横穴のロフト
その横穴にはロフトがある。
なんでも今は誰も住んでいない古い住居の裏に山があって、そこに横穴があるのだが、その横穴に入って少し上にまた穴がぽっかり開いているのだという。そんな話が、武史の通う中学校に最近まことしやかに流れている。しかし、その手の話にはありがちな、付随する架空のこと、つまり、入ったら呪われる、のようないわくなんかは何一つない。というのも、その横穴はつい最近発見されたばかりで、そのいわくが生まれる隙もなかったからだ。その隙を潰したのはなんとある有名なテレビ番組。誰かが見つけた不思議な洞窟や建物、石なんかを調査してくれるバラエティ番組といえば分かるだろうか。地元に横穴が周知されたのすらその番組の放送後だった。そういう番組に、
そして、件の横穴のロフトとはその番組中で実際に横穴を拝見した芸能人が発見し、そう名付けた場所だった。テレビで拝見した所、本当にロフトとでも言えるような、高さのない、伏せてやっと通れるくらい低い、穴の上にある穴だった。芸能人の背よりも高い場所にあり、テレビでは中を覗けなかった。だから奥があるのかどうかもわからない。だがしかし、説明通り防空壕であることに変わりはなく、つまり、だからどうしたっていわくが生まれるはずもない。が——番組放送後、どこからかその横穴のロフトの話が出始めた。おそらくテレビでそこを写して演者もなんのためのロフトなのか気になっていたが、防空壕と判明後もそこがなんだったのか詳細が語られることはなく、誰かがちょっとした好奇心で呟いたことだったのだろう。ロフトには何かが、何かあるかもしれない。あの穴の正体は防空壕ではないのかもしれない。地元の学校では、それが近所ということも相まって、今ではまた正体不明の穴に変わっていた。
が、当の武史はそれを聞いても左耳から右耳に抜けるばかりで全く感心なんか全然なかった。これは何も武史に限ったことじゃなく恐らく校内の生徒は全てそうだったろう。あくまで暇つぶしで、友達との会話を少し盛り上げるだけのエッセンス。ふざけて消費されていくだけのもので武史も一笑に伏すだけで終わった。
——しかし、武史は今、まさにその横穴に向かっている最中だった。八月の初め、雲一つない晴天で太陽が痛いほど照りつけている。橙色のTシャツに短パンという出で立ちで家から繰り出した武史は、どこか気の進まない表情で軽くはない気怠げな足取りである。それは自発的、若しくは義務的行動ではないからだろう。真横には同級生の岩崎が一緒にいた。今朝、横穴を見に行こうと言い出したのはこの男だ。彼は自分とは違い、所謂、不思議好きだった。だから例の番組のファンでもあり、毎週必ず欠かさず、録画までして見ている。が、横穴のことを聞いたところ、その投稿をしたのは自分ではないという。
武史が茹だる中で覇気のない目線を岩崎に向けていると、その視線に気づいたのか岩崎の目と合う。彼はニカッと快活そうに笑っていった。
「ロフトの中さ。何があると思う?」
その巨躯に見合わぬ優しい声だった。大きな背中に自分の背丈の三分の二ほどある脚立を背負い、筋肉質の体をユサユサ揺らす。身長は武史より頭二つ高く、肩幅は広く、盛り上がった上腕筋が半袖から覗けている。また体と同じく丸く大きな、優しい顔には面皰が少しある。
「さあ? でも昔の人は届かない高さにある穴だろうし、きっと空だと思うんだよね」
だからそんな脚立持ってきたって無駄だと思う。が、これは言わないでおく。そして武史はそんなことより自分の体はどうだろうと我が身と岩崎の体を見比べる。
肌は生っ白く、肉より骨の方が太いような腕、棒切れのような足、にも関わらず腹はちょっと出てきている。顔も細く、かといって優しくも見えない蜥蜴みたいな顔をしている。身長ばかりは平均的だが、しかしその身長だって岩崎と比べれば小さい。武史はまたブーたれた顔つきになる。中学三年になる年頃、どうしたって他人と何かを比べたがる。ましてや同級、同性、同郷の友達とは。そして必ず、最後には持たざる者の自己憐憫に行き着く。池崎とは幼稚園も小学校も一緒。なんなら家も近所にあって幼い頃からよく遊んでいた。あの時は二人とも同じ目線だった。それが今や——
「たけちゃんは相変わらず夢がないね」
