第19話 私が選ぶ道

 ミモザの姿を見たとたん、私は弾かれたように立ち上がっていた。


 そのまま、彼をしっかりと抱きしめる。


 いつの間にこんなに大きくなったのだろう。いつの間にこんなにたくましくなったのだろう。彼の香り、草原と白い花の香りは、子供の頃から変わらないのに。


 自分が震えていることに、この時ようやく気づいた。


「良かった、やっと見つかった……」


「……探さないでって、書いておいたよね」


「放っておくなんて無理よ」


「僕は、探して欲しくなかったんだ」


 いつになく硬い声でそう言って、ミモザは私の腕を振りほどく。


 こちらを拒絶するようなその動きに驚いてしまって、ただその場に立ち尽くす。


 彼はこちらを見ることなく、ひどく淡々と話していた。


「僕と一緒だと、あなたは幸せになれない。だから僕は、あなたと離れることにしたんだ」


「どうして、そんなことを言うの?」


「ずっと前から、思ってたんだ。あなたは人として、人に囲まれて生きるべきなんだろうって」


 彼の目が、ゆっくりとこちらに向けられる。いつも生き生きと輝いていた金色の目は、今は底の知れない悲しみをたたえていた。


「でも、もうすぐ僕の成長は止まる。何十年も経って、ずっと若い姿のままの僕があなたのそばにいたら、みんな怪しむよね」


「それは……」


 ミモザの言葉を否定したかった。でも、できなかった。


 私はその問題に気づいていた。その上で、ずっと目を背け続けていた。今の幸せを壊したくなくて。


 ミモザは、いずれ年を取らなくなる。ずっと同じところに居続ければ、必ず周囲の人間たちに怪しまれてしまう。彼と一緒にいるのであれば、普通の生活は難しい。


 言葉に詰まってしまい、悔しさに唇を噛む。ミモザはそんな私を優しい目で見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。


「だから、いつか僕はあなたのもとを去るつもりだったんだ」


 泣きそうな目で、ミモザは微笑む。


「診療所の話を聞いて、今がその時だって思ったんだよ。あなたはたくさんの人に囲まれて、幸せに暮らせる。僕がいなくても、もう大丈夫だって」


 嫌だ、離れたくない。必死に明るい声を作って、懸命に言葉を紡ぐ。


「そんなこと言わないで。少しくらい怪しまれたって、どうってことないわ。大丈夫よ」


「駄目なんだ」


 けれどその言葉を、ミモザはすぐに振り払った。まるで何かをこらえているかのように、唇をきつく噛みしめている。


「……あなたは人として生きなくてはならない。でも僕があなたの近くにいたら、きっと僕はあなたの生き方をゆがめてしまう。だから、駄目……なんだ」


「ねえ、いったい何のことを言っているの……?」


 そう尋ねた私の声は、自分でも驚くほどか細く震えていた。


 ミモザは苦しそうに背中を丸めていたけれど、やがて何かを振り切るように言い放った。神々しいほどに凜とした、ガラスのように澄んだ声だった。


「僕は竜、その寿命は数百年以上。どんな生き物も、僕と一緒に生きることはできない。でも一つだけ、例外がある」


 朗々と、彼は語る。どことなく近寄りがたい雰囲気を漂わせて。


「僕があなたに与えた竜の秘薬、あれは飲んだ者を一年の間全ての病から守る」


 竜だけが使えるとっておきの方法。それが、竜の秘薬だ。どうして今、そんな話をするのだろう。

 

「けれど同時に、竜の秘薬は飲んだ者の時間を一年の間だけ止めるんだ。あの秘薬を飲み続ければ、ずっと年を取ることなく生き続けることができる」


 予想もしていなかったそんな言葉に、ただミモザを見つめることしかできない。年を取らない? ずっと生き続ける?


