第2話 まずは生活の基盤から

 ひとまずこの森で生きていくのだと決意した私は、まずは目の前の小屋を点検することにした。


 膝の高さまである雑草をかき分けながら小屋の周りを一周し、ざっと外から眺めてみる。


 長年放置されていたらしい木造の小屋はずいぶんと古びていたが、特に傷んでいるところはないようだった。


 そのことを確認して、ほっと胸をなでおろす。さすがに大掛かりな大工仕事なんて前世でもしたことがないし、小屋が壊れていたら途方に暮れるところだった。


 そうして外側を一通り調べた後、恐る恐る扉を開けて中をのぞく。


 案の定、小屋の中には厚い埃が積もっていて、そこら中が蜘蛛の巣に覆われていた。


「まずは、ここを掃除しないと……その前に、換気からかしら」


 適当な布で顔を覆って小屋の中に入り、長い間締め切られていた窓を大きく開け放った。


 冷え切った小屋の中に夏のさわやかなそよ風が吹き込み、積もっていた埃を舞い上げる。


 その拍子に一つ、くしゃみが出た。あわてて小屋の外に飛び出したが、くしゃみはしばらく止まらなかった。ここまでの埃、前世でも体験したことがない。


 小屋の中の空気が入れ替わった頃合を見計らって、いよいよ掃除を始めることにした。


 まずは葉がついたままの針葉樹の枝を集めて、適当な紐でくくる。ほうきとはたきの代わりだ。


 生まれ変わってからは掃除などしたことがなかったので少し不安だったけれど、どうやら体が覚えていてくれたようだ。


 前世とは違う体なのだし、体が覚えているというのもおかしな話なのだけれど、そうとしか言いようがない。


 ともかく私は、たいそう手際よく小屋の中を掃除していった。


 そうやって埃と蜘蛛の巣が取り去られた小屋の内部は、想像していたよりずっと立派なものだった。


 一人で住むには十分すぎるほどの広さがあるし、長く放置されていた割には傷んでいるところもない。


 もともとこの小屋は、上質な木を使って丁寧に建てられていたようだった。きっちりと掃除を済ませれば、前世で住んでいた粗末な家よりもずっと住み心地のよい場所になるだろう。


