第6話 終わりはあっけなく
追放されてから初めて、私は森の外に足を踏み出した。ちょっぴり緊張しながら。
森の南側には草原が広がっていて、その中を街道が東西に走っている。そして、街道から少し離れたところに小さな村があった。
前世で私が暮らしていた村よりさらに小さい、さらにひなびた村だった。
木でできた小さな家が中心に集まっていて、その外側には小さな畑が数多く並んでいる。獣除けのためなのか、村の周囲は低い木の柵で囲まれていた。
……宝石の原石は、ここでは買い取ってもらえなさそうな気がする。
どうしたものかと思いながら、ひとまず村を目指す。ちょうど畑仕事の途中だったらしい村人たちが私に気づいて、手を振ってくれた。
緊張しながら彼らの近くまで歩み寄り、ぎこちないあいさつをする。
「こ、こんにちは。私、ジュリエッタです。その、そこの森で暮らしていて」
追放された、という言葉は口にしたくなかった。あの王子にしてやられたことを認めるのは、悔しかった。
でもどうやら村人たちは私の事情を知っているようで、同情するように目尻を下げて微笑んでいた。
「そうか、あんたがあの森の……俺たちでよければ力になるから、いつでも言ってくれ」
「あの……ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げながら、泣きたいのをこらえていた。人間って、こんなに温かかったんだ。
ちょうどその時、ぽっちゃりした中年男性がほがらかに笑いながらやってきた。彼が、この村の村長なのだそうだ。
「君があの森に来てからずいぶんと経つ。何か困っているんじゃないかって、みんな気にしていたんだ。それで、今日はどんな用事なのかな?」
「ええと、冬越しに必要なものをそろえたくて……あと、お金になりそうなものも持ってきたので、買い取ってもらえると……」
「なるほど、分かった。で、換金したいものってのは何だ? ものによっては、物々交換もできるぞ」
にこにこしている村長に、持ってきたものをためらいながら見せる。
「これなんですが。岩塩と薬草、薬と……宝石の原石です」
「宝石の原石!?」
裏返った叫び声を上げる村長、どよめく村人たち。少しして、村長が我に返ったようにつぶやいた。
「……さすがにそれは、この村じゃ取引できないな。東の街まで行かないと無理だろう。運が良ければ、その途中の宿場町でも換金できるかもしれないが」
やっぱりそうよね、とこっそり肩をすくめる。
前世の私、田舎の村で暮らす薬師見習いだった私も、宝石なんてものとは無縁の暮らしを送っていた。
だから前世のあの村よりもひなびたこの村に、宝石を買い取れる者がいるとは到底思えない。
そんなことを思いながら、村長の話に耳を傾ける。
彼によれば、ここから街道沿いに東に進んだところに、とびきり大きな街があるのだそうだ。途中の宿場町に泊まりながらゆっくりと向かっても、半月ほどあればたどり着けるらしい。
近いのか遠いのか、いまいちよく分からない。頑張れば行けるかな、といったところか。
「そこでなら、どんな貴重なものでも買い取ってくれるだろう。一度行ってみるのもいいかもな」
私が追放された身だと知っていながら、村長はそんなことを言っている。
まあ、ここは王都から遠く離れているし、見張りもいない。ばれなければ、こっそり出かけるのもありなのだろう。
とはいえ、ミモザを置いて往復一か月も留守にはできないから、東の街には行けそうにないけど。
そんなことを考えていたら、村長がまたにっこりと笑った。
「宝石の原石は買い取れないが、他の物は大歓迎だ。特に、薬は。この村には薬師がいないんだ」
彼は苦笑しながら、背後の家々に視線をやる。
「だから、わざわざよそから薬を仕入れているんだが、これが結構面倒でな。あんたが薬を作れるなら、こっちも助かるってもんだ」
そう言って彼は、また人好きのする笑いを浮かべる。
久しぶりのちゃんとした会話に、戸惑いとほんの少しの懐かしさを感じずにはいられない。
そんな思いをそっと隠したまま、冬支度に必要なあれこれを済ませていった。
「ただいま、ミモザ」
村長との取引が予想外に長引いてしまい、小屋に戻った時にはすっかり日が暮れてしまっていた。
ミモザは相変わらず机の下で丸まっていた。私が声をかけても返事がない。眠ってしまったのだろうか。
そろそろと近づくと、きゅう、という寂しげな声がした。どうやらずっと放っておかれたせいですねているらしい。
「ごめんね、ほらちゃんとおみやげも買ってきたから。これでおいしい晩御飯を作るからね」
そう話しかけても、ミモザは微動だにしない。それどころか、より小さく丸まってしまったようにも見える。
