第22話 思い出をたどる旅
久しぶりの長旅はとても順調で、私たちは毎日お喋りしながらせっせと街道を歩き続けていた。
私たちの小屋の近くには、東西に延びる街道がある。それを東に進むと、やがて東の街が見えてくる。
東の街の少し手前、つまり西側で、この街道は枝分かれしている。片方はそのまま東の街へ続いていき、もう片方は南へ延びている。
その南への街道をひたすらに進んでいけば、いずれ小高い丘の上に建てられた王城と、それを取り巻く城下町が見えてくる。私が生まれ育った街も、その近くにある。
「ここから先は、初めての場所だね。ふふ、わくわくするなあ」
「私も実際にここを通るのは初めてだけど、名物とか名所とかなら知っているから、案内するわね」
「ありがとう! 楽しみだなあ」
街道の分かれ道にたどり着いた私たちは、そんなことを話しながら南へ向かった。
実のところ、初めてだというのは嘘だった。私は以前に一度だけ、ここを通ったことがある。
あの王子に捨てられて、濡れ衣を着せられて辺境に追放された時。
窓を塞がれた粗末な馬車に放り込まれ、私は確かにこの街道を通った。景色など、一度も見ていないけれど。
つい、そんなことを思い出してしまう。それをきっかけに、次々と記憶がよみがえってくる。
ミモザに出会う前は、いつかこの森を抜け出してあの王子に吠え面かかせてやるんだと、そんなことをよく考えていた。
でも、心のどこかでは気づいていた。きっとそれは、無理なのだろうと。
ここの厳しい自然の中では、生き延びるだけでも大変だ。遠くへ旅をするだけの余裕は、どこにもない。
あの当時の私が、将来こうやって王都への旅に出ることを知ったら、どう思うのだろう。
今度こそ、どんな手を使ってでも王子にひとこと言ってやるんだって、そう鼻息を荒くするかもしれない。
でも、今の私は違う。私には、ミモザがいるから。あんな最低王子なんて、もうどうでもいい。
「何か思い出しているの、ジュリエッタ?」
どうやら私は、考え込んでいるうちに黙ってしまっていたらしい。ミモザが優しく笑いながら、こちらをのぞき込んでいた。
凛々しく美しい青年となった彼のその目は、無邪気な子供の頃から少しも変わっていなかった。
「ええ、昔のことをちょっとね」
同じように笑い返しながら答える。それを見て、ミモザが静かにつぶやいた。
「……あの王子様のことは、もう気にならない?」
あの男は、今では王になっているらしい。それでも私たちにとってあの男は、今でも『王子様』だった。私に濡れ衣を着せて追放した、人でなしの王子様。
「ええ。あんな男のことを気にかけるなんて、時間と気力の無駄遣いね。今は心からそう思うわ。こんな風に思えるようになったのもあなたのおかげよ、ありがとう」
「どういたしまして。あなたがそう思えるようになって、僕も嬉しいよ」
互いに礼を言いながら、私たちは晴れやかな笑顔を向け合っていた。
あちこちの宿場町に泊まって、その町ごとの名物を食べて。時折街道をそれて、美しい風景を見にいったりもした。ミモザが目をきらきらさせているのが愛おしくて、嬉しかった。
色んなものを食べた。肉の香草煮込み、乳の加工品、果物の砂糖漬け。みな、よその街に売りに出すほどの量がなくて、その土地でしか食べられないものだった。
色んなものを見た。霧の中の花畑、どこまでも続くような麦畑、空の色をした泉。
急ぎの旅ではなかったし、目新しいものがたくさんあった。けれど王都に近づくにつれて、自然と私たちの歩みは早くなっていた。
そうやって歩き続けているうちに、とうとう王都が遠くに姿を現した。小さく見えている王城は、記憶の中のものと寸分違わない。
記憶が、せきを切ったように一気にあふれてくる。
あの男に会った時のこと、あの男と婚約してからの日々、そして裏切られたあの日のこと。
彼のことはもう気にしていないと、ミモザにはそう言った。けれどそれも、やはり嘘だった。どうしても思い出さずにはいられない。やはりまだ、苦しい。
歯を食いしばって、王城から目をそらす。と、隣で何やら動き回っているミモザが目に入った。
彼はまず、太陽を見て方角を測るような仕草をしていた。それから、手にした地図と目の前の地形を交互に見ている。そうして、満足そうにうなずいていた。
その不思議な行動を見ていたら、さっきまでの苦しみがどこかにいってしまった。安堵に、ほっと息を吐く。
それはそうとして、彼が何をしているのか分からない。
「何をしてるの?」
「空の経路の確認だよ。小屋から王都の近くまで人里を避けて飛んでいけたら便利だなって、そう思ってたんだけど……これならうまくいきそうだ」
「えっ……本気なの?」
「もちろん。今の僕ならできる」
そういえばここまでの道中も、彼はしょっちゅう地図とにらめっこしていたけれど、まさかそんなことを考えていたとは。
「どうせなら帰りは僕が飛んでいこうか? そうすれば、たぶん十日もかからずに小屋に戻れるよ」
「でも、うっかり誰かに見られたら大変よ」
「そこは気をつければ大丈夫だよ。十年前も、街道近くの森の上を飛んだけど、誰にも気づかれなかったみたいだし」
十年前、街道の近く。その言葉に、さっきまでとは別の苦しさがよみがえる。
「……あなたが私を置いていなくなってしまった時のことね」
ミモザは申し訳なさそうにそっと目を伏せた。