 私の追放生活は、思ったよりもずっと幸先のいい滑り出しを見せている気がする。


 それなりにきれいになった小屋の中で、私は満足げに腕組みをしてうなずいた。




 住むところは無事に確保できたので、次は水を探すことにした。


 ずっと体を動かしていたせいで、すっかり喉が渇いてしまったのだ。持ってきた水はもう残り少ない。これがなくなってしまう前に、早く水場を見つけなくては。


 小屋があるからには、その辺に井戸か何かがある筈だ。


 井戸があるならこの辺りかな、と小屋の周囲を探ってみる。けれど相変わらずのびのびと茂った雑草のせいで、それらしきものは何も見えない。


 風の魔法で雑草をなぎ払いながら、慎重に井戸を探す。足元は全く見えないし、うっかり井戸に落ちたら一巻の終わりだ。気をつけないと。


 自分を奮い立たせながら少しずつ進むうちに、小屋の周囲の雑草はほとんど刈り終えてしまった。しかしそれでも井戸は見つからなかった。


 もしかしてここには井戸はないのだろうか。だったら川か池か、そういったものを探してみよう。


 最悪、近くの村の井戸まで毎回水を汲みにいくことになるのかもしれないけれど……想像しただけで面倒くさい。


 そう思いながら左右を見渡していると、小屋を取り囲む森の一角に、細い獣道の入り口があるのが見えた。


 森の奥に続いているらしいその道は、よく見るとただの獣道ではなかった。地面には平らな石がいくつも埋め込まれていて、明らかに誰かの手が入っている。


「この森って、魔物が出るのよね……? でも、これは人が作った道みたいだし、少しくらいなら大丈夫かしら」


 森の奥に進むのは恐ろしい。でももしかしたら、この先に水場があるのかもしれない。そんな思いの間で揺れ動いた後、意を決して道に足を踏み入れることにした。


 しかし小屋と同様に、この道も長い間手入れされていないのは明らかだった。


 左右から木の枝がやたらと張り出していて、とても進みづらい。雑草を払った時と同じように、風の魔法で道を開きながら進んでいく。


 前世の私だったらナタを何度も振り回してようやく切り落としていたような太い枝が、魔法の一撃であっという間に切断されていく。


 こんな形で魔法の便利さを実感するなんて、思いもしなかった。


 面白いように道が開けるのが面白くて、次々と木を伐りながら弾む足取りで進み続ける。


 すぐに、きれいな水をたたえた川のほとりに出た。なるほど、小屋のそばに井戸が作られなかったのはこの川があるからか。この距離なら、水汲みもそこまで面倒ではない。


 歓声を上げながら川に近づき、すっかり渇いてしまっていた喉を存分に潤した。靴を脱ぎ、膝まで水につかって水しぶきを上げてみる。


「ああ、冷たくて気持ちいい……」


 今は夏の盛りということもあって、冷たい水はとても心地よかった。


 誰も見ていないのだし、はしたない振る舞いをしてもとがめられることはない。前世では当たり前だったこんな行いも、久しぶりにやってみるとかなり楽しい。


 生まれ変わってからの生活は、豊かではあったけれど少々きゅうくつだったようにも思える。


 もうすっかり侯爵令嬢としての人生になじんだと、自分ではそう考えていた。けれど、自覚していなかっただけで実は違ったのかもしれない。


 ばしゃばしゃと跳ね上がる水しぶきを見ながら、そんなことをぼんやりと思う。


 そうやって久しぶりの川遊びを楽しんでいると、魚が数匹泳いでいるのが見えた。


 とたんにお腹がくうと鳴り、空腹を自覚する。ちょうどいい、あれを捕まえられないだろうか。


 今の私には、目の前で泳ぐ魚はもう食材にしか見えていなかった。ついこの前まで暮らしていた屋敷では、生きた魚は愛玩用だったというのに。


 前世の村は海の近くだったし、魚のさばき方や料理の仕方は分かる。


 しかし捕まえ方は分からない。魚を捕るのは男連中の仕事だったのだ。そもそも釣り竿も網もない。


 少し考えた後、また魔法に頼ることにした。よく狙って、魚とその周囲の水をまとめて水の魔法で持ち上げる。


 私の目の前に、一抱えもある水の塊と、その中であわてたように泳ぎ回っている三匹の魚がぷかりと浮かび上がった。


 水の塊を運びながら川から出て、近くの地面の上で魔法を解除する。水はすぐに地面に吸い込まれ、取り残された魚が草の上でぴちぴちとはねている。


 とっさの思いつきにしては上出来だ。言うならば、手づかみ漁ならぬ魔法つかみ漁といったところか。


 魚が動かなくなるのを待って、適当な草で魚をひとまとめに縛る。それを片手にぶら下げながら、上機嫌で小屋へと戻っていった。




 夕暮れ時、私は小屋のそばの空き地で満足げに立っていた。


 目の前には勢い良く燃える焚火。その周囲に立てた木の枝にはさっきの魚が刺さっていて、脂が焼けるいい匂いが辺りに漂っている。


 この焚火をおこすのにも、魔法が大活躍していた。


 手ごろな枯れ枝を風の魔法で持ち上げて小屋のそばまで運び、魔法で適当に切って積み上げ、火をつけたのだ。


 拍子抜けするほどあっけなく、立派な焚火が私の目の前に現れていた。


 もしこれが前世だったら、こうはいかなかった。


 薪にする木を切るのも、切った薪を運ぶのもかなりの重労働だ。火種がないところで一から火をおこすのにも時間がかかる。焼き魚を作るだけで、何時間もかかりかねない。


「そろそろ焼けたかしら? こんな食べ方をするのも久しぶりね」


 前世ではたまに食べていた、ただ塩を振って丸焼きにしただけの魚を火傷に注意しながら手にとる。


 ごく普通の令嬢であれば一生食べることすらないそれを、わくわくしながら口にした。


 しっかりとした噛み応えと、口の中いっぱいに広がる魚の香り、そして疲れた体に染み渡るような塩と脂の味。


 料理と呼ぶことすらできないほど素朴なそれは、驚くほどおいしかった。


 あっという間に丸ごと一匹たいらげて、次の魚に手を伸ばした。


 魔法を覚えていて本当に良かった、と何度目になるのか分からない言葉をもらす。ここに放り込まれてから、私はずっと魔法のお世話になりっぱなしだ。


 そう思った時、ふと両親のことを思い出していた。


 私が魔法を使えるようになった時、手放しで喜んでくれていた優しいお父様とお母様。二人は今頃どうしているだろうか。


 きっと今頃、私のことを思って嘆き悲しんでいるに違いない。


 二人は私が濡れ衣を着せられているのだと信じてくれた。けれど相手が王子ではどうしようもないと、別れの時にそれは悔しそうに涙していたものだ。


 そんなことを考えていたら、目頭が熱くなって涙がにじんできた。袖口で目を乱暴にぬぐい、首をぶんぶんと振って暗い気持ちを追い払う。


 このまま生き延びていれば、いつかまた両親に会える時が来るかもしれない。


 今はただそう信じて、一つ一つ生活の基盤を整えることに専念すべきだ。余計なことを考えている場合ではない。


 私は手にした焼き魚を見据え、大きく口を開けて思いっきりかぶりついた。




 その夜、私は掃除を終えたばかりの小屋の中で眠りにつくことにした。


 持ってきた毛布にくるまり古びた木の寝台に横たわると、一日中動き回っていたこともあってすぐに眠気が襲ってきた。


 ついこの間まではふかふかの寝台で、絹の寝具にくるまっていたというのに。まったくもって、人生とは分からないものだ。


 妙に達観した笑みが浮かぶのを自覚しながら、ゆっくりと目を閉じた。

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