第16話 思わぬ人助け
倒れて苦しむ男性に出くわして、私に何かできないかと考えていた、まさにその時。
頭の中に、突然いくつもの薬草の名前が浮かんだ。訳も分からないまま、突き動かされるように、その名前を口にする。
「ミミアの葉、カタンの根、ジャドの皮……」
その言葉に、ミモザが首をかしげながら不思議そうな目を向けてくる。
これらの薬草は、目の前の男性の症状に多少は効くかもしれない。
ただ、私は今までにこれらを組み合わせたことはないし、こんな処方は薬の図鑑にも載っていない。
それでも私には、確信めいたものがあった。この処方は、間違いなくこの人に効く。そんな声が聞こえた気すらした。
そうやって考えている間にも、男性はどんどん青ざめていく。もはや、一刻の猶予もないようだった。
先ほど私が口走った薬草は、全部荷物の中に入っている。旅の間に必要になるかもと考えて小屋から持ち出してきたものと、東の街で買い足したものと。
それらを使えば、今ここで薬を調合することも可能だ。道具もあるし。
医者はまだやってこない。仕方ない、いちかばちかやってみよう。
あの薬草の組み合わせなら毒になることはないし、病人を見捨てるのも寝覚めが悪い。それに、医者が来るまでもたせられればいいのだし。
そう腹をくくって、すっと進み出る。そのまま、男性のそばにかがみ込んだ。
「私には薬の心得があります。間に合わせでよければ、薬を用意できますが」
浅い呼吸を繰り返している男性は薄く目を開けて、かすかに首を縦に振った。
よし、本人の同意も得られた。早く薬を用意しなくては。
そう思いながら振り返ると、既にミモザがさっきの薬草を荷物から引っ張り出していた。私の言葉を聞いて、訳が分からないながらも動いてくれていたらしい。
「ありがとう。調合、手伝って」
「任せて」
そんな短いやり取りの後、私たちはものすごい勢いで作業を進めていった。
私が必要な量の薬草を目分量で取り分け、ミモザが小さな薬研で素早くすりつぶす。
薬草の粉末と水を革の水筒に放り込み、火の魔法で注意しながら温める。
そうやってできた煮出し液を、男性に少しずつ飲ませていく。
その間、周囲の人々は固唾をのんで私たちを見守っていた。
「おい、効いてきたみたいだぞ!」
男性の呼吸は、ゆったりとした深いものに変わっていた。眉間の苦しげなしわも、もう消えている。
彼はふう、と息を吐くと、疲れたような笑みを浮かべてこちらを見てきた。
「ああ、楽になってきた。君は腕のいい薬師なのだな。礼を言う」
周囲の人々が、一斉に安堵のため息をもらしていた。私とミモザも、ほっとした顔を見合わせる。
「いえ、お役に立てて良かったです」
誰かが呼んだらしい医者が、その時ようやく駆けつけてきた。
その日の夜、私はミモザと共に屋敷の客間にいた。昼に助けた男性がどうしてもと言って聞かなかったので、私たちは彼の屋敷に一泊することになったのだ。
伯爵である彼の屋敷は、東の街から馬車で数時間ほどの距離にあった。
「貴族のお屋敷って、こんな感じなんだね」
かつて侯爵家の娘だった私とは違い、ミモザは貴族の屋敷に入るのは初めてだ。物珍しいらしく、きょろきょろと辺りを見渡している。
「それにしても、こんな小娘をわざわざ招き入れるなんて、よっぽど困ってるのね」
そんなミモザを見ながら、ふかふかの寝台に腰掛けて深々とため息をつく。
伯爵が私を招いた理由は、もう一つあったのだ。それも、とても切実な理由だった。
伯爵の妻は、ずっと病に伏していた。一向に良くならない妻のために、伯爵は数多くの医者を呼んだ。
にもかかわらず、どこが悪いのかすらはっきりしなかった。そうしているうちに、彼女はどんどん弱っていった。
何としても妻を助けたい伯爵は、病気を治せる者を必死で探し続けているらしい。
医者や薬師だけならまだしも、最近では怪しげなまじない師のたぐいまで招くようになってしまって心配なのだと、伯爵の従者がこっそりと教えてくれた。
伯爵が東の街に来ていたのも、医者を探すためだった。
