第2章 魔女と呼ばれて

第21話 人ならぬ時の中で

 伯爵の新たな申し出を受けたことで、私たちの生活は少しだけ変わった。


 私の返事を聞いた伯爵は、驚くほどの手際の良さで診療所を作ってしまったのだ。それも、宣言通り辺境の森の近くに。


 彼はまず、森に一番近い宿場町、その外れにある空き家を手に入れた。


 それからあちこち手を入れて、病室、診察室、家族などの付き添いの人のための宿泊室、医者が寝泊まりする部屋などを次々に作っていった。


 そうして内装が完成したところで、薬などの物資が大量に運び込まれていった。


 それらの過程を、私とミモザは遠くから時々見物していた。ちょっぴりわくわくしながら、でも少し緊張しながら。


「私、いずれはあそこで病人を診るのよね……」


「緊張してる? 大丈夫。あなたならやれるよ」


 そうこうしているうちに、ついに診療所が完成した。伯爵の知人の家族だとかいう病人も運び込まれてきた。あとは、私が診療所に出向くだけだ。


 支度を整えて小屋を出る。でも、足が重い。進むのが怖い。


 診療所で待っているのは、医者たちがさじを投げた病人だ。


 伯爵やその妻の治療はうまくいった。けれどそういつもうまくいくとは限らない。


 治療に失敗してしまったらどうしよう。彼らの希望を奪ってしまうことになったらどうしよう。


 そんなことを考えているせいで、どんどん歩みが遅くなる。と、隣から明るい声がした。


「初めてのことって、どきどきするよね。ほら、怖いなら僕が引っ張っていくよ」


 そう言って、ミモザが優しく手を差し出す。その手を取って、二人寄り添って歩いていった。不安が薄れるのを感じながら。




 幸い、今度の病人もみるみるうちに回復していった。ほんの数日後には、自分の足で診療所を出ていけるようになっていたのだ。


 満面の笑みで診療所を後にする元病人に笑い返しながら、そっと胸をなでおろす。すっごく緊張したけれど、あの笑顔が見られてよかった。


 それからも、ぞくぞくと病人がやってきた。治療を繰り返すうちに少しずつ慣れてきて、三か月もする頃には落ち着いて治療にあたることができるようになっていた。


 治療の仕方は、だいたいいつも同じ。私が病人を診て、頭に浮かんだ薬草の名前を次々とを口にする。ミモザは隣で、それを全て書き留める。


 が次に、ミモザのメモを頼りに、必要な薬草を引っ張り出してくる。あとは私が、なんとなくで分量を決めて調合する。


 そうやってできあがった薬は、とてもよく効いた。ただし、調合してやったその病人にだけ。


 私のこの能力は、竜の秘薬のおかげで得られたものらしい。だからなのか、不思議な薬が作れるようになってしまったものだなあと思う。


「人には喜んでもらえるし、お礼に色々もらえるし、素敵な能力だよね」


「それは同感ね。ただ……最近、人が増えてない?」


「僕もそんな気はしてた」


 いつしか私たちは、そんなことをささやき合うようになっていた。


 次第に、診療所にやってくる病人の数が増えていたのだ。


 どうやら私のことが、あちこちで噂になりつつあるらしい。私が治した元病人たちが、私の腕前について話して回っているようなのだ。


 そしてそんな噂を聞きつけて、さらにたくさんの病人がわらにもすがる思いでやってくる。そういうことらしい。


 しかも、増えていたのは病人だけではなかった。どこで話を聞きつけたのか、私の治療を見たいといって医師や薬師までもが押しかけてくるようになったのだ。


「ふふ、あなたって人気あるんだね」


「きらきらした目の医者の群れに囲まれるって、中々落ち着かない体験よ……知識も経験も、あっちの方が上なのに」


「とか言って、あなたはそのお医者さんたちをこき使ってるよね」


「だってここ、人手が足りないんですもの。私はたまにしか来ないから、泊まり込みの人員は必要だし」


「そうだね。みんな喜んで働いてるみたいだし、これはこれでよかったんじゃないかな」


