第48話 後悔を踏み越えて

 そこから先は、近衛兵にも暗殺者にも出くわすことはなかった。気味が悪いくらいに順調に、王都のすぐ近くまでたどり着く。


 けれどまだ、ミモザは目覚めていなかった。飲まず食わずでずっと眠り続けているのに、彼は少しもやつれてはいなかった。


 こうしていると、彼が人ではないことを改めて実感する。長いこと一緒にいるけれど、それでも竜については、まだまだ知らないことがあるようだった。


「本当に、あなたは不思議な存在……だからきっと、目覚めてくれるわよね」


 彼が人間だったら、とうに死んでいる。ありえないほどの魔力を消費し、そのままこんこんと眠り続け。


 ここまでの旅の間、幾度となく薬を作ろうとした。彼の助けになり、目覚めをうながす薬を。


 けれど一度も、薬草の名前が浮かぶことはなかった。自分の無力さに打ちのめされながら、それでも必死に笑顔を作っていた。ヴィットーリオを悲しませないために。


 もっとも、賢いヴィットーリオは私の悲しみに気づいているようではあったけれど。




 そうして、王都に一番近い宿場町に入る。そこは昔と変わらずに栄えていて、たくさんの人でにぎわっていた。予想通りではあったけれど、ちょっと悔しい。ここの人たちは、東の街の惨状を知っているのだろうか。


 思うところは色々あるけれど、それよりもやるべきことがある。人ごみに紛れるようにして宿をとり、大急ぎで客室に向かう。


 ロベルトがミモザを背負い、私がヴィットーリオの手を引いて。また襲われないとも限らないので、常に周囲に目を光らせる。


 四人が一度に泊まれる部屋を借りて、みんなで引きこもった。必要なものの買い出しは、ロベルトにお願いした。


 ヴィットーリオが出歩くのは危険だし、私は彼とミモザを守らなくてはならない。そしてロベルトは戦えないけれど、話術で危機を乗り越える能力は持っている。今は彼を頼みにするしかなかった。


 そうしてロベルトが戻ってきてから、窓はきっちりと閉めたまま、食事も客室で済ませた。近衛兵だけでなく暗殺者までもが差し向けられた。警戒はしておくに越したことはない。まして、今はミモザが動けないのだから。


 食事を終えて一息ついたところで、ちょっとためらいがちに切り出す。ずっと気になっていたけれど、ここまで言えずにいたことを。


「……明日には王都に着きそうだけど、そこからどうするつもりなの?」


 すぐさま、ロベルトがひそひそ声で答える。


「大きな声では言えませんが、王宮の奥と王都のすぐ外とをつなぐ秘密の通路があるのです。そちらから、王宮に侵入しようかと考えております」


「だったら馬車とミモザは、どこかに預けておきましょうか。私が一人で馬車を引いて王都に入って、それから王都の外で合流して……」


「いえ、それには及びません」


 私の言葉を、ヴィットーリオがさえぎった。かつて東の街で見せていたのと同じような、思いつめた険しい顔をしている。


「ジュリエッタ様、ここまで私たちを導いてくださって、ありがとうございました。貴女がたがおられなければ、私たちは到底ここまでたどり着けなかったでしょう」


 彼はゆっくりと頭を下げ、それから私をまっすぐに見つめた。


 まだ幼いその顔からは、大人びた決意が見て取れる。けれど同時に、その決意はとても悲壮な、どことなく破滅的なものにも思えて仕方がなかった。


「ですがこれ以上、貴女に迷惑をかける訳にはいきません。これは、私自身が解決しなければならない問題なのです」


「……一応聞くけど、勝算はあるの? 隠し通路を通って王宮に入っても、そこから王の居室にたどり着くまでに、誰かに出くわす可能性が高いんじゃないの?」


 少々厳しめの声で尋ねると、ヴィットーリオの表情が揺らいだ。


「それは……」


「あなたは魔法を使えるようになったとはいえ、人間を相手にするにはまだまだ足りない。ロベルトは頭脳労働専門で、戦いには全く役に立たない」


 歯に衣着せずに指摘すると、二人とも気まずそうな顔をしてそっと目をそらした。ちゃんと自覚はあるらしい。


 そんな二人を順に見て、明るい声で言い放つ。


「……だから、私もついていくわ」


 うつむいて唇を噛みしめていたヴィットーリオが、弾かれたように顔を上げた。


「あなたたちを旅に連れ出した責任もあるし、ここで放って帰ったらミモザに怒られちゃうわ。それに見届けたいのよ、あなたたちがちゃんと幸せになるところを」


 ヴィットーリオの青い目は、戸惑いと期待の間で忙しく揺れている。そんな彼に柔らかく笑いかけて、さらに続けた。


「子供は大人に助けられながら大きくなっていくものなのよ。あなたは独り立ちを始めたようだけど、いざという時にはちゃんと周囲を頼りなさい、助けてって言いなさい。誰かの力を借りることは、恥じるべきことではないのだから」


