第23話 まさかの帰宅

 突然名前を呼ばれて、反射的に立ちすくむ。今の声って、お母様!?


 焦りながら周囲を見渡していると、街の中心の方から駆け寄ってくる女性の姿が目についた。ほっそりとした初老の女性だ。


 彼女は従者を振り切るようにして、猛烈な勢いでこちらに向かってくる。迫ってくる、懐かしい面影。


 ああ、やっぱりお母様だ。少しばかり老け込んではいるけれど、以前と変わらず元気そうだ。……本当に、よかった。


 そんなことを考えていたら、いつの間にかお母様が目の前にいた。そのまま、私をぎゅうっと力強く抱きしめてくる。


「ああ、間違いないわ、ジュリエッタだわ……また会える日が来るなんて。神様、感謝いたします」


 嬉しかった。涙が出るくらい。自分の立場を思い出して、抱きしめ返したいのをぐっとこらえる。


「……お母様、落ち着いてください。ここでは人目がありますから……」


 そうささやくと、お母様も私の言いたいことを察したらしい。


「あら、いけない。さあ、入って。お父様も喜ぶわ」


 一瞬だけためらって、その言葉に従う。本当は、この屋敷に戻ってくるつもりはなかった。


 でもこうしてお母様と再会してしまったのだし、今さらだ。お父様にも会いたいし。


 屋敷へ向かう私たちのすぐ後を、ミモザが静かについてくる。ちらりと振り返ったら、もらい泣きしかけているのが見えた。




 久しぶりの屋敷は、懐かしい匂いがした。何一つ変わっていないように見えるそのたたずまいが、ひどく心を揺さぶってくる。鼻の奥がつんとして、思わず唇をかみしめた。


 弾むような足取りで進むお母様に引っ張られるようにして、屋敷の中を進む。お父様の部屋に向かって。


 ミモザは私の隣にやってきて、嬉しそうに目を細めながらあちこちを見渡している。この屋敷に興味があるらしい。


 そして私は、この状況に戸惑っていた。その場の流れとはいえ、戻ってきてしまってよかったのかな。お父様とお母様に、迷惑がかからないかな。


 ためらっているうちに、お父様の部屋の前についてしまう。


「あなた、ジュリエッタが帰ってきたのよ!」


 お母様は私の手をしっかりとにぎり、部屋の中に連れていく。


 そこに、お父様がいた。お父様は私の姿を見るなり、勢いよく椅子から立ち上がる。大きく目を見開きながら、肩を震わせていた。


「ああ、本当だ……本当にジュリエッタだ……よく、ここまで帰ってきた。元気そうで良かった」


 そうして私たち三人は、しっかりと抱きしめ合う。みんな、泣いていた。たくさんの喜びと、ほんの少しのほろ苦さが混ざった、そんな涙だった。




 そうやってひとしきり泣いて、それから涙に濡れた笑顔を見交わす。


 私たちの目は、自然とミモザに吸い寄せられていた。彼は少し離れたところで、ずっと私たちを見守っていてくれたのだ。


「ジュリエッタ、良ければ彼を紹介してもらえないかな」


 まだ目を赤くしたまま、お父様が礼儀正しく私たちに微笑みかける。


 私たちの込み入った事情をどこまで話すか、それが問題だ。考えながら、ゆっくりと慎重に口を開く。


「彼はミモザ、私の命の恩人です。彼がいなかったら、私はとっくの昔に命を落としていました」


 両親が目を見開いて、食い入るようにミモザを見つめる。ミモザは穏やかな表情のまま、その視線を静かに受け止めていた。


「彼は私にとって、一番大切な存在です。だから私は、彼と生きていくことにしたんです」


「あらまあ、いつの間にかあなたはいい人を見つけていたのね」


 私が続けた言葉に、お母様が目をさらに丸くする。お父様も顔を緩め、ゆったりとうなずいていた。二人とも、ミモザに好感を持ってくれたらしい。


 ここまではいい。ごく普通の、常識の範囲の話だ。


 けれど、ここから先の言葉は両親にとって受け入れがたいものになるだろう。


 それでも、私は言ってしまうことにした。両親なら分かってくれるのではないかという、そんな淡い期待があったから。


「ミモザは人ではなく竜で、何百年も生き続けます。そして私は、彼を一人にしたくない。だから彼に頼んで、彼と同じ時を生きられるようにしてもらいました」


 緊張で声が震える。両親はぽかんと口を開けたまま、まっすぐに私を見ている。二人がどう思っているのか、その表情からは何も読み取れなかった。