 そんなこんなで、診療所はあっという間に手狭になってしまった。


 視察にきた伯爵は、今の診療所の隣、宿場町の外に新しい診療所を建て増しすることをすぐに決めていた。


「ジュリエッタさんの腕前は、やはり素晴らしいものだった。彼女が惜しみなく腕を振るえる場所を用意でき、そして人々の助けとなれる、こんな栄誉があるだろうか」


 彼はよりによって私の目の前で、感動に打ち震えながらそんなことを言っていた。正直恥ずかしい。


 ともあれ、診療所は一気に広くなった。しかし、これで無事解決とはいかなかった。


 診療所が広くなったことで、さらに多くの病人や医者たちが詰めかけるようになってしまったのだ。


 おまけに薬草の行商人が薬草を押し売り、もとい卸しにくるようになっていた。商魂たくましいけれど助かる。


 診療所の周囲には、病人の家族や医者たち目当ての宿や飯屋がどんどん増えていった。病人向けの食事や、とびきり柔らかいベッドなんかを売りにして。


 十年も経たないうちに、この宿場町は大きな診療所を中心とした医療の街へと姿を変えていた。




 その十年の間、私はもちろん竜の秘薬を飲み続けていた。実年齢はもう三十歳近いが、見た目はまだ十七歳のままだ。


 年に一回秘薬を差し出す時のミモザの目には、今でも戸惑いの色があった。


 だから私はことさらに晴れやかに笑い、ためらうことなく秘薬を飲み下すことにしていた。彼の不安が少しでも薄まりますように。そう思いながら。


 ミモザは十八、九くらいまで育って、そこで成長が止まった。


 身長ももう少し伸びて、年頃の男性らしいしっかりとした骨格になっている。あなたのことを抱きしめるのにちょうどいい身長差になったね、と彼は笑っていた。


 今のところ、まだ私たちは怪しまれてはいない。ずいぶんと若々しい二人だな、くらいにしか思われていないようだった。


 けれどあと十年もすれば、私たちの外見に違和感を覚える者も出てくるだろう。


 そしてさらに十年後には、もうどうやっても言い逃れができないくらい、私たちは不自然な存在になっている筈だ。


「この生活も、もってあと十年ってところかしらね」


 ある冬の終わり、暖かな小屋の中でゆっくりとお茶を飲みながら、私はミモザとそんなことを話し合っていた。夕食の献立を相談しているような、そんな気楽な口調で。


 この姿でミモザと共に生き続ける以上、人間たちとずっと関わり続けることなどできない。いつか私たちは、異質な存在として排除されてしまうだろうから。


 だからその前に、人間たちから距離を置こうと決めていた。私にはミモザがいればいい。その気持ちは、十年前と少しも変わっていなかったから。


「頑張って十五年、かな。服装や髪形で多少はごまかせそうだし」


 そんな私の覚悟を知っているミモザも、同じようにのんびりと答えてくる。まだ彼なりに思うところはあるようだったけれど、それでも昔のように思い悩むことは減っていた。


「医者たちも育ってきたし、もう私が抜けても診療所は大丈夫だと思うのよ。最近忙しくなってきちゃったから、そろそろゆっくりしたいし」


「うん、僕としてももうちょっと静かに暮らしたいとは思うよ。でもそうすると、どうやって診療所から離れるかが問題になるね」


「できれば、円満に引退したいところよね。大騒ぎになるのは避けたいし」


「多かれ少なかれ騒ぎになりそうな気はするよ」


 それは伯爵や医者たちが聞いたら血相を変えてすっ飛んできそうな話題だったが、私もミモザもいつも通りの調子で、しかし真剣に考えを巡らせていた。


 どうやって診療所から手を引くか。最近私たちの間には、この話題が上ってくることが多くなっていた。


 気がつけば十年経っていた。きっと、ぼんやりしていたらまた十年くらいすぐに経ってしまうだろう。その時になってからあわてたくはない。手を打つなら早い方がいい。