その様があまりに可愛らしく、そしていじらしく思えてしまう。
気がついたら、ミモザを思いっきり抱きしめていた。腕の中のミモザはとても温かく、そして緑の草のようなかすかな香りが私の鼻をくすぐった。
ミモザはもぞもぞと身じろぎをすると、小さな腕を伸ばしてしっかりと私に抱きついてきた。まるで小さな子供のような仕草だった。
それからもせっせと村に通い、必要な物を買っては小屋に運び込んでいった。
私が村に行くたびにミモザはふてくされていたが、抱っこしてあげるとすぐに機嫌を直してくれた。それで味をしめたのか、関係ない時でも抱っこをせがむようになってしまっていたけれど。
そうやって頑張ったおかげで、どうにか冬になる前に支度を終えることができた。もちろんミモザの分もだ。
寝台には分厚い毛布が敷き詰められていて、食料庫にはあふれんばかりに保存食が詰め込まれている。
小屋のすぐ外には、ミモザと手分けして集めた薪を山のように積み上げた。これで、冬が来ても大丈夫だろう。
そうして、いよいよ冬がやってきた。
思ったほど寒さは厳しくなかった。けれど、雪は多い。辺り一面真っ白だ。
前世で暮らしていた村や、生まれ変わってから過ごしていた屋敷ではここまで積もることはなかったから、この光景は何とも珍しいものではあった。
ミモザは雪が好きなようで、私の腰ほどの高さまで積もった雪に飛び込んでは潜ることを繰り返していた。
私は窓辺に腰かけてそんなミモザをガラス越しに眺めつつ、薬の調合や裁縫をして過ごしていた。
一人きりだったら、きっと冬の寂しさに負けてしまっていただろう。静かすぎて、生き物の気配もなくて。
でもミモザのおかげで、寒い冬もとてもにぎやかに過ごすことができた。あの王子に追放された怒りすら消えてしまいそうなほど、毎日が穏やかに過ぎていった。
私の身に異変が起きたのは、そんなある日のことだった。
ある底冷えのする朝、いつものように目覚めた私は体がひどく重いことに気がついた。それに熱っぽく、喉も痛い。
ああ、風邪でも引いたのかな。この時はそんな風に考えていた。
のろのろと起き上がり、作り置きしていた薬をせんじて飲むと、その日はおとなしく横になって過ごすことにした。ミモザは私が心配なのか、ずっと家の中にいた。
二日経ち、三日経っても体調は一向に良くならなかった。むしろ、どんどん悪化していた。一週間が経つ頃には、私はもう起き上がることすらできなくなっていた。
高熱にぼやける視界の端に、人の手がちらりと見えた気がした。私の手ではない。村の人が来てくれたのかな。
いや、彼らはこの森に棲むという魔物を恐れてここまではやってこない。それに、今は雪が積もっていてここまで来るのも難しい筈だ。では、あれは誰だろう。
まともに動かない頭で、ぼんやりとそんなことを考える。そうしている間にも意識はさらに薄れていく。もう、何も見えない。
その時、何かしびれるような甘さを感じたような気がした。けれどその感覚を確かめる前に、私の意識は闇に溶けた。
そこからのことはよく覚えていない。ただ、不思議な夢を見たような気がする。
その夢の中で、私は見覚えのある場所にいた。
足元はふわふわの白い雲で、空は抜けるように青い。そして辺りには虹色に輝く雲が漂っていた。私はここを知っている。前世で崖から落ちて死んだ後、私は確かにここに来た。
ならばここは、死後の世界なのだろうか。そう思ったとたん、目の前が真っ暗になったような心地がした。
私が死んだら、ミモザが取り残されてしまう。ちょっと留守番するだけでも悲しげに丸まっていたあの子が、一人きりになってしまう。駄目だ、どうにかしてあの子のところに帰らないと。
けれど、どうすればいいのか分からない。途方に暮れたその時、くんと腕を引かれるような感触がした。
そうして私は、白い雲の下に落ちていった。まっさかさまに。
気がつくと私は元の小屋にいて、寝台に仰向けに横たわっていた。全身を激しい疲労感が包んでいるが、どうやら熱はかなり下がったらしい。体の痛みも引いている。
先ほどの夢は何だったのだろうか。夢の筈なのに、気味が悪いほど現実味を帯びていた。
そんなことをぼんやりと考えていると、左腕に何かがからみついていることに気がついた。
夢の中で私の腕を引いていた感触を思い出しながら、のろのろとそちらに目をやる。
すると、色の白い小さな手が私の腕をしっかりとつかんでいるのが見えた。
いつの間に入り込んだのか、知らない子供が私に寄り添って静かに眠っていたのだった。
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