第20話 二人で歩む未来へ

 私たちは手をつないだまま、暗い森の中を戻っていった。さっきまでとは違って、心細さも恐怖も感じなかった。ただ、幸せだった。


 そうして埃だらけの部屋を見て、一緒に苦笑する。


「今日はここで寝るのは無理そうね。幸い今日は暖かいし、野宿でもなんとかなるかしら」


「そうだね、もうすっかり遅くなっちゃったし、明日に備えてもう休もうか」


 小屋の中から毛布と毛皮を持ってきて、埃をはたく。毛皮を草地に敷いて、その上に並んで腰掛けた。毛布もあるし、くっついているととても暖かい。


 そうしていると、隣から嬉しそうなくすくす笑いが聞こえてきた。


「僕が小さい頃は、こうやって一緒に寝てたよね。懐かしいな」


「あなたは甘えん坊だったものね。今でも、かしら」


「もう、ひどいなあ。……ううん、あなたに甘えたいのは当たってるかも」


 軽やかに笑いながら、ミモザがこちらを向く。かすかな星明かりに照らされて、白い髪が新雪のようにきらめいていた。


「さっきはあんなことを言ったけど、あなたが僕を探しに来てくれて、とても嬉しかったんだ」


 彼の目は、夜の闇の中でもなお優しい金色をたたえている。その目が、ゆっくりと細められていった。


「あなたが僕を選んでくれて、本当に、本当に……嬉しかったんだよ。ありがとう……ごめんね……」


 そう言ってミモザは、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。水晶のように透き通った涙に、綺麗だなとそんなことを思う。


 静かに泣いているミモザの頭を優しくなで、背中をさする。しかし、一向に泣き止む気配がない。


 ミモザに、笑って欲しい。そう思うけれど、どうしていいか分からない。困り果てて視線を上げたその時、いいものを見つけた。


「ねえミモザ、見て」


 ミモザの手を引いて、毛皮の上に横たわらせる。それから、彼の隣にごろんと寝転がった。


 私たちの目の前には、一面の星空が広がっていた。深い深い夜の闇を跳ね返すように、数え切れないほどたくさんの星たちが輝き、笑いさざめいている。


「こうやって改めて見上げてみると、夜空も綺麗ね」


 隣のミモザに、そっと語りかける。


「昼間は、星はほとんど見えない。夜ならではの光景ね。闇の中だからこそ、美しいの」


「……ふふ、励ましてくれたんだね」


 考え考え喋っていると、ミモザの柔らかい声がした。もう、泣いてはいない。


「あなたが選んだ道は、夜の中を歩くような道。たくさんの人がいる昼の道じゃない」


 降るような星空に、ミモザの声が広がっていく。


「でも、この道を行くからこそ見えるものもある。……そういうことだよね?」


「ええ。あなたってやっぱり賢いわね。言葉にするのが、私よりよっぽどうまいわ」


「ありがとう。でも、子供扱いしないでね?」


 そうして二人、笑い合う。横たわって空を見上げ、手をつないだまま。




 そのまま、あれこれとお喋りする。普段、小屋で暮らしている時と同じように。


「こんな素敵なものが見られるのなら、たまには外で寝るのも悪くないわね。地面で寝なくて済むように、木のテラスでも作ろうかしら」


「いいね、それ。僕も手伝うよ。木を切るのは任せて」


「でも木だと、離れたところで焚火をしないといけないし……石のテラスは冷たいし。楽に暖かく野宿をするのは難しいわね」


「だったら、炭を使うかまどにする? あれなら、火の粉も飛ばないし」


「あ、素敵かもしれないわ」


 そうやって小屋の増築について楽しく話し合っているうちに、私たちはいつの間にか眠りに落ちていた。




 次の日、私たちは手早く小屋を掃除してから、旅の荷物を片付け始めた。


 そうして掃除と片付けが一通り終わってから、伯爵に手紙を書いた。


 申し訳ないのですが診療所の件はなかったことにしてください、私はこの森を離れたくないのです、といった内容を、精いっぱい丁寧につづっていく。援助を申し出てくれたことへの感謝の意を添えて。