 頬を上気させて、ヴィットーリオがほうと息を吐く。さっきまでの悲痛な表情は、もう完全に消えていた。よかった、どうにか分かってもらえた。


「あとロベルト、あなたが彼の忠臣なのは分かってるわ。けれどだったらなおのこと、主君が無茶をやらかそうとしたら止めなさい。あなたの得意の弁舌、ここで使うべきでしょう」


 ついでに、ロベルトを叱り飛ばしておく。まったく二人そろって、妙なところで遠慮するんだから。


「はい、胸に刻んでおきます。……ご厚意、感謝いたします」


 ロベルトが絞り出すような声でつぶやき、静かにひざまずいた。ヴィットーリオもすぐにそれにならう。精いっぱい感謝の意を伝えようとしている二人の姿に、胸がじんと熱くなった。


「二人とも、立ってちょうだい。そんな仰々しいのは趣味じゃないのよ。それよりも、これからのことを考えましょう」


 かがみこんで二人と目線を合わせ、にっこりと笑う。二人は心なしか潤んだ目で、ぎこちなく笑い返してきた。




 そうして、ざっくりとした方針が決まった。


 王都の宿にミモザと馬車を預け、それから三人で隠し通路を通って王のもとに向かう。説得に成功すればそれでよし、失敗すれば力ずくで王宮を飛び出して、ミモザを拾って東の街を目指す。


 ……最初に想像していたやり方とだいたい同じだったし、作戦というにはあまりにも行き当たりばったりだ。でも正直、ごちゃごちゃした策を実行できるだけの人手がない。


 そうやって話し合いも終わったので、この日はひとまず休むことにした。


 長旅の疲れが出たのか、それとも私が同行することが決まってほっとしたのか、ヴィットーリオはあっという間に眠ってしまった。


 私はどうにも寝つけなかったので、ミモザが眠る寝台に腰かけてぼんやりと壁を眺めていた。ロベルトも同じように、自分の寝台に腰かけてあらぬ方を見ている。


 やがて、ロベルトはこちらを見ないまま小声で話し始めた。独り言のような、力のないつぶやきだった。


「……私は、子供の頃貴女がたに会ってから、ずっと……憧れておりました」


 きっと彼は私の相づちを必要としていないだろう。そう思ったので、黙ったまま彼の話に耳を傾けることにした。


「白い竜と連れ添った魔女、人と離れて暮らす慈悲深い貴女であれば、ヴィットーリオ様のことも助けてくださるかもしれない。私はそう思い、貴女がたを頼ることにしたのです」


 懐かしそうに語る彼の声が、不意に揺らぐ。


「あの時は、それが最良の選択肢のように思えました」


 そうして彼は、両手で顔を覆ってしまった。まるで、嘆いているかのように。


「けれど今では、その選択が間違っていたのかもしれないと、そう思えてしまうのです。私があんな判断をしたせいで、ミモザ様がこんなことに……ジュリエッタ様にも、迷惑を……」


 今にも泣きだしそうな彼の声は、普段の軽やかなものとは全く違ってしまっていた。


 小さくため息をつくと、わざと明るく話しかける。悩みを聞くのはいいけれど、湿っぽいのは苦手だ。それに、励ましてやりたいとも思うし。


「何を勝手に思い詰めてるの。今私たちがこうしているのは、あくまでも私たち自身の判断よ。あなたが気に病むことはないわ」


「しかし、ミモザ様が……」


「大丈夫よ。彼はかならず目覚めるから」


 そう言ったものの、実は内心不安でいっぱいだった。


 私はミモザからもらう竜の秘薬で時を止めている。彼が何年も眠ったままだったら、私はまた普通に年を取ってしまうのだ。


 彼が目覚めるまで何十年もかかってしまったらと考えると、背筋が寒くなる。ミモザは気にしないだろうけど、私は気にする。彼の母親に見えるくらいに年齢差がつくなんて、冗談じゃない。


 しかしそんなことをロベルトに話してしまったら、彼はさらにふさぎこんでしまうだろう。無駄に責任感が強いあたり、この主従は意外と似た者同士なのかもしれない。


「申し訳ないと思うのなら、王を確実に説得できるよう、今からじっくりと準備してくれるかしら。あなた、口だけは立つでしょう?」


 冗談めかしてそう言うと、ロベルトが小さく息を吸い込んだ。両手の間からわずかに見えている口元が、きつく引き結ばれる。


「あなたたちが王宮に戻って、今までの借りをちゃんと返してくれる日を楽しみに待っているわ」


 さらに畳みかけると、彼はふっと肩の力を抜いた。ゆっくりと下ろされた両手の下から、いつも通りのひょうひょうとした笑顔が見えてくる。


「……そうですね。私たちは貴女がたに、一生かかっても返しきれない借りがありますしね。こんなところで落ち込んでいる暇など、これっぽっちもないのでした」


「さあ、そうと決まったらいい加減寝ましょう。寝不足だと頭の動きも鈍るから」


「ええ、ジュリエッタ様のおおせのままに」


 そんなおどけたやり取りを交わした後、私たちはそれぞれの寝台にもぐりこんだ。


 この先どうなるかは分からないけれど、せめて私もできることを頑張ろう。あの二人が、少しでも幸せに近づけるように。


 そんなことをぼんやりと思いながら、そっと目を閉じた。

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