いって自分を見下ろす岩崎はハハと笑う。一体どこで差がついたのか。少なくとも中学に上がりたての頃までは二人とも同じくらいの身長で体格も似たり寄ったりだったはずだ。そして、岩崎は運動部に所属していない。なのに何故。
「だってそうだろう? 防空壕の上に空いた穴に誰が好き好んで物を入れるのさ?」
「確かにそうだけどね。でも、もしかしたら何か入れてたかもしれないじゃない。空襲で家が壊されても大丈夫なようにさ。大事なものとか」
この意見に武史は首を捻る。そんなわけがない。仮に入れたとして、出さないわけがない。岩崎のこういうところは昔から変わらない。それなのに、自分よりも体格が良くなった。友達が増え、噂によれば(本人から聞いてはいない)彼女までできたそうだ。
「絶対ないよ」
武史は少しヒクついた頰を揉んで目の前を見る。緩い真っ直ぐな坂道の先に件の家、その背後に横穴のある山が見える。山といっても実際は岩石の塊みたいなものでゴツゴツとした岩がほぼ垂直に真上に伸び、緑濃い木々が合間合間から、所々元の岩肌が見えて天辺には立派な幹の太い杉が一本だけ、つの字に曲がって伸びている。
「風情がある山だよね」
岩崎がいう。武史は何も答えなかった。実はちょっと息が上がっていたから、それを気取られることが嫌だった。体力もない。岩崎ももはや友達と呼んでいいかもわからないくらい付き合いは希薄になっていた。そもそもこういう誘いすら中学に上がってからは初めてだった。実は岩崎のこういう連れ出しは小さい頃からで、近所で気になるものを見つけては二人で見に行き、時にはそこで遊んでいた。大きくなるにつれ回数は減って、今はざっくり三年ぶりだ。当然ながら武史はかなり嫌がった。なんせクラスの人気者と一介の隠キャだから。それでもこうして岩崎の提案にホイホイついてきてしまったのは——岩崎と自分を繋ぐ糸に引っ張られたから?
坂を登って廃屋の前に着く。古い古い木造でブロック塀でなく木の柵、それも燻んで、腐ったところは脆く朽ちている。建物自体も今にも崩れそうな雰囲気で、屋根にはどこからか積もった土から雑草が生えて、武史は着いた早々に「うわぁ」と声を漏らす。古いなんてもんじゃない。地震でも来ればたとえ誰にも気付かれない震度でも倒壊してきかねない。
「番組で見た通りだね。袋小路の廃屋。面白そうだ」
対する岩崎はこんな調子だ。脚立をガッシャガッシャと揺らしながらすんなり通れそうな柵が壊れた場所からではなく、ちゃんと瓦や木材の散乱した門から家に入っていく。武史も渋々ながら後をついていった。ぶっちゃけこういう場所はこの近所に結構な数があり、武史はその内の何軒かにお邪魔したことがあるから抵抗はありつつも拒否感はなかった。
「ここ、どこの廃墟よりボロボロ度合いが高いね」
そうだね、と武史は返事をする。その通り、今まで入ったどの廃屋よりも古い。少なくとも屋根に雑草が生えている家なんかは。門に続くガラス戸の壊れた玄関を迂回して青く繁る雑草だらけの中庭を抜ける。武史の腰ほどまであるが、幸いなことに点々と石段があるのでそこを、ケンケンパの要領で行く。石段は裏手まで続いて、そこは日陰だからか草があまり生えていなかった。
そして、山側には例の横穴がぽっかり顔を出す。
「おー、これだこれだ」
岩盤に開けた穴というような洞窟で入り口の高さは岩崎の頭が擦れるくらい。まだここにはロフトはない。あるのはこの中だ。洞窟なんてどこもそうだろうが内部は暗闇に閉ざされて真っ暗だった。それどころかここら一帯が陽の光を通さないので薄暗く、入る前からジメッとした空気がある。なんのいわくもないはずの洞窟。そのはずなのに背中が冷んやりとする。
「早速入ってみようよ」
だが岩崎はそうではない。スマホを取り出してライトをつけるとさっさと入っていってしまった。武史は少し躊躇する。これまでの連れ出しでこういうところに入ったことはなかったかと言われればあるにはあったのだが、しかし。
「たけちゃんどうしたの?」
少し前に進んだ岩崎が不思議そうな顔をして自分を見る。武史は、目を細めて、生唾を飲み込んでから「なんでもないよ」とついていった。
入り口を少し屈んで入ると、内部は意外と高くなる。二メートル前後といったところだろう。ただし先に続く穴は低く低くなっており、一段高くなった入り口から斜めに下がるのではなく入り口からドーム状に天井が高くなって、その先に武史ですら屈まなければいけないくらい低い、小さい穴がある。そしてその少し上、天井すれすれの高さに、例のロフトがぽっかりと空いている。横に伸びた穴で、かつ這って入らなければいけないほど低い。二人はライトでその穴を照らす。黒い岩壁が湿ってテラテラ不気味に輝いていた。
