めぐる季節を、ふたりで歩く~辺境の魔女と白い竜は、長い長い時を共に生きる~【5章完結】

一ノ谷鈴

第1章 前向きな令嬢は森の中

第1話 もう男なんて信じない

 私は、幸せだった。未来の幸せを、疑っていなかった。あの時までは。






 その日私は、王宮の一室に向かっていた。


 婚約者であり、愛しい人である王子から呼び出されたのだ。今日もきっと、いつものような楽しいお喋りの時間が待っているのだろう。


 しかしそんな甘い期待は、あっさりと裏切られてしまった。


「――以上のように、君が罪を犯したことは言い逃れのできない事実だ、ジュリエッタ。君がそんな人間だったなんて、残念だよ」


 麗しの王子、つい先ほどまで私が心から信じ切っていた男性は、あろうことか全く身に覚えのない罪を言い立て始めたのだ。


 彼はどこかほっとしたような笑みを浮かべながら、首を横に振る。


「もちろん、私と君との婚約は白紙に戻させてもらう。罪人である君は、未来の王妃としてふさわしくないからな」


 彼がそう言い放ったその時、奥の間にでも控えていたのか、どこぞの令嬢が静かに姿を現した。


 彼女はしとやかに近づいてくると、王子のそばにぴったりと寄り添った。私が見ていることなどお構いなしに、二人は親しげな視線を交わしている。


 男女の仲についてはあまり勘のいい方ではない私にも、すぐにぴんときた。


 私が気づいていなかっただけで、王子の心はずっと前からよそに行ってしまっていたのだろう。


 王子が彼女に向ける目は、今まで見たこともないほど優しく、甘くとろけていた。




 うっとりと見つめあう二人を苦々しい目で見やってから、先ほど王子に言われたことを改めて思い出す。


 王子が得意げに告げてきた私の罪状ときたら、思わず鼻で笑い飛ばしそうになるくらいくだらないものばかりだった。


 まず彼は、私が王子の婚約者であることをかさに着て横暴の限りを尽くしていたと主張した。けれどもちろん、心当たりなど全くない。


 証人がいるのだぞと言われたが、どうせでっちあげだろう。問題は、その嘘の証人を用意したのが誰なのかということだ。


 そして、私になすりつけられた罪はそれだけではなかった。


 なんと私は、他の令嬢に嫌がらせをしていたということになっているらしい。


 しかもその令嬢というのは、私の目の前で王子といちゃついているこの女なのだそうだ。嫌がらせをするも何も、彼女とは初対面だ。


 ため息をつきながら、考えをまとめる。誰が、こんな手の込んだことをしたのか。何のために。


 そう手間取ることもなく、最もそれらしい答えにたどり着いた。


 王子は彼女と恋に落ち、婚約者である私のことが邪魔になってしまったに違いない。


 けれど理由もなく婚約を破棄することなどできはしない。だから彼は、私にありもしない罪を着せ、婚約者の座から追いやろうとした。きっとこれが真実だろう。


 どうやら、私は捨てられたらしい。それも、最悪の裏切りをもって。天を仰いで嘆きたいのをこらえながら、そっと口の中だけでつぶやく。


 どうして私って、こう男運がないのだろう、と。






 突然濡れ衣を着せられて婚約を破棄された令嬢とはとても思えないほど、私は落ち着き払っていた。


 それもそうだろう、私がこっぴどい振られ方をするのはこれで二回目だ。


 とは言え一回目はずっと前、私が今の私として生まれるよりも前――つまり、前世でのことだ。


 前世の私は、どこかの小さな村で暮らす薬師の娘だった。結婚を約束していた恋人もいたし、貧しいながらも幸せに暮らしていたのだ。


 ところがある日唐突に、その幸せは終わりを告げた。恋人が、一方的に別れを告げてきたのだ。


 彼は仕事で立ち寄った大きな街で、豪商の跡取り娘に見初められてしまったのだ。彼はあっさりと私を捨てて、遠い街に婿入りしていってしまった。


 手ひどい裏切りに絶望した私は村を飛び出した。誰もいない崖の上にたどり着くと、地に伏して泣き崩れた。


 夕暮れ時まで泣き続けて、こうしていても仕方がないと諦めて立ち上がったその時。


 泣き疲れていたせいか、私はよろめいて足をもつれさせ、崖の下に落ちてしまったのだ。


 遠くに見えていた海面が見る見るうちに迫ってくる、あの恐怖は今でもはっきりと覚えている。忘れたくても忘れられるものではない。


 水面に体がぶつかる衝撃、全身を包み込む冷たい水の感触。ろくにもがくことすらできないまま、私の意識は闇に溶けていった。




 ――ということを、三歳の時に何の前触れもなく思い出した。


 あの頃の私は、突然よみがえった謎の記憶に大いに混乱した。今の親である侯爵夫妻がおろおろするほどに。


 けれど、あれは前世の記憶だったのだろう。そう見当をつけることで、どうにか平静を取り戻すことができた。多分、その認識で間違っていないと思う。


