第26話 再会

 ただひたすらに、馬車に揺られるだけの旅。ミモザとずっとお喋りしていたから退屈はしなかったけれど、一日じっとしているのは落ち着かなかった。


 けれどじきに、王都が遠くに見えてきた。傾き始めた太陽を背に黒く浮かび上がる王宮の姿は、やっぱり前と何も変わっていないように思えた。


 私たちを乗せた馬車は大通りを抜けて、そのまま王宮の中まで入っていく。


 数十年ぶりにくぐった王宮の門も、記憶にあるものとやはり何一つ変わらなかった。


 そのことが嬉しくもあり、またいら立たしくもあった。ここはかつての私を知る場所、私を拒んだ場所、私と違って変わらずにいられた場所。


 そんな思いを押し込めて、涼しい顔で馬車を降りる。


 すぐに、出迎えらしき少年が大急ぎで近づいてきた。従者のものらしきお仕着せは彼の体にはほんの少し大きくて、そこが何とも微笑ましい。


「魔女様と、伴侶様ですね? 先王陛下が待っておられます。こちらへどうぞ」


 緊張しているのか、少年の口調はひどく堅苦しく、表情もぎこちない。


 うなずきながら笑いかけてやると、彼はわずかに頬を赤らめてぺこりと頭を下げた。その初々しくて可愛らしい仕草に、つい和んでしまう。


 長い旅の間に少しだけ親しくなっていた騎士たちに別れを告げて、少年の後に続いて歩き出した。見覚えのある廊下を、ゆっくりと進んでいく。


 噂の魔女が気になるのか、前を行く少年は時折こちらをちらちらとうかがっていた。それでも精いっぱい真面目に、私たちを案内してくれている。


「可愛いね、あの子」


「そうね。あの一生懸命な感じ、小さい頃のあなたを思い出すわ」


「そうかな? 僕も可愛かった?」


「もちろんよ」


 そんなことを話していたら、少年が立ち止まった。ためらいながら、こちらに話しかけてくる。


「あの……聞いても、いいですか」


 きょとんとしながら、ミモザと目を見かわす。それから、二人同時にうなずいた。


「お二人は、奇跡の薬を作る魔女と、その伴侶なのだと聞きました。魔女の薬の力で、お二人は不老なのだと。……それは、本当ですか?」


 彼の顔には、純粋な疑問と憧れが浮かんでいた。くすりと笑って、優しく答える。


「ちょっと違うわね」


「そうだね。僕たちは伴侶で、老いることなく生きていく。それ以外は内緒」


「私たちは私たち。見てのままの二人よ」


 そんなあいまいな答えにも、少年のきらきらとした表情は変わらなかった。


「答えてくださって、ありがとうございます。僕……あなた方に会ってみたいなって、ずっとそう思っていたんです」


 照れくさそうにそう言って、少年はまた前を向く。


「先王陛下は、この先で待っておられます」


 そうして、また少年の案内で歩き出す。やがて、王宮の奥まった一角へとたどり着いた。


 人気がなくがらんとした廊下の奥に、ひときわ豪華な扉がある。少年はそこで立ち止まり、背筋を伸ばすと扉を叩いた。


「魔女様をお連れしました」


 少年が固い声でそう言うと、ああ、という弱々しい声が返ってきた。少年はこちらを振り返って一歩横に退くと、うやうやしく頭を下げた。


「どうぞ、お入りください」


「ええ、案内ありがとう。あなたはまだ若いのに、もう立派な従者ね」


「ふふ、これからも頑張ってね」


 少年に礼を言って、笑いかける。真っ赤になりながら、彼は無言で頭を下げていた。


 それから深呼吸して、扉に両手をかける。この向こうに、あの男がいる。少しばかり緊張しているのを感じながら、二人一緒に部屋に入っていった。




 扉の向こうは、どうやら誰かの寝室のようだった。大きな天蓋のついた寝台が目を引く、上質だが簡素な部屋だ。窓の外はもう暮れていて、夜の闇が広がっている。


 部屋の中央には、大きな椅子が置かれていた。そこに、一人の老人が腰かけている。


 室内着の上から豪華なガウンをまとったその老人はすっかり衰えていて、座っているのもやっとのように見えた。老いだけではなく、病も彼の体をむしばんでいるのだろう。


 彼の顔には、間違いなくあの男の面影があった。しわくちゃになってすっかり縮んでしまい見る影もなかったけれど、一目で分かった。この老人こそ、かつて私を追放したあの男なのだと。