「これが例の」武史が続ける。「ロフトだね」
岩崎は早速担いでいた脚立を下ろして一段上がろうとして——その顔をふと武史に向けると「先にさ」ライトを奥の低い穴に向けた。「こっちを見ようぜ」
かくして二人は穴の奥へと入っていった。空襲から避難したここの家族はこの低い穴まで入ったのだろうかと武史は考える。基本的に四つん這いで入らなければいけず、古い腐ったような木材の頼りない補強を横目に奥へ。岩崎は完全に四つん這いになる一方、武史は膝は地面に着けず中腰に。低い身長の優位性を示したいわけじゃない。膝を汚したくないからだ。
「木材とゴミばかり。テレビで観たのと一緒だね」
武史は皮肉めいた口調で言う。辺りは実際にその通りで、散乱したゴミ(ペットボトル。お菓子の袋等)と腐った木材。靴なんかもある。テレビで観た映像と全く同じだった。なんてことだ。全くもって意味がない。が、岩崎は「そうだね」と普通に流す。彼はこういう機微に大変疎い。
穴は本当に浅く、進んで一メートル程度のところですぐに終わる。黒く湿った岩壁のみで横に穴が続いていたりはしない。
「行き止まり。どん詰まり。おしまいだね」
武史は一応左右確認をして言うと、すぐにクルリと向きを変える。無駄足だった。中腰の姿勢も辛いし、いいことがない。さっさと去ろうとすると、
「たけちゃん。これ……」
岩崎だ。武史は面倒臭そうに仏頂面で振り向いた。そして、その細めた目をさらに細める。岩崎はどん詰まりの岩壁の真下にライトと目線を向け、時折こっちを見ては手で招いてくる。一体どんな(面倒臭い)ものを見つけたのか。思いつつも、この茶番を乗り越えないと終わらないので武史は近づいて、ライトの先を見た。それをよく見て、少し考えて、自分のライトも向けてまたよく考える。
「だろ?」
岩崎が何もいっていない武史に、見抜いていると言わんばかりにそう念を押され、武史は怪訝な顔をしたもののうんと頷いた。
これはおかしいと思った。ライトで照らす先には一枚の、枚といっていいのか、かなり汚れていてボロボロになった布片があった。その汚れたるや、直にライトで照らさないと土と同化して見えるほどだ。見落とされてもなんら不思議はないだろう。が、問題はその布片が、
「どうして岩に潰されてるんだろうな」
岩崎が些か興奮した様子でいう。布片は岩壁から伸びていた。ただし、明らかに岩壁からこちらに窄まっており、つまり、布片が広くなった先が岩の下に入り込んでいた。
「どうしてなんだろうな」
武史はいって試しに布片を軽く引っ張ってみる。なにせボロい布なので、千切れてしまわないように慎重に。それこそ、濡れた紙が千切れない程度の小さな力で。すると、布片がピンと張った。布片に張り付いていた砂に亀裂が入る。間違いなく、布片は岩に潰されている。
「隙間があるぞ」
岩崎はさらに屈んで地面に横面を付け、岩の下を良く見ながらいった。時折、腕を岩の隙間に突っ込んで確かめたりしている。
「上から崩れてきたのか?」
武史はライトを上に向ける。確かに壁との境には切れ目があり、繋がってはいない。ただ、崩れてこうなったものかどうかは見ただけではわからないし、武史には知識がない。が、これだけは分かる。
「ここからさっさと出た方がいいかもな」
この岩が落ちてきたものだとするなら、つまり崩落の危険性があるということだ。崩落はいつ何時起こるかわからない。岩崎もそれに従って、二人していそいそと横穴を出た。
「いつ崩れたんだろう?」
出るなり岩崎がいった。武史は「さあね」と続ける。
「少なくともテレビが来る前にはもう崩れてたんだろう。どっちみちあの横穴は危ないってことだよ」
だからもう帰ろう。そう続けようとした矢先だった。
「僕、ちょっと面白いことを思いついた」
岩崎が笑顔を向けていった。武史は聞いた途端に目を鼻に集めたような渋い顔になる。
「考えたんだけどさ」
岩崎は続ける。いつものトンチンカンな仮説。岩崎を不思議好きと表現したのにはこんなわけがあった。つまり、岩崎は火の無いところに煙を立てるというか、何かを見つけてはそれらの
