第25話 一通の書状
悲しくても、寂しくても、季節は同じように流れ続けていた。
森の中で穏やかに暮らして、たまに遠出をして。
以前は、老いていく両親を通して時間の流れを感じていた。でも私が愛したあの二人は、もういない。
今がいつなのか、自分が何歳になるのか、そんなことすら分からなくなっていた。
私がいて、ミモザがいる。めぐる季節を、二人きりで過ごす。静かな、満ち足りた日々。
妙な客が私たちのところを訪れたのは、そんなある日のことだった。
朝早く、森の小道を歩く誰かの足音。やがて、小屋の扉が控えめに叩かれた。
また病人が来たのだろうかと思いながら扉を開ける。けれどそこに立っていたのは、なぜか二人組の騎士だった。しかも、着ているのは正装だ。
「朝早く、失礼いたします。魔女様ですね」
「そう呼ばれることもあるわね」
何事だろうかといぶかしみつつ答えてやる。と、彼らは一礼して何かを差し出してきた。明らかにこわばった顔だ。
「こちらに、先王陛下からの書状をお持ちしました。どうぞご覧ください」
先王陛下というのは、私を追放したあの男だろうか。それとも彼の息子か何かだろうか。
どちらにせよ、今さら王家と関わりたくはない。長い年月の間に半ば忘れかけていたけれど、王家にはいい思い出がない。
ああもう、朝っぱらから嫌なことを思い出してしまった。頭にきたし、このまま突き返してやろうかしら。
「あ、僕が代わりに読むよ」
不穏な気配を察したのか、ミモザが勝手に書状を受け取ってしまった。興味深そうな顔で目を通していた彼の目が、驚きに見開かれる。
「ジュリエッタ、これはあなたも読んでおいたほうがいいと思う」
「あなたがそう言うなら……」
しぶしぶ書状を受け取って、読み始める。
目に飛び込んできたのは、あの男の筆跡。私がまだごく普通の貴族の娘だった頃、幾度もやり取りした手紙のものと同じ。老いのせいか、少し震えている。
『君に、かつての私の行いをわびたい。どうか、王都に来てくれないだろうか。もちろん、君の伴侶殿も共に』
書状をにらみつけながら、小声でつぶやく。古い怒りの炎が胸の奥底にまだ眠っていたことに、自分でも驚きながら。
「……今さら謝罪するって言われてもね。大体、謝罪だっていうのならそちらから出向いてくるのが筋ってものじゃないかしら」
それを聞きつけたのか、騎士が折り目正しく返事をした。とても緊張している。
「先王陛下は病を得られ、王宮を離れることができません。失礼は承知の上で、魔女様にご足労願えないかとおっしゃっておられました。迎えの馬車も用意しております」
その言葉を聞いて、考え込む。今さら謝罪の言葉を聞きたいとは思わない。
でも、今頃になって謝罪をしたいと言い出した理由、そちらはそこそこ気になる。
しかしそれだけのためにわざわざ王都まで行くのは面倒くさい。しかも堅苦しい騎士のおまけつきだ。想像しただけで肩がこる。
「ジュリエッタ、どうする?」
心配そうな顔のミモザを引っ張って小屋の隅に移動し、二人こそこそと話し合う。
「気になるのと面倒くさいのとが半々といったところね。正直、迷ってるの。ミモザはどう思う?」
「僕は、行った方がいいと思う」
彼にしては珍しく、すぐに断言している。思わず目を見張ると、彼は私の耳元に口を寄せてささやいてきた。
「彼はあなたと同世代だから、もうそろそろ寿命も近いと思う」
自分がいくつなのかころっと忘れてしまった私とは違い、彼は私の年齢を数えていたらしい。
そうか、本当なら私も、もう天に召されていてもおかしくない年なんだ。
「彼の真意を確認する機会は今しかない。ここで彼に会っておかなかったら、後悔するかもしれないよ」
「……確かに、そうかもね。彼は何を言いたかったのだろうって後々気にし続けるなんて、何だか腹が立つし。私たちの平和な暮らしに水を差されたみたいで」
ふんと鼻を鳴らす私と、切なげに目を伏せるミモザ。
「それに、僕はあなたを捨てたその男の顔を見てみたい。見たからって、どうなるものでもないけれど……」
「ミモザったら、妙なものに興味を持つのね。でもいいわ、だったら一緒に行きましょう」
うなずき合って、くるりと振り返る。声を張り上げて、戸口のところにたたずんでいる騎士たちに呼びかけた。
「せっかくだから、その招待を受けることにするわ。今から荷造りをするから、少し待っていてもらえるかしら」
それを聞いた騎士たちの顔に、はっきりと安堵の笑みが浮かぶ。