「私はこの十年、年を取っていません。そしてこれからも、何十年、何百年とこの姿で生き続けるつもりです。ミモザと二人で」


 小さく息を吐いて、口を閉ざす。これで、話すべきことは全て話した。


 この内容をどう判断するかは、両親次第だ。受け入れてもらえるのか、それとも拒絶されるのか。最悪の場合も、もう既に覚悟していた。


 顔がこわばるのを感じながら、もう一度両親に目を向ける。


 二人は驚きと安堵、それと少しの悲しみが混ざったような何とも言えない目で私たちを見つめていた。


 やがて二人はうなずき合い、ミモザに歩み寄る。真剣な面持ちで、彼の手を取った。


「ミモザさん、娘を助けてくださってありがとうございます。そしてどうかこれからも、娘のことをお願いします」


「ああ、私からも礼を言わせてくれ。ありがとう」


 ミモザは、礼を言われるとは思ってもみなかったのだろう。彼は見事なまでにぽかんとしている。金色の目をせわしなくまたたきながら、交互に両親の顔を見ていた。


「え、あの……僕は、その」


「お父様、お母様。どうしてそんなにあっさりと、私と彼の事情を受け入れてくれたのですか? 到底信じられないような話だと、自分でも思うのですが」


 私もまた、ミモザと同様に困惑していた。ろくに話せなくなっているミモザの代わりとばかりに口を挟むと、両親は優しい笑みを浮かべて私たちを見た。


「お前たちの目を見れば、嘘などついていないとすぐに分かるさ」


「それにあなたが年を取っていないことも、一目で気づいていたのよ。あの頃と変わらない、いいえ、それ以上に元気そうな姿で帰ってきてくれた。私たちはそれだけで十分なの」


 そう言って微笑む両親の姿を見ていたら、視界がぼんやりとにじんできた。ミモザが、両親が、近づいてくる。


 気がつけば私は、三人に寄ってたかって抱きしめられていた。温かさに包まれて、嬉し涙を思いっきり流す。


 この街に来てからずっと胸にわだかまっていたものが、ようやく消えていったような気がした。




 結局その日は、両親に引き留められて屋敷に泊まることになってしまった。


 十年以上使われていなかった私の部屋は、きれいに掃除が行き届いていた。それこそ、いつでも使えるくらいに。


 両親がずっと私を待ってくれていたのだと思い知らされて、また涙がにじむ。今日はつくづく、泣いてばかりの一日だ。


 ようやく涙も引いてきた頃、控えめに部屋の扉が叩かれた。どうぞ、と声をかけると、笑顔のミモザが顔をのぞかせる。


 彼は客室に泊まることになっているはずだけど、何かあったのだろうか。


「ねえ、今ちょっといいかな」


「もちろんよ、どうしたの?」


「寝る前に、少しあなたと話したいなって思って」


 ミモザを招き入れ、椅子を勧める。彼は楽しそうに笑いながら、興味深そうに部屋の中を眺めていた。


「あなたのご両親って、素敵な人たちなんだね」


「ええ、そうでしょう。……でも、あそこまで柔軟だとは思わなかったわ。私のことも、あなたのこともあっさり納得してしまうなんて」


「柔軟っていうなら、あなたもだよ。僕がこの姿になった時、驚きもせずすんなりと受け入れていたでしょう? それ以前に、普通の人は竜を家に上げたりしないしね」


「あれは、あなたがあまりにも寂しそうに鳴いていたから。それに竜のあなたと人の姿のあなた、よく似てるのよ」


 思わずそう反論してしまったが、ミモザの言う通りだ。森の中の小屋で一人きり、周囲をはばからない立場だったとはいえ、私の行動のほうが両親よりもよほど非常識だ。


 そのことに気づかされた私が絶句しながら目線をそらすと、ミモザは小さく声を上げて笑いだした。


 そうやってミモザと話していると、まるでここがあの小屋であるかのような錯覚を感じた。ああ、そろそろ帰りたいな、という思いが心の中をよぎる。


 ここは子供の頃からずっと過ごしていた部屋で、本当ならここが私の帰る場所なのだ。


 それなのに今の私は、追放先であるはずの小屋に帰りたいと、そう思ってしまっている。


 やっぱり私は変わっているのかもしれない。そんなことを実感しながら、もう一度ミモザに笑いかけた。

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