第24話 魔女の住む森

 私とミモザは、そのまま屋敷に数日滞在した。


「お父様、お母様。私、そろそろ辺境に戻ろうと思うの」


 そう告げた時の両親の嘆きようと言ったら。でも私は、折れる訳にはいかなかった。


 私は罪人だということになっているけれど、監視されてはいない。王都をふらふらしていても、正体がばれることはなかった。


 けれど万が一、追放された罪人をかくまっていることが明るみに出たら、両親も罪に問われてしまう。それは嫌だ。


 それに、実のところそろそろ小屋に帰りたいなとも思っていた。


 いつの間にか、あの小屋での暮らしに愛着がわいてしまっていたのだ。ミモザと二人で、協力し合いながらこつこつと育ててきた、私たちの家。


「これからも、時々遊びにくるから。ね?」


「お前が、そう言うのなら……」


「でも、やっぱり寂しいわ……」


「泣かないで、お母様。遠くにお嫁にいったようなものだと思えばいいのよ」


「けれどやっぱり、心配なの……」


「私、腕利きの薬師だって言われているの。もう一人前よ。ミモザも頼りになるし、大丈夫」


 なおもめそめそと泣いている両親を説得していたら、ふとひらめいた。


「そうだ、だったら今から薬を作るわ。お父様は腰で、お母様は胃の具合が良くないのよね?」


 明るくそう言って、ミモザに目配せする。


 そこからはいつも通りだった。薬草の名前をつぶやいて、ミモザが書き留めて、手分けして調合する。王都で買い込んでいたおかげで、必要な薬草は全部持っていた。


「おお、腰が軽い……」


「驚くくらいに胃がすっきりしたわ……」


 私の薬を口にした両親が、そろって驚きの表情になる。


「あなたは子供の頃から、薬草や薬のことが好きだったけれど……こんなに素晴らしい薬を作れるようになっていたなんて……」


「そうだな。……追放されてしまったお前が、こんなに立派になって帰ってくるとは……神よ、感謝します」


「お父様、お母様、また遊びにきます。そしてまた薬を作りますから……二人とも、長生きしてくださいね」


 そんなことを語りながら涙ぐむ私たちを、ミモザは微笑みながら見守っていた。




 そうして私たちは、両親に見送られて屋敷を後にした。


 まずは王都の近くの森まで歩き、そこからはミモザに乗る。空の長旅に初挑戦だ。


 竜に戻った彼を見るのは久しぶりだ。いつの間にかすっかり大きくなっていて、威厳のようなものまで漂わせている。


 彼はその大きな手で私を捧げ持つように抱えると、慎重にゆっくりと飛び立った。


 いつかの夏至の日、こうやって彼に抱えられて飛んだことを思い出す。あの時より、ずっと飛ぶのがうまくなっていた。


 ミモザは人里から離れるようにまっすぐ森の奥に向かってから、今度は真上に舞い上がった。木々よりも、山よりも高く。


 そこから見る景色は、とても美しかった。それはそうとして、高いところはやっぱり怖い。前世で崖から落ちた記憶のせいだ。


 もしかしたら、一生高いところには慣れることがないのかもしれない。そう思ってしまうくらいに、こらえようのない恐怖が時折襲ってくる。


『やっぱり、歩いて帰る方がよかった?』


 私の様子がおかしいことに気づいたのか、ミモザが飛びながら話しかけてきた。


 目の前の彼の指に額を当てて、できるだけ落ち着いた声を出そうと努力する。


「いいえ、この方が断然速いし、私もいい加減高いところに慣れないとね。それに、もしうっかり落ちてしまっても、あなたが助けてくれるでしょう?」


『もちろん。もしもの時は、何としても僕が受け止めてみせるから』


「ええ。その時はよろしくね。頼りにしてるわ」


 そんなことを話しながら、私たちは二人きりの空の旅を続けていた。少しずつ、足の震えも治まりつつあった。




 空の旅を終え、私たちはいつもの日々に戻っていった。


 私はあれこれと理由をつけて、診療所に通う回数を少しずつ減らしていった。


 老いることのない私とミモザは、いずれ人前に顔を出せなくなる。その前に、診療所の人々と距離を置くことにしたのだ。何年もかけて、少しずつ。


 診療所通いを減らすための口実として、私たちは気軽に旅に出るようになっていた。


 両親の待つ屋敷にも幾度となく顔を出したし、東の街にもこれまで以上に遊びにいった。


 さらにあちこちに遠出して、色んなところを見て回るようになった。


 西の街道の果てや、北の険しい山の向こうにも足を踏み入れた。たくさんの美しい風景の中を、ミモザと一緒に旅するのはとても楽しかった。