「あの時はああするのが一番だって思ったんだよ。でも今は、早まったなって思ってる。心配かけてごめんね」
「いいの、謝らないで。これからずっと一緒にいてくれれば、それでいいから」
手を伸ばして、ミモザの白い髪をくしゃくしゃと荒っぽくかき回す。彼は心地よさそうに目を細めると、笑いながらうなずいた。
彼の顔を見上げたまま、そっと微笑みかける。
「そうね、久しぶりにあなたに運んでもらうのも悪くはないかもね。ずっと歩くのにも、そろそろ飽きてきちゃったし」
「任せてよ」
子供の頃のように得意げに胸を張るミモザと一緒に、私は久方ぶりの王都に足を向けた。
結論から言うと、王都の散策は驚くほど平凡で、とても平和にあっけなく終わった。
「お城がある以外は、東の街とそう変わらないね。むしろ、あっちの方が珍しいものが多いような気がするよ」
王都の店を一通り回った後のミモザは、そんな感想をもらしていた。私も同感だ。
「東の街は隣国との国境に近いから、よその珍しいものが多く入ってくるんでしょうね。この王都は古いだけが取り柄の街だから」
「そうなんだ。僕たち、結構いいところに住んでるのかもね」
一通り店を見終わった私たちは、古い街並みを眺めながらぶらぶらと散策していた。
どことなく見覚えのある風景の中をミモザと並んで歩いていると、たった十年と少しの間にたくさんのものが変わったのだと、改めて思い知らされた。
かつて私は侯爵令嬢で、そして濡れ衣を着せられた罪人だった。今は辺境に住む、腕利きの薬師だ。
でもそんな肩書なんて、全部どうでもよかった。私にとって一番大切なものはここに、私の隣にあるのだから。
「……ミモザ、これからもよろしくね」
「どうしたの、急に?」
「言いたくなっただけよ」
不思議そうに笑うミモザに一歩近づき、その手を取った。そうやって手をつないだまま、私たちは夕暮れの街を並んで歩き続けた。
王都で一泊した私たちは、朝一番に王都を出立し、すぐ近くにあるお父様の領地に向かっていた。
楽しみだと目を輝かせているミモザとは対照的に、私はずっとそわそわしていた。故郷を見られるという喜びよりも、様々な不安の方が勝ってしまっていたのだ。
「あ、あれが私の故郷よ。……本当に大丈夫なのかしら」
両親が住む屋敷と、それを取り巻く街。それが遠くに見えてきた時、私はすっかり尻込みしてしまっていた。
「私の正体がばれるとまずいから、長居はできないわよ。身なりがすっかり変わってしまっているから、すぐにばれるようなことはないと思うんだけど」
「そのことなんだけど、別にばれちゃってもいいんじゃないかな」
一方のミモザは涼しい顔で、とんでもないことをさらりと言っている。驚きに目を見開くと、ミモザは可愛らしく笑って言葉を続けた。
「最悪、兵士に追いかけられたりするかもしれないけど、そうなっても別に困らないよね」
「そ、そう?」
「うん。だって、さっさと小屋に戻ってしまえばいいだけなんだし。いざとなれば、飛んで逃げるっていう手もあるし」
私を落ち着かせようとしているのか、彼はいつも以上に柔らかく微笑んでいる。その金色の目は、いつもと変わらない光をたたえていた。
そんな彼を見ているうちに、自然と落ち着きを取り戻すことができた。
「ほら、あの辺境って恐ろしい魔物が出るから、兵士たちだってあそこまでは追ってこないよ」
「……言われてみれば、その通りね」
「でしょう? 本当、魔物には感謝だよ」
「……ミモザ、あなた強くなったわね」
「えっ、何のこと?」
ミモザはおかしくてたまらないといった顔でしらを切っている。
次の瞬間、二人同時に吹き出した。春の野原に、私たちの笑い声が溶け込んでいく。
こんな身もふたもないやり取りを経て、私たちは目の前の街に足を踏み入れた。特に変装などもせず、そのままの姿で。
胸が痛くなるほど見覚えのある街を、ミモザと二人で歩く。二度と戻ってこられないだろうと思っていた街並みは、記憶の中のものよりほんの少しだけ小さく見えた。
ミモザの美貌は少しばかり人の目を引いていたが、その横にいる私の正体には誰も気づいていないようだった。
そのことで少々気が大きくなった私は、かつて暮らしていた屋敷の近くまで足を運ぶことにした。ミモザも興味を示していたし、遠巻きに屋敷を見るくらいなら見つかることもないだろうと思ったのだ。
「あれが、あなたの生まれ育った家なんだね」
「ええ、そうよ。お父様とお母様は元気にしているかしら」
懐かしい屋敷を見つめながら優しい声で答える私に、ミモザは小さく笑いかけてきた。
「ねえ、ちょっとくらい顔を出していってもいいんじゃない?」
「そうしたいところだけど、私は一応罪人ってことになってるのよね。忘れがちだけど。うっかり顔を出して、お父様とお母様まで罪に問われるようなことになったら大変だわ」
「でも……」
「ミモザ、気遣ってくれてありがとう。でもいいのよ、こうやってここを一目見られただけで満足だから。さあ、そろそろ戻りましょう」
まだ渋っているミモザの袖を引いて、その場を離れようと屋敷に背を向けたその時。
「ジュリエッタ、あなたなの!?」
聞き覚えのある女性の声が、耳に飛び込んできた。
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