第14話 それでも春はやってくる

 狼の群れを追い払ってから、ミモザはすっかり口数が少なくなってしまっていた。遠くを見るような目をしたまま、一人で考え事をすることが多くなっていた。


 仲間だと思っていた村人たちが自分のことを魔物と呼び、おそれ、ののしった。


 ミモザが生まれて初めてぶつけられた、負の感情。彼はそれにひどく傷ついていた。笑顔を忘れるほどに。


 いつかきっと、全部笑い飛ばせるようになる。かつてミモザからかけられたそんな言葉を胸に抱いて、私はそんな彼のそばに居続けた。




 去年よりもずっと深く積もっていた雪も、春の訪れと共に解けていった。


 ミモザは村の方を気にしていたけれど、決して村に行こうとは言い出さなかった。まだ、冬のことが尾を引いているのだろう。


 そんな彼の姿を見て、私は決意した。今年も、東の街に行こう。


 冬の間に食料がすっかり減っていたし、本や布ももっと欲しい。それに何より、ミモザをここから連れ出したい。ここは、村に近すぎる。


「ねえミモザ、東の街にまた行きましょう。また宝石の原石が貯まっているし、買いたいものもたくさんあるのよ」


「……僕は、行かない方がいいと思う。もし僕の正体がばれたら、大変なことになるから」


 ミモザは暗い顔で、一年前とは全く逆のことを主張する。そんな彼に、ことさらに明るく笑いかけた。


「大丈夫よ。あなたがあの竜だってことは誰も知らないわ。去年だって問題なかったでしょう?」


「でも……」


「私はあなたと一緒に行きたいの。東の街は遠いし、こんな辺境で起きたことなんて、あそこまでは届いていないわよ」


 去年ミモザは、留守番は寂しいのだと訴えていた。彼だってできることなら、私と一緒にいたいに決まっている。


 そう確信して熱心に迫ると、ミモザは不安げに目をさまよわせながらも、小さくうなずいてくれた。




 彼には気分転換が必要だ。ずっとこの小屋にこもっていたら、余計に気分が暗くなってしまう。そう思って、ミモザを旅に誘った。


 そして、結果から言えばこれは大正解だった。


 ミモザは去年よりさらに大きくなり、もう十三、四歳の少年に見える。


 そんな彼の足取りは、街道を東に進むにつれて少しずつ軽くなっていった。最初の宿場町に着く頃には、楽しそうな笑みを浮かべてすらいた。


「ありがとう、僕を旅に連れ出してくれて」


 しっとりとした優しい声でそう言うミモザには、久しぶりに明るい笑顔が戻っていた。その表情に泣きたくなったけれど、ぐっとこらえて笑みを返した。




 一年ぶりにやってきた東の街は、やはりとてもにぎわっていた。


 ミモザはその人の多さに身構えていたけれど、すぐに肩の力を抜いた。


 ここまで人が多ければ、自分が注目されることもないし、竜だとばれて大騒ぎになることもない。彼はどうやら、そう考えたようだった。


 もっともミモザはかなりの美少年なので、竜だとかそういうことに関係なく人目を引いている。とはいえ、人々の視線はとても好意的なものだった。


 そんなこともあって、ミモザはじきにそんな視線も気にしなくなっていた。


 私たちは去年と同じように、宝石商のところで宝石の原石をを換金した。


 それから宿に荷物を置いて、大量の金貨を抱えて街に繰り出す。この街は大きいし、まだ見ていないところもたくさんある。


 観光半分買い出し半分で歩き回るのは、とても楽しかった。ミモザにも楽しんでもらえるよう、盛大に散財しよう。そう決めていた。


 ずらりと立ち並ぶ店を眺めながらのんびりと歩き、気が向くままに細々としたものを購入する。


 そうやってぶらぶらしていた時、ミモザがふと何かに目を留めた。


「あの看板、同じものがあちこちにあるね」


「そうね。去年も見た気がするけれど、こんなにたくさんあったかしら?」


 私たちが見ていたのは、色とりどりの絵具で描かれた小さな看板だった。


 きょろきょろと見渡してみると、街のあちこちに同じ看板がかけられていることに気づいた。それらの看板は、古くどっしりとした街並みを華やかに彩っている。


 二人で首をかしげながら、目の前の看板に書かれている文字を読んでみた。


「あら、お祭りがあるのね。『百花祭り』って、素敵な名前じゃない」


「去年はもう少し早い時期にここに来たから、看板もまだそんなに設置されてなかったんだね」


 百花祭りは三日後から始まって一週間続く、とても盛大なお祭りのようだった。


 そういえば、今泊まっている宿もやけに客が多く、混雑していた。もしかするとあれは、祭り目当ての客だったのかもしれない。


 そして三日後、それはちょうど私の誕生日だ。去年の秋、悔しそうにしていたミモザの姿がよみがえる。


 次は必ず私の誕生日を祝うのだと、あの時の彼は鼻息を荒くしていた。あの時の彼がこの祭りのことを知ったら、きっと大はしゃぎしていただろう。


 けれど今の彼は、とても祭りを楽しめるようには見えなかった。


 もう平気だというふりをしてはいるものの、時折人ごみに暗い顔を向けている。祭りの喧騒は、今の彼には少し刺激が強すぎるだろう。


 そんなことを考えて看板のそばを離れようとした私の袖を、当のミモザが引っ張った。


「ねえ、せっかくだからお祭りを見ていこうよ」


 その顔にはどこにも気負ったところなどなく、とても自然な笑みが浮かんでいた。彼は本心から、祭りを見たいと思っているらしい。


 まだ本調子ではないのだし、帰ったほうがいいと思うわ。そんな言葉を、そっとのみ込む。


 本人が大丈夫だと言っているのだから、その意思を尊重したい。だからいつも通りの笑みを浮かべて、ゆっくりとうなずいた。


「そうね、急いで帰る必要もないし、ゆっくりしていきましょうか」


「わあい、やったあ!」


 それを聞いたミモザは、子供の頃のような無邪気な声を上げていた。






 そうして、祭りの当日。


 支度を終えて客室を出る直前、ミモザは小さな包みを差し出してきた。わくわくした笑みを浮かべながら。


「十九歳のお誕生日おめでとう、ジュリエッタ」


 胸がいっぱいになって何も言えないまま、手の中の包みをじっと見つめる。


 冬のあの出来事以来、彼は自分のことを思い悩むだけで手いっぱいだっただろう。


 けれど彼は、ちゃんと私の誕生日のことを忘れないでいてくれた。贈り物まで用意してくれた。たったそれだけのことが、驚くほど嬉しくてたまらなかった。


「今日という日をちゃんとお祝いしたくて、前から準備してたんだ。ほら、開けてみて」


 言われるがまま包みを開くと、中から出てきたのは小さな首飾りだった。素朴なのに、同時にこの上なく美しいものだった。


 細い革紐に、クルミくらいの大きさの石が下がっている。そしてその石は、不思議な色をしていた。


 深い紫から明るい青紫へ、そして柔らかな桃色へと色が移り変わっている。ちょうど、夜明けの朝を思わせる繊細な色合いだった。


「すごいわ……とっても素敵。ミモザ、これはどうしたの?」


「川で集めてた原石の中から、とびきり綺麗なのを選んでおいたんだ。それを僕の爪と鱗でじっくり磨いて、首飾りにしたんだよ」


 小さな頃よくそうしていたように、ミモザは得意げに胸を張っている。どちらからともなく、笑いがもれる。


 それから、首飾りを身に着けてみる。ころんとした美しい石が私の胸元で、優しく輝いていた。


「ありがとう、大切にするわ。……今まで生きてきた中で、一番の贈り物よ」


 侯爵令嬢として生まれ変わってから、たくさんの贈り物をもらってきた。


 美しい絵本に愛らしいお人形、綺麗なドレスに見事な装飾品。あの王子も、この首飾りの何倍も豪華で目が飛び出るほど高価な首飾りを贈ってきたことがあった。


 けれどそのどれよりも、ミモザがくれたこの首飾りは素晴らしいものだと思えた。


 彼が一生懸命原石を探し、私に見つからないよう隠れて原石を磨く姿を想像したら、感動で少し泣けてきてしまった。


 泣き笑いに顔をゆがめている私を軽く抱きしめると、ミモザはそのまま私の手を取って部屋の外に導いていく。


「さあ、せっかくのお祭りだし、一緒に楽しもうよ。街がまるごと、あなたのお誕生日をお祝いする会場なになってるんだよ」


「ふふ、とってもぜいたくね」


 そう答えた私の声は、やはりちょっぴり涙声だった。




 宿を一歩出たとたん、ものすごい色の洪水が目に飛び込んできた。


 見慣れた街並みが、一夜のうちにすっかりその姿を変えていた。まるで色とりどりの絵の具をぶちまけたみたいな、華やかな光景だった。


 百花祭りという名前にふさわしく、あちこちに鉢植えや切り花、造花がふんだんに飾り付けられている。道行く人々も、様々な花飾りを身に着けていた。


「すっごく綺麗ね……花畑の中、いいえ、夢の中にいるみたい」


 うっとりと辺りを見渡していると、いきなり頭の上に何かがのせられた。


「はい、花輪をどうぞ。よく似合ってるよ」


 そう言うミモザの頭にも、可愛らしい花輪がのっている。どうやら、道行く花売りから買ったらしい。


 色とりどりの花を用いた花輪をかぶって、ミモザは静かに微笑んでいる。そんな彼を見ていたら、愛おしさがこみ上げてきた。


 小屋に戻ったら、森の花で花輪を作ろう。そうして、竜のミモザの頭にのせよう。


 人の姿のミモザ、竜のミモザ、どっちも私の大切なミモザだ。村の人がどう思ったって、私には関係ない。


 そんなことを考えながら、ミモザに手を引かれて歩き出した。

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