第11話 過去に思いをはせて
それからは、私は目の前の生活だけに集中していた。
毎日ミモザと一緒に森を歩き、色々なものを集めて回る。
小屋のそばの空き地を耕して畑を作って、東の街で買った野菜の種をまいた。雨で外に出られない日は、薬の調合に精を出した。
村に行く時も二人一緒だ。かなりの美少年であるミモザを見て、村の人たちは大いに驚いていた。
彼が誰なのか、どこから来たのか。みんな、それが気になっているようだった。
去年の秋に、記憶をなくして森をさまよっているところを拾ったんです。元気になったので、こうして連れてきました。
半分くらいは本当のそんな言い訳で、みんなあっさり納得してくれた。
日頃親切にしてくれている村の人たちに嘘をつくのは少々心苦しかったけれど、さすがに本当のことを言う訳にはいかないし。
そしてミモザに同情した女性たちは、クルミやサクランボとかのちょっとしたものをミモザに渡していた。これでも食べて、元気をお出し。そんな言葉と共に。
男性たちもすっかりミモザを気に入ったらしく、野菜の育て方なら教えてやれるから、いつでも来な、と言って頼もしく笑っていた。
みんな、いい人たちだね。ミモザはもらったものを手に、ちょっぴり涙ぐんでいた。
ミモザは、どんどん家事が上達していた。
そうして二人で家事を分担できるようになったおかげで、自由な時間ができてきた。
その空いた時間を使って、加工の魔法をひたすらに練習し続けた。
できれば暖かいうちに、小屋を建て増しておきたい。次の冬を快適に過ごせるかどうかは、私の努力にかかっている。そう考えたら、自然と気合が入っていた。
そうこうしているうちに、季節は夏になっていた。夏。夏至はもうすぐだ。
私は余計なことを思い出さないように、ことさらに忙しく動き回るようになっていた。
しかしどれだけ目を背けていても、東の街で耳にしたあの言葉が頭を離れることはなかった。
王子の結婚式は次の夏至の日。その事実は、今の私には何ら関係のないことだった。
いわれのない罪を着せられたことは今でも許せないし、どうにかして両親の待つ実家に戻りたいという気持ちはまだ残っている。
けれどもう、私はあの男のことをこれっぽっちも愛してはいない。あんな男が誰と結婚しようが、そんなことで私が頭を悩ませる必要はないのだ。
そう割り切ろうとしても割り切れない何かが、ずっと心の中でよどんでいる。
自然と、ため息をもらすことが多くなっていた。そんな私を心配そうに見守るミモザも、何かを言おうとしては口ごもっている。
まぶしく鮮やかな夏の空には不釣り合いな、くすんだ暗い気持ちを抱えたまま、とうとう夏至の日がやってきた。
私はその日を、いつもと同じように過ごすつもりでいた。その日を特別な日とすることなく、日常の中に埋没させてしまおうと思っていたのだ。
ところがミモザには何か別の考えがあったらしい。彼は朝からどこか上機嫌で、私の手を取ってこう言ったのだ。
「ねえジュリエッタ、今日は一日お休みにして遊びに行こうよ」
あっけにとられる私の目の前で、ミモザはにこにこと笑っている。
この半年ばかりの間に、彼はずいぶんと大きくなった。八歳そこそこだった外見はもう十一、二歳くらいには見えるし、身長もそろそろ私に追いつきそうだ。
「遊びに……って、どこに?」
「いつも僕が水鳥を狩りにいく湖があるんだ。今日は暑いし、そこに行って涼もうよ」
私の手を握っているミモザの手に、少しずつ力がこもっていく。彼は変わらず笑顔のままだったけれど、その金色の目には、必死に懇願しているような色がにじんでいた。
「分かったわ。じゃあ、今日はお休みにしましょう」
そう答えると、ミモザは明らかにほっとしたような顔をして息を吐いた。
それから、二人一緒にお弁当を作った。作り置きの堅焼きパンに干し肉や野菜を挟んだものをしっかりと布で包み、カバンにしまう。
ミモザは弾むような足取りで私をいつもの川辺まで連れていくと、そこでいきなり竜の姿に戻った。
久しぶりに見たこちらの姿も、かなり育っている。最初の頃は犬くらいしかなかったその体格は、今では馬くらいはある。
脱げた服を器用に畳んでカバンにしまうと、ミモザは私をしっかりと抱きしめてきた。硬くつややかな鱗が頬に当たる。ひんやりとして気持ちいい。
『それじゃあ、しっかりつかまっててね』
「え?」
突然のことにぽかんとしている私を、ミモザは両腕でしっかりと抱きかかえた。
それから背の翼をはばたかせて、ゆっくりと慎重に舞い上がった。周りの木々の梢すれすれの高さを、川に沿うようにして飛んでいく。
「待ってミモザ、これは一体どういうこと!?」
前世で崖から落ちたということもあって、私は高いところが得意ではない。というか怖い。
ミモザは比較的低いところを飛んではいるけれど、それでも木々の梢が足の下で揺れているのは、かなり刺激的で恐ろしい眺めだった。
『湖に行くんだよ。歩いていったら時間がかかっちゃうからね』
ミモザはいつもと変わらない調子でそう答えてくる。しかし私は、うっかり落ちたらどうしようと気が気ではなかった。
結局、目的地につくまで、私は全力でミモザの腕にしがみついていた。
初めて見た森の奥の湖は、ミモザが勧めてくるだけあってとても涼しく、心地よい場所だった。
私たちはそこで遊び、お弁当を食べて笑い合い、とても楽しい時間を過ごすことができた。
そうしてはしゃぎ疲れた私たちは、木陰に並んで座り湖を眺めていた。その時、ふっと胸の中を寂しさのようなものがよぎる。
今さっきまで笑い続けていた自分の顔から、すっと表情が消えるのを感じた。ミモザもそれに気づいたのか、寂しそうな顔でこちらをのぞき込んでくる。
「……やっぱり気になってるんだね、王子のこと」
「……ええ。あんな男のことなんて、もうどうでもいいはずなのに」
どこか腹立たしい気持ちを覚えながら、視線を湖に移す。湖面は私の思いとは裏腹に、静かに凪いでいた。
「むしろ、あんな男の記憶に今の幸せな時間を邪魔されるのが腹立たしいくらい。できることなら、全部すっぱりと忘れてしまいたいわ」
ため息をつきながらそう答えると、ミモザはふわりと私を抱きしめてきた。緑の草と白い花を思わせる彼の匂いが、優しく私を包みこむ。
「僕も、できることならあなたに全部忘れさせたい。辛かった過去なんか忘れて、ずっと僕と一緒にここで幸せに暮らして欲しい」
「そうできたら、とても幸せね……なのにどうして、あんな男のことがいつまでも気にかかっているのかしら。もう、これっぽっちも愛してなんかいないのに」
彼の胸にもたれかかるようにして力なくつぶやくと、ミモザは私を抱きしめる腕に力をこめ、そっと静かにささやいてきた。
「あなたの心にまだ傷が残っているからだよ。傷をつけた相手のことはどうでもよくなっていても、傷そのものはまだ痛んでる」
その言葉にどきりとした。彼の言葉は、核心を突いているように思われたのだ。ミモザは私の背中に優しく手を添えて、静かにささやいた。
「大丈夫、いつかその痛みは消えるから。いつかきっと、全部笑い飛ばせるようになるから」
「そう、ね……いつか、きっと」
「僕は、その時までずっとあなたのそばにいるから」
「それからもずっと、でしょう?」
「うん、そうだね」
まだ私よりも年下にしか見えない、そもそもまだ生まれて一年も経っていないミモザが、この時はなぜか私よりもずっと年上のように見えた。
私は彼に支えられたまま、木々がざわめいている音を聞いていた。
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