 困惑している私に、ミモザはさらに語りかける。


「僕はそれを知っていて、あなたに秘薬を二回与えた。最初の一回は、あなたを死の淵から呼び戻すためだった」


 表情のないミモザの頰を、涙がつうと流れていく。


「……けれど二回目は、僕の醜いわがままだった。あなたに僕と同じ時を生きて欲しい、置いていかないで欲しいっていう、ただそれだけの」


 ミモザの顔が、くしゃりとゆがむ。涙のにじんだ声で、彼は絞り出すように話し続けた。


「こんなことをしてはいけないって、何度も自分に言い聞かせたんだ。でも……でも、どうしても自分を止められなかった。駄目だって、分かっているのに」


 彼の声は、もう悲鳴のようになっていた。


「このままあなたのそばにいれば、きっと僕はあなたの時間を止め続けてしまう。あなたの生き方を、ゆがめてしまう」


 そう言いながら、ミモザは苦しげに顔を伏せた。流れる白い髪が彼の顔を覆い隠す。


「でも今なら、まだ引き返せる。お願い、ジュリエッタ。どうかこのまま、この森を去って。そして、人間として生きて」


 私に置いていかれることを何より恐れるミモザが、私の幸せのために身を引こうとしている。彼は、真剣だ。


 だったら、私はどうするべきなのだろう。違う、私はどうしたいのだろう。


 私の前には二つの道がある。一つはこのままミモザと別れ、東の街で人として生きる道。


 もう一つはミモザと共に、人の目を避けながら何百年もこの姿で生き続ける道。


 迷うまでもなく、一つ目の道が正解なのだと分かっていた。普通の人間として幸せをつかむ未来と、想像もつかないほど長い長い未来。


 けれど私が人間としての道を選んだら、ミモザはどうなるのだろう。


 私と暮らしたほんの二年足らずの思い出を胸に、何百年も生きていくのだろうか。誰も足を踏み入れないこの森の中で、ずっと一人で。


 もしかしたら、彼は新たな友人や伴侶を見つけるかもしれない。でも私には、彼が一人で生きることを選ぶのだろうなという確信があった。


「一人になんて、させない」


 理屈も道理も蹴っ飛ばして、感情に任せてミモザを抱きしめた。


 私だけが幸せになるのは嫌だ。ミモザがひとりぼっちで泣いているのは、絶対に嫌だ。幸せになるなら、二人一緒がいい。


「放して、ジュリエッタ」


 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、ミモザが力なくつぶやく。言葉とは裏腹に、彼は全く抵抗していなかった。


「決めたわ。私はずっとあなたと一緒にいる」


 私が力強くそう断言すると、ミモザがびくりと震えた。


 見上げると、すがるような表情のミモザと目が合った。彼は必死に首を横に振って、うわごとのようにつぶやき続けている。


「駄目だよ。あなたは、幸せにならないといけないんだ。僕がいたら、駄目なんだ……」


 そんな彼に、きっぱりと言い返す。


「私は追放されて、この森で一人きりだった。そんな私を救ってくれたのが、あなただったの。命だけでなく、心も。あなたのおかげで、幸せだった」


「そう、なのかな……」


「そうよ。だから今度は、私があなたを救いたいの。あなたと一緒なら、何百年だって楽しく過ごせるわ。あなたのいない数十年の人生より、ずっとずっと幸せになれるに決まってる」


 手を伸ばして、目の前のミモザの頬に触れた。涙に濡れたその頬は、ひどく冷たかった。


「私たちはずっと一緒よ、ミモザ」


 力なく垂れていた彼の腕が、そろそろと私の背中に回された。戸惑いながらも、彼はしっかりと私に抱きついてくる。


「ありがとう、そしてごめんね。ジュリエッタ、僕が必ずあなたを幸せにするから」


 まるで愛の誓いのような、いや実際に愛の誓いなのだろう言葉を聞きながら、彼の首に両腕を回し、彼の頭を引き寄せた。

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