第8話 初めてのお出かけ

 長かった冬も終わり、雪も解けてきた。黒い地面が、ちらほらと顔を出し始めている。


 木々の芽が膨らみ、早春を告げる花がふくよかな香りを放っている。こんな辺境であっても、春の気配は心を浮き立たせるものだった。


 窓辺の椅子に腰かけて、少しだけ窓を開ける。かすかに緑の匂いをはらんだ風が、優しく頬をなでた。


 冬の間は深い雪に閉ざされていたこともあって、私たちは一度も森から出なかった。というより、わざわざ雪かきをしてまで外に出る必要を感じなかったのだ。


 ミモザと二人で家事をこなし、余った時間はゆったりとお喋りをして。


 それと、ミモザに色んなことを教えたりもした。基礎の読み書きや人間社会のあれこれを、ミモザは目を輝かせて学んでいった。


 今も彼は居間の机に向かい、私が持ってきた薬草図鑑をじっくりと眺めている。分からない言葉を尋ねてくる時以外は、ずっと図鑑から目を離そうとしない。


 そんな彼の姿を、編み物をしながらそっと見守る。


 彼は冬の間にすくすくと成長していて、かなり大きめに作った服がもうぴったりになってしまっていた。


 育ち盛りだというのを差し引いても、さすがに成長速度が速すぎる。やはり竜だけあって、人と同じ物差しでは測れないのだろう。


 やっぱり、ちゃんとした服を買ってやりたい。それも、何着も。


 でも近くの村では買えない。男物の、それも子供服から大人の服まで一揃いを買おうとしたら、間違いなく怪しまれる。


 と、ミモザは私の視線に気づいたのか、顔をあげてこちらを見た。


「どうしたの、ジュリエッタ。さっきから何か考えてるみたいだけど」


「東の街が気になっていたのよ。ほら、あなたと一緒に拾った赤い宝石、あれを換金したいなって思ってて。そうしたら、買いたいものもあるし」


 東の街でなら、何でも買い取ってくれる。村長はそう言っていた。


 そして東の街はとても大きく、びっくりするほど栄えているらしい。


 そこでなら、目立つことなくミモザの服を買いまくることもできるに違いない。他にも、面白いものがありそうだし。


 宝石を売り飛ばすことができれば、きっとかなりの額になる。ちょっとくらいなら、無駄遣いしてもいいかもしれない。


 前世の記憶があるおかげでここの質素な生活にもあっさりとなじめたけれど、たまには贅沢もしたい。


 そんなこんなで、私はもう東の街に行くことをほぼ決めてしまつていた。


 ただ一つだけ、問題があった。ミモザのことだ。


 どうせなら、二人で旅をしたい。けれど彼は竜だ。旅の途中でもしうっかり正体がばれるようなことになったら大変なことになる。


 どうしたものかと眉間にしわを寄せる私の手を、ミモザがにっこりと笑って握ってきた。


「旅をするの? だったら、僕も連れてってよ。街って、人がたくさんいるんでしょう? 一度見てみたかったんだ」


「私もそうしたいけれど、あなたの正体がばれたら大変だし、まだちょっと迷ってるの」


「大丈夫、ずっとこの姿でいれば絶対にばれないよ。ここでずっと留守番なんて、そんなの寂しいよ」


 ミモザが留守番嫌いなのは相変わらずのようだった。綺麗な金色の目を潤ませて、上目遣いで迫ってくる。


 こんな顔をされてしまっては、もう私が折れるしかない。もし正体がばれてしまったら、その時はその時だ。


 どうも私は、日に日に開き直りがひどくなっている気がする。


 追放されて一人きりになって、古びた小屋で暮らし始めて。そうしているうちに、どんどん怖いものがなくなっているのかもしれない。


 大きく笑って、ミモザの手をしっかりと握り返した。


「……そうね、じゃあ一緒に行きましょうか」


「やった!」


 一転して顔を輝かせると、ミモザは私の手をつかんだまま嬉しそうに跳ねる。その様は、竜の姿の時と全く同じだった。






 次の日、私たちは意気揚々と小屋を後にして、そのまま森を出ていた。それぞれが持ったカバンの中には旅支度が一式と、あの宝石の原石がしまい込まれている。


「この街道を、ひたすらに東ね……」


 この辺りはあまり人が多くないので、街道といっても土を踏み固めただけの簡素なものだ。幅も狭く、小型の馬車がぎりぎり通れるくらいしかない。


「うわあ、森の外ってこんなに広いんだね」


 何もない草原の中を、街道が東西に走っている。その上を、満面の笑みを浮かべたミモザが跳ねるように駆けていく。白い髪が朝の陽光を受けて、きらきらと輝いていた。


「ミモザ、あまり遠くに行っては駄目よ」


「うん、分かったよ。絶対にあなたの目の届かないところには行かないから」