祭りの前後は、遠くからたくさんの人がやってくる。その中に、まだ招いていない医者がいるのではないかと、そう伯爵は考えたのだった。
そんな事情があったところに、たまたま通りがかった私が伯爵を鮮やかに治してしまったのだ。伯爵にとって私は、救いの神に見えているらしい。
とは言え、私はただの薬師見習いなので、病人に会っても何もできない可能性の方が高い。
そうしつこく何度も念を押したものの、伯爵は一目会うだけでもいいからと言って聞かなかったのだ。よほど困っているんだなあ、とちょっと気の毒になった。
今日はもう遅いので、伯爵の妻と会うのは明日の朝だ。
きっと私には、何もできないだろう。失望する伯爵に別れを告げ、そのまま帰路につく。そんな光景が、はっきりと頭に浮かんでいた。
人の好さそうな伯爵の顔を思い浮かべ、彼をがっかりさせることになることを残念に思いながら、もう一度ため息をついた。
けれど、現実は見事に私の予想を裏切った。
青ざめてやせ細った伯爵の妻に会った時、私には彼女の病気が何なのか、全く見当もつかなかった。そこまでは思った通りだった。
けれど次の瞬間、また頭に薬草の名前が次々と浮かび上がった。
まるで心の中にいるもう一人の私が、正解をこっそりと教えてくれているような不思議な感覚だった。
「バヤの実、干したピピ、マーウェの葉、リランの根……」
伯爵を治療した時と同様に、これらの薬草は伯爵の妻に効きそうだと思えた。
全て効き目が穏やかで、そして弱った体に力を与えるものばかりだ。知る限りでは、飲み合わせが悪いものもない。
ただ一つだけ、問題があった。
頭に浮かぶ薬草は昨日よりずっと種類が多く、おまけに結構珍しいものも含まれていた。
マーウェなんて、この辺りには生えていない。前世の村の近くにもなかった。手に入るまで、どれくらいかかるだろう。
ひそかに焦りながら薬草の名前を挙げ終わると、伯爵が期待に目を輝かせながら口を開いた。
「それが妻の薬の材料だな? さっそく用意させよう」
「あの、ですがそこそこ貴重なものも含まれていて……」
期待を持たせてしまったかと申し訳なくなりながら、口を挟む。しかし伯爵は、力強く笑って答えた。
「問題ない。妻のため、可能な限りの薬草を集めてある。さあ、行こう」
「……すごいわ……」
そうして連れていかれた場所で、私はただ感嘆の声を上げていた。
伯爵の屋敷には大量の薬草を集めた部屋があり、そこには驚くほどたくさんの種類の薬草が揃っていた。東の街の薬問屋よりすごいかも、ここ。
さっそく、ミモザと手分けして調合に取りかかる。
「えっと、何だったかしら。確かバヤの実と……」
「大丈夫、ここに書き記しておいたから」
さっきの記憶をたどる私に、ミモザが一枚の紙切れを渡してきた。そこには、薬草の名前が書き連ねられている
「もしかしたら今日も、昨日と同じようなことになるんじゃないかなって、書く物をあらかじめ用意しておいたんだよ」
「ありがとう、助かったわ。気が利くのね」
「どういたしまして。ところでジュリエッタ、昨日といい今日といい、どうして突然薬草の名前を口にしたの? 何だか様子が変だったけど」
「私にもよく分からないの。病人を見て処方を考えていたら、突然頭に浮かんできて」
「不思議だね?」
と、ミモザがあっ、と声を上げた。
「もしかして、竜の秘薬の影響かもしれない」
ミモザからもらった、しびれるような甘さの金色の薬。あれは確か、体を強くする薬だとか言っていたような。
「あの秘薬は、飲んだ者の隠れた力を引き出すことがあるんだ。あなたはきっと、病人に合う薬を作れる力を得たんだよ」
「だとしたら嬉しいわ。小さい頃からずっと、薬草や薬について勉強してきたから。前世も、今も」
そんなことを話しながら、私たちはせっせと薬を作っていた。
最初に感じていた戸惑いや不安は、もうどこにもなかった。きっと伯爵の妻は治る、そう確信していた。
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