「あのロフトってさ。崩落した防空壕から脱出するために掘った穴なんじゃ無いかな?」
相槌は打たない。岩崎は勝手に続ける。
「もしかしたら、あの防空壕が崩れたのは空襲の時なんじゃないかな。それでさ。崩落して出られなくなった。で、閉じ込められた彼らは脱出のために穴を掘った。それがあのロフトなんじゃない?」
何を馬鹿なことを。
「何言ってんだよ。馬鹿馬鹿しい」
呆れた顔をする。でも岩崎には効かないだろう。彼の目は爛々と輝いている。まるでこうしちゃいられないとばかりに。
「僕はロフトに登ってみるよ」岩崎はそういった。そして、一目散に……いや、ずんずんと鼻息を荒くしてこちらに近づいて。その鼻先がすぐ五センチ上に来たところでまたいった。「だからさ。たけちゃんは家の中を調べてみてよ」
「なんで?」すぐに聞き返す。
「なんでって。あの防空壕の秘密が記された何かがあるかもしれないじゃない。手付かずらしいよ。ここの家の人がいなくなってから」
岩崎はそう返す。そう、番組内でこの家は所有者のいない空家となって久しい場所だった。つまり岩崎の言いたいことは、手つかずの家なので色々なものが残っているだろうということだ。例えば横穴のロフトが何かを示すものとか。面倒くさいと武史の細い目がもっと細く、皺を寄せる。
「何にもないと思うけどな」
「それでもさ。折角ここまで来たんだし、何にもなしじゃそれこそつまんないじゃん。それに——」いうと人差し指を持ち上げてトンと武史の胸を突く。「たけちゃん。もう疲れてるみたいだし」
バレてたか。武史が苦虫を噛むように下唇を噛む。ちっぽけなプライドかもしれないが、武史にとっては大事なことだった。情けないと思われたくない。特にこいつには。
「疲れちゃいないよ!」
武史は怒ったようにいって回れ右して横穴を遠ざかる。岩崎はその背中に「頼んだよー」と間延びした声を掛け、こちらも暗い横穴に入っていった。
——それから次に岩崎を呼んだ時には、もう声は帰ってこなかった。
廃屋には簡単に入れる。開けっ広げになっている中庭の土間から土足で入った。中は外観ほど荒れておらず、昭和期を描いたドラマなんかで観れるような、部屋は畳張り、廊下は木板が敷かれていてニスの濃い和箪笥なんかの家具がある。長年放置されていたというより、人がいなくなってまだ数年程度のような——でも、臭いは酷くカビ臭かった。
武史は言われた通りに
窓際にある照らされた低い書斎机の上にドンと一冊だけ置いてある本……ではない。机の両脇には本棚があって、そこには本がビッシリと並んでいる。机に本があっても何も不思議じゃない。武史が目を見張ったのは窓の上に掛かっている一枚の写真を観たからだった。驚いた顔をして、日が顔にかからない距離まで進んで、誰も観ていないのに指を震わせてその写真を示すといった。
「岩崎だ」
古い白黒写真だった。軍人のような制帽と襟のある服を着た岩崎が証明写真のように半身を写している。ただ受ける印象はまるで違って、歯を見せて笑ってなんかはおらず、暗いとも取れるような真面目くさったような引き締めた顔をしていた。でもこの顔は、丸顔で、肩までしか写っていないのに分かるガタイの良さは間違いがない。
「いわさ……」
呼ぼうと思った武史はしかしここで口を噤む。でも。他人の空似かもしれない。それに、ここで机の上に置かれた本に目がいった。A5サイズでそれなりに厚い。何より赤い布地表紙に金色の文字で「アルバム」と書かれていたからだ。さらにその足元にはご丁寧に座布団が敷いてある——これを読めとでも言われてるみたいに。武史は一度後ろを振り返る。岩崎が何かをしているような物音は聞こえてこなかった。向き直ると慎重に、ゆっくりとしゃがんで机に近づき、座布団の上に正座をして表紙を捲る。元々は白かったのだろうページが黄色く、写真を収めるためのセロハンがベリリと音を立てた。
——岩崎を呼んだのはそれから五分となかったろう。
「岩崎? 岩崎ぃ?」
入ってきた土間から庭に出て横穴へ。早足に名前を呼びながら、例のアルバムを小脇に抱えたまま。返事がない。嫌な予感がした。物音もせず、横穴に躊躇なく向かって——そして横穴には脚立しかないことを確認した。昇らずに岩崎岩崎と何度か呼びかける。ライトでそこら中を照らし、外に出て少し大きい声で呼びかける。
返事は返ってこなかった。背筋がスッと凍り付くのを感じる。まさか、嘘だろう?