どうやら彼らは、私が断るのではないかと心配していたらしい。こんな辺境で、得体の知れない魔女に振り回されて。命令とはいえ、よくやるものだ。
「ありがとうございます。私たちは森の外で、馬車と共に待っております」
騎士たちはきびきびと頭を下げると、静かに扉を閉めて出ていった。
数十年ぶりに、私を追放した男と会う。ほんの少しだけ落ち着かない気持ちになりながら、ミモザと一緒に旅の支度に取りかかっていった。
私たちに用意されていたのは、やけに豪華な馬車だった。
両側に窓がついた箱のような形をしたそれは、よく磨かれたつややかな木でできていた。一目で、かなりの高級品だと分かる。
豪華なのは内装もだった。床や座面には、複雑な模様が織り出されたじゅうたんが敷かれている。ふかふかのクッションもたくさん用意されていた。これ、絹だ。
しかも、若い頃に乗っていた貴族の馬車よりも揺れが少なく、快適だ。ちょっと貴族文化から離れている間に、技術が進歩したのかな。
「考えてみたら、あなたと馬車で旅をするのは初めてね。たまに乗合馬車を使うことはあったけど」
「そうだね。……僕が飛んだ方が断然速いし。それに馬たちも、少し緊張してるみたいだ。ちょっと申し訳ないかも」
ミモザが身を乗り出し、声を抑えてささやく。
迎えに来た騎士たちは御者席に座っているし、私たちの会話は聞こえないはずだ。けれど、いつもの癖で周囲を気にしてしまう。
正体は隠し通す。それが、遊びにいく時の私たちの合言葉だから。
「やっぱり、獣たちにはあなたの正体がばれてしまうのかしら」
「そうみたい。馬って賢いし。乗合馬車の子は、変わったお客さんにも慣れてるけど、この馬車を引いているのは王宮の子みたいだし」
「だったら、次の休憩の時にあいさつするのはどう? あなたが優しい竜なんだって、きっと馬も分かってくれるわ」
「うん、そうしてみる」
そんなことを話しながら、馬車の中をゆっくりと眺める。
かつて貴族の娘として過ごしていた頃は、移動といえば馬車だった。そして最後にちゃんとした馬車に乗ったのは、あの森に追放された時だった。
不意によみがえった記憶に、思わず苦笑する。
「それにしても、あの男が『先王陛下』だなんて、驚いたわ」
「あなたが最後に会った時は、まだ王子様だったんだよね」
「そうよ。今のあなたより若くて、子供だったわ。未熟で気が利かなくて……でも、確かに私は彼のことが好きだった」
自然と、そんな言葉がこぼれ出る。ミモザは、柔らかく微笑んで私を見つめていた。
若い頃は、あの男のことを思い出すたびに苦しくてたまらなかった。
けれど数十年の歳月は、私の心をゆっくりと変えていた。
怒りや恨みの名残は、まだ心の奥でくすぶっている。けれど、こうして彼のことを思い出していても、胸は痛くならなかった。代わりに、苦笑ばかりが浮かんでしまう。
「……ミモザ、あなたの言った通りだったわね」
「何のこと?」
「昔の夏至の日のことよ。あの男の結婚式の日」
そう言うと、ミモザは照れくさそうな顔をした。私が言いたいことを理解したらしい。
「あの日、あなたは『いつかその心の傷が痛まなくなる時が来るまで、僕があなたのそばにいるから』って言ってくれたでしょう。……あの時は、そんな時なんて来るものかって思ってた」
「ふふ、ちゃんと来たでしょう? でも、僕はこれからもあなたと一緒にいるから」
「ありがとう、ミモザ。これからもよろしくね」
「うん、こちらこそよろしく」
嬉しそうに笑っていたミモザが、ふと気恥ずかしそうな顔をした。
「……あの時、苦しそうなあなたを慰めたくて必死だったのを思い出したよ。あの頃は、まだ僕も子供だったなあ」
「子供……って、あなた『僕はもう大人で、一人前だよ』って言ってなかった? ほら、人の姿になったその時に」
そう指摘すると、ミモザはさらに恥ずかしそうな顔になって頭を抱えた。
「まだそんなことを覚えてたんだ。あれは若さゆえの思い上がりってやつだよ。お願いだからそれは忘れて。恥ずかしいなあ、もう」
思わず笑い声を立てると、ミモザも照れくさそうにしながら小さく笑った。
次第に笑い声は大きくなり、いつしか私たちはくすくすと笑い合っていた。数十年前から変わらない大切な時間が、ここにはあった。
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