 思わず立ちすくんでいると、老人はゆっくりと口を開いた。ひどくしわがれてかすれた声が、そのひび割れた唇からもれる。


「ジュリエッタ、来てくれたのだな。すまない。そして、ありがとう」


「……久しぶりね、ヴィート。ちょっと見ない間にすっかり老け込んだわね」


 数十年ぶりに、あの男の名前を口にした。若かった頃とは違い、呼び捨てで。


 長い間恨みの象徴でしかなかったその名前は、今ではなぜかとても懐かしく感じられた。


 それと同時に、腹の底から静かな怒りがふつふつと湧き起こるのも感じられた。久しぶりに感じるその思いは、小娘だったあの頃と変わりない熱を帯びていた。


 ゆっくりと呼吸を整えて、怒りをやり過ごそうと試みる。彼は私の姿を上から下まで眺めてから、感心したようにため息をついた。


「ずっと年を取らない魔女の噂は聞いていたし、それがどうやら君のことらしいと知った時は驚いたが……本当に、あの頃のままなのだな」


「まあ、色々あったのよ。それより、さっさと用件を済ませてもらえるかしら」


 先王に対する礼儀など無視して、語気を強めてそう答える。謝罪だかなんだか知らないけれど、さっさと済ませて欲しい。


 しかしヴィートはしわに埋もれそうになっている目を大きく見張ると、うつむいて口ごもってしまった。


 寝室に、居心地の悪い沈黙が満ちる。彼から視線をほんの少しそらして、じっと待つ。


 やがて、彼はゆっくりと目線を上げ、まっすぐにこちらを見つめてきた。かつてはきらきらと澄み切っていた青い瞳は、白い濁りを帯びていた。


「ジュリエッタ、私が君との婚約を破棄し、君を追放したことは……全て、間違いだった。申し訳ない」


 そう言いながら、彼はのろのろと頭を下げた。仮にも王の座にあった者がいきなり頭を下げるというのは、中々にとんでもない行為だ。


 けれど、私は何も答えることなく黙っていた。隣のミモザも、ずっと口を閉ざしている。


「あの時、君の罪を立証する証拠は全て揃っていた。だから私は、君が有罪だと信じ切っていたのだ」


 あの日、私を断罪した彼の声。まだ覚えている。


「君という婚約者がありながら別の女性に心奪われていた当時の私には、その証拠を信じない理由などなかった」


 そうね。あの女に会ったのはあの時が初めてだったけれど、あなたがのぼせ上がっていることだけはよく分かったわ。


「だが、その証拠は……私が愛した女性、私の王妃となった女性がでっち上げたものだったのだ」


 ああ、あの女が結局王妃になったのね。私には関係ないけれど。


「私の妻の座を、王妃の座を狙っていた彼女は、邪魔だった君を追い落とそうとした。そして彼女の色香に目がくらんでいた私は、その陰謀に気づくことができなかった」


 ヴィートは一言一言をかみしめるように口にしている。かつての自分の行いを心から悔いている、そんな声音だった。


 彼の言いたいことは分かった。彼が嘘をついている様子もないし、どうやらそれが掛け値のない真実なのだろう。


 あの婚約破棄の日、彼のそばにいたどこぞの女性。彼女こそが全ての黒幕だったのだ。


 だからどうした。真相が何であれ、私が追放されて苦しんだことに変わりはない。両親と引き離されて、たった一人で。


 そんな私の冷え切った怒りを感じ取ったのか、彼の声がさらに弱々しくなった。


「王妃亡き後、ふとしたきっかけから私は彼女の日記を読み、事の真相を今さらながらに知ったのだ。本当にすまなかった、ジュリエッタ」


 彼はさらに深々と頭を下げる。節々が痛むのかひどくぎこちない動きだったが、彼は精いっぱい誠意を示そうとしているように見えた。


 静かに胸を焦がすやり切れない思いと、彼を許したいという思い。


 そんな気持ちの間で激しく揺れ動きながら、ただ黙って立っていた。うかつに口を開けば、思いもしないことを口走ってしまいそうだったから。


 全てを語り終えたらしいヴィートも、神妙な顔をして黙りこくっている。部屋の中には、またしても沈黙が満ちていた。

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