 そうして十年が経ち、二十年が経った。


 その頃には、周囲の人間たちも気がついていた。私とミモザが年を取らないことに。


 彼らは私たちに近づかなくなっていた。私が診療所に出向くことも、もうなくなっていた。


 私たちは人間との関わりを最小限にして、ほとんどの時間を森で過ごすようになっていた。


 二人で静かに、移り変わる季節を感じながらゆったりと暮らす。それはとても、幸せな時間だった。


 近くの村や宿場町にはうかつに顔を出せなくなってしまったけれど、必要な物がある時は少し離れた街に足を運べば何とかなった。人の多いところでなら、私たちもそこまで目立つことはなかったのだ。


 たまに顔を覚えられてしまって、薄気味悪そうな目を向けられることもあった。そうなったら、また違うところに行くだけだった。私たちは、どこへだって行けるのだから。


 二人きりの生活は、これからもずっと穏やかに続く。そう思っていた。




 ところが、一つだけ誤算があった。私が森の中に引っ込んでしまった後も、ごくたまに私のもとを訪ねてくる人間がいたのだ。


 診療所に集まっている医者たちでも治せなかった病人たちが、最後の望みを私にたくして、無謀にも森の中まで踏み込んできたのだ。


 白い竜の魔物が出るという噂も、老いることのない私たちの姿も、既に死の瀬戸際に立っている彼らにとっては取るに足らないものだったらしい。


 さすがに、そうまでして必死にすがってくる病人をそのまま追い返す気にはならなかった。なので、仕方なく診てやることにした。


 手持ちの薬草で何とかなる場合はすぐに薬を渡して追い返したし、そうでない場合は薬の処方箋を書いてやった。診療所に持っていけば、薬を調合してもらえるはずだ。


 病人たちは喜びの涙を幾筋も流して、幾度も頭を下げながら小屋を去っていった。人間とは距離を置くことにしたものの、そうやって感謝されるのは悪くはなかった。


 そうやって、たまに訪れる命知らずの病人を治療しては帰しているうちに、いつしか私は『魔女』と呼ばれるようになっていた。


 魔物の棲む森に暮らす、年を取らない二人組。恐ろしいほど効く薬を作る女と、驚くほどの美貌を誇る青年。


 そんな私たちのことを、人々は敬意と畏れをもって、『魔女』『魔女の伴侶』と呼んでいた。


 そうして私の噂は、尾ひれをつけながらあちこちに広まっていったようだった。


 しまいには、魔女はどんな病でも即座に治すとか、何人をも魅了する絶世の美女であるとか、そんなとんでもない噂が私のところまで届いてきた。あまりにも実態とはかけ離れた噂に、私はあぜんとするしかなかった。ミモザはおかしそうに笑っていたけれど。


 けれどそんな大げさ極まりない噂が独り歩きしてくれたおかげなのか、遠出した先で正体がばれることはなかった。ミモザが美形なのは真実だけれど、私については本人と虚像がかけ離れているし。


 それをいいことに、私たちは相変わらずあちこち遊びにいっていた。ごく普通の、若い恋人たちのふりをして。


 しかしそうしている間も、噂は広がり続けていた。


 いつものように両親のところを訪ねた時、「噂の魔女というのはあなたのことね?」とお母様が楽しそうに尋ねてきたのだ。お父様は何も言わなかったけれど、やはり楽しげに目を輝かせていた。


 この頃にはもう両親もすっかり年老いていて、ゆるやかに弱り始めていた。


 様々な病気に効く薬を調合できる私でも、寿命を迎えた命をつなぎ留めることはできない。分かってはいたけれど、ただ悲しかった。


 やがてお父様が息を引き取り、後を追うようにお母様も亡くなった。


 私の実家は、遠縁の者が継ぐことになった。その人物は、私が噂の魔女だとは知らないはずだ。だからもう、懐かしい屋敷ともお別れだ。


 いつかこの日が来ると分かっていたけれど、苦しい。もう、ここに遊びにくることはない。出迎えてくれる人もいない。分かっていたのに。


 二人が眠る我が家の墓に花を供えた帰り、私はずっと無言だった。ミモザも何も言わずに私の手をしっかりと握り、二人並んで歩いていた。


 やがて、ミモザが静かな声でぽつりとつぶやいた。低く柔らかな声が、優しく私を包む。


「僕は、あなたを置いていったりしないから。ずっと一緒だよ」


 立ち止まって肩を震わせている私を、彼はそっと抱きしめていてくれた。

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