アルバムの中にあった写真はあの飾ってあった写真の男。岩崎にそっくりの男とその家族のアルバムに間違いはなかった。全て白黒写真で、その始まりは家の前、綺麗だった頃の門の前で笑顔で立つ男の写真から始まっていた。その笑顔がまた岩崎にそっくりで、しかも服装こそ時代的であるものの背格好もまるで今の岩崎と同じだった——ただ傍に男より頭二つ分小さい女の子の姿もあった。その女の子、もとい女性は次々と写真を辿っていくとその正体が分かる。彼女は男の結婚相手、妻だった。どう観てもまだ学生くらいに見えるが、時代なのだろう。二人が仲睦まじく笑う写真が何枚か、その背景にはこの家がある。旅行なんかには行かなかったのだろう。そして次には子供が二人、女の子が誕生し、写真の中心は子供達に移る。それから一枚。ここは分かった。裏手の岩山だ。そこに穴があった。傍には
——しかしその先は少なかった。
「戦争か」
武史は呟く。その辺りからだろう。男の顔は徐々にあの飾ってある男の顔に近づいていった。その変遷を得て軍服姿、制帽を被って凛と立つ男が門の前にいる写真。それが最後の一枚で、次のページには写真でなく紙が入っている。武史はこれを歴史資料館か何かで見たことがあった。戦死公報だ。名前は
だから、武史は大慌てで岩崎を探しにいったのだ。そんなところにあるはずのないものがあって、それが、それが男が岩崎だと告げているような気がして。居てもたってもいられなかった。しかし、もう横穴に岩崎はおらず、脚立はそのまま。庭を駆け抜けたりすれば物音が出る。
——まさか、そんな。あり得ない——でも。
自分のポケットを、そこに入っているものをギュッと握った。長方形の小さなコンピューター。だがこれは自分のではない。かなり年季の入ったもので液晶がヒビ割れ、背面は錆びなのかガサガサと荒くなっている——アルバムの中で見つけたものだ。アルバムの後ろページはダミーというか、接着されていてひと塊りになっていた。そして、中が切り抜かれて——。
「嘘だろ? 嘘だろう?」
じゃあ岩崎は過去に行ってしまって戦争に行って死んだというのだろうか。ここで結婚して、子供を産んで、防空壕を掘って——それから? 岩に潰された布地。
武史は再びアルバムを開いた。こいつらは岩崎の子供なんだろうか。だとすると
——もしかしたら、あの防空壕が崩れたのは空襲の時なんじゃないかな。
武史は急いで横穴に入り脚立を上がった。ライトを点けて奥を照らす。すると奥行きがあり、それから、すぐ手前に煎餅でも入れるような四角い缶があるのがわかった。こちらも年季がいっているようで全面が茶色く錆びている。武史はそれから目を離して奥をよく見る。脱出路。岩崎は作ったのだろう。本当に奥まで行けるような気がする。が、入る気は無い。ほっと安心して——缶が目についた。大事なものを入れたのかもしれない。岩崎がそういっていた。恐る恐る中身を、錆びているのに案外すんなりと開く。
中にはまた、一枚の写真が入っていた。それを一目、驚愕の眼差しで手に取って、脚立を降りて外へ行く。また動悸は早くなるような気がした。日陰の薄明かりの中でその写真を見つめ、裏返して
「——そういうことか」
武史は呟いた。写真が手から離れ、下にハラリと落ちていく。まるで泣きそうな顔をして、まるで辛そうな顔をして、回れ右して横穴の暗闇の中へ駆けていく。
人が動けば風が起こる。武史が去った後、落ちて行く写真は風を受けて捲られる。写真は例の横穴を写したもので、脇に一人の男性が写っている。ただし岩崎ではなく、細身で面長、蜥蜴みたいな顔をした。裏返って地面に落ちる。その裏側には万年筆である言葉が書かれている。
——その横穴にはロフトがある。あらねばならない。
武史と岩崎の二人は未だ行方不明なままである。またこれは蛇足かもしれないが番組に投稿した人物は伊藤 宗之という名前だった。
穴倉の窓 〜短編小説集〜 穴倉 土寛 @AnakuraDokan
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