 手紙を書く私の手元を見ながら、ミモザは切なそうに目を伏せていた。


「……これで、本当に良かったのかな。やっぱりあなたは人として生きた方が」


「もう決めたのよ。決意は変わらない。それに、これからはあなたが幸せにしてくれるんでしょう? 楽しみにしてるんだから」


 ミモザの言葉を途中で遮って、にっこりと彼に笑いかける。彼はまだ何か言いかけていたけれど、やがて悲しげな目のまま微笑み返してきた。




 書き終えた手紙を携えて、ミモザと一緒に最寄りの宿場町に向かう。手紙を伯爵の元まで届けてもらうためだ。


 こういう街道沿いの宿場町には、手紙を他の町に届けてくれる馬車が定期的にやって来る。そして、その馬車が到着するまで手紙を預かってくれる店もあるのだ。


 宿場町までの道すがら、私たちは他愛もないお喋りに花を咲かせていた。


 ミモザと離れていたのはほんの十日ほどなのに、こうやって彼と話していられることが、涙が出そうになるくらい嬉しかった。いくら話しても、話し足りなかった。






 そうして元の暮らしに戻って一か月ほどした頃、小屋に来客があった。


 前に私を森の前まで送り届けてくれたあの老人が、伯爵からの返事を持って現れたのだ。この森に魔物が出ることを知っているだろうに、


 そこには私が森に帰ることを惜しむ気持ちと、時折でいいから薬師として力を貸してくれないか、ということがとても優雅な字でつづられていた。


 伯爵は、この辺りでは顔が広い。そして彼の知り合いの中には、病に苦しむ家族や親戚を抱えている者も少なくないのだそうだ。


 医者たちがさじを投げたそんな病人を、どうか診てやってはくれないか、と伯爵は熱心に訴えていた。


 力を貸すこと自体は構わない。けれど、そのたびにいちいち東の街に行くのも面倒だ。


 そう思いながら手紙の続きを読む。しかしそこには、予想外のことが書かれていた。


『街道沿いに点在する宿場町、その一つに仮の診療所を設けようと思う。君の小屋からなら、徒歩でも数時間ほどでたどり着けるところだ』


『病人にはそこまで来てもらい、そのつど君に往診してもらう形にするのはどうだろうか』


 一歩引いたところで成り行きを見守っている老人の顔に、わずかにいたずらっぽい笑みが浮かんだように見えた。


 ずっと手紙の内容に耳を傾けていたミモザが、目を真ん丸にしてつぶやいた。


「あの伯爵様、あなたの力をこんなにも高く買ってくれてたんだね……」


「そうみたいね。……この申し出なら、受けてもいいと思うの。ここで暮らしながら、病に困っている人たちを時々助ける。そんな暮らしも、悪くないと思わない?」


 そう言いながらミモザを見つめる。彼も同じように見つめ返してきた。二人同時にうなずく。


 私は老人の方に向き直り、にっこりと笑った。


「伯爵に伝えてください。この申し出を受けます、と」


 老人も穏やかに微笑み、一礼した。


「ありがとうございます。詳細については、また後日改めて説明に参ります。主に、良い報告ができることを嬉しく思います」




 そして老人が帰っていった後、私たちはとりとめのない話をのんびりと続けていた。話題は主に、さっきの申し出について。


「さて、いつまでごまかせるかしら。これからは私も年を取らなくなるわけだし。人前に出るのはできるだけ避けるべきかなって思うけれど、人助けも悪くないし」


「大丈夫じゃないかな。もし怪しまれるようになったら、その時は診療所通いをやめればいいだけだよ」


「それはそうなんだけど……ねえミモザ、最近あなた肝が据わってきた?」


「そうかもね。だって、大切なあなたを守って幸せにするためには、僕がしっかりしていないと駄目だもの」


 ミモザは小さく笑いながら、私の手を取って軽く口づけする。肝が据わっただけでなく、大胆にもなったようだ。


「頼りにしてるわ、ミモザ」


 彼の手をそっと引き寄せて自分の頬に当てる。見た目よりもがっしりした温かい手が、優しく私の頬をなでてきた。


 今の幸せがいつまで続くか分からない。けれどもしこの幸せがなくなってしまうとしても、その時は必ず新しい幸せを見つけてみせる。ミモザと二人で。


 そんな決意を新たにしながら、穏やかなひとときを味わうように、ゆっくりと目を閉じた。

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