愉快なものばかりだった。


 楽しげに話し続けるロベルトと、その横でくすくすと笑っている私。そんな私たちに、すれ違う旅人や兵士たちは温かい目を向けてきていた。


 そうして私たちはこれっぽっちも怪しまれることなく、王都のすぐ近くまで来ることができたのだった。




 王都にほど近い小高い丘、そこで私たちは休憩を取っていた。


 馬をいったん馬車から放してやり、改めて近くの木につないでから水をやる。馬車が壊れていないか確認して、それからようやっと休憩だ。


 伸びをして、水を飲んで。そうこうしているうちに、私たちの視線は自然と王都のほうを向いていた。防壁の向こう、城下町に囲まれるようにして大きな王宮がそびえている。


「ようやく、ここまで戻ってこられましたね……」


 感慨深げにロベルトがつぶやいている。その時、馬車の中からヴィットーリオが用心しながら顔を出してきた。


「ロベルト、気を抜くのは早いぞ。私たちは、何としても王に会わねばならないのだ」


「はい。この身に代えても、ヴィットーリオ様を陛下のもとにお連れいたします」


 ロベルトがそう言ったとたん、ヴィットーリオの顔が大きくゆがみ、凍りついた。


「……私は民を救うため、進むと決めた。だがもうこれ以上、誰かを犠牲にしたくはない。その誰かにはロベルト、お前も含まれているのだ」


 誰かに聞かれないよう警戒しているのか、ヴィットーリオの声は抑えられている。けれどその声は、驚くほどの威厳に満ちていた。


 あの子、立派になったわね。心の中だけでミモザに語り掛ける。そんなはずはないのに、そうだね、という彼の返事が聞こえたような気がした。




 それからしばらく、私たちは休憩を取りながら王都を眺め続けた。


 みんな、様々な思いを抱いているのだろう。けれど誰一人として口を開くことなく、ただ黙ったまま遠くを見つめ続ける。


 私も静かに、次々とよみがえる懐かしい記憶にひたる。


 昔、たぶんヴィットーリオの父や祖父が王だった頃。あの頃の王都は、平和でのどかな場所だった。私たちは買い物をしたり、遊び歩いたり、気ままに遊び歩いたものだ。


 それが今では、様子が少々変わっているように見えた。東の街のように寂れてはいないものの、やけに守りが厳重になっている気がするのだ。


 遠くてはっきりとは見えないけれど、巡回している兵士の数は前よりもずっと多い。ぴりぴりした空気が、ここまで漂ってくるようだった。のどかさなんてかけらもない。


 彼らはいったい、何に備えているのだろうか。何を恐れているのだろうか。


 もしかしたらあの王都は、あの王宮は、病んでしまっているのかもしれない。ふと、そんな考えがぷかりと浮かんできた。


 幼いお飾りの王と、その後ろで私利私欲に走っている臣下たち。彼らのせいで、この国は病んでしまった。そう思えてならなかった。


「……国につける薬って、ないものかしらね」


 気がつけば、苦笑しながらそんなことを口走ってしまっていた。そんなめちゃくちゃな言葉に、すぐに返事がやってくる。


「もしそんなものがあるのでしたら、ぜひとも調合していただきたいものですね。冗談でも、皮肉でもなく。私は本気ですよ」


「でも、もしそんな薬があったとしても、国には薬を飲む口も塗りつける肌もありません。……玉座にでもかけてみたらいいのでしょうか」


 すらすらとそんなことを答えた二人は、真面目そのものの表情をしている。


「二人とも、真面目に考えすぎよ。ただの冗談なんだから」


 そう言ったその時、頭の中に突然ある言葉が浮かんできた。ちょうど病人を診ている時と同じように、薬草の名前が浮かんだのだ。


「……マジマの粉……?」


 心の中に隠れているもう一人の私がそっと答えを持ってきてくれるような、もうすっかりおなじみになった感覚だ。


 間違いない、私は今、病んだ国をどうにかするための薬草を挙げたのだ。


 それはいいとして、マジマの粉を、それも単体でどうしろというのか。あれは使い道が限られていて……。


 あ、もしかして。なるほど、そういうことか。やってみる価値はあるかもしれない。


 突然独り言をつぶやいて考え込んでしまった私を、二人は目を丸くして見つめている。訳が分かっていない様子だ。


 説明してあげたほうがいいのかもしれないけれど、実のところまだ確証がない。マジマの粉が、本当に役に立ってくれるのかどうか。


 それに下手に説明して希望を持たせて、やっぱり駄目でしたとなったら申し訳ないし。


 だからその代わりに、堂々と宣言した。説明は後回しだ。


「王都に向かう前に寄り道しましょう。ちょっと、買わないといけないものができちゃったから」




 来た道を戻って、そのまま街道を突き進み、一番近くにある大きな街に駆け込む。王都に近いこの辺りでなら、普通に店も開いている。


 そしてヴィットーリオたちを宿に残し、私は一人で薬問屋に向かう。マジマの粉を、大きな袋いっぱい買った。


 ちょっと特殊な薬草だということもあって店主がいぶかしむような目をしていたけれど、重病人が出て、急に必要になってしまったんですという言い訳で乗り切った。大体のところは間違っていないと思う。


 そうして無事に目的の物を手に入れた私たちは、またすぐにとんぼ返りして王都が見える丘に戻ってきていた。


「それで、その大量の粉をどうされるのでしょうか」


 私が背負った袋の中には、マジマの粉がみっちりと詰め込まれている。万が一にも漏れないように袋は三重にしているというのに、かすかに甘い匂いがしていた。


「後で説明するわ。これをうまく使える状況になるかどうか、まだ分からないし」


 王宮を見ていたら、この粉のことが思い浮かんだ。でもこの粉が、本当に効くかどうかは分からない。どんな素晴らしい薬でも、病人が飲んでくれなければどうしようもないのだから。


 だからまだ、二人には伝えない。ぬか喜びさせたら申し訳ないし。


 だからあいまいに言葉を濁して、いよいよ王都に乗り込んでいった。二人は徒歩で王都の近くの森に向かう。


 私は馬車に乗って一人で王都に入り、宿にミモザと馬車を預ける。それから王都を出て二人と合流し、隠し通路を通って王宮の中に侵入する。そんな作戦だった。


「それじゃあ、また後でね」


 心配そうに見送る二人に手を振って、馬車をゆったりと走らせる。ほんの少し緊張しながら、王都の門をくぐっていった。

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