第9話 東の街にて

 東の街に近づくにつれて、街道はどんどん変化していった。徐々に幅は広くなり、踏み固められただけの土の道は砂利道になり、そして石畳になった。


 そして今、私たちは広々とした道の上を歩いている。


 数台の馬車がすれ違えるほど広く、四角く切り出された大きな石がびっしりと敷き詰められた、とても歩きやすい道だ。


 行きかう旅人や馬車も、ずいぶんと増えた。森の近くとは打って変わって、ここはあきれるくらいに騒がしい。


 大きな街を守る高い塀が、遠くに見えている。その向こうには、立派な建物がひしめきあうようにして立ち並んでいるようだった。


 あれが、話に聞いていた東の街だ。隣のミモザが、きらきらと目を輝かせている。


 軽やかな足取りで近くの門に向かい、笑顔の門番に見送られながら街に足を踏み入れる。


 趣味のいい彫刻が施されたその門は、ここが多くの富と人とが集まる地であることを如実に物語っていた。


 そうして目の当たりにした東の街は、遠くから見ていたものよりさらに立派だった。


 大きな石造りの建物がびっしりと並んでいて、その活気は王都の城下町にも負けていない。いや、こちらの方が上かも。


「うわあ、人もお店もいっぱいあるね……ねえ、ここからどうするの?」


 人の多さに目を丸くしながら、ミモザが尋ねる。好奇心旺盛な彼も、さすがに少しばかり戸惑っているようだった。


「まずは宝石商のところに向かいましょう。そこで宝石の原石を換金して、それからはお買い物ね。ミモザ、はぐれないように気をつけて」


「うん。ジュリエッタは何を買うつもりなの?」


「そうね、布とか、新しい服とか、あとは野菜の種に……本も探したいわね。ミモザは何か欲しいものはないの?」


「だったら、僕も本が欲しいな。字がいっぱいなのもいいし……絵が綺麗なのもいいな」


 あっという間に読み書きを覚えてしまったミモザは、追放された時に私が持ってきた本を冬の間中読み返していた。


 どうやら彼は、もっと色々なことを知りたいらしい。子供らしい好奇心に目を輝かせているミモザに、力強くうなずいた。




 門番に教えてもらった宝石商の店に向かい、持ってきた宝石の原石を全てお金に換えた。


 侯爵であるお父様が貴重なものだと言っていただけあって、驚くほどの高値で売れた。渡された金貨の袋の重みに、つい身震いするくらいに。


 宝石商の方も、珍しい宝石の原石を大量に仕入れることができてほくほく顔になっていた。


 彼は愛想よく、色んなことを話してくれた。宝石についての知識とか、あとはこの東の街についてのあれこれとか。


 宝石商の店を出てぶらぶらと歩きながら、私とミモザはは笑顔を見合わせていた。


「あの宝石商のおじさん、いい人だったね」


「そうね。色んな宝石の原石を見せてもらえたのは収穫だったわ。『また何か見つけたら、ぜひ当店にお持ちください』って言ってたし、期待されてるのかもね、私たち」


 私の言葉に、ミモザが上目遣いでおかしそうに笑う。不思議と色っぽい仕草だった。


「ふふ、そうだね。いくつかはあの森で見たことのあるものだったし、これからはそれも拾っていこう」


「本当、あの森は宝の山よね。誰も立ち入らないから、あの豊かさが保たれているのでしょうけど」


「それって、みんなが魔物を恐れているからだよね。……僕たち、別に人間を襲ったりしないんだけどなあ。平和が一番だもん」


「ミモザ、声が大きいわ」


 うっかり誰かに聞かれてはいないかと、大急ぎで辺りを見渡す。幸い、今の話を聞いている者はいないようだった。


 深々と安堵のため息を漏らすと、ミモザが耳元に口を寄せてささやいてきた。


「ごめんなさい。人間のいるところでは、喋る内容にも気をつけなきゃいけないんだね」


「ええ。まあ、うっかり聞かれたとしても冗談だと思われるだけで済みそうだけど……万が一ということもあるから、気をつけましょう」


 私たちが立ち止まってひそひそと話していると、男性が二人、のんびりとこちらに歩いてきた。


 彼ら事態に怪しいところはない。けれどすれ違いざま耳に入った彼らの会話は、私を凍りつかせるには十分だった。


「……そうそう、王子様の結婚式の日取りが決まったって?」


 呆然と、耳をそばだてる。ミモザは訳が分かっていないようだったが、私のただならぬ様子に口をつぐんだ。


 二人組はやはりのんびりと歩きながら、まだ話し続けている。私たちがそちらを見ていることには、気づいていないようだった。


「そうなんだよ。今年の夏至だって話だ。罪人だったっていう前の婚約者を追い出してからまだ一年も経ってないのに、ずいぶん急な話だよなあ」


 その言葉に、顔がこわばってしまう。ミモザが不安そうな顔でこちらを見上げているけれど、彼を気遣ってやれるだけの余裕はない。


