第7話 突然の二人暮らし

 寝台に横たわったまま、目を大きく見開く。目の前の光景が、信じられなくて。


 私の傍らで毛布にくるまり眠っているのは、それは美しい子供だった。


 限りなく白に近い淡い金髪に、きめの細かな白い肌。伏せられたまつげはたっぷりと長く、小さな唇はほんのりと色づいていた。まるで、天使の彫像のような子供だった。


 どうしてこの子はここにいるのか。そもそもこの子は誰なのか。気になることは山ほどあったけれど、今の私にはそれを考えるだけの体力は残っていなかった。


 疲労に負けて、そのまま目を閉じる。とにかく今は、ゆっくりと眠りたかった。






 次に目を開けると、すぐ近くで私の顔をのぞきこんでいる子供と目が合った。


 とてもきれいな金色の瞳だった。ほんの少し目尻が上がった黒目がちの目が、期待と緊張をたたえてこちらを見ている。


 このちょっぴり得意げな表情、この金の目。もしかして。いや、そんなまさか。


 少し考えた後、恐る恐る子供に呼びかけてみる。


「……ミモザ?」


「うん、僕だよ、ジュリエッタ」


 子供は澄んだ高い声でそう答えると、にっこりと笑ってうなずいた。


 私が驚いて身を起こすと、子供――ミモザは後ろに下がり、寝台の足元に腰かけた。この時ようやく気づいたのだけれど、彼はどういう訳か全裸だった。


「わっ、ミモザ、服は……取りあえず、これを巻いていて」


 あわてて彼の分の毛布を渡すと、ミモザは落ち着いた様子でそれをかぶった。


 ……ミモザ、男の子だったのか。そうとは知らず、少々可愛らしい名前にしてしまったかもしれない。


 驚くほど冷静にそんなことを考えている自分に、思わず笑いが漏れる。


 竜が人間の子供になるなんて、聞いたこともない。そんな事態をあっさりと受け入れるだなんて、私はいよいよどうかしてしまったのではないか。


 そう思いつつも、同時に私は確信していた。この子供は、間違いなくミモザなのだと。


 ただ見た目が似ているだけではなく、ちょっとした表情、何気ない仕草の一つ一つが、竜の姿のミモザとそっくりなのだ。


 私がそうやって考え込んでいると、ミモザがそろそろと近づいてきた。


 見たところ八歳くらいだろうか、幼子と少年のちょうど中間といった感じだ。眠っている時には天使のように見えたその顔は、今はとても生き生きとしている。


 彼の目を見ているうちに、ふと別の疑問がわいて出た。


「ねえミモザ、どうしてあなたはその姿になったの?」


 私がそう尋ねると、ミモザはその愛らしい眉間に軽くしわを寄せ、考えながら答えてきた。


「……あなたが死んでしまうと思ったから。僕があなたを救うには、こうするしかなかったんだ」


「あなたが人間の姿になったから、私は助かったの?」


「うん。竜だけが使えるとっておきの方法で、あなたを助けたんだよ。でもその方法は、大人の竜にしか使えないんだ。だから僕は必死で大人になった。うまくいって良かった」


「えっ、大人?」


 思わずすっとんきょうな声が出てしまった。目の前のミモザは、どう見てもまだまだ子供だ。


 話す内容は見かけの割にしっかりとしているけれど、それでも大人というにはほど遠い。


「信じられない? 竜は、姿を変えられるようになったらそれで一人前なんだよ。体はこれからまだまだ大きくなるけどね」


 小さな唇をとがらせて、ミモザがほんの少しふて腐れたような顔をする。そんな顔もとても愛らしく、そしてなぜか少々色っぽかった。


「そ、そうなの。それにしてもミモザ、あなたはずいぶん竜のことについて詳しいのね?」


「前の竜に教えてもらったんだ。あなたも会ったでしょう、あの大きな竜に」


「ええ、よく覚えているわ。あなたにそっくりで、もっとずっと大きなあの竜ね」


「うん。あの竜が死んで僕が生まれた時、記憶の一部が受け継がれたんだよ。だから僕たち竜は、生まれ落ちたその時から一人で生きていける」


「……それにしては、やけに必死に私についてきたわね? てっきりあなたは一人では生きていけないのだろうと思って、小屋に入れたんだけど」


 自然と、初めて会った日のミモザの強情っぷりを思い出してしまう。


 笑いをこらえる私から、ミモザはそっと目をそらした。何とも気まずそうな顔だ。


 それは竜の時にもよく見た表情だったが、その目には以前はなかった色気のようなものがあった。見た目の年よりも、ずっと大人びて見える。


「……僕は、どうしてもあなたと離れたくなかったんだ。その、あなたのことが好きだから」