「ええ。万が一はぐれたら大変だから、そうしてちょうだい。ところで、一つ聞いていいかしら」


「もちろん。何でも聞いてよ」


 左右を見渡して誰もいないことを確認してから、ほんの少しだけかがんでミモザの耳元に口を寄せる。


「ねえ、あなたは前の竜から記憶の一部を受け継いでるって言ったわよね。前の竜は、森の外を知らなかったの?」


 その問いを聞いたミモザは私と同じように、きょろきょろと辺りを見渡した。少し遅れて、大きくうなずく。


「そうだよ。前の竜は、ずっとあの森を出なかったんだ。あの森で、生涯を獣たちと共にしたんだよ」


 その言葉に、少し考え込む。やはりミモザを拾ってきたのはまずかったのではないか。前の竜と同じように、あの森の中で人と関わらずに暮らすのがミモザの本来の姿だったのではないか。


 私のそんな考えを見透かしたように、ミモザが私の腕に抱きついた。非難するように口をとがらせている。


 けれどその金色の目には、どこか必死な色が浮かんでいた。


「前の竜は前の竜、僕は僕。僕はあなたといられて幸せなんだよ」


 そんなことを言いながらにっこりと笑われてしまっては、もう私には何も言えなかった。それに私だって、今さら彼と離れるなんて嫌だ。


 空いた手でミモザの頭をなで、微笑み返す。


「そうね。私もあなたといられて幸せだわ」


 そんな風にじゃれあいながら、私たちは誰もいない街道をのんびりと進んでいった。




 夕暮れ時、私たちはひなびた宿場町にたどり着いていた。田舎とはいえそれなりににぎわっていて、どこからか食事のいい匂いもしている。


 連れだって歩いている私たちに、旅人や宿の人たちは目を丸くしていた。


 最初のうちは、私たちの正体がばれてしまったのかと冷や汗をかいた。けれど、どうやら彼らは純粋に私たちの見た目に驚いているだけのようだった。


 ミモザは天使のような美少年だし、私も一応それなりの美少女……だったはずだ。最近鏡を見ていないので自信はないけど。


「あらまあ、ずいぶんときれいな二人だねえ。こんな田舎に珍しい」


「姉弟かな、仲がいいね」


 そんな声が人ごみの中からちらほら聞こえてくる。私は笑って聞き流していたが、ミモザはどこか不満そうだった。


「……僕たち、姉弟に見えるのかな」


「姉弟だと、何か問題があるの?」


「あるよ。こうなったら一刻も早く大きくなって、あなたの」


 まだ幼さを残した顔を生真面目に引き締めながら話していたミモザが、不意に言葉を途切れさせる。何かを思いついた、そんな表情だ。


 思わず彼の顔をのぞきこむと、ミモザは妙に大人びた笑みを浮かべてまっすぐに私の目を見つめた。


「……やっぱり、今は内緒」


「教えてくれないの? 気になるわ」


「そのうち教えてあげる。僕が大きくなるまで、少しだけ待ってて」


 そうやって顔を寄せ合って内緒話をしながら、私たちは宿に向かって歩きだした。もう空は半ばほどまで暗くなっていた。




 宿の食事は豪華ではなかったけれど、おいしかったし量もたっぷりあった。客室は狭かったけれど掃除が行き届いていて、寝台にかけられたシーツも洗濯が行き届いていた。田舎とは思えない、快適な宿だった。


「旅って楽しいね。ありがとう、ジュリエッタ。僕のわがままを聞いてくれて」


 寝台の一つに寝転がり、大きく伸びをしながらミモザがつぶやく。


「そうね。……あなたがいるから、余計に楽しいのかもね。きっと、一人だったら退屈だったと思うわ」


 前世では旅なんてしたことがなかったし、侯爵令嬢だった頃もこんな風に宿に泊まることはなかった。


 追放された時は王都から森まで長旅をする羽目になったけれど、あの時は旅を楽しむような余裕などなかった。


 ミモザは私の言葉にぴょこんと飛び起きると、小首をかしげながら笑った。きれいな白い髪が、さらりと頬を流れる。


「そうなんだ。ふふ、嬉しいな」


 窓から差し込む月の光に照らされた彼の顔は、いつもよりずっと大人びて、神々しく見えた。


 思わずどきりとしたのをごまかすように、彼の頭をなでる。


「さあ、もう寝ましょう。明日も一日歩くんだから、しっかりと休まないとね」


「子供扱いしないで欲しいんだけどな」


 姉弟扱いされたことをまだ気にしているのか、珍しくミモザが不満を漏らす。そんな彼に笑いかけてから、空いた寝台にもぐりこんだ。


「おやすみ、ミモザ。また明日」


「おやすみなさい、ジュリエッタ。明日も頑張ろうね」


 そんなささやかなあいさつができる幸せをかみしめながら、私はあっという間に眠りに落ちていった。

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