 なおも話し続けながら、二人組が遠ざかっていく。彼らの姿が見えなくなった後、ミモザがおずおずと切り出した。


「ねえ、今の話って……もしかして、あなたと何か関係があるの?」


「……小屋に帰ってから話すわ。さあ、買い物に行きましょう」


 明るい声を出そうと努力してみたものの、出たのは揺らいで震えた声だけだった。


 ミモザは何か言いかけていたけれど、結局そのまま黙ってしまった。ただ彼は、小さな手でそっと私の手を握ってくれていた。




 私とミモザとの間に流れたぎこちない空気は、買い物を続けているうちに少しずつ薄れてきた。


 あちこち回って、最後に本を取り扱う店に向かった時の私たちは、もうすっかりいつも通りだった。


「ふふ、新しい本……楽しみだな」


「予想よりずっとお金が余ったし、好きな本が買えそうよ」


 そんなことを言いながら店に入った私たちを、店主がけげんな目でこちらを見ている。こんなところに何の用があるんだ、だといった顔だ。


 それもまあ、当然ではある。本というのは高級品だし、読み書きのできる平民はそこまで多くない。


 だからこんな店にやってくるのは、貴族や豊かな商人などの金持ちか、医者や学者などの知識層に限られる。


 そして私たちはそのどちらにも見えない。間違いなく。


 ミモザが着ているのは私のお手製の服で、粗末なうえ不格好だ。しかも大きさが合っていない。彼の急激な成長に備えて、少し大きめに作ってあるのだ。


 一方で私が着ている服は、物自体はいいのだがすっかり傷んでしまっている。あっちこっちにかぎ裂きがあるし、土埃で色が変わっている。


「こんにちは、ちょっといいですか? 予算、これくらいなんですけれど……この子が本を選ぶの、手伝ってもらえませんか」


 そう言って金貨の小袋を一つ、店主の目の前のカウンターに置く。


 すると、店主はころりと態度を変えた。さっきまでの仏頂面が嘘のように、うやうやしく応対し始めたのだ。


 現金なものだと苦笑する私の隣で、ミモザは楽しそうに店主と話し始めた。どんな本があるのか、どれがおすすめなのか。そういったことを聞き出している。


 そうやって熱心に話し込んでいるミモザと店主を尻目に、一人で店内をぶらつく。目についた本をそっと手に取ってはぱらぱらとめくり、また次の本を手に取って。


 そうしているうちに、私の目は一冊の本の上で釘付けになった。


「応用魔法の魔導書……! どうしてこんなものがここに」


 驚きと歓喜に、つい大きな声が出てしまう。まだミモザと話していた店主が、すかさず口を挟んできた。


「おや、お目が高い。それは値打ちものですよ。もっとも、基礎魔法を習得していなければ宝の持ち腐れですがね」


 胸を高鳴らせながらその本を手に取り、値札を確かめる。少々大きな出費にはなるが、十分に手の届く値段だった。


 あの小屋での生活に、魔法はなくてはならないものになっていた。木を切ったり、火をつけたり、水を運んだり。


 応用魔法を身につけることができれば、もっと色々なことができるようになる。せっかくのこの好機を、逃したくはなかった。


「基礎魔法は習得しています。これ、売ってくれませんか?」


「ええ、もちろんですとも」


 店長は満面の笑みでうなずいた。こんなもの、めったに買いに来る客もいないのだろう。厄介な在庫を片付けることができて嬉しいと、その顔にはありありと書かれていた。


 それからさらに本を物色し、料理本やミモザのための初歩の魔導書などをいくつか購入した。


 まだお金には余裕があったけれど、これ以上買い込むと持って帰るのが大変になってしまう。そう考えて、泣く泣くあきらめたのだ。次にこの街に来た時に、また買おう。ミモザとそう励まし合いつつ。


「たくさんのお買い上げ、ありがとうございました。またのご来店、心よりお待ちしております」


 入店した時よりも遥かに丁寧な言葉に見送られて、私たちは店を後にした。






 こうして私たちは東の街への旅を終え、無事に小屋に戻ってきた。街で手に入れた数々の物品は、小屋での生活を華やかに彩ってくれるだろう。今から楽しみでたまらない。


 帰りの旅の間も浮かれていた私とは対照的に、ミモザは何かを気にしているような顔を幾度となく見せていた。


 彼がそんな顔をしている理由に一つだけ心当たりがあったけれど、私はずっと気づかないふりを続けていた。


 でも、それが通用したのも旅の間だけだった。小屋に着くなり、ミモザは真剣な顔で切り出したのだ。


「ねえ、王子様が結婚する話と、あなたとの関係について、小屋に戻ったら教えてくれる約束だったよね」


 お願いだから、包み隠さず本当のことを話して。彼の必死そのものの表情は、そう訴えているように思えた。

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