「好き?」


 唐突に投げかけられた言葉に、思わず胸がどきりとする。あわてて首を振り、彼はそういう意味で言ったのではないと自分に言い聞かせた。


 子供相手にそんなことを考えるなんて、どうかしている。もっともミモザ自身は、自分は大人なのだと言い張っているが。


 幸いミモザは私のそんな様子に気づかなかったらしく、こくりとうなずいていた。白い髪がさらりとしなやかに揺れる。


「うん。初めて会った時から、ずっと思ってたんだ。この人といつまでも一緒にいたいなって」


 そう言いながらも、ミモザはもじもじと居心地悪そうにしている。たっぷりとしたまつげが伏せられて、金の瞳に影を落とした。


「……でも……やっぱり、そういうのって迷惑……だよね。僕は竜で、あなたは人間だし。その、同じ姿になれば大丈夫かなって、ちょっとだけそう思ったんだけど」


「迷惑だなんて、そんなことないわ!」


 私が声を張り上げると、うつむいていたミモザが目を丸くしながらこちらを見た。かすかに開いた唇がわなないている。


「あなたが竜でも、人の姿をしていても、そんなの関係ない。あなたは私の大切なミモザだっていう、そのことに変わりはないもの」


 そのまま私はミモザに近寄り、毛布ごと彼をぎゅっと抱きしめる。ミモザは戸惑い気味に腕を伸ばすと、恐る恐る私に抱きついてきた。竜の姿の時と同じように。


「僕、ここにいていいのかな」


「もちろんよ。……それと、私を助けてくれてありがとう」


 腕の中のミモザが安心したのか力を抜く。私はそのまま、彼を優しく抱きしめていた。母親のような、とても穏やかな気持ちで。






 人の姿になったミモザが手厚く看病してくれたこともあって、私の体調は見る見るうちに回復していった。ものの数日で、普通に家事をこなせるまでになったのだ。


 そうして動けるようになった私が真っ先に手をつけたのが、ミモザの服をどうにかすることだった。


 それまでは、その場しのぎとして私の予備の服を着せていた。もちろん女物だし、大きさも合っていない。いくら何でもこれではかわいそうだ。


 私は毎日せっせと裁縫に励み、どうにかこうにかミモザの服を仕立てることができた。


 前世ではたまに服を作っていたものの、生まれ変わってからは刺繍やレース編みぐらいしかしていない。秋に村で買った布地を使い、私の服をお手本にして作り上げたそれは、どうひいき目に見ても少々不格好だった。


 けれどミモザは大喜びで新しい服を身に着け、ぴょんぴょんと飛び回っていた。竜の姿の時と同じ、元気な動きだ。


 そうやってはしゃぐミモザに、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみる。


「そう言えば、あなたはあれからずっと人の姿のままだけど、竜の姿には戻れないの?」


「戻れるよ、ほら」


 ミモザが軽く答えたとたん、彼の体が淡く光る。次の瞬間、見慣れた竜の姿のミモザがそこに立っていた。


 しかしちょっと見ない間に二回りほど大きくなっていて、今は子羊くらいの大きさだ。その足元には、今まで着ていた服が山を作っている。


『ああ、やっぱり服が脱げちゃった。まあ、脱げなかったら破れちゃうから、ちょうどいいのかな』


 人の姿の時と同じミモザの声が、直接頭の中に響いてくる。竜はこんなこともできるのか。人の姿になることといい、謎の多い生き物だ。


「ところで、前より大きくなってない?」


『うん。僕は大人だけどまだ育ち盛りだから』


「……その調子で大きくなったら、いつか小屋に入らなくなるわね……」


「人の姿でいれば大丈夫だよ。僕はこっちの姿のほうが好きだな、あなたと同じだから」


 話しながらさっさと人の姿になったミモザが、手早く服を身に着けながらそう答える。


 彼は天使を思わせる可愛らしい顔にほれぼれとするような笑みを浮かべて、私のそばに駆け寄ってきた。


「そろそろ食事の支度をしようよ、ジュリエッタ。お腹が空いてきちゃった」


「そうね、あなたはたくさん食べるから、作り甲斐があるわ」


「うん、あなたのご飯はおいしいから大好きだよ。僕、たくさん食べて早く大きくなって、あなたのことを守れるようになるんだ」


「楽しみにしてるわ」


 そんなことを和やかに話しながら、二人でのんびりと夕食の支度をする。


 ただ一人追放された時には想像すらできなかった、幸福で温かい時間がそこにはあった。

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