 今の私は侯爵令嬢。銀の髪にすみれ色の瞳の、中々の美少女に生まれ変わっていた。両親はとても優しく、前世とは比べ物にならないほど豊かに暮らしていた。


 中でも特に嬉しかったのは、魔法を学べたことだった。高価な教本と教師が必要になる魔法は、前世の村ではとても手の届かないぜいたく品だったのだ。


 幸い、私には魔法の素質があったらしく、人並み以上に魔法を使いこなすことができるようになっていた。


 貴族の令嬢として生きるにはさほど必要のない技術だと分かっていたけれど、炎や風を自在に操るのは純粋に楽しかった。


 それと、突然戻った前世の記憶について、乳母にこっそり話してみたことがある。


 乳母は眉をひそめて「それは二度と口にしてはいけませんよ、お嬢様」と釘を刺してきた。そんなこともあって、私は前世のことを口外せずに成長していった。


 もっとも薬師だったころの名残で、薬草や薬のことを知りたがる癖だけは治せなかったけれど。


 そして私が十二の歳、私は王子と婚約することになった。


 明るい金色の巻き毛と澄み切った青い瞳の王子は、それまでに私が出会ったどんな男性よりも美しかった。


 私はこの王子と添い遂げたいと心から思った。彼はとても優しく、前世の失恋の痛手を癒してくれるように思えた。


 子供のおままごとのような恋だったけど、私は幸せだった。


 それなのに。






 婚約から五年。王子の優しさは、たった五年しか続かなかった。


 小さくため息をつきながら、令嬢と見つめあっている王子をちらりと見る。その麗しい顔に浮かんでいる笑みは、ひどく汚らわしいもののように思えた。


 ほんの一時でも、こんな男に救いを求めた自分が馬鹿だった。今こうやって窮地に立たされているのは、全部自分の愚かさが原因だ。


 うかつに彼のことを信じたりしなければ、こんなことになる前に異変の予兆に気づくことができたかもしれなかったのに。


 もう男なんて信じない。この最低の男と離れられるなら、なんだっていい。一刻も早く、この吐き気がする場所から立ち去りたい。


 全てにうんざりしていた私は、自分に下された処分をそのまま受け入れることにした。


 彼らのこの様子では私の言い分が通ることはないだろうし、処分から逃れることもできないだろう。


 ならばせめて、誇り高く彼らの前から去ってやろうと思ったのだ。


 王都から遠く離れた森への追放、それが私に下された処分だった。






 そうして私は馬車に乗せられ、たった一人で森に放り出された。


 持ち込めたものは金目のものが少々と、自力で持てる大きさの手荷物、あとはいくばくかの食料だけ。


 もちろん従者なんていないし、そもそも見張りすらいない。


 追放した罪人に見張りをつけないというのもおかしな話だが、これにはちゃんとした訳があった。


 この森には恐ろしい魔物が出るとかで、うかつに奥に分け入れば命はないらしい。そして森の外には小さな村が一つあるだけだ。


 必要な物資を手に入れるために村に向かうのは構わないが、そこに逃げ込むことは許されていない。


 罪人をかくまったりしないよう、村人たちにはしっかりと釘を刺してあるのだそうだ。近くの街道沿いに点在する宿場町にも、同じような通達が行っているらしい。


「まったく、どこまで用意周到なのかしら、あの王子は。私が邪魔になったからって、ここまでするなんてね。二度と自分の目の前に姿を現さないように、ってことかしらね」


 森の中の空き地に立ち、そう吐き捨てる。空き地と言っても、膝くらいの高さの雑草がぼうぼうに生い茂った、歩くだけで一苦労するような場所だ。


 私の目の前には、雑草に埋もれるようにして古びた小屋が建っていた。空き地の周囲には深い森が一面に広がっていて、その向こうは全く見えない。


 辺りから聞こえてくるのは、ただ木々がざわめく音と、鳥の声だけだ。それらの音が余計に、森に広がる静寂を際立たせてしまっている。


 普通の令嬢なら絶望するしかない光景だったろう。しかし私は、腹の底からふつふつと闘志が湧き上がってくるのを感じていた。


 こうなったら、何が何でもここで生き延びてやる。


 あの王子は、きっと私がここで失望のうちに生を終えることを期待しているのだろう。そんな彼の思惑を木っ端みじんに打ち砕いてやりたいという思いが頭をもたげる。


 私には前世の記憶がある。ひなびた村で暮らした経験を生かせば、きっとここでもやっていける筈だ。


 か弱い令嬢とあなどったことを、彼らに後悔させてやろう。生きて生きて生き抜いて、そうしていつか、彼の前で高らかに笑ってやるのだ。


「ようし、やってやろうじゃないの!」


 力強く握りしめたこぶしを天に思いっきり突き上げながら、私は令嬢らしからぬ雄たけびをあげていた。

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