「だったら今のうち、怪しまれる前にこちらから距離を置いてしまうのはどうかな。何年もかけて、少しずつ診療所に行く回数を減らすんだ」


「やっぱりそれが一番いい方法かしらね。そうだ、せっかくだししばらくここを留守にして、どこかに遠出してみない?」


 私がそう提案すると、ミモザは顔を輝かせてうなずいた。幼い子供の頃から変わらない、無邪気な笑顔だった。


 ミモザがそんな反応をするのも無理もないだろう。ここ十年の間はずっと小屋と診療所を往復して、たまに東の街に出かける、そんなことの繰り返しだったのだ。


 人一倍好奇心が旺盛な彼には、少しばかり物足りない生活だったに違いない。彼の実年齢はまだ十二歳そこそこ、つまりまだ子供だからなおさらだ。


 旅費ならうなるほどある。その気になれば、国の反対側の端にだって行ける。何年も旅をすることだって。


 病人たちからの謝礼は、ほぼ手つかずのまま蓄えられている。それに外の物置小屋には、しまわれたままになっている宝石の原石が山になっている。あれ、一度に換金するのは無理だろうな。多すぎて。


 窓の外に目をやると、溶けかけた雪の下から黒い土が顔をのぞかせていた。寒さはもうかなり和らいでいるし、畑には何も植わっていないから世話も必要ない。


 まさに今が、旅立ちにはもってこいの季節だ。


「今なら手のかかる病人もいないし、ちょうどいいわね。ミモザ、どこか行きたいところはある?」


「あるにはあるけど……」


「どうしたの、口ごもったりして。遠慮しないで言ってみて?」


 ミモザ彼にしては珍しく、妙に歯切れが悪い。身を乗り出して可愛らしく首をかしげながら、さらに尋ねてみる。


 彼は私の目をまっすぐに見て、照れたように頬を赤らめる。


「うん。……その、ね。僕……あなたが生まれ育った土地を見てみたいんだ」


 その言葉に、今度はこちらが黙り込む。


 私が生まれ育ったのは、王都の近くの屋敷。しかしそこに戻ることは許されない。この辺境にいる限りは割と自由だけれど、私は一応追放された身なのだから。


 でも、とさらに考えをめぐらせる。


 私がここに追放されてからかれこれ十年以上、一度たりとも見張りや看守のたぐいを見ていない。どうやら私は、これ以上ないほど完璧に放置されているようだった。単に忘れられているということも……あるかもしれないけれど。


 もしかして、ばれないようにこっそり動けば大丈夫なのでは。


「さすがにあなたの実家に行くのは無理だって、僕にも分かるよ。でも、その屋敷がある街や、王都を一度見るくらいなら……。東の街みたいに人が多いのなら、人ごみにまぎれることもできるし」


 ミモザはこちらの様子をうかがうようにして、恐る恐る言葉を足している。そんな彼に、明るく笑いかけた。


「じゃあ、目的地はそこにしましょうか。面白いものがたくさん見られるわよ」


「やったあ、ありがとう!」


 人間たちと距離を置くために旅をするのだと考えていたことなどきれいに忘れて、私たちはすっかりはしゃいでしまっていた。特に、ミモザが。


 地図を広げて行き先と道のりを確認し、まだ見ぬ地に思いをはせている。そんな彼の姿を見て、十年前の決断は間違っていなかったな、と改めて感じた。




 それから私たちは大急ぎで、とても手際よく旅の準備を進めていった。


 私は診療所に顔を出し、しばらく留守にすると一方的に宣告した。その間、ミモザは小屋に残って旅の荷物をまとめている。


 予想通り医者たちに引き留められてしまったけれど

、強引に押し切らせてもらった。


 いずれ私は引退するつもりなのだし、私の不在に慣れてもらわないと困る。彼らだって一人前の医者なのだし、もう少し自信を持ってもらいたい。そんなことを、じっくりと言って聞かせて。


 そして数日後、私たちはしっかりと戸締りをして、小屋を後にした。今までで一番の長旅に、心躍らせながら。

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