第10話 裏切られた記憶

 東の街で偶然耳にした、王子の婚礼の話。その話を聞いて表情を険しくしていた私。


 それをミモザは忘れていなかった。小屋に戻ったら話すわ、と言った私の言葉も。


 ミモザはどこか沈痛な面持ちをしたまま、じっと私の言葉を待っていた。


 おそらく彼は、私の答えが明るいものではないということを察しているのだろう。だから彼は、帰りの旅の間ずっと浮かない顔をしていたのだ。


「……どうしても聞きたいの、ミモザ?」


「うん。あの話を聞いている時のあなたは、怒っていて……そして、とても悲しそうだった。あなたにあんな顔をさせたのが何なのか、僕は知りたい」


 ミモザはまだわずかに幼さの残る顔を凜凜しく引き締めて、そう厳かに断言した。ゆっくりとこちらに歩み寄り、私の両手を取る。


 一か月の旅の間にまた身長が伸びたのか、彼の目線は前よりもずっと近くなっていた。


「そして、できることならあなたの力になりたい。僕じゃ駄目かな」


「駄目じゃないわ。あなたが力になってくれるのなら、とても嬉しいけれど……あまり、気持ちのいい話じゃないのよ」


「構わないよ。お願い、教えて。どんな過去があったって、あなたが僕の大切な人だってことに変わりはないんだから」


 熱心に食い下がるミモザに根負けして、重い口を開く。


 取り乱さないように気をつけながら、ぽつりぽつりと語り始めた。そもそもの始まりから、今に至るまでの全てを。


 前世の私はどこかの村娘だったこと、恋人に裏切られて失意の果てに命を落としたこと。侯爵令嬢に生まれ変わって王子と婚約したものの、私が邪魔になった王子にいわれのない罪を着せられ、ここに追放されたこと。


 話を聞き終わった時、ミモザの顔は恐ろしいほど青ざめていた。その金色の瞳には、今まで見せたことのない激しい怒りがきらめいている。


「……ひどいよ! あなたは何も悪くないのに、あなたが邪魔になったからって、そんな目にあわせるなんて!」


 まるで我がことのように怒っているミモザを見ているうちに、私のほうは落ち着きを取り戻していた。


 かつての憤りは、すつがり鎮まっていた。その代わりに、泣き出したくなるような温かく切ない思いが、優しく胸を満たしてくれている。


「もう、全部済んだことよ。だからあなたがそんな風に怒らなくていいの。……でも、私のために怒ってくれてありがとう」


 微笑んで話を打ち切ろうとする私の手を、ミモザがそっと取った。まるで壊れ物を扱っているかのように慎重に引き寄せて、自分の胸元に抱え込んでいる。


 ミモザは顔を上げると、金色の目でまっすぐにこちらを見てくる。そして、とても真剣な声で告げてきた。


「僕はあなたを裏切らない。僕はあなたを傷つけない。だから、どうかそんなひどい人たちのことは忘れて。僕がずっと、あなたのそばにいるから」


 彼がもう少し大きかったら、愛の告白と勘違いしていたかもしれない。そんな優しい言葉に、穏やかなうなずきを返す。


 ミモザはやはり真剣な顔をしたままうなずき返してきたけれど、ほんの少しだけ残念そうにも見えた。






 そうしてたくさんの荷物と共に小屋に戻った私は、旅の荷物や買ってきたものを片付けると、すぐに応用魔法の魔導書を開いた。


 少しでも早く、応用魔法を習得したかったのだ。それも、特定の魔法を。


 応用魔法の一つに、木や金属の形を自由自在に変えるというものがある。『加工の魔法』と呼ばれるものだ。


 その魔法の存在は前から知っていたけれど、習得できてはいなかった。あの王子のせいで、練習を始める前に追放されてしまったからだ。


 ここに来てから、あの魔法が使えればと幾度悔しい思いをしたことか。思い出すだけで、腹が立つ。


 そして今、私は大いに浮き立っていた。加工の魔法を習得できれば、ミモザの寝台が作れる。今の私の頭にはそのことしかなかった。


 今は一つの寝台に、ミモザと二人で寝ている。最初の頃はそれでも良かったのだけれど、ミモザが成長するにつれて手狭になってしまっていた。


 絶対に、彼の分の寝台が必要だ。それも、彼の成長速度を考えるとあまり時間の猶予はない。


 本来ならば、村の人に頼んで寝台を作ってもらうのが一番早いのだろう。しかし村の人はこの森に入ろうとしない。この森に棲む魔物を恐れているからだ。


 ただどうやら、その魔物というのはあの大きな竜のことらしい。ミモザが生まれた時に消えてしまった、あの年老いた竜。


 だから村人たちが恐れる魔物はもういないのだけれど、それを公にする訳にはいかない。うかつなことを口にすれば、そのままミモザの正体がばれてしまうおそれがあるし。


 そういった訳で、私は自分たちの力で寝台を調達する必要があった。けれどさすがの私にも、大工の経験はない。だったら得意の魔法で何とかしよう、そう考えたのだ。


 それから私は、一心不乱に魔導書を読み続けた。いつもなら色々聞きたがるミモザも、私のその様子に遠慮したのか口を挟んでくることはなかった。


 家事をミモザに頼んで魔導書を読み続けること二日。どうにか私は、目当ての魔法を習得するところまでこぎつけた。


 魔法の難易度を考えると、これはおそらく異例の速さだ。生活がかかっていると、人間はここまで真剣になれるらしい。ここまで頑張ったのは、生まれて初めてだ。




 本の読みすぎでくらくらする頭を押さえながら、ミモザを連れて外に出た。まずは風の魔法を使って、手頃な木を切り倒す。


 さあ、いよいよ勉強の成果を見せる時だ。意識を集中して、木に触れる。恐る恐る、加工の魔法を発動させた。


 すると、木がまるで粘土かバターのように変形した。軽く触れるだけで、ぐにゃぐにゃと木の形が変わっていく。


「魔法って、こんなこともできるんだね」


 最近魔法に興味を持ち出したミモザが、目を真ん丸にして私の手元を見つめている。まるで、私の作業を見て覚えようとしているかのようだった。


 ちなみに彼も、東の街で買った初歩の魔導書を使って勉強中だ。


「あの応用魔法の魔導書にはまだまだ色んな魔法が書かれていたし、あの魔導書を読み込んでいけばもっと色々なことができるはずよ」


「そうなんだ、楽しみだね」


 そんなことを話しながら、せっせと手を動かして木を変形させ続ける。この作業、疲れるけど面白い。


 やがて、少々不格好ながらも寝台のように見えなくもないものができあがった。どこにもつなぎ目のない、四本の足がついた大きな板のようなもの。


 二人一緒に腰かけてみたけれど、揺らぎもきしみもしなかった。これなら、使う分には問題ないだろう。見た目はともかく。


「初めてにしてはまずまずの出来だけれど……ちょっと見た目が良くないわね。ミモザ、これは私が使うから、あなたは元々ある方の寝台を使って」


「ううん、それは僕が使いたい。僕にちょうだい」


 あちこちに細かな凹凸が残り、どことなくゆがんだ不格好な寝台を、ミモザは愛おしそうになでている。なぜかは分からないけど、どうやら気に入ったらしい。


 それから、協力して新しい寝台を小屋に運び入れ、寝室に置く。元からそんなに広くはなかった寝室は、すっかり窮屈になってしまった。


「いつか、この魔法で小屋を建て増ししたいわね。あなただって自分の部屋が欲しいでしょう?」


「僕は、あなたと一緒にいられるならそれでいいよ。ちょっとくらい狭くたってどうってことないから」


「そうね。でもやっぱり、この小屋は二人で暮らすには少し狭いのよ。物をしまう場所だってもっと欲しいし」


「だったら、建て増している間の家事は僕に任せてよ。僕にはそれくらいしかできないから」


「いいえ、とても助かってるわ。あなたがいてくれて良かった」


「そうなんだ。あなたにそう言ってもらえると嬉しいな。せっかくだから、もっとたくさん料理を覚えようかな。せっかく料理の本も買ったんだし」


 手狭になった寝室で、そんなことを話しながら笑い合う。穏やかな春の日差しが、窓から優しく差し込んでいた。

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