第13話 冬の嵐
「あ、初雪だね」
「夜の間にずいぶん積もったのね。今年は雪が多くなるだろうって村の人たちも言っていたけれど、本当にそうなってしまいそう」
冬の朝、私たちは窓辺でそんな会話を交わしていた。
小さい頃と同じように柔らかく話しているミモザの声には、かすれた音が混ざっている。声変わりが始まったのだ。
秋の間に小屋を増築してたくさんの物資を蓄えておいたこともあって、大雪になっても私たちはさほど焦ってはいなかった。
食料も薪もたっぷりあるし、水路を引いてあるから水くみもすぐに終わる。
寝床には、真新しい羽毛布団もかけられている。
今までミモザがこつこつと狩っていた水鳥の羽毛がかなりの量になったので、東の街で買った生地を使って見よう見まねで布団を仕立ててみたのだ。
これが予想よりずっと軽くて温かく、ミモザは布団にくるまっては嬉しそうにはしゃいでいた。
今年の冬越しは、とても楽なものになりそうだった。あっという間に降り積もった深い雪に閉じ込められながらも、私とミモザの間に笑顔が絶えることはなかった。
そして去年の冬よりもさらににぎやかに、穏やかに日々は過ぎていった。
そんなある日、ミモザが小指の爪ほどの大きさをした石のようなものを差し出してきた。
混じりけのない蜂蜜をそのまま固めたような、日の光が固まったような、澄んだ金色がとても美しい石だ。
「これは何? 宝石みたいね」
「薬だよ。去年、あなたは病気で大変な目にあったでしょう? これを飲めば、病気になるのを防ぐことができるんだ」
そう答えるミモザは、どことなく必死な様子だ。
うながされるままそれを口に含むと、覚えのあるしびれるような甘さが口いっぱいに広がった。
間違いない、一年前にあの世から引き戻された時に、口の中に広がったあの味だ。
そう思いながら黙ってそれを飲み下すと、こちらを真剣な目で見ていたミモザが安堵のため息をついた。
そんな彼に笑いかけながら、ふと思い出したことを口にする。
「これが『竜だけが使えるとっておきの方法』だったのね」
去年彼が言っていた言葉をそのまま繰り返すと、ミモザは驚いたように目を見開き、それからとても嬉しそうに笑った。
「ふふ、そうだよ。これは竜の秘薬。病を遠ざけ、体を強くするものなんだ。一年に一個くらいしか作れないけど」
けれどその顔が、すぐにくもってしまう。
「僕は、あなたが元気でいてくれることが何よりも大事なんだ。……お願いだから、どうか僕を置いていかないでね」
ミモザは泣きそうな顔で私の手を取り、ぎゅっと握りしめていた。
竜の秘薬のおかげなのか私は病気一つせず、毎日がただ穏やかに過ぎていった。
そんな日々に変化が訪れたのは、冬も半ばを過ぎた頃だった。
この冬は雪が多く、何日もろくに外に出られない日が続いていた。
私たちは特にそれを気にすることもなく、小屋の中で思い思いに過ごしていた。
去年も森から出なかったのだし、今年も同じように森に引きこもることになるだろう。私はそんな風に考えて、のんびりと構えていた。
しかしある日の夕方、本を読んでいたミモザが緊張した面持ちで顔を上げ、遠くを見つめた。目を細め、何かに耳を澄ませている。
「どうしたの、怖い顔して」
「……狼の群れが、森から出た。村のほうに向かってる」
驚いて私も耳を澄ませたけれど、何も聞こえない。竜であるミモザは、私より耳がいいのだろうか。
「今年は雪が多いから、狼も飢えてるんだと思う。このままだと、村が危ないかも」
「だったら、知らせに行きましょうか。出かける準備をしないと」
「ううん、外は危ないし、あなたはここで待ってて。僕が行ってくる」
「でも……」
「大丈夫、僕は竜だよ? この姿でも、狼なんかに負けたりしないから」
子供をあやすように笑いながら、ミモザが上着を手に小屋を飛び出していく。
彼を引き留め損ねた私の手は、まだ宙に突き出されたままだった。
それから、しばらく待っていた。けれど、ミモザは戻ってこなかった。村に行って戻ってくるだけなら、もうとっくに帰ってきていてもおかしくない時間だった。
幾度となく窓の外に目をやりながら、扉の向こうの物音に耳を澄ませ続ける。けれどやはり、ミモザの気配はしない。うっすらとした不安が、胸の中に積もっていく。
さらに待ち続けることしばし。とうとう耐え切れなくなって、小屋を飛び出す。
もう日は落ちていたけれど、新雪が満月の光を受けてまぶしく輝いていたので、歩くのに不自由はなかった。
雪の中にそのまま残っていたミモザの足跡を、急ぎ足でたどっていく。
彼はいったん村の前まで来ていたけれど、村の中には入っていなかった。村の外をぐるりと回り込むように、彼の足跡が続いている。
何があったんだろう。不安を押し殺すようにして、さらに足跡を追いかけた。
やがて、前のほうから何かの物音が聞こえ始めた。人の叫ぶ声、何か大きなものが動いているような音、狼のものらしき甲高い悲鳴。
考えるより先に、走り出していた。ミモザの足跡を踏みしめながら。
ようやくそこにたどり着いた私の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
たいまつを手に、狼を追い払おうとしている村の男たち。けれど彼らは、狼たちのほうを見てはいなかった。
そして狼たちは、しっぽを下げて背中を丸めていた。明らかにおびえている。
この場の全員が、ミモザを見ていた。ミモザは、竜の姿をしていた。
「おい、あんたどうしてこんなところにいるんだ! そんなところにいたら危ないぞ!」
呆然と立ち尽くしていた私は、その声で我に返った。私に気がついた村人が、必死の形相で手招きをしている。
彼らはまだ呆然としている私を引き寄せて、背後にかばった。
「あの……狼が来ているようなので、そのことを伝えようと思って……」
状況についていけないまま、衝撃でろくに動かない頭を動かしてやっとのことでそう答える。けれど返ってきたのは、とても険しい声だった。
「ああ、そうだったのか。でも見た通り、もう狼どころの話じゃない」
村人たちはみな震えを隠せていない。おびえた目をミモザの方に向けたまま、必死に身構えている。
けれどミモザは村人たちの方には目もくれず、長い尻尾を振り回して狼を追い払っていた。彼が動くたび、村人たちはびくりと身を震わせていた。
「雪のせいか、よりによって森の魔物が出てきやがった。あいつが狼と同士討ちしている間に、とっとと逃げるぞ」
「ああ、あの魔物が俺たちに狙いを定める前に、急いでこの場を離れないとな」
あの竜がミモザだということは、どうやら村人たちにはばれていないようだった。
けれど彼らは、かつて私が森の魔物におびえたのと同じように、ミモザのことを恐れている。それが、悔しかった。
「でも、あの竜は狼たちだけを相手にしているみたいです。……もしかしたらあの竜は、恐ろしいものではないのでは」
そう反論してみたところ、村人たちが目をむいて私を凝視した。
「おい、気でも狂ったか嬢ちゃん! あれは魔物だ、あいつに捕まったら取って食われちまう! いいから、あんたも逃げるんだ」
私が戸惑っているのを勘違いしたのか、村人たちは私を引きずるようにして村の中まで逃げ込んでいった。
よほど恐ろしかったのか、彼らは皆一様に真っ青な顔をしていた。
そうして村に連れ込まれた私は、危ないから泊まっていけという村人の申し出を固辞して、急いで小屋に戻ることにした。
彼らに悪気がなかったということはよく分かっていたけれど、それでもミモザを魔物と呼んだ人たちの近くにいたくなかった。
哀しい思いを抱えながら、小屋で一人ミモザを静かに待つ。
しばらくして、扉が静かに開いた。寂しそうな目をしたミモザが、ひどく重い足取りで入ってくる。
あれだけの数の狼と戦っていたというのに、傷ひとつ負っていないようだった。ああ、よかった。
安堵の気持ちに突き動かされるようにして、彼を思いっきり抱きしめる。彼の体が、戸惑うように小さく震えた。
「おかえりなさい、無事でよかった」
「……うん」
ミモザは言葉少なにうなずく。村人を守るためとはいえ竜の姿を人目にさらして、その結果魔物呼ばわりされてしまったのだ。彼の苦しみは、想像するに余りある。
「……覚悟は、してたけど……面と向かって魔物って言われるのって、ちょっと辛いね」
「私はあなたのこと、魔物だなんて思っていないから。あなたは私の大切な」
そこまで口にしたところで、言いよどむ。
大切な、何なのだろう。息子? 弟? 友達? どれも違う。私が彼に向けている感情を表す正しい言葉を、今の私は持っていなかった。
「あなたは、私にとって一番大切な存在なの」
多分今は、これが一番正解に近い。そう確信しながらミモザに呼びかけると、ミモザは金色の瞳をうるませ、そっと私にしがみついてきた。
「うん。僕にとっても、あなたが一番大切な存在だよ。他の誰に嫌われても、あなたがいてくれるならそれでいい」
ミモザは私にすがりつきながら、ただ静かに震えていた。
暖かな小屋の中で、彼だけがまだ冷たい雪